身の丈に合った生き方
「晴れてんじゃねぇか……」
舞奈はひとり頭上を睨んでひとりごちつつ、通学路をだらだらと歩く。
雲ひとつない青く澄んだ空を、鳥の群が気持ちよさそうに横切っていく。
先週はムクロザキの雑な仕事の尻拭いをするべく大人を探し、蜘蛛を探し、挙句にヴィランや仲間たちと共に巨大な蜘蛛の魔獣と怪獣バトルを繰り広げた。
そんな洒落にならない出来事があった週末を乗り越えた、月曜日の朝である。
今週の頭には雨が降る。
そう先週の天気予報に急かされて、舞奈と明日香は毒蜘蛛の産卵と大量発生を防ぐべく蜘蛛のブラボーちゃん探しを決行した。
蜘蛛を失ったムクロザキが気の毒だからとチャビーや園香も同行する事になった。
なので引率の大人を探した。
そんな最中にキャロルやメリルと知り合った。
レインと梢も志願してくれた。
そして週末には8人で街はずれの林を捜索。
川に落ちたり巨大蜘蛛と戦ったりと散々な苦労をした末に蜘蛛を捕獲した。
その後にムクロザキの元に連れて行ったブラボーちゃんは雨を待たずに産卵。
その上で、週明けの朝の実際の空はこれである。
舞奈が判断の参考にした情報は1から10まで嘘ばっかりだった。
なのに結果的に犠牲も禍根も残さずすべてが上手くいったのだから、まるでキツネかタヌキに化かされた気分だ。
しかも、それで結果的にすべてが丸く収まったのだから恨む相手もいない。
あるいは魔獣の出現という非常事態を預言した【組合】なり【機関】諜報部なりが、事態を犠牲なく抑えるべく舞奈たちを利用したか?
思い起こせばキャロルとメリルは【組合】から派遣されてきた。
レインと梢は県の支部の諜報部からだ。
そして近接攻撃を反転するレインの大能力【戦士殺し】、メリルが変じたイエティの力がなければ怪獣バトルの結果は変わっていただろう。
何人か犠牲になっていたかもしれない。
舞奈たちを蹴散らした魔獣が人里に下りてきたかもしれない。
あるいは道中でチャビーたちが川で転ばず、休憩もせず、梢やメリルの手の内をよく知らないまま蜘蛛とのバトルに臨んでも同じだった気がする。
斯様な惨事を避けるように、舞奈たちの行動は何者かに誘導されていた。
そんな予測を否定する材料はない。
……だが肯定する材料もないのも事実だ。
何故なら舞奈には事の真偽を聞き出すコネも調べる手段もない。
舞奈はただ最強なだけで、それ以外の何かを持っている訳じゃないからだ。
というか、単にそうとでも思わないとやってられないというのが本音だ。
単なる偶然や運命のいたずらで、あんな目に度々遭わされたんじゃかなわん。
そんな事を考えながら、朝からやれやれとため息をついた途端――
「――おっ小夜子さんにサチさん! ちーっす!」
遠目に見知った人影を見つけて走り寄る。
気持ちよく晴れた月曜の朝に、いつまでも拗ねていても良い事はないのも事実だ。
「あ。舞奈ちゃん」
「おはよう舞奈ちゃん! 先週はありがとう」
声に気づいた小夜子とサチが振り返る。
セーラー服の下でプルンと揺れたサチの胸に相好を崩す。
すると小夜子が睨んでくるのも御愛嬌だ。
「わっ、マイちゃんだ。おはよう」
「マイおはよー!」
「おう、お前らも先週末はお疲れさん」
園香とチャビーも一緒にいた。
ワンピースの私服の下でプルルンと揺れる園香の胸を眺め、笑みを見やって舞奈も自然な笑みを返す。
どうやら4人で登校してきたらしい。
仲睦まじくて結構な事だ。
「あのね! 小夜子さんたちと探検のお話をしてたんだよ!」
朝から元気いっぱい、ニコニコ笑顔のチャビーの言葉を継ぐように、
