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銃弾と攻撃魔法・無頼の少女  作者: 立川ありす
第20章 恐怖する騎士団
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帰ってきた日常1

 気持ちよく晴れ渡った月曜日の朝。

 のんびりした高校生や元気な小中学生がまばらに通る校門前。

 学生鞄を背に普段通りに登校してきた舞奈は、


「よっおはようさん」

「舞奈様おはようございます。先日はお疲れさまです」

「ああ、まったくだぜ。……お互いにな」

 普段通りに校門を警備している金髪の警備員クレアに挨拶する。


 巣黒で、首都圏で、様々な動きがあった土曜日。

 あるいは瀉血(しゃけつ)のような大騒動がひと段落し、舞奈たちがあずかり知らぬところで関係者(例えばニュット)が後始末に奔走していた日曜日。

 その翌日の月曜には、舞奈は普段通りに登校した。

 小学生なんだから当たり前だ。

 舞奈は土曜日の作戦中とは真逆にだらだらと周囲を見回し、


「クレアさん、ひとりかい?」

「ベティは念のために校内を見回ってるんですよ」

「そっか。2人体制に戻ったんだなあ」

 問いかけに返ってきた答えで気づいた。


 先日の作戦で一連の事件の元凶だった卑藤悪夢は排除された。

 奴が率いる『Kobold』のつまらない陰謀も潰えた。

 つまり学校や生徒が襲われる理由は完全になくなった。

 他社の傭兵や【組合(C∴S∴C∴)】【協会(S∴O∴M∴S∴)】の術者まで動員した一大護衛プロジェクトは成功裏に終わったと考えていいだろう。

 何だかんだで執行人(エージェント)に被害は出たが、一般の生徒には怪我ひとつない。

 だから学校の警備を一任された民間警備会社(PMSC)【安倍総合警備保障】による厳戒態勢もおしまいだ。

 じきに臨時の通学バスもなくなって、元の徒歩通学に戻っていくはずだ。

 朝の校門も、また以前のように賑やかになるだろう。

 2人いる警備員の片方が校内で油を売ってると手が回らなくなるくらいに。


「すまん、(ジェリコ)を頼む。こっちは見てるから」

「すいません、すぐに戻ります」

 他の生徒に見られぬようジャケットの裏側の拳銃(ジェリコ941)をクレアに渡す。

 それを持ってクレアは警備員室に入っていく。


 舞奈は学校にいる間は拳銃(ジェリコ941)を警備室で預かってもらっている。

 だがワンオペの最中にそれを頼むと、金庫に仕舞っている間の守衛はお留守だ。

 まったく。

 今回の一連の事件の発端は不審者の襲撃だったのに。


 そう。だからモールや娑が昼間の警備に駆り出された。

 警備体制が元に戻ると日中は彼女らと顔を合わせなくなる。

 見た目も中身もヤバイあいつらが昼間の仕事でやらかさないかヒヤヒヤしながら見守る事ももうないだろう。


 そのように、何となく祭が終わった後に似た気分に少しひたっていると……


「……おっ音々じゃないか。ちーっす」

「──舞奈様お手数をおかけしました。あ、音々さん。おはようございます」

 見知った顔を見かけて声をかける。

 戻ってきたクレアも一緒に声がけする。


