新開発区
張から依頼を受けた翌日も、舞奈と明日香は普通に登校して授業を受けた。
そして放課後。
「舞奈ちゃん、おかえり」
「ただいまさん」
舞奈はいつも通りに守衛に挨拶し、いつも通りに瓦礫を踏みしめて歩く。
廃墟の街こと新開発区は舞奈の街だ。だが、
「学区内って簡単に言うけどな……」
ひとりごち、憂鬱そうにため息をつく。
廃墟の街をだらだら歩く舞奈の前には、いつもと変わらず視界いっぱいに広がる廃ビル、廃ビル、廃ビル、錆びた廃車に、また廃ビル。
ビルの合間を吹き抜ける風が、悲鳴に似た風音となって神経を逆なでする。
ひび割れた荒れ地のような地面からは、奇妙なトゲの生えた大きな植物がまばらに生え、歪な影を地に刻んでいる。
廃ビルの陰では、痩せた野良猫がゴミを漁っている。
新開発区。
こんな廃墟の街なのに、その歴史は意外にも浅い。
事の始まりはバブル華やかりし頃だ。
当時の巣黒市は陳腐化と停滞にあえいでいた。
だから現状を打破すべく、隣にレジャータウンを作ろうという計画が持ち上がった。
周辺住民や各種団体の反対を押し切り、手付かずだった古い森を切り開いたらしい。
新しい街は巣黒市から名を借りて、出巣黒須市と名付けられた。
そして希望をこめて新開発区と呼ばれるようになった。
対して古臭い巣黒市は、旧市街地と呼ばれるようになった。
だが、ロクな計画もなしに強行された都市計画には様々な障害が立ちふさがった。
関係者の何人かが不可解な理由で消息を絶ったりもした。
そしてバブルがはじけると、開発計画も立ち消えになった。
跡には、区画整理もそこそこに乱立して中途半端に入店・入居が決まったビルの数々が残された。
やがて怪異があらわれ、それによる被害がではじめた。
奴らに対抗するため、通常ならば都道府県単位にしか存在しない【機関】の支部が巣黒市のみを管理範囲として設立された。
当初は出巣黒須対策支部と呼ばれていたらしい。
それでも被害は止まるところを知らず、新開発区は封鎖された。
現在は【機関】が許可した執行人や仕事人だけが立ち入ることができる。
今でも思い出したかのように、この現状を打開すべきだと声があげられる。
だが、そうした働きが実を結ぶことはない。
その存在は伏せられているのに着実に被害を出し続ける、怪異。
故に活動家や政治家たちは及び腰にならざるを得ない。
それに今や数百の執行人を要する巣黒支部そのものが、裏の世界の利権として確立してしまっていた。
だから、生まれながらに朽ちた街は、今でも廃墟のままだ。
どんな手抜き工事の賜物か、あるいは他の不吉な何かが原因か、建てられて間もないのに倒壊しかけたビルの群れが立ち並ぶ。
その様は、さながら時代遅れの昭和の隣の、時代錯誤な世紀末といった所か。
街として機能した期間がないせいか、本来の市名より新開発区という俗称のほうが通りがいい。
たとえ今や新しくはなく、開発されることなど永久にあり得ないとしても。
ちなみに、学校や中華料理屋、民間警備会社の事務所や保健所といったまっとうな施設は旧市街地にある(【機関】の支部がまっとうな施設かはさておき)。
まともじゃない舞奈のアパートは新開発区にある。
地上の街はボロボロのくせに、地下に埋まったインフラは不気味なほど劣化してないから意外にも住み心地は悪くない。登下校時に怪異に襲われること以外は。
そして依頼にあった泥人間が潜んでいるのも新開発区だ。
というより怪異があらわれるのはたいてい新開発区なので、仕事人の主な仕事場は新開発区である。
たしかに近所だ。
だが、舞奈には無駄に広い廃墟をうろつき回るようなヒマな趣味はない。
アパートは旧市街地に近い場所にあるので、レジャーも買出しも旧市街地で済ませてしまえるのだ。
だから舞奈には地の利もコネもない。
自分とアパートの管理人以外に人が住んでいるかどうかも知らない。