「……話は聞いたわ。本当にお疲れ様」
「いや、大した事はしてないよ」
小夜子が重々しい口調で労ってくれた。
対して舞奈は苦笑してみせる。
彼女は普段からこんな感じなので、園香もチャビーも特に不審には思っていない。
だが舞奈は彼女が、他の誰かから先週末の話を聞いたのだと察した。
つまりイエティや舞奈たちと、巨大蜘蛛の怪獣バトルの話をだ。
「ありがとう舞奈ちゃん。わたしたちも付き合えれば良かったんだけど……」
一緒に労ってくれたサチの言葉を、
「でも小夜子さんは街じゅうのお店を手伝ってたんだもんね!」
チャビーが楽しそうにフォローする。
「……誰よ? そんなこと言ったの?」
訝しむ小夜子に「あたしじゃねぇぞ」と口を尖らせる舞奈の側で、
「梢さんがおっしゃってたんです。小夜子さんは凄い人だって」
「そう、彼女が……」
園香の答えに微妙な表情をする小夜子。
「知ってるのか?」
「県の支部の【トリックスター】よ」
「トリックスターか……」
耳打ちしたサチの答えに、舞奈も何とも言えない表情をする。
そういえば舞奈は彼女のコードネームを聞いていなかった。
レインが本名で通していたので何となく気にしていなかったのだ。
コードネーム【トリックスター】=道化師。
そう言われてみれば、梢の言動からしてそんな感じだった。
戦闘中の跳弾とか面白おかしい出来事をピンポイントで預言したり、流れるような嘘でチャビーと園香に怪獣バトルのことを誤魔化したり。
どうやら彼女もタヌキだったらしい。
彼女の友人だというレインの苦労が忍ばれる。
だが幸い今日の舞奈は、それ以上は何かに化かされることなく学校に到着した。
警備員室でベティとクレアに挨拶し、サチと小夜子と別れ、引き続き園香とチャビーと歓談しながら初等部校舎の3階に位置する自分たちのクラスへ。
いつも通りに騒々しい教室のドアをガラリと開けた途端――
「――キュキュ♪」
「キャー! アライグマですわ!」
「落ち着いてください麗華様」
「気をつければそんなに怖くないンす」
麗華が面白おかしい悲鳴をあげて飛び上がっていた。
「……麗華様は、今度は何に噛まれたんだ?」
舞奈はやれやれと苦笑して、
「クーン! クーン!」
「キャー! タヌキですわ!」
「落ち着いてください麗華様」
「タヌキは大人しいンす」
「あっ! みゃー子ちゃんのタヌキだ!」
「わわっ。本当だ」
チャビーと園香が床を見やってビックリする。
どうやら足元にみゃー子がいて、動物の物真似で麗華を脅かしていたらしい。
まったく何が面白いんだか。
タヌキの物真似をするみゃー子を見やりながら、ふと舞奈は考える。
そういえば先日、巨体に似合わぬ軽快なフットワークでイエティと舞奈たちを苦戦させた巨大蜘蛛は結局、みゃー子の動きを会得していたのだろうか?
まあ今となってはどうでもいい話だ。
というか、どうせこちらも確かめる手段なんかない。
この調子の本人に尋ねても、蜘蛛に聞くのと変わらないだろう。
だが、改めて無軌道なみゃー子を見ていると、こう……。
「タヌキなら土曜日に見たよ!」
チャビーが楽しそうに言い募る。
彼女が思い出したのも舞奈と同じ日の出来事である。
だが舞奈と違ってチャビーの週末は楽しい探検の日だった。
そんな楽しげな雰囲気に釣られたか、
「チャビーちゃんは動物園に行ったの? 桜たちは萩山のおじさんとショッピングに行ったのー」
桜がやってきて充実した休日をアピールしてきた。
にしても桜の言う萩山というのは舞奈が知ってる萩山の事だろうか?