 音々は裏門の駐車場のほうからやってきた。

 護衛を兼ねて彼女の送迎をしている装甲リムジンが到着したのだろう。


「おっ舞奈様じゃないっすか。今日も楽しそうっすね」

「あんたもな」

 何故か面白黒人のベティも一緒に何食わぬ表情でやってくる。

 駐車場かどこかでばったり出くわして、暇潰しがてら一緒に来たのだろう。

 こいつの頭の中だけは今も警備は3人体制なのかもしれない。


「預かりましょうか? 舞奈様」

「もう金庫の中だよ」

 差し出された浅黒い手を無視して長身の警備員を睨みつける。

 丸顔はにこやかな笑みを返す。

 まったく。

 土曜日は『Kobold』支部ビルのエントランスでの陽動で三面六臂の大活躍を見せたこいつも、平和な学校の警備に戻った途端にこれだ。


「あの、志門さんおはよう。クレアさんもおはようございます」

 もめてる舞奈と警備員に、微妙に気を使いながら会釈する音々に、


「……ああすまん。そういやあ土曜日は大変だったらしいな。平気か?」

「知ってたんだね」

「ちょっと小耳にはさんでな」

 何食わぬ調子で尋ねてみる。

 平気なのも知ってるが、本人の口から聞きたかった。


 土曜日に舞奈たちが『Kobold』支部ビル攻略を攻略している間、音々は一連の事件の元凶でもある卑藤悪夢に襲われていた。

 だが音々の家にはヘルビーストや魔術結社の術者が待ち構えていた。

 彼女らの活躍により卑藤悪夢は敗走した。

 そして、すべてを見通していた中川ソォナムが排除した。


 正直、音々の危機に駆けつけられなかった事に負い目が無いと言えば嘘になる。

 たとえ家が散らかった以外に被害はないと聞いていても。

 同じ時分に舞奈たちもイレブンナイツと死闘を繰り広げていたとしても。

 あるいは敵が舞奈を警戒していて、駆けつける素振りでも見せたら逃げられて別の機会に音々を狙っただろうとソォナムから聞かされて納得していたとしても。

 だが、そんな舞奈の内心とは裏腹に、音々は予想以上に平気そうに、


「でも、ぜんぜん大丈夫だよ」

「ああ」

 笑顔で答えた。


「ヘルビーストさんが守ってくれて、変な人たち? も逃げて行っちゃった」

「そりゃ良かった」

 気丈な声色に、思わず舞奈も笑みを返す。


 音々だって騎士団を擁する変なババアにいきなり襲われた時には肝を冷やしたし嫌な思いもしただろう。

 だが今は、そういう事を言う時じゃないと判断したらしい。

 そういうところで音々は常識的でTPOに敏感だ。

 そんな音々は、


「それより、今日で送り迎えも終わりなんだって」

「そっか。また急な話だな」

 少し残念そうに言葉を続ける。

 襲撃よりも、そいつを撃退した事により状況が元に戻る事のほうが残念なように。


 だが、まあ音々が狙われる理由は土曜日に完全になくなったのだ。

 もう護衛の必要はない。

 今日の送迎だって念には念を入れての事だ。

 音々もそこは心得ている。だから、


「不安か?」

「そうじゃないんだけど、ただ……」

 舞奈の問いに、名残惜しそうに駐車場の方向を見やる。

 去っていく祭の山車を見送るように。


 彼女も舞奈と同じように、束の間の非日常に慣れてしまっていたのだろうか?

 そんな音々に何かしてやれる事はないだろうか?

