対抗策
「わー! マイ、新しい上着を買ったんだ!」
「お、おう」
登校してきた舞奈を、チャビーの歓声が出迎えた。
「安倍さんもお揃いだ! どこで買ったの?」
「買ったっつうか……貰った?」
「ええ、まあ……保健所で?」
舞奈と明日香は珍しくしどろもどろに答える。
サチを狙って校内に侵入した泥人間より先に、チャビーにつっこまれるとは思ってもみなかったからだ。
「舞奈、明日香、おはよ――」
入ってきたテックが絶句した。
「……」
いつもクールな彼女だが、今日は一段と無表情だ。
視線が冷たい。
「ヘヘッ、カッコイイ服だろ?」
何となく顔が引きつるのを感じつつ、半ばヤケクソに言ってみる。
明日香は早くも帰りたそうだ。
「……事情は後で聞くけど、もうちょっと考えた方が良いと思う。デザインとか」
そう言って、テックは返事も聞かずに自分の席へ行ってしまった。
「ああ、自分でもそう思うよ」
やれやれと肩をすくめてジャケットを脱いで、まじまじと見やる。
背中一面に描かれた朝日旗が自己主張しまくっていて、目に優しくない。
無論、校門ではベティにさんざんネタにされた。
登校中に襲われるようなことはなかったので、とりあえず近場に泥人間が潜んでいるわけではないとわかったのが唯一の収穫か。
そんなことを考えてため息などついていると、死角から何か跳びかかってきた。
「うぉ!? なんだ?」
みゃー子だ。
舞奈はジャケットをひるがえして避ける。
みゃー子はそのままロッカーの上に着地した。
人というより獣の動きだ。
「めぇ~~!!」
「闘牛じゃねぇ! ……闘牛?」
舞奈は睨もうとして脱力する。
みゃー子は笑う。
水槽の金魚が、嫌そうにみゃー子を見やる。
「ぶぅぶぅ!」
みゃー子は鳴いた。
明日香は他人のふりをして席に鞄を降ろしていた。
「牛さんはモーモーだよ?」
チャビーがツッコむ。
するとみゃー子は「ニャー!」と鳴いて、ロッカーを飛び下た。
「きゃっ、ちょっと小室さん!? 何するのよ!」
背中の鉄十字にしがみつかれて明日香が叫ぶ。
興奮したみゃー子はニャーニャー鳴きながら教室中を走り回る。
「まてまてー」
チャビーは楽しそうに猫を追いかける。
舞奈はやれやれとジャケットを着こんだ。
「マイちゃんおはよう」
後ろから声がかけられた。
園香だ。
「おはようゾマ。……似合うか?」
「…………。う、うん、似合う……よ?」
園香の感性も皆と違う訳ではない。
でも、ぎこちないながらもフォローしてくれたのは彼女だけだった。
「その、なんだ……気を使わせてスマン」
「う、ううん、そんなつもりじゃ」
2人して、向かい合って笑う。
園香の頬は心なしか赤い。
「それから、その……スマン」
「ううん、ほんと、そんな気を使ったわけじゃ……」
「いや、そうじゃなくて、この前も、おまえのこと守ってやれなくて……」
真摯な瞳で園香を見つめ、言った。
先日、奈良坂に護衛されていた園香が泥人間に襲われた。
理由は相手の勘違いだ。
泥人間はサチの顔がわからず魔力を手掛かりに襲っていたから、修練によってその身に魔力を蓄えた妖術師の奈良坂と、近くにいた園香が狙われた。
そういうことなら、今後の警備は呪術師である小夜子に戻したほうが安全だ。
だが【機関】にはそれができない事情がある。
今回の護衛人員の変更は、上層部からの指示だからだ。
超常現象への対処を一手に担う【機関】上層部の所在は、内部にすら公開されていない。末端の仕事人が知り得るのは各都道府県に点在する支部の所在だけだ。
その上層部は、絶対の権限を用いて支部の作戦内容に細かく口出しする。
だから巣黒支部の最高責任者であるフィクサーには言うほどの権限はない。
上層部からの指示を、手持ちの戦力を活用して遂行するのが彼女の役目だ。
特定人権団体に脅迫を受けた占術士を護衛するべく人員の選定、それに伴う他の占術士の任務の変更も、上層部の指示だ。
新たな情報により最適な守り方は変わった。
だが、それを上層部が認識するまでは指示のあった方法を続けなければならない。
その小回りの利かなさは【機関】という大組織の弱点でもあった。
そんなことなら舞奈が園香を守りたいと思う。
けれど最強のSランクには、【機関】の最重要人物を守る使命が課せられている。
舞奈は九杖サチを最優先で守らなければならない。
そんな歯がゆさに唇をかむ舞奈に、園香は優しく微笑みかける。
「この前もね、怖い人たちに襲われたんだけど、奈良坂さんが追いはらってくれたみたい。優しそうに見える人なのに、やっぱり高校生なんだね。すごいよね」
そう言って園香は笑う。
「ま、まあ、そうなんだろうな……」
その時の事情を知っている舞奈は、曖昧に誤魔化す。
そして、ふと、園香の視線が明日香を向いた。
「その上着、明日香ちゃんとお揃いなんだね」
それで納得したように、そして少し寂しそうに、言った。
「いやなゾマ、これはな……」
言い訳をしようとする舞奈を、園香は笑顔で制する。
「ううん、似合ってるよ」
そう言い残して、自分の席に向かった。
そんな彼女を呼び止めようとする。
だけど、かける言葉が見つからなくて、逡巡する。その時、
「志門さんおはようございます。ドアの前で突っ立ってると通行の邪魔なのです」