だとしたら、まあ彼も休日を満喫していたようで何よりだ。
おじさん呼ばわれはともかくとして。
「ううん。ブラボーちゃんを探しに街はずれの林に行って、そこで見たんだよ」
「うんうん。ふさふさしてて、仕草も顔もすっごく可愛かったよ。マイちゃんの知り合いの子に懐いてたの」
「黒崎先生の蜘蛛を探しに行ったのですか? チャビーさんたちは偉いのです」
「えへへ。黒崎先生、すっごく喜んでくれたよ」
委員長もやってきて褒めるからチャビーはニコニコ笑顔だ。
側でフォローする園香も少し誇らしげなのは、あの日の実りある冒険の末に価値ある事をやり遂げたという自負があるからだ。
そんな眩しい笑顔から舞奈は目を離し、
「キィーキィー♪」
「キャー! ハクビシンですわ!」
「落ち着いてください麗華様」
「ハクビシンは珍しいンす」
「……麗華様、実は獣の鳴き声に詳しいのか?」
「手で顔の模様を真似してるからだと思う」
「いや、それで判別つくのも大概だろう」
何時の間にか側の席にいたテックに尋ねてみる。
するとテックは見ていた携帯から顔を上げ、
「タヌキがいたの?」
「まあな。あとヤマネコとか……」
ちょっと羨むように問いかけてきた。
そういえば、あの後、状況が状況だったので巨大蜘蛛の件は電話で話した。
テックも妙な反応はせず話を信じて聞いてくれた。
だがタヌキの件とかラリネコの件とか、逐一報告した訳じゃない。
もちろん好きなのは知っていたが、急いで話す内容でもないと思ったのだ。
だから舞奈は……
「……ああ、そうそう」
適当な相槌を返しながら携帯を取り出し、
「梢さんが動物の写真を撮ってたみたいで、くれたんだ。いるか?」
「いる」
「そっか。好きなだけ持ってってくれ」
そのままテックに手渡す。
そもそも舞奈は携帯の写真データを他の人に渡す方法なんか知らない。
逆に見られて困るような情報も入れようがないので操作はテックにおまかせだ。
そんなテックは意外にも動物が好きだ。
なら一緒に来ればよかったのにとも思うが、まあインドア派のテックにはかなり厳しいハイキングだったのは事実だ。特に最後。
そんな事を帰る道中に考えていたら、梢が写真データをくれたのだ。
流石は預言をよくする県の支部の占術士にしてセイズ呪術師。
素直に感謝だ。
テックは舞奈の携帯を勝手に操作してデータをコピーする。
舞奈の携帯に最初から入っていたとおぼしきデータ管理アプリの画面を眺めつつ、舞奈は何となく口をへの字に曲げる。
ムクロザキの胡散臭いアプリの事を思いだしたからだ。
そんな舞奈にテックは構わず、
「そういえば明日香に売る携帯のお金で、新しい携帯を買うことにしたわ」
ボソリと言った。
ムクロザキの胡散臭い追跡アプリをインストールしたテックの予備携帯は、結局そのまま【機関】に調査してもらうことになった。
なので明日香が言い値で買いとると約束した(舞奈が)。
その金で新しい携帯を買って、今のを予備にするのだろうか?
それはそれで理にかなった話ではある。
「それじゃあ写真も後で渡したほうが良かったか?」
「大丈夫。データ移行できるしクラウドにもバックアップとるから」
「お、おう……?」
意味がわからん。
クラウドって何だ? 蔵か?
だがまあ、舞奈の理解が及ばないところで識者は上手にやっている。
それを信じてまかせる以外の事を舞奈がしようとしても無意味だ。
何故なら舞奈はただ最強なだけで、それ以外の何かを持っている訳じゃない。
なので理解できない用語を礼儀正しく聞き流し、
「あんがい欲がないんだな」
「ここで欲を出しても仕方がないもの。普段から舞奈たちのおかげで十分に儲けさせてもらってるし」
「なんだそりゃ?」
理解できる部分にツッコんだ途端、またしても不可解な答えが返ってきた。
舞奈は再び首を傾げてみせる。
正直、舞奈が仕事として引き受けたトラブルを解決するための情報を、彼女にいつもロハで調べてもらっていて少し申し訳ないと思っていたのだ。
だが実は明日香あたりから仕事として情報収集を請け負っていたのだろうか?