 そんな事を何となく考える舞奈のところに――


「――やあ舞奈ちゃん、音々ちゃん、おはよう」

「おや、お2人ともお揃いで。また悪だくみですか?」

「あっ紅葉さん。楓さん。おはようございます」

「あたしと音々が何時つるんで悪だくみしたよ?」

 紅葉と楓がやってきた。

 よくわからないジョークを口走るくらい朗らかな楓を見やり、


「……ったく朝から楽しそうな顔しやがって」

 舞奈はやれやれと苦笑する。


 おしゃれ眼鏡をかけた楓の笑みは、心の底から晴れやかで楽しそうだ。

 普段の殺しの流儀で眼鏡をはずして参加した土曜日の作戦で、迎撃にあらわれた脂虫の騎士を好きなだけ思う存分に殺せたからだろう。

 まったく。

 そんな舞奈の内心など知らずに、


「音々さん、土曜日は災難だったようで」

「でも怪我がなくてよかったよ」

「わっ先輩たちも知ってたんですね……」

 にこやかな優雅な笑みのまま続いた楓や紅葉の言葉に音々は驚き、


「でも、楓さんや紅葉さんが危ない目にあわなくて良かったです」

「えっ?」

 返された言葉の意味を舞奈が理解するのに……


「……あ、ああ。そうだな」

 少し間があった。


 例の作戦より以前、楓は音々の護衛をしまくっていた。

 あわよくば音々を狙ってきた脂虫を殺せると思っていたからだ。

 だが結局、護衛の最中に脂虫にありつく事はなかった。

 楓もまた預言によって奴らに避けられていたらしい。

 こんな事ばっかり言っているからだ。


 それはともかく、そういう理由で音々的には楓や紅葉は奴らには会っていない。

 鼻息も荒く音々を守ろうとしていた彼女らがいない間に、音々だけが襲われたという認識なのだろう。

 だから良かったと言えるのも音々の善性故である。

 そもそも表向きには楓は高嶺の花なだけの普通の女子高生だ。

 頑張って護衛をしてくれてるとはいえ、本当に楓や紅葉に目の前で悪漢をボコしてもらいたいと思ってる訳じゃないはずだ。


 ……なので舞奈は、あえて言わない事にした。


 今回の一件で本当に危険な目に……そして取り返しのつかない目に遭ったのは楓自身ではなく、楓と相対した騎士団やイレブンナイツの面々だったという事を。


 とまあ、そのように楓や紅葉と世間話をしてから別れ、舞奈たちは初等部へ向かう。

 そして音々と雑談しながら初等部校舎の一角にある教室へ。

 まだ人気のない教室のドアを開けた途端――


「でさ、ボブだと思って撃った相手はボブじゃなくて――」

「――あっ槙村さん。おはよう」

「おはよう。安倍さん」

「あたしもいるぜ」

 明日香が気づいてやってきた。

 先に来ていたらしい。

 まったく真面目でご苦労な事だ。


「先日はご家族ともども再三の危険に遭わせてしまって……」

「わっ!? 安倍さん! そんなのいいよ!」

 明日香は音々の前に立ち、深々と頭を下げる。

 一連の事件でもう何度目かになる、警備会社を代表した謝罪である。

 なるほど、このために早く来て待っていたか。

 本当にご苦労様だ。


 もちろん音々が襲われている時分には明日香も舞奈と一緒に戦闘の最中だった。

 敵は騎士どもの精鋭イレブンナイツ。

 下手をすると音々より危険な目には遭っていた。


 だが生真面目な明日香にとって、そんな事は関係ない。

 理由はどうであれ護衛対象が危険に見舞われたから会社を代表して詫びるのだ。

 自分の都合は関係ない。


 だが音々からしても明日香のけじめなんか関係ない。なので、


「そんな、安倍さんが謝る事じゃないよ。ヘルビーストさんも、他の会社の人も一生懸命わたしたちを守ってくれたし、わたしもママもぜんぜん無事だったし……」

 あわてて言い募る。

 ドン引き、と言ってしまうのは流石に明日香に気の毒だろう。

 冷蔵庫や暖炉が明日香の会社の人だと思っているのは御愛嬌だ。

 そんな音々にも色々と考えがあったらしい。なので、


「……そうだ! ねえ、安倍さん」

 満面の笑みを浮かべて明日香を見やり、


「それならお願いをひとつ聞いてもらってもいいかな?」

