戦闘1-2 ~ 魔術&回術&異能力vs回術
――執行人グレイシャルとの最初の出会いは協力者チームの一員としてだった。
連れのSランクのエロガキが何故か名前で呼ぶので、今でもコードネームより氷上冴子という本名の印象が強い。
冴子に対するフランの第一印象は『綺麗だけれど冷たい感じの人』だった。
その印象通り、仕事中の彼女はクールで知的で有能だった。
多種の魔術を使いこなし、的確に状況を把握し、常に最善の手を打つ。
彼女の仕事ぶりは完璧だった。
魔術師だからという理由だけじゃない、冴子はフランが知らない事をたくさん知っていて、フランが気づきもしない事柄について常に考えを巡らせていた。
そんな彼女と仕事を続けるにつれ、やがてフランは気づいた。
チームの誰よりも大人で知的な彼女は、誰よりも豊かな感性を持っていた。
氷河の如く美貌の下で、熱い情熱をたぎらせていた。
だから同じ協力者チームのザンも彼女に惹かれたのだろう。
そして彼女もザンの気持ちに答えようとしていた。
そんな彼女だから、フランを許してくれた。
彼女から大切な人を奪ったトーマスの本性を、フランは見抜けなかったのに。
それどころか罪の意識に苛まれるフランを気遣ってくれた。
そして今も4人がかかりですら敵わない強敵を前にして――
「――ひとつだけ、奴を倒す方法があるわ」
言いつつ冴子は口元に不敵な笑みを浮かべてみせる。
一連の事件の黒幕であり禍我愚痴支部の襲撃を指示して皆から仲間を奪った殴野元酷を討つべく県庁舎に乗りこんだフランたち。
だが殴野の私兵に占拠された庁舎を進む一行の前に『ママ』があらわれた。
以前にザンを含む7人でようやく倒す事が出来た敵最強の回術士。
殴野元酷の逃亡を防ぐべく舞奈と明日香は先を急いだ。
だが残されたフランら4人は『ママ』を相手に苦戦を余儀なくされていた。
相手はAランクの執行人が束になっても敵わない難敵だ。
さらに『ママ』が行使する回術【合神】は、大規模魔法攻撃すら防ぎながら反撃を可能とする恐るべき手札だった。
その猛攻からフランをかばい、冴子は自身を守る【身固・改】を失った。
それでもなお――
「――ハカセ、【ダビデの盾】を複数個所に展開する事は可能?」
「できるでやんす!」
冷徹に指示を出す。
まるで自身の命綱が断たれた事など気にもしていないかのように。
その気迫を感じたか、やんすははじかれるように聖句を唱える。本来のコードネームはハカセだが、エロガキが仇名で呼ぶのでそちらの印象の方が強い。
そんなやんすの施術によって、虚空に4枚の六芒星が出現する。
ちょうど『ママ』を囲む位置取りだ。
敵の術を防ぎ、術者や仲間の術を強化するカバラ魔術【ダビデの盾】。
カバラ魔術師の総本山でもあるシナゴーグは回術士のモスクと良好な関係を築いているとは言い難い。歴史上でも何度も諍いを起こした事がある。
だがやんすはフランたちの仲間だ。
カバラ魔術師が操る攻防一体の防御魔法が今は頼もしい。
そんな事を考える一瞬のうちに、冴子も祝詞を唱え終えていた。
虚空に出現した氷の弾丸が『ママ』めがけて突き進む。
虚空に氷の拘束具を出現させて縛める国家神術【氷霜乱杙】。
それが途中にある【ダビデの盾】を通り抜け、巨大な茨と化して襲いかかる。
フランも牽制とばかりに聖句を唱えて【熱の拳】を行使。
掌から放たれたレーザーが『ママ』めがけて迸る。
だが2つの術を『ママ』は横に跳んで難なく避ける。
冴子は構わず矢継ぎ早に祝詞を唱え、次は【紫電】の雷撃を放つ。
フランも続く。
これが冴子が考えついた起死回生の策だ。
さしもの【合神】も連続行使はできない。
そして『ママ』は【合神】以外に【ダビデの盾】で強化された魔術を防ぐ手段をおそらく持っていない。
だから四方八方から強化された魔術を当て続ける算段だ。
しかも拘束、打撃と対処法の異なる術を織り交ぜて防御を困難にして。
つまり大技を当てるのではなく防御のリソースを削り切って、すり潰す。
