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銃弾と攻撃魔法・無頼の少女  作者: 立川ありす
第21章 狂える土
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裏切りと死 ~異能力&国家神術vs回術

 無限軌道(キャタピラ)がアスファルトを踏みしめ、夕暮れの裏通りを半装軌車(デマーグ)が駆ける。

 明日香が召喚した式神だ。

 戦闘魔術(カンプフ・マギー)が内包する【式神の召喚】は車両をも召喚せしめる。


 自分たちをあらぬ方向へ運ぼうとした怪異のタクシーと裏路地に出現した怪異どもを叩きのめし、焼き払って壁のシミにした舞奈と明日香。

 2人はそのまま明日香が召喚した移動用の式神で裏通りを爆走していた。

 もちろん行先は保健所に隣接する【機関】禍我愚痴支部ビル。


 タクシーは舞奈たちをきっちり支部と逆方向へ運んでいた。

 おそらく敵は2人を足止めしようとたのだろうが、廃材を蹴散らし、路地に散らばる瓦礫を踏み砕きながら怒り狂った猪の如く突き進むハーフトラックの前に跳び出してまで止めようとは思わないらしい。

 あるいは単に気づかないうちに轢いてるだけかもしれない。

 正直、そこまで気にしている余裕もない。


 何故なら明日香も舞奈も焦っていた。

 敵が舞奈たちを足止めしたという事は、奴らが【機関】最強のSランクが支部に到着したら都合が悪い何かを企んでいると言う事だ。

 つまり何らかの武力行使。

 十中八九、須黒でソォナムが預言した襲撃だろう。

 舞奈たちが内通者探しに手間取っている間にタイムアップが迫っていた。


「おおい、まだ繋がらないのか?」

「何度も聞かれても変わらないわよ。自分でもかければいいでしょ?」

「2人でかけても変わらんだろう……」

 明日香が先方に連絡しようとしているが電話が繋がらない。

 すでに制限時間は過ぎたのかもしれない。最悪の形で。

 そう考えて口元を歪めた、その時――


「――電話だと? ……テックか」

 携帯が鳴ったので出る。


『あっ舞奈。何処にいるの?』

「埼玉だ。今、急いでるんだが」

『そう思った』

「……何かあったのか?」

『ええ。人糞舎が夕方の放送に向けて気になるニュースを準備してたわ。市の保健所が襲撃されたって。犯人は自警団を名乗る武装勢力だそうよ』

「やっぱりか……自警団だと?」

「……そういう事。してやられたわ」

 テックの言葉に舞奈は口元を歪める。

 横で明日香が憎々しげにひとりごちる。


『警察が家宅捜索をしてるって原稿の文面にあるわ』

「やってくれるぜ!」

 続く言葉に歯噛みする。


 保健所の施設に偽装した【機関】支部を殲滅し、濡れ衣を自警団に押しつける。

 そうすれば奴らに対抗し得る勢力を2つとも一度に消せる。

 殴野元酷と人型怪異との癒着を知る者もいなくなる。

 その程度の事は奴が簒奪した県知事の権力を使えば可能なのだろう。

 あるいは報道はもとより地元警察すらも怪異の傀儡と化しているのだろうか?