「明日香の奴、奴らの居場所を占いで突き止めるとか大口叩いてやがったが、どうせ今回も足で探すことになるんだろうな……」
廃墟をのろのろと歩きながら愚痴る。
明日香は強力な攻撃魔法をいくつも使えるグレネーダーで、用意周到な参謀だ。
にもかかわらず、探知魔法はすこぶる苦手だ。
生真面目な彼女は、過程を省いて虚空から直に情報を得るのが嫌なのだ。
だから天からのお告げにソースを求め続けた挙句、神託そのものをお釈迦にしてしまう。生真面目さが完全に裏目になっている。
肩をすくめる舞奈の側に、気づくとバイクの残骸が散らばっていた。
品のない極彩色にペイントされた改造バイクだ。
まだ新しい、というか昨日はなかった。
怪異が巣食う新開発区には、一般人の立ち入りは禁止されている。
だが守衛には、無理矢理に押し止める義務まではないらしい。
いちおう子供が迷いこみそうになっていたら親切心から止めたりはする。
だがヤンキーや珍走団は素通りだ。
彼らが二度と帰らないことを承知のうえで。
「ったく、通学路を人間のゴミ捨て場にしやがって」
バイクは鋭い何かで引き裂かれていて、血痕はあるが搭乗者はいない。
おそらく舞奈が学校に行ってる間に、執行人が片づけたのだろう。
守衛は通行人のことをどこかに報告している。
そこから【機関】に情報が伝わるらしい。
その件については、【機関】に感謝したいと思った。
仕事人などしているせいで死体には慣れた。
だが腐乱した臭いに慣れることなど不可能だ。
それに舞奈の経験上、怪異は不浄にしていると湧く。
残されたバイクの残骸にはサソリみたいな得体のしれない虫がたかって、尻尾の先で錆びさせて食っている。錆喰いと呼ばれる無害な怪異だ。
そんな錆喰いの背後に音もなく痩せた野良猫があらわれ、仕留める。
錆喰いは泥人間と同じように汚泥と化し、それを猫が舐める。
新開発区では、怪異の存在を織りこんだ生態系が確立されていた。
「うえぇ。……うまいのか? それ」
食事する猫を見やりつつ、舞奈は顔をしかめる。
そして次の瞬間、弾かれたように拳銃を抜く。
撃つ。2発。
獣の悲鳴。
さらに舞奈は左腕をのばす。
不可視の何かをつかむ。
空気からにじみ出るようにあらわれたそれは、狼だった。
漆黒の毛と鋭い牙を持った、大型犬ほどもある狼。
人の頭くらいなら一撃で食いちぎることができそうだ。
毒犬と呼ばれる怪異の一種である。
だが舞奈の屈強な拳が、そんな毒犬の首筋をしっかりつかんでいた。
毒犬はもがく。
舞奈が拳に力をこめると、何かが壊れる鈍い音とともに毒犬は果てる。
そして液体となり、すぐさま蒸発して消えた。
猫の左右の斜め上にも撃ち抜かれた毒犬があらわれ、消えた。
錆喰いを猫が喰って、猫を毒犬が襲おうとして、その毒犬を舞奈が仕留めた。
舞奈が怪異を狩る仕事人だからだ。
おそらく昨日の晩に、珍走団は気持ちよくエンジンを吹かせながら走っている最中に毒犬に襲われたのであろう。
毒犬は泥人間と同様に異能力を持つ怪異で、その多くは【偏光隠蔽】だ。
泥人間と同じように何処からとなくあらわれ、日中は廃墟の陰に潜んでいる。
そして日が陰りはじめると、数匹の群で人やまともな動物を襲う。
昼間に珍走団を回収しにきた執行人が襲われなくてなによりである。
「ナァー」
顔を上げた野良猫が、舞奈を見やってひと鳴きした。
命を救われた礼を言っているようにも聞こえるが、食事を邪魔されて文句を言っているようにも聞こえる。舞奈に獣の言葉はわからない。だから、
「にゃーんじゃねぇ! 野良なら逃げるとか、反撃するとかしろよ」
文句を言って、口をへの字に曲げる。
「ったく、弾丸だって残り少ないのに……」
そして、ふと自分も晩飯の心配をしなければいけないことに気づいた。
昨日は張の店でたらふく食ったが、一昨日失ったモヤシの替わりは報酬が手に入るまでお預けだ。
「……まあ、ちょうどいいか」
舞奈はひとりごちて、足を速めた。