有効な戦術だとフランも思った。
何故なら回術士に限らず己が身体に蓄えられた妖術師が使える魔力は有限だ。
だが――
「――そんな児戯で、このわたしを捕まえられると本当に思ったかい?」
繰り出される茨を、稲妻を、ビームを、火球を避けつつ『ママ』は笑う。
防ごうとする素振りすら見せない。
2人がかりで矢継ぎ早に繰り出され、強化された攻撃魔法を完全に避ける。
それどころか反撃とばかりに【熱の拳】を放つ。
レーザー光を、手近な六芒星が動いて防ぐ。
対する冴子は舌打ちする。
術を強化する手段としての【ダビデの盾】の欠点だ。
六芒星の裏側から通り抜ける術を強化する性質上、発射にラグが発生する。
その隙に普通に避けられてしまえば当てて削るどころではない。
そして宙に浮かぶ六芒星は4つ。
上手く『ママ』を囲むように配置されてはいるし、多少なら動くが、4カ所のうちどこかからしか飛んでこないと知っていれば避ける事も造作はないのだろう。
回術【強い体】によって『ママ』の身体能力そのものも強化されている。
加えて『ママ』の身体感覚や反射神経も元より人外の域に達している。
「では某が気を引く隙に!」
言いつつドルチェが一挙動で『ママ』との距離を詰める。
隠し持ったワイヤーをのばす。
彼の異能力【装甲硬化】で鋼鉄の硬度を付与されたワイヤーが、重さのないギロチンのように襲いかかる。
それすら――
「――そいつはさっきも無駄だったろう?」
振るわれた光のカギ爪――右手から3本まとめてのばされた【熱の刃】による熱光の刃がズタズタに斬り裂く。
そのまま嵐のようにカギ爪を振るって猛攻を繰り出す。
「おおっと! これは難儀でゴザルよ!」
ドルチェは太ましい身体を器用に揺らせ、跳び退って避ける。
その隙に冴子とフランは【ダビデの盾】越しに氷の茨と光線を放つ。
だが『ママ』は見もせず避けつつ、
「ハハッ! それそれそれ!」
相手が必死で避ける様子を笑いながら光のカギ爪のラッシュを繰り出す。
カギ爪の先端が、太っちょのシャツに描かれた女の子の顔をかすめる。
手首に巻かれた注連縄が揺れる。
もう少し深く斬り裂かれていたら、彼を守る【身固・改】が効果を発揮した。
だが、そうなれば二度目はない。
3本の強力な【熱の刃】を一度に喰らえば障壁は一瞬で破壊される。
「ドルチェさん!」
叫びながら、やんすの【鎖の光】が『ママ』を拘束しようと放たれる。
その隙に跳び退ったドルチェを守るように、
「ドルチェ!」
虚空から、先端に巨大なコンセントのような炸薬が設置された槍が飛び出す。
即ち刺突爆雷。
こちらは冴子の【式打・改】によるものだ。
他流派の召喚魔法と比較して素早く召喚が可能な旧軍の兵器。
さらに今回、冴子は事前に術を行使して非実体化した状態で併走させていた。
故に手にした得物で突くくらいの速度で攻撃が可能。
だが『ママ』も跳び退って2つの魔術を避けながら――
「――他人を心配してる場合じゃないだろう?」
掌をかざして【熱の拳】を放つ。更に放つ。
身体に宿る膨大な魔力をリソースにした恐るべき連射。
その猛攻が向かう先は――
「――えっ?」
「――グレイシャルさん!?」
冴子だ。
ドルチェややんすには目もくれずに冴子だけ。
フランは慌てて冴子を抱えて跳ぶ。
避けた背後で幾筋ものレーザー光線が迸る。
そんな様子を見やって『ママ』は舌打ちする。
「ありがとうフランちゃん」
「いえ、そんな……」
冴子が浮かべた笑みにフランは胸を撫で下ろし、
「……妙でゴザルな?」
「何がでやんすか?」
「今の一撃……グレイシャル殿だけが特に狙われているでゴザルか?」
「そりゃそうさ」
ふとドルチェが訝しむ。
対して『ママ』は手を止めて身構えて、
「わたしが本当に殺さなきゃならないのは、そこの女だけだからね」
何食わぬ表情で答えながら、冴子に殺意のこもった視線を向ける。