そんなテックは舞奈が儲けのカラクリに興味を持ったと思ったのだろう。
「大した話じゃないわ。舞奈たちが活動するたびに、怪異が人間のふりして運営してるフロントの上場企業がいくつか割と洒落にならないダメージを受けてるの」
「お、おう?」
特にわだかまることもなく話してくれた。
もちろん舞奈にとって理解のとっかかりすらない話をだ。
まあ、いつものことだ。
何故なら舞奈は戦闘と銃以外の事をあまり知らない。
「それを利用して毎回【機関】の……たぶん収益部門が派手な空売りをするから、追従するだけで利益が出せるの。個人じゃ十分なくらいにね。もちろん値動きも見て判断してるからインサイダーとかじゃないわよ」
「そうか、そりゃ何よりだ……」
うん。
まったくわからん。
たぶん本人的には理にかなった明確な事実を述べているのだろうが、舞奈にとっては意味の分からない用語の羅列――あるいは魔法に使う呪文だ。
なので適当な相槌で会話を濁す。
それに、まあ、それでテックが損もなく満足してるなら良いと思った。
今回の1から10まで何もかもが胡散臭い一連の騒動で、だが舞奈にもひとつだけ得られた確かな知見がある気がした。
人にも他の生き者にも、身の丈に合った生き方というものがある。
舞奈は舞奈が生きてきた銃弾と魔術の世界。
テックは彼女が慣れ親しんだ知的な世界。
チャビーや園香には各々の平和で思いやりあふれる世界。
イエネコは家。
ヤマネコやタヌキは林。
そして異国の蜘蛛はケースの中が身の丈なのだろう。
そこから無理やりに逃げ出そうとしても、たぶんロクな事にならない。
なので舞奈も今日は小学生の身の丈にあった学校の授業に集中することにした。
そうしたら誰かさんが机を蹴倒したり変な生き物があらわれるようなトラブルも特になく、5時間目の終わりを迎えることができた。
そして放課後。
舞奈は帰りがてら、スミスの店に足を運んだ。
もちろん改造拳銃を返してメンテナンスしてもらうのが目的だ。
薬室に負荷がかかる付与魔法をかけて使うための特別な拳銃は、使用する毎に信頼のおける人間にちゃんとした整備をしてもらう必要がある。
だが、もうひとつの目的は……何と言うか柄にもなく少し愚痴をこぼしたかった。
だから――
「――あら舞奈ちゃん、いらっしゃい」
「あっ舞奈さん、こんにちわ」
ハゲマッチョの店主と一緒に出迎えた、ボブカットの眼鏡を見やって苦笑する。
奈良坂は追試のための勉強からは解放されたらしい。
奥に広げられた大きなテーブルには楓や紅葉やリコがいて、舞奈が訪れる前から楽しくやっていたようだ。
「奈良坂さんは大丈夫だったのか?」
「おかげさまでギリギリなんとかなりました!」
「ギリギリなのか……」
得意満面に報告してくれてるところ不躾なのは承知の上で苦笑する。
まあ舞奈たちが何だかんだ言いながらも成果を出した探索の間、奈良坂も自分自身への試練に打ち勝ったと思うのは悪い気分じゃない。だが、
「実はちょっとだけズルしちゃったんですけどね」
「えっ、あんたがか?」
まさか奈良坂に限って不正でも?