 自警団の構成員は異能力があるだけの戦闘経験のないおっちゃん達だ。

 警官隊を相手に手も足も出ないだろう。

 もちろん警官に偽装した狂える土に襲撃されてもアウトだ。


「一旦、切る。自警団にも連絡を取りたいが携帯が2台しかないんだ」

『わかった。こっちからも連絡を試みてみる』

「スマン。埋め合わせはする」

『期待してるわ』

 テックとの通話を終了し、自警団の事務所の番号にダイヤルする。

 番号登録のやり方なんかわからないが、以前にフランがかけた番号を見ていた。

 だが携帯はコール音を流し続けるのみ。


「いちおう、ここからなら事務所ビルの方が近いけど?」

「……いんや、行先は同じだ」

「でしょうね」

 明日香の問いに、だが首を横に振る。


 自警団の事務所にはキャロルとメリルがいる。

 つまりはヴィランのファイヤーボールとイエティだ。


 彼女らの正体は【機関】に報告していない。

 もちろん舞奈と明日香以外に知っている人間もいない。

 故に内通者も彼女らの存在を認識していないはずだ。

 事務所ビルに差し向けられた戦力がどの程度かは知らないが、海外のヒーローチームより強くなければ彼女らの敵ではない。


 だが内通者が【機関】内部にいたのなら、禍我愚痴支部の戦力は把握済みだ。

 執行部の学生や協力チームがいない午前中ではなく今の時間に襲撃したのは、おそらく混乱に乗じて県知事の背任を知る可能性のある者すべてを消すためだろう。

 その上で奴は県内の公的な戦力を自由に投入できる。

 つまり確実に攻め落とせる……殲滅できる布陣で襲撃を試みるはずだ。

 唯一の誤算に成り得るのは、あえて奴らが足止めを試みた舞奈と明日香が一刻も早く支部の戦力と合流する事だ。だから――


「――全速力で頼む!」

「言われなくても!」

 廃材や狂える土を撥ね飛ばしながら、半装軌車(デマーグ)は薄汚れた路地を疾駆する。


 ……同じ頃。


 狂える土による襲撃の渦中にあった禍我愚痴支部ビル。

 その裏手に位置する搬入口。

 暴徒を食い止めようと奮戦する執行部の面々、駆けつけた冴子とザンの前に――


「――皆、大丈夫か!?」

「トーマスさん!? 前線に出てきて大丈夫なんですか!?」

「ああ、問題ないさ――」

 トーマス氏が姿をあらわした。

 執行部のリーダーは【装甲硬化(ナイトガード)】で、他の少年たちも各々の異能力を駆使して人型怪異どもと斬り結びながらも少し驚く。


 正直、冴子も少し訝しんだ。

 トーマスは一般職員と一緒に退避するだろうと思っていたのだ。

 別に彼がチキンだと言いたい訳じゃない。

 調整役と言う立場でもあるし、不用意に危険な場所をうろつくタイプでもない。

 何かの都合で戦術指揮を執るつもりでもフランを同行させる。

 そう思っていた。

 そういう部分で冴子は少しばかり人を見る目はあるつもりだ。

 だからこそ冴子だけが――


「――Sランクどもの足止めには成功したようだからね」

「皆! 避けて!」

 気づいた。


 だがリーダーや他の異能力者たち、ザンが気づくよりトーマスの方が速かった。

 薄笑いを浮かべた優男の、突き出された掌から放たれるレーザー光線。

 おそらく【熱の拳(カブダ・ハラーラ)】。


 同時に祝詞。

 光線を阻むようにトーマスの目前に出現した4枚の氷の盾。

 こちらは冴子自身の【氷嚢防盾(ひょうのうぼうじゅん)】。


 トーマスの真正面に出現した4枚の氷盾がレーザーを防ぐ。

 だが次の瞬間、蒸発する。

 威力こそ減衰したものの熱く輝く光条が――


「――えっ?」

 異能力者たちを横から薙いだ。

 気づきようもない。

 別方向から暴徒の群と交戦中だったのだ。


 防護もなくレーザーに炙られた少年たちが瞬時に炭化する。

 端にいてかすっただけの者も半身を焼かれながら崩れ落ちる。生存は絶望的。

 敵も味方もお構いなし。

 トーマスが放ったレーザー光は異能力者たちを一瞬で壊滅させた。

 相対していた狂える土どもも一掃された。

 以前に明日香がした二段構えの防護を意識して【閃電防盾(せんでんぼうじゅん)】を続けざまに行使してレーザーを防ぎ切った冴子と、その側にいたザンだけが無事だった。