そうしながら光のカギ爪を展開したまま油断なく狙いを定める。
対する冴子は無言で『ママ』を見返す。
他の面々も身構える。
やんすが維持している六芒星が淡い光で廊下を照らす。
「気に入らないかい? あの方を殺すビジョンが見えたのはあんただけだから、本当はあんたを片づければわたしの仕事は終わるんだよ」
「それを話すのは少し軽率じゃないかしら?」
「別に構わないよ。あんたたち全員すぐに死ぬんだから。他の3人はお楽しみさ」
挑むように冷徹な声色で語りかける冴子。
対して『ママ』はゾッとするような笑みを浮かべ、
「そうなる前に、某達がそなたを倒すでゴザルよ」
「無理だよ。……いや今の身体だけなら何とかなるかもしれないね。けど二度目は無駄さね。あんたたちの命運は、わたしに遭った時に終わっていたのさ」
ドルチェの言葉を嘲笑うように答える。
その言葉でフランは察した。
「まさか完全体……」
「……十中八九、そうでゴザろう」
「よく知ってるじゃないかい」
茫然とひとりごちるフランに、ドルチェが苦々しく答える。
そんな様子を見やって『ママ』は笑う。
自身の正体を知った相手が戦慄する様子が楽しいのだろう。
何故なら怪異は高い他虐性を持つ。
そして例え4人で『ママ』を倒せたとしても、『ママ』はすぐさま復活する。
銀色の無敵の身体に無限の魔力を秘めた完全体として。
つまりフランたちは『ママ』を2度倒さなければいけない。
しかも2度目の『ママ』は今より硬くて強い。
そういう存在についてフランは知っていた。
他の3人も同じらしい。
博識な冴子は当然だろう。
やんすも素性を隠してチームに参加する程度には裏の事情に通じている。
ドルチェも相当のベテランだ。
だが知っていたから容易に対処できるというものではない。
三尸による復活のシステムと同様、完全体の存在も一般の執行人には知らされていない。
その必要は普通ならないからだ。
裏の世界で怪異と渡り合う執行人すら、それらと相対する機会はまずない。
そうした生命を冒涜する忌まわしい怪異の技術は、本来そのくらい目にする機会のない希少なものなのだ。
そうした正真正銘の怪物に、今の4人は相対している。
いわば名前すら知られていない魔獣と戦うようなものだ。
故にフランは口元を歪める。
何故ならフランが修めているのは『ママ』と同じ回術。
だがフランの技量では【合神】は使えない。
術者としての格でも、魔力でもフランは『ママ』に劣っている。
だから自身と同じ回術士の悪事から仲間や市民を守れない。
そんなフランの様子に気づいたか――
「――さっきも言ったけど、深く気にしたら負けよ」
「グレイシャルさん……」
側の冴子が小さく語る。
怪異の言葉は人の言葉とは根本的に異なる、人を傷つけるための方便に過ぎないと先ほども冴子が教えてくれた。だから――
「――わたしたち全員で奴を倒せばいい」
「はい!」
彼女の言葉でフランは気力を取り戻す。
まるで、そういう種類の術でもかけられたように。
何故なら目前に立ちふさがる絶望的な壁を正しく認識しながら……それでも冴子は諦めていない。何か方法があるのだ、と彼女の言葉になら納得できる。
そんな冴子は素早く祝詞を紡ぐ。
途端、フランは懐から風を感じて小型拳銃を抜く。
銃の内側から感じる力。
「グレイシャルさん!? これは……!」
「【怪力榴弾】よ。使い方はわかるわね?」
「でも、わたし、射撃は……」
「牽制になれば、別に当てる必要はないわ。けど攻撃型手榴弾くらいの攻撃範囲があるから余裕を見て撃って」
「あ、はい!」
説明され、冴子から託された『力』を両手で握りしめる。
国家神術【怪力榴弾】が、どんな術かはフランも知っている。
神術が全般的に得手とする【防護と浄化】技術による次元断層の結界で武器や弾頭をコーティングする事により強化する。
いわば神術士が誇る鉄壁の障壁を弾丸にして撃つ魔術だ。
以前にエロガキが、この魔術をこめられた銃弾で魔獣を倒した事がある。