「おっと、すまん」
登校してきた委員長が、舞奈のジャケットに目を止める。
「……!?」
「……いやもう、言いたいことを言ってくれ」
「そういう格好を、ふざけてするのは良くないです」
委員長はデコと眼鏡を光らせて、生真面目に言った。
視界の端で鉄十字がうなずく。
舞奈は何だか裏切られた気がした。
「不敬罪です」
「いや、不敬罪って……」
ジャケットひとつで、朝からえらい言われようである。
舞奈はとほほと肩を落とした。その時、
「いたか志門。朝早くすまん。ちょっと来てくれるか?」
今度はサングラス姿の担任があらわれた。
「……まさか、不敬罪っすか?」
「いきなり何を言ってるんだおまえは?」
担任のサングラスが、困惑げに光った。
そして舞奈が連れていかれたのは、校長室だった。
「志門さん、朝早くからすいません」
「いや、構わないっす」
校長机の向こうで、禿げた萎びた爺が頭を下げた。
高、中、初等部を統括する蔵乃巣学園の校長だ。
校長の彼は、小学生の舞奈に敬語など使っている。
彼は誰に対してもそうする。
彼の処世術が、誰に対しても礼儀正しく振舞うことで敵をなくすことだからだ。
つまり、最強の技で敵対者を叩きのめす舞奈とは真逆の生き方だ。
そんな彼は、いつもの朗らかな笑みのまま、言った。
「昨日、志門さんのアルバイト先から連絡がありました」
校長は告げた。
バイト先とは【機関】のことだ。
小学生の舞奈は【機関】関係者の表向きの身分である『保健所のアルバイト』という肩書を持つことはできない。
だか仕事人として活動する便宜上、そういうことにしてある。
その【機関】から、学校に連絡があったという。
これはどういう事態だろうか?
「ははは、驚いているようですね」
無口な舞奈に気を使ってか、校長は朗らかに笑う。
「実は、あそこの所長は本校のOBでしてな、今でも親交があるんですよ。舞奈さんの事も聞いていますよ」
舞奈がバイトしてる保健所の所長とは、フィクサーのことだ。
彼女から学校に、どんな連絡があったのだろう?
少しばかり緊張する舞奈に、だが校長は真摯な視線を向ける。
「本校の生徒が、トラブルに巻き込まれているそうですね」
「……ああ」
特定人権団体率いる泥人間が、九杖サチを殺害しようと狙っている。
学校に脅迫状が届いたから、狙われていること自体は校長も知っているだろう。
だが、その真相を、どこまで知っているのだろうか?
「犯人が学園内に侵入している可能性が高いと聞きました。わが校の警備員は大変優秀ですが、警備員という立場では、できることに限界があります」
そう言う校長の側には、警備員のクレアが控えている。
見惚れるような金髪のクレアは、舞奈にすまなさそうに一礼した。
「そこで事件が終息するまでの間、志門さんにこれを預けます」
校長の言葉に答え、クレアが手にしていたそれを舞奈に差し出した。
「おい、これは……!?」
それは拳銃サイズのガンケースだった。
中には舞奈が警備員室に預けている拳銃と弾倉が入っている。
その側には、仕事で使っているのと同じタイプのショルダーホルスター。
校長は、舞奈に校内での銃器携帯を認めると言っているのだ。
「……いいんすか?」
この銃を使って舞奈が問題を起こせば、校長もただでは済まない。
それは数十年もの間、教職を続けてきた彼が一番よく知っているはずだ。だが、
「生徒の安全を守るために、これが最も確実な手段だと判断しました。最強の君にこれを委ねるということがね」
禿げて萎びた校長は、いつもと同じように朗らかに笑う。
「それに、志門。おまえは信頼のおける人間だ」
担任が静かに言った。
校長はうなずく。
小太りでサングラスの担任は、七三分けのヅラで隠しているが禿だ。
そして鋭敏な感覚を持つ舞奈はそれに気づいていた。
舞奈がヅラに気づいたのは4年生の頃だ。
だが、あれから1年たった今も、そのことを知っているのは本人と舞奈だけだ。
だから校長と担任の言葉に促されるように、舞奈はホルスターを受け取る。
ジャケットを脱いで、手慣れた素早い動作でホルスターを身に着ける。
そのホルスターに、ケースから取り出した拳銃を収める。
弾倉はジャケットの裏のポケットに収める。
その様を、校長は何も言わずにニコニコと見ていた。
校長は舞奈のことを、そして【機関】のことをどこまで知っているのだろうか?
「……あ、弾丸は別に持たせてもらうっす。抜き打ちする必要はないんで」
「はい、お任せしますよ。これより先のことは、わたしより君たちの方がはるかによく知っているのですからね」
そう言って、校長は立ち上がる。
「舞奈さん、そしてクレアさんもお願いします」
そして、頭を下げた。
「本校の生徒を、守ってください」
学園の最高責任者であり、フィクサーとも親交を持つ校長。
そんな彼が、初等部の一生徒である舞奈に頭を下げた。
彼は生徒に対して真摯で、そして舞奈を信頼している。だから、
「わかってますって、校長!」
舞奈は校長を安心させるように言い放つ。
「あんな奴ら、この学校の皆に指一本さわらせたりしないさ!」
そう。
園香も、サチも、舞奈が守る。
その決意を表明するように、舞奈は不敵に笑った。