「なっ……? トーマスさん……?」

 驚くザンと、


「気をつけてザン。彼が……」

 再び【氷嚢防盾(ひょうのうぼうじゅん)】を行使し、氷盾を浮かばせながら身構える冴子。

 それでも「……内通者よ」と言葉を続けられない程度に衝撃を受けていた。


 そんな2人の前でトーマスは懐から煙草を取り出し、火をつけてふかす。

 ライターも使わない。

 おそらく【熱の拳(カブダ・ハラーラ)】か【熱の刃(サイフ・ハラーラ)】の応用だろう。


 続けざまに冴子とザンを襲わないのは勝利を確信したからか。

 あるいは自分が煙草を吸う様子を見せつける意図か。愚かにも今まで自分の正体に気づかず従っていた他県からの協力者たちに。

 彼の性格なら、彼が内通者だったなら、どちらもあり得ると冴子は思った。


 内通者の存在は舞奈や明日香の様子から何となく感づいていた。

 そう考えれば、協力者チームの行動の裏をかくようなイレギュラーなトラブルの数々にも説明がつく。

 正直なところ、ドルチェややんすがそうだと言われるよりは納得できる。

 それでもショックなのは事実だ。

 彼をフランが慕っている事実も冴子は知っている。

 だから……


「……チップの事、最初から知っていたのね」

 口元を歪めながら問いかける。

 チップが違法薬物の形で体内に取り入れられる事も。

 脳内で形をとったチップがどのような効果をもたらすのかも。

 冴子たちたちが中毒者を捕らえ、諜報部の調査チームが調べるより前から。


 だが束の間の膠着は冴子にも少しだけ都合がいい。

 彼に自尊心を満足させる必要があるのと同じくらい、冴子にも時間が必要だ。

 自分を納得させて前へと進む決意を固める時間が。

 舞奈や明日香、須黒の若人たちには容易いであろうそれが、冴子は苦手だ。

 そしてザンにも現状を理解する時間が必要だ。

 その間に彼に喋らせて、自分の予測が正しいかを確認したいと思った。

 魔術師(ウィザード)の大半がそうであるように、知識は冴子を冷静にする。


 先ほども、今も、トーマスが術を行使する際に施術した形跡がなかった。

 詠唱なしで発動できるほど熟達している訳でもない。

 魔道具(アーティファクト)でもない。

 彼は何らかの例外的な手段……違法薬物のチップの力で術を行使している。


 人型怪異に追加の異能力をもたらすチップは、特別に適合した者を術者にする。

 トーマスがそうだったのだ。

 要するに下水道で出くわしたネズミの魔獣と同じ存在だ。

 彼が脂虫だったならチップを使えない理由もない。

 喫煙者につきものの耐え難い悪臭は何らかの術で誤魔化していたのだろう。

 それを看破できるほど冴子たちは彼と親しくしていなかった。


 そうすると、魔獣を操っていた脂虫の捕虜を死に至らしめたのも彼だろう。

 諜報部から報告される以前から、彼はチップについて知っていた。

 チップだけじゃない。

 例の三人組の件も、銃器の密輸の件も。

 その上で素知らぬふりをしながら調査の指示を出していた。

 必要なら怪異の情報をリークして、自分の手柄のように見せかけた。

 そして協力者チームが本当に隠したかった真相にたどり着かないよう堂々巡りさせるため、調査の方針を操作していた。

 そう冴子は気づいた。だが――


「――何するんだよトーマスさん!? そっちは敵じゃねぇ!」

 ザンが見やるのは無残にも黒焦げになった異能力者たち。

 この支部で、彼が彼自身の努力と人となりで絆を結んだ友人たち。

 そして今、冴子が……守れなかった少年たち。


 下水道での作戦の時のように彼ら全員に【身固・改(みがため・かい)】が施されていれば、不意打ちによる被弾一回は無にできた。

 だが冴子たちも先ほど加勢に来たばかりだ。

 本来は個人用の防御魔法(アブジュレーション)大魔法(インヴォケーション)として行使し、仲間全員を防護するための準備を行う余裕なんてあるはずもなかった。

 施術に必要な注連縄だって常に大量に持ち歩いている訳じゃない。

 だが、