だが……
「……ハカセ、わたしの【守護の御名】を解いて」
「えっ!? グレイシャルさん?」
続く冴子の言葉にフランは動揺する。
そんな様子を『ママ』は興味深そうに一瞥する。
何故なら、それはフランをかばって失った【身固・改】の代替だ。
解除してしまえば冴子を守るものは何もない。
宙を舞う4枚の氷盾を掻い潜って『ママ』が光刃を振るってきても防げない。
しかも『ママ』の狙いは冴子なのに。
だが冴子は気にする様子もなく、
「次に合図したら『全力で防御して』」
「……わかったでやんす!」
次なる指示。
冴子の周囲の風が変わる。
自身を守る見えざる砦が消えたのに、冴子は口元に笑みを浮かべる。
それはフランが今まで目にした事がないような凄惨な笑みだった。
だから――
「――征くでゴザルよ!」
「はい!」
ドルチェの合図でフランも奔る。
2人とも一挙動で『ママ』との距離を詰める。
ドルチェの手元から『ママ』めがけて小さな何かが飛ぶ。
それが光のカギ爪に斬り払われたと同時に、ドルチェはスカーフを刃に変えて斬りかかる。
フランも掌から【熱の刃】をのばして斬りかかる。
対する『ママ』と違って3本を束ねて振るうような芸当はできないけれど、それでも仲間と連携して陽動するには十分だ。
2本の刃は、『ママ』が振るった光のカギ爪に受け止められる。
逆に振るわれた刃を避けるように2人は跳び退る。
敵は強い。
心持ちが変わったからと言って容易に対処できる相手じゃない。
だが戦況は先ほどとは少しだけ変わっていた。
何故なら今の『ママ』は4人を警戒しなければならない。
フランの小型拳銃には【怪力榴弾】。
ドルチェの小型拳銃にも何時の間にか【戒律の石板】がかけられている。
どちらも【ダビデの盾】による強化はなくても、防ぎきれない死角から命中させれば『ママ』に有効打を与えられる。
その危険性は『ママ』も魔力感知によって察しているはずだ。
やんすは【ダビデの盾】を維持する側、【雷鳴の雹】を放って牽制する。
しかも六芒星の後ろ側から。
術者から離れた場所を起点に放つ術の狙いはおぼつかないものの、4枚の六芒星の盾がそのまま砲台になるのだから『ママ』も無視できない。
冴子も併走させていた別の式神を顕現させて援護する。
ラジコン飛行機くらいの大きさの零戦たちが、各々別々の軌跡を描きながらマシンガンを掃射して『ママ』の目をくらませる。
4枚の六芒星を通して放たれる攻撃魔法を避けるだけだった先ほどとは違う。
だから『ママ』はターゲットである冴子の本体に集中できない。
先ほどまで薄ら笑いすら浮かべていた『ママ』の表情が不快げに歪む。
そんな所に――
「――グレイシャルさん!?」
冴子はゆっくりと『ママ』に向かって歩き出す。
フランは驚く。
気づいた『ママ』は満面の笑みを浮かべて向き直る。
他の面々の隙をつき、冴子めがけて一直線に突き進む。
「どうしたんだい!? 女! 油断したかい!? それとも観念――」
無防備な冴子めがけて光のカギ爪を振り上げて――
「――えっ?」
その胸元に、真正面から何かが突き刺さった。
思わず『ママ』は勢いを殺され、自身の胸に赤々と輝く何かを見やる。
至近距離から突き出された冴子の掌から飛んだのだ。
フランも、おそらく一行の中で最も手練れなドルチェですら見えない速度で。
おそらく皆が『ママ』を牽制するうちに入念に施術していたのだろう。
故に『ママ』も避けられなかった。
正確には避けようと思う暇もなかった。
自身が斬り裂こうと迫った標的から真っすぐに飛んできた攻撃魔法を。
否――
「――何……これは……?」
「……【富嶽】よ」
「ふ……ごく……?」
自身の胸元で莫大な魔力を放つそれを怯えるように見やる『ママ』を尻目に、
「今よハカセ! 早く!」
「了解でやんす! ――!」
合図と同時にやんすが聖句を紡ぐ。
聖句の内容でわかる。
先ほど解除した【守護の御名】。