「え、ええ、もちろんよ……」

 笑顔の裏のありもしない思惑を警戒して身構える明日香の態度を気にも留めず、終始にこやかに提案した。


 ……という訳で、その後は何事もなく放課後。


 朝と変わらぬ青空の下。

 通学路を兼ねた人気のない通りを……


「……ネネモ、狭イノ嫌イ?」

「そういう訳じゃないんだけど、今日は皆で歩きたいなって」

 音々とヘルビーストは並んで歩く。

 そんな様子を舞奈と明日香は横で見守る。


 帰りは舞奈と明日香が歩いて音々を家まで送っていくことになった。

 ついでに公園に寄るためだ。

 予定では護衛を兼ねた音々の送迎は今日の帰宅までだ。

 だが他ならぬ舞奈と明日香が一緒なら、装甲リムジンは必ずしも必要じゃない。


 そんな事をしている理由は音々の提案だ。


 常識的で道理のわかる彼女はヘルビーストが何処かに帰るだろうと察していた。

 騒動の裏側なんか知らなくても、先日の襲撃を切り抜けた事で事態のすべてが終息したと察せられる程度に音々は目端が利く。

 なのでヘルビーストに別れの挨拶をしたいというのが彼女のお願いだ。


 思えば確かにあの腰みのは、音々の危機を何度も救っていた。

 だから礼を言いたいというのも常識的な音々らしいと舞奈は思った。

 それ以上の理由は思い当たらなかった。

 舞奈は別に心を読める超能力者(サイキック)とかじゃない。


 で、3人で協議した結果、別れの挨拶に相応しいのは公園だという話になった。

 近いし。

 雰囲気もいいし。

 なのでリムジンで乗りつけるのも無粋なので歩いていく事にしたのだ。


 まあ正直、公共の往来を仮面の腰みのが子供連れで歩いているのはどうなんだ。

 内心でツッコミを入れたい絵面ではある。


 だが、そこに抜かりはない。

 実はソォナムに人払いをしてもらっているのだ。


 話が決まってすぐ、舞奈と明日香は急きょソォナムに相談した。

 訳あって腰みのが街を練り歩くが、街の人たちへの影響をどうにかできないかと。

 するとソォナムは快く人払いを引き受けてくれた。

 先日の一件で舞奈たちを利用した事を気に病んでいたからだろう。

 彼女の術により、半裸の黒〇ぼを見た人も気にしないかすぐに忘れてしまうという。


 と、まあ、そんなこんなで、


「あの、色々ありがとうございます」

「ネネガ無事デヨカッタ」

「えへへ。あの、ヘルビーストさんと会えて……その、良かったです」

「ワタシモ。楽シカッタ」

 公園のベンチに腰かけて仲良く話す。

 何気ない言葉への腰みのの答えに、音々は満面の笑みを浮かべる。


「クレープ、オイシイ。アリガトウ」

「喜んでもらえて良かった」

 腰みのは器用に仮面をずらしてクレープを頬張る。

 そんな仕草を見やって音々もニコニコ笑う。

 クレープの屋台が出ていたので音々が買って2人で食べているのだ。


 そんな様子が、何となくデートみたいだなあと思った。

 そうすると横で見ている舞奈と明日香が無粋な人になってしまうので、


「いや、楽しむなよ……」

 楓さんじゃないんだから。

 小声でツッコミながら、それでも元をゆるめる。

 明日香も微笑ましそうに見ている。


「そういえば、ヘルビーストさんの住んでいる所って、どんなところなんですか?」

「怪……危険ナ動物ガ、タクサンイル。デモ、自然ガ沢山アッテ楽シイトコロ」

 ふと尋ねた音々にヘルビーストが答える。


「いつかわたしも行けるかな」

「来テミテ」

 そんな会話をしてなごむ。


 たしかヘルビーストの本来の所属は群馬支部だったか。

 舞奈は行った事はないが、中々にワイルドな地域のようだ。

 それでも小学生の音々からすると他県への旅は将来の目標になったのだろう。

 遠い目をしながら笑った。


 ……そうこうしているうちに夕方になった。


 楽しいデートも終わりの時間だ。


「ワタシハ最後ニ、ネネヲ送ッテ行ク」

「おう、頼むぜ」

「サィモン・マイナー。アベアスカ。サラバダ」

「ああ、またな」

「次はもう少し穏当な来訪をお願いします」

 ヘルビーストは舞奈たちと短く別れの挨拶をして、