「隊長! 皆! ……どういう事だよ!? 説明しろよ!」

 ザンの慟哭の理由はそこでもなかった。

 年若く純粋な彼には、支部の調整役が部下を撃った意味が本当に理解できない。


 例の不吉の預言を構成する『死』の部分は理解できているはずだ。

 何故なら彼は以前の大規模作戦で友人を失った。

 だが『裏切り』という言葉は彼にとって預言の装飾でしかなかったのだろう。

 今まで仲間だと、上司だと思っていた人物が敵の操り人形だったなんて状況に理解も感情も追いつかない。だから戸惑っている。

 誤射か、気の迷いか、何か納得できる理由を無理やりに見つけようとしている。

 だから――


「――ザン。落ち着いて聞いて。彼が――トーマスが裏切り者だったの」

「裏切り……って! 嘘だろ!?」

 冴子は吐血するように言葉を吐く。

 身構えたザンの背中がビクリと震える。


「どうして!? だってトーマスさん、あんたは――」

 ザンの叫びを光線がかき消す。

 冴子はザンの目前に氷盾を滑りこませて防ぐ。

 彼自身の周囲にも放電する盾が張り巡らされるが、そちらを使う事はなかった。

 魔術の盾を破壊できるのは十分に準備した初撃だけだったようだ。

 不意打ちでもある初撃だけが脅威だった。

 そういったところも舞奈たちから聞いたネズミの魔獣と同様だった。

 あの時は明日香がいたから対処できたのだろう。だが冴子には無理だった。


 あるいは今の一撃は、そういう冴子の傷口をえぐる意味合いか。

 彼が脂虫だと知った今なら、そう考えるのが妥当だろう。

 何故なら悪臭と犯罪を振りまく喫煙者は悪意に満ちた存在だ。

 そんな冴子の胸中など察せぬまま、


「あんたが――!」

「倒すのよザン! それしか道はないわ!」

「わかったよ! 糞っ!」

 ザンは両手に短刀を構えて走る。

 冴子の言葉に後押しされて何かを振り切るように。


「あんたの目を覚まさせてやる!」

 叫びつつ、自身の異能力【狼牙気功(ビーストブレード)】による超スピードで一気に距離を詰める。

 クロスさせた両手の短刀に加速を乗せた必殺の一撃。

 ザンが手にした2本の短刀のうち片方、やんすからもらった方の短刀が、持ち主の意思の力を受け止めたようにまばゆい光を発する。


「――ほう、魔道具(アーティファクト)か」

 トーマスは忌々しそうにひとりごちる。

 そうしながら自身の得物なのだろう曲刀を抜いて、必殺の強襲を受け止める。

 おそらく【強い体(ジスム・カウィー)】で身体を強化している。


 ザンの得物は両手の短刀。トーマスの得物は曲刀。

 腕前はほぼ互角。

 トーマスに剣術の心得があったのは意外だった。

 Bランクの異能力者では太刀打ちできない程度の腕前はある。

 だが今回の一連の任務で数々の修羅場を切り抜けたザンの技にはキレがある。


 さらに術の方も、戦闘の最中に自在に使いこなすほど熟達はしていないらしい。

 まあチップで得ただけの疑似能力なのだから当然ではある。

 自身の曲刀で短刀を防いではいるが【光の盾(ヌーラ・デルゥ)】は使っていない。

 攻撃についても斬撃だけで、【熱の刃(サイフ・ハラーラ)】を振り回したりはしない。

 総括すると、以前に相対した三人組の回術士(スーフィー)のドレスの男くらいの実力か。

 ザンと冴子が協力すれば倒せない敵じゃない……はずだ。


 それでもザンには躊躇がある。

 どれほど怒り狂っていても、裏切られても、相手は先日まで仲間だった男だ。


 対するトーマスに呵責はないようだ。

 奴が脂虫だからだ。

 喫煙者には人間的な良心も、もちろん良心の呵責もない。

 その事実を隠す事はできたのだろうが、本質が変わる事はない。

 今まで見ていたトーマスのすべてが偽物だったのだ。

 そんな裏切り者は……


「……やはりシナゴーグが余計な手出しをしているのか?」

 曲刀でザンの短刀を防ぎながら、ひとりごちる。

 こぼした単語に冴子は訝しむ。

 だが今は考える時ではない。


攻撃魔法(エヴォケーション)で援護するわ! いきなり後ろに回りこむとかしないで!」

「了解っす!」

 って言うか、そんな事できないっす!