だが今度は仲間を防御するためじゃない。
一瞬だけちらつく光は『ママ』の周囲できらめいた。
守るのでなく、胸に煌めく赤い何かごと閉じこめるように。
その現象に『ママ』は困惑する。
自分自身にかけられた防御魔法に、とっさに抵抗しようとするのは困難だ。
特に自身の身体に起きた変化に動揺している時には。
対してフランは、それが何を意味するかに気づいた。
故にフランも【光の盾】で廊下を封鎖する。
不可視のシールドに包まれた『ママ』と一行を遮断するように。
間一髪だった。
次の瞬間、壁が……否、壁の向こう側が光の色に塗りこめられた。
光の壁すらかすむような圧倒的な爆光。爆音。
冴子が放った【富嶽】という術。
それは核爆発を引き起こす大魔法だ。
そして【ダビデの盾】による強化なしで『ママ』を討てる、たぶん唯一の手札。
そんな必殺の手札を冴子は何食わぬ表情のまま温存し、他の術と皆の協力で気をそらせ、自分自身を囮にして油断を誘って直撃させたのだ。
冷徹に……否、いっそ燃え盛る執念の如く精神力によって。
核爆発の爆心地となった『ママ』は悲鳴をあげる暇すらなかっただろう。
光の中で、女のシルエットが一瞬で消える。
その後に完全体となったはずだが、それすら見えぬまま一瞬で消える。
斯様に内部を焼き尽くした光は勢いのまま【守護の御名】を内側から砕く。
自身が行使した【光の盾】に遮られているはずのフランの視界が、それを凌駕する圧倒的な光に、目を覆ってもなお眩しい光の色に塗りこめられる。
やがて光の圧に負けて廊下を遮断する光の壁が決壊し――
「――グレイシャルさん!?」
冴子の【身固・改】に守られた3人と、防護を失った冴子自身を飲みこむ。
「グレイシャルさん!」
フランは思わず目を見開く。
人間の身体は核爆発には耐えられない。
当然だ。
それが不可視の盾を内側から砕き、光の壁を破った余波であっても、直に晒されれば防護されていない人間の身体など一瞬で蒸発するだろう。
周囲を浮遊する4枚の氷盾なんか何の役にも立たない。
術者が扱う力は、そういうものだ。
一瞬の油断で、文字通り何もかもを失うのだ。
それを冴子も理解していたはずだ。
否、理解していたからこそ、こういう手段で『ママ』を討った。
トーマスと共に彼女から大事な人を奪った敵を。
それでもフランは、先ほどまで冴子がいた方向に手をのばす。
そんな行為に意味はないと知りつつ。
納得なんかできるはずもない。
何故ならフランは冴子に、伝えたい事を何も伝えられていない。
憧憬も、謝意も、彼女を綺麗だと思っている事実も、それに――――
「――恩に着るわ、ドルチェ」
「いや、こちらこそ御陰様で命拾いしたでゴザルよ」
「……えっ?」
ふと声に気づくと、冴子はドルチェにしがみついていた。
フランは目を丸くする。
何の事はない。
他の異能力、術者や個人にかける多々の術と同様に、【身固・改】も対象の質量と同程度までの装備品を対象の一部としてみなして同じ効果をもたらす。
防御魔法ならば対象と同じように保護する。
そして肥え太ったドルチェの質量は一般的な成人男性の数倍はある。
しがみついた冴子ひとりを追加の『装備品として』防護する程度は訳もない。
だから……
「……ドルチェさん、もうグレイシャルさんを放しても良いんじゃないですか?」
フランは少し嫌そうにドルチェを見やる。
自身の内心に芽生えかけた別の何かを誤魔化すように。
「これは失礼したでゴザル。フラン殿は相変わらず身持ちが固いでゴザルなあ」
「そういう訳じゃ……」
指摘されて思わず視線をそらすフランの側、
「あ……」
気づいたやんすの目前で、銀色の像と化した『ママ』がひび割れていた。
密閉空間で核爆発にさらされた『ママ』の身体は完全体に転化したのだろう。
だが、そのまま核の光に焼かれて破壊された。
だから銀色の像は動く事も言葉を発する事もなく、砕けた。
破片は光の粉になって消えた。
後には何も残らなかった。