「行コウ、ネネ」

「はい!」

 音々を連れて去って行った。

 彼女を家まで送って行ったら彼女の仕事も本当に終わりだ。

 そんな彼女らの背中を見送りながら――


「――来てたのか」

「気づいていたか」

 声をかけた途端、側に小柄な人影があらわれた。

 ヘルビーストのそれよりは大人しい仮面をかぶった黒ローブ。

 懲戒担当官(インクィジター)ベリアルだ。


 こちらも大概な格好だが、布地の量はぜんぜん違う。

 それに彼女は彼女で自分の認識阻害で、もう少し大人しい衣装に見せかけている。


 そんな彼女は群馬支部でのヘルビーストのパートナーだという。

 だから迎えに来たといったところか。


「ヘルビーストがいろいろ迷惑をかけた」

「……あんたも大変だな」

 苦笑する。


「話していけばよかったじゃないか?」

「例の彼女とか? 先方が困るだけだろう」

「そりゃそうなんだが……」

 言ってみた途端に返ってきた返事に舞奈も困る。だが、


「……ま、楽しい奴ではあったよ」

「そう言ってもらえれば光栄だ」

 何となく続けた言葉には、そんな返事が返ってきた。

 仮面ごしにでも悪い気分じゃないのはわかる。


 たぶんベリアルが相方としてヘルビーストを評価しているからだろう。

 2人がパートナーでいられる所以だ。

 そんな彼女を、最初は面食らった舞奈だが最後には受け入れることができた。

 協力して、手分けして、大切なものを守る事ができた。

 だから舞奈も彼女らと仲間になれたと思う。

 これからも、同じ事態になったら同じように協力できる。


 たぶん、そういった些細な要素が『Kobold』支部ビルを墓標にした者たちと帰ってこられた者たちとの差なのだろうと少し思った。

 あるいはマイナスの感情から生まれた怪異と、プラスの感情を持つ人間の差だ。


 そして、もうひとつ理解できた事があった。

 ベリアルは音々の記憶を改ざんするつもりで来たのでもない。


 術者は余人に術を見られるのを嫌う。

 彼女らが魔法の存在を世間に隠ぺいしているからだ。

 なのに仕方がないとはいえ音々はヘルビーストの施術を目撃してしまった。


 それでも口封じのような事をしないのは、必要ないと判断したからだろう。

 音々は他者の秘密を吹聴するような人間じゃない。

 その事実は魔術師(ウィザード)であれば容易く察せられるのだろう。

 あるいは、そのくらいできない人間の精神は魔術になど達し得ない。


 だから何となくベリアルに事件の顛末を話すうち、ヘルビーストが戻ってきた。

 ほぼ失踪同然の出奔をしてきたらしいヘルビーストにベリアルは小言を言う。

 だが先方は意にも介していない様子だった。

 界隈の色々なところで見る光景だ。

 まったく。


 ……そのようにして、ヘルビーストたちも自分たちの支部に帰って行った。


 そして、その晩。

 山の手の一角にある真神邸の2階に位置する園香の部屋で……


「……マイちゃんとこういう事するの、久しぶりだね」

「寂しい思いをさせてスマン。けどタイミングよく夫婦そろって出張だなんて、園香の親父さんとお袋さんも粋な事してくれるじゃないか」

「もうっ、マイちゃんったら」

 薄暗い寝室で、そう言って園香は照れるように微笑む。

 そんな園香を見やって舞奈も笑う。


 舞奈は園香の家に泊まっていた。

 奇しくも今日は彼女の両親ともが出張で出払っているらしい。

 なので園香の夜の護衛も兼ねて、『Kobold』のバスカフェが配っていた胡散臭いグッズなんかなくてもいい匂いがする事を確かめる事にしたのだ。


 別に誰にも迷惑はかけてないのだから構わないだろうと舞奈は思う。

 一連の事件では舞奈も散々な思いをしたのだ。

 少しくらいご褒美があって良いはずだ。


 だから薄手のパジャマをまとった園香を窓から覗く月から隠すように、あるいは自分だけのものにするように、そっとカーテンを閉めた。


 同じ時分。

 すっかり片づけも終えた槙村邸の寝室で、音々も母親と眠りにつこうとしていた。