 冴子の言葉で少しづつ調子を取り戻す彼の背を視界に収めつつ祝詞を唱える。

 トーマスの背後に【疾風(はやて)】を行使。

 背中から大気の槌を叩きこむ。


 魔術を手元より離れた場所から発動しようとすると術の難易度が跳ね上がる。

 その結果、威力も精度も減ずる。

 だが元より大気を創造する魔術は難易度が低い。

 牽制のつもりで一発づつ狙うなら十分に使い物になる。


 何故なら見抜いた通りトーマスは【光の盾(ヌーラ・デルゥ)】による防護ができない。

 彼は本物の回術士(スーフィー)であるフランとは違う。

 チップから得られた妖術を使いこなす事はできない。

 術を術で防ぐ術者の戦い方も彼には荷が重いのだろう。


 もちろん大気の砲弾が直撃しても死にはしない。

 悪くしても床に叩きつけられるだけだ。

 だが剣と剣の勝負の最中では、それは致命的な隙になる。

 つまり無理に致命打を当てなくても、攻撃さえすれば敵は目前のザンと背後の術の両方に意識を割り振らなければいけなくなる。

 回避の難易度は倍になるし、どちらかを避け損ねれば冴子たちの勝利だ。


 それでもザンが足止めしている隙に【火龍(かりゅう)】や【紫電(しでん)】で焼く事はできない。

 巻き添えが怖いからだ。

 執行部の皆やリーダーの立場で考えると、いわば味方に撃たれたようなものだ。

 同じ事を自分がザンにする危険を冒したくない。

 あるいは明日香なら、冷徹なまでの意志力と技量で一瞬にして敵を射抜いたかもしれない。だが冴子はそうはなれない。なれなかった。


「小癪な真似を!」

「ああっ!?」

 隙をつかれてトーマスに距離を取られたザンが慌てる。

 冴子の攻撃に気を取られたらしい。

 ザンの方も術の巻き添えを過剰に警戒していたようだ。


 次いで放たれた【熱の拳(カブダ・ハラーラ)】を、冴子は【氷嚢防盾(ひょうのうぼうじゅん)】で防護する。

 氷盾を誘導する冴子の額に汗が滲む。


 冴子にはトーマスの初撃からリーダーたちを守れなかった負い目がある。

 彼女の機転が、準備が、技量が、あるいは事前の諜報が少しだけ足りなかったせいで大事な人たちを一瞬で失った。

 そんな悔恨にも増して、友人を守れなかったという事実そのものが嫌だった。

 気持ち悪かった。

 記憶の中の彼らの笑顔が絵空事になった事実に耐えられなかった。

 四国の一角に送り出したスプラを守り切れず、紆余曲折の末にようやく彼のいない世界を受け入れ始めていた矢先なのに。

 もう誰も失いたくない、だから守り通すと決意したばかりなのに。


 その想いはザンも同じだろう。

 そう考えた冴子の目前で――


「――俺には友人がいた!」

「ああ、知ってるさ。君たちの経歴にはすべて目を通させてもらっている」

「俺と同じ異能力を持ってて、俺より強い、支部のエースだった!」

「それが何か?」

「けど、あいつは――切丸はあの作戦で死んだんだ! 異能力のない人たちを怪異どもから守るために死んだんだ! なのにあんたは怪異のために死ぬのか!?」

 ザンはトーマスと斬り結びながら叫ぶ。


 青臭い台詞だと思った。

 若く純粋で単純な彼の胸中には、今や目先の敵への怒りしかない。


 だが今の彼は過去に捕らわれてもいない。

 過去を受け入れ、喪失という事実と折り合いをつけて目前の敵だけを見ている。

 ポーズじゃない。

 彼はそんな器用な事ができる人間じゃない。


 そんな彼だから……守りたいと思った。

 過去にも、今にも、何ひとつ守れなかった自分が、彼だけは死なせたくないと素直に思った。だから――


「――昔から気に入らなかったんだよ! そういう格好つけたお題目が!」

 トーマスが跳び退りながら放ったレーザーを、冴子は氷の盾で受け止める。