 母ひとり小学生の子ひとりの槙村家は、夜は2つの布団を並べて寝る。


「あのね、ママ。不思議な人がいたんだよ」

「まあ、どんな人なの?」

「その人は……」

 蛍光灯の豆電球を見やりながら、音々はそっと側の母親に語りかける。


 危ないところを救ってくれた、腰みの一丁の仮面の人。

 誘拐されたバスの中で音々を守ってくれた人。

 動物と会話し、数々の奇跡を見せてくれた不思議な人。

 日本語もカタコトで、常識はずれで、でも優しくて頼もしい人。


 ひょっとして母は信じてくれないかもしれないとも思った。

 何故なら話をしている最中ですら、あまりに荒唐無稽だと自分でも思う。

 けれど母親は……


「……すてきな方ね。音々は素敵な人に出会えたのね」

 そう優しい声色で答えた。

 一片の疑いもなく音々の話を受け入れてくれたことが嬉しかった。

 母は割とそういうところがあるが、それでも嬉しかった。


「ママにもね、人生を変えてくれた素敵な出会いがあったのよ」

 薄明りの中に浮かぶ母親の微笑が嬉しかった。

 自分は優しい美しい母親が大好きだと、改めて思った。

 だから音々も満面の笑みを浮かべながら、ゆっくりと眠りについた。


 ……そして、その夜。音々は夢を見た。


 広い、広い、地平線が見えるほど広いサバンナを、シマウマに乗って走る夢だ。

 隣にはサイに乗った母親が走っている。

 他にもカバやライオンに乗った友人たちも並走している。

 アフリカの風は気持ちが良かった。


 気づくと隣に、仮面をつけた腰みのの彼女が走っていた。

 自分の足で走っているのにシマウマと同じくらい早い。

 足元にはたくさんのコツメカワウソも走っている。


 音々は笑った。

 ヘルビーストさんも笑った。

 仮面で顔は見えないけれど笑っているとわかった。


 楽しい夢だった。

 それがいつか本当になるといいな、と思うくらい。


 ……同じ頃、側で眠る母親も楽しい出会いの夢を見ていた。


 それは母が若かりし頃の記憶だ。

 母が今の娘とさほど変わらぬ年頃の少女だった頃。

 あるいは、どちらかというと地味で冴えない女子中学生だった頃。


 彼女は不審者に襲われた。

 脂虫によくいる性犯罪者だ。

 だが突如としてあらわれたヒーローが彼女を守ってくれた。

 恐ろしい大人の男を苦も無く叩きのめしたのは、彼女と同じくらいの年頃の……全裸の少女だった。


 知的な顔立ちと片眼鏡が印象的な少女だった。


 若かりし母は礼を言うのも忘れて少女に魅入った。

 美しい少女だった。

 それ以上に……


 全裸で恥ずかしくはないのですか?


 不躾な質問をしてしまった。

 だが少女は笑顔で、


 ああ。恥じるようなものは何ひとつ持っていないからね。


 そう答えた。


 生まれたままの身体。

 悪をくじき他なる美を救う行為。

 自分が持っているもの、開示しているものは誇れるものしかない。


 その言葉に、中学生だった母は感銘を受けた。


 そんな少女の気高い心意気が美しいと思った。

 自分も美しくなりたいと思った。

 強く、強く思った。

 いつか、あの少女の様に美しくなろうと思った。

 心も身体も、持っているものすべてを誇り他者に見せつけられるような。

 気高く美しい少女が『美』と呼んでくれた自身の心と身体を使って。


 そして、その願いは成就した。

 もちろん自分自身の弛まない努力と強い意思によって。

 加えて、ほんのわずかな幸運によって。


 そう。

 その時の感動こそが、まきむら奈々子の原点だった。

 稀代の名優と謳われた最高峰のAV女優が誕生した瞬間だった。


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― 新着の感想 ―
[一言] ああ。恥じるようなものは何ひとつ持っていないからね。 ···何か何処ぞの「金ピカ(小)」が似た様な事云ってたなWWW ···小学生の前、全裸で
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