 自分でも驚くほど迷いのない動き。


「何度もすんません!」

「気にしないで! それより敵を!」

「了解っす!」

 ザンも背後を見やりもせずに言いつつ追撃。

 正直なところ冴子の防御を当てにして捨て身で斬りかかろうとしていた。

 だが、今はそれで良いと思った。

 冴子も余ったリソースで氷盾ひとつに念を送って敵に体当たりさせる。

 トーマスは短刀を避け、氷盾を斬り払いつつこちらを睨む。


「それは異能の力に選ばれた者の! 神に……魔法に選ばれた者の! この世界で良い目を見た人間の理屈だろ!?」

 叫びながら、激情に貌を歪めて斬りかかる。

 ザンは両手の短刀をクロスさせて受け止める。


「私はそんなものなしで、おまえたち特権階級の尻拭いをしてきたんだ!」

「そんな理由で……」

「そういう目で俺たちを見てたのかよ!?」

 トーマスの叫びに冴子は呆れ、ザンは憤慨する。


 経験だけは豊富な冴子には、トーマスの言葉が矮小でくだらない拘泥に思えた。

 実務能力だけが高かったのだろう彼の見識の狭さに落胆した。

 逆に若く純粋なザンにとっては信じがたい屈辱だった。

 自身の視野の狭さを笑われた気がした。

 そのように真逆な、だが同じ方向を見やった2人の言葉に、


「そんな事だと!? それの何が悪い!?」

「当たり前だろ馬鹿野郎!」

 トーマスは激高する。

 対するザンも叫ぶ。

 両者の刃が、両者の感情が幾度となく激突する。


「あんたは支部のトップなんだろ!? 偉い奴なんだろう!? そんな奴が皆を裏切ってどうするんだよ!? 傷つけてどうするんだよ!? 怪異になって――」

「それが持たざる者の権利だって言ってるんだよ! 人間の世界は私に奇跡を与えなかった! 私以外の者に与え、私にだけ与えなかった! あの小娘の――」

「――フランちゃんの回術の事?」

 叫ぶトーマスに疑問を投げかけながら【屠龍(とりゅう)】を放つ。

 ギリギリまで下げた威力と引き換えに無詠唱で精度を維持して放たれた水の砲弾が、跳び退いたトーマスの残像をかすめて飛ぶ。


 避けられた冴子は舌打ちする。

 だがトーマスも憎々しげな視線を冴子に向ける。

 どうやら図星をついたようだ。


 まあ言った冴子も少し驚いたのは事実だ。

 フランが禍我愚痴支部での彼の後輩だとは何度か歓談する中で聞いていた。

 だが、それが回術を会得する前からだとは思わなかった。

 思ったより長い関係だったのだろう。

 だからフランは彼を信頼していた。

 彼も最初から脂虫だった訳じゃなかったのだろう。


 つまり力を欲していた彼の前で、後輩だった少女が力を開花させたのだ。

 フランの若さであれほど術に熟達できるのは高い素養を持つ証拠だ。

 その才は須黒の面子に匹敵する。

 そんな若く素直な彼女を間近で見ながら、彼の心は闇に飲まれていった。


「回術……妖術に限らず魔力を術として扱う能力は男性より女性の方が高いわ」

「知っているさ! だが男として異能力を持てない、さりとて魔法を会得する事もできなかった私の気持ちがおまえたちにわかるか!?」

 冴子の語る正論も、怪異となった彼には届かない。


「なら舞奈さんはどうなんだよ!? 異能力もない、何かのリーダーでもない小学生の女の子が皆の希望になってるんだぞ!?」

「あのガキはSランクだろう? 【機関】がAランクすら超える真の最強だと認めた特権階級の中の特権階級じゃないか!」

「そいつは舞奈さんが自分で手に入れた力だ! あんたと同じ立場から!」

「だが私にはない力だ!」

 続くザンの言葉も、両手に握りしめた刃も届かない。

 何故なら過去には支部の調整役になれるほどの人間だったはずの彼は、誰にも気づかれぬうちに怪異になっていた。


「――そういう考えを、怪異に利用されたのね」

「利用だと? そうかもしれないな! だが、お互い様だ! あの方は私に力をくれた! 私は【機関】があの方へ気づかないよう貴様たちを泳がせておいた!」

 ひとりごちるようにボソリとこぼした冴子に向かってトーマスは叫ぶ。

 嘲笑する声色で。

 羨望と嫉妬を滲ませた視線を向けながら。


 何故なら国家神術士――魔術師(ウィザード)は術士の中では男性の比率も高い。

 自分に都合のいい魔力をゼロから創造して使うという都合上、魔力の操作に秀でる女性のアドバンテージが低いのだ。

 別に男性に有利なのではなく男女の差なく習得難易度がべらぼうに高い。

 故にトーマスも学習と研鑽を諦めなければ到達できたかもしれない。

 だからこそ気に入らないのだろう。

 自身を越える魔術の技量を若干キャラが被った小学生に見せつけられた冴子の胸中を推し量ろうなどとは思わないほどに。


 だがザンは、またしても敵の話の別の場所が気になったらしい。


「……そいつがオーノー何とかって奴か!」

「……県知事、殴野元酷。やはりそうなのね」

「あの方の名前を気安く呼ぶな!」

 叫びに対して怒り狂うトーマスに、冴子も自分を取り戻す。

 ザンの中で敵の親玉の名前はオーノーで定着してしまったらしい。


 それに目前の彼は敵だ。

 その事実を覆す方法はない。

 敵がどうして敵になったのかなんて、戦っている最中に考える事じゃない。

 そして……


「……けど貴様たちは、あの方の名前を知ってしまった!」

「だから何もかもぶち壊すってのか!?」

「ああ、そうさ! 今頃は夕方のニュースでこう発表されているはずだ! 善良な外国人を差別していた自警団が市の保健所を襲撃したってな! おまえたちも死傷者としてテレビに顔が映るかもしれないぞ!」

「そういう……事かよ!」

 斬り結びながら嘲笑うトーマスに対してザンが激怒する。

 無理もない。


 冴子は人が脂虫になるシステムを知っている。

 煙草だ。

 だが煙草も無垢な人間を無理やりに脂虫にする悪い魔法な訳じゃない。

 元より邪悪な性質を持った、怪異の幼体のような人間を選別するだけだ。

 自身の愉悦のために臭く有害な煙を周囲に撒き散らして平気な人間。

 そんな元より人の皮を被った怪異を、本物の怪異へと先祖返りさせるだけだ。


 故に彼は他人の能力に嫉妬して悪に手を染めた。

 そもそも冴子だって須黒の魔術師(ウィザード)に対して言動に出すほど嫉妬はしていない。

 単に相手が規格外だと割り切っている。

 その程度に自分の身の丈は理解しているつもりだ。

 その上で血が滲むような悔しさを抱えつつ、追いつこうともがいている。


 そんな度量もなかったから、目前の下男は怪異なんかになったのだ。

 トーマスは最初から生きていていい人間じゃなかった。

 周囲が騙されていただけだ。


 そう考える事で冴子は吹っ切れた。

 ザンも今しがたの奴の言葉で理解したようだ。

 だから――


「そうかよ! ならもう手加減しねぇ! 覚悟しろよトーマス!」

 ザンは両手に短刀を構えながら吠える。

 その激情に呼応するように――


 ――汝に力を貸し与えよう。


「……誰だ?」

 ザンは何者かの声を聞いた。

 だが慌てて周囲を見回したりはしない。


 ザンは裏の世界の戦闘の事も、術の事もほとんど何もわかっていない。

 それを一連の任務で嫌と言うほど思い知った。

 それでも何となく理解した。

 今しがた自分に話しかけた声の主は、手にした魔法の短刀だと。


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