エヘヘと笑う眼鏡の言葉に驚いたところに、
「そうなんですよ。実は回答欄を全部ひとつづつずれて書いてたのを、お目こぼししていただきまして……」
「そりゃ先生も大変だぜ……」
まさかの答え。
「流石は奈良坂さん。まさに人徳の成せる業ですよねぇ」
「めがねのおねえちゃんはスゴイのか!?」
「ええ、まるで仏術の精神を体現したような素晴らしい徳の持ち主ですよ」
「あんたも適当なこと言いやがって」
口を挟んできた楓を睨みつける。
まあギリギリなんとかなるレベルの回答がひとつづつずれてるなんて、気づく方も大概だと思う。
先生も奈良坂が再追試を免れることを心の底では望んでいたのかもしれない。
単に面倒なのかもしれないが。
それを人徳と言うならそうなのだろうが……。
「そういや、あんたのほうはどうだったんだ? 講演会」
ジト目で見やった舞奈に、
「ためになる話がたくさん聞けたよ。黒崎先生、学校ではああだけど本当は博士号も持ってる優秀な学者さんなんだよ」
「紅葉さんも一緒に行ってたのか」
ポニーテールを揺らせながら紅葉が答えた。
彼女はスポーツマンだがスポーツ馬鹿じゃない。
爽やかな見た目の通りに文武両道だ。
まあ舞奈は自分自身の心の平穏のために、高潔な人柄と人物眼は別物だと自分自身に言い聞かせてみる。
そんな舞奈の内心など知らず、
「ええ。今日も様々な興味深い生き物についてお話をうかがってきました」
「そりゃよかった」
おしゃれ眼鏡の楓が少し興奮した面持ちで言葉を継ぐ。
「知っていましたか? 海に住む栗はウニと言って、陸の栗とは違う生き物なのだそうです。陸のは木に実るんだそうですよ!」
「……その講義を大学でする意味はあるのか?」
世紀の新発見みたいな顔で言った楓に苦笑して、
「ほら姉さん、何時も食べてる栗と海胆だよ」
「……」
フォローとおぼしき紅葉の言葉に、ますます口をへの字に曲げてみせる。
まったくブルジョワは!
「それはともかく、最も感銘を受けたお話は、何といっても先生の心構えでした。危険生物を扱う者には繊細かつ持続的な注意力と重い責任が問われると……」
「……喧嘩売ってるのかあの女」
続く楓の満足げな言葉に、舞奈は思わず虚空を睨む。
その優秀な学者さんとやらの雑な管理のせいで舞奈は余計な仕事をしてきたのだ。
大人探しの苦労も!
林の奥まで赴いた蜘蛛探しも!
巨大蜘蛛との怪獣バトルも!
意図して忘れていた、やるせない怒りをふつふつと再燃させる舞奈に……
「……しもんもメリルたちとカイイをやっつけにいったんだよなー」
「まあな」
言ったリコの口調に、少しばかり羨むようなニュアンスを感じて苦笑する。
舞奈にとっては余計で面倒な蜘蛛探しも、リコにとっては楽しそうな冒険だ。
キャロルが店に来たという事は、同い年くらいのメリルと会っている公算も高い。
自分と同い年くらいの異国の少女が巨大なヴィランの中の人とは知らぬまま、大人たちが危険だという冒険に出かけて行ったと聞いたリコの内心を想い……
「……大変だったんだぞ。大きな蜘蛛が出てきて」
彼女に少しばかり愚痴と苦労話を聞いてもらおうと思った。
先日に蜘蛛の卵を押しつけたニュットには魔獣の話を疑わしそうに聞き流されたばかりなので、素直なリコに驚きながら聞いてもらえば少しは溜飲が下ると思った。
「おおきいのか? どのくらいだ? このくらいか?」
リコが大きく広げた腕を見て奈良坂が「うわっ」と驚く。
そんな様子を見やって舞奈はニヤリと笑う。
「そんなもんじゃないぞ。こーんなだ」
「こ――んなか!?」
「もっともっと! この店のビルくらい大きかったんだ」
「ビルくらい!」
調子に乗った感じで盛り上がるリコと舞奈の側、
「舞奈ちゃん……」
「舞奈さん……」
紅葉と楓が微妙な目で見てきた。
「舞奈さん……」
奈良坂まで。
「志門ちゃんそれは……」
加えて何時の間にか奥から戻ってきたスミスまで……。
「まあ志門ちゃんも座って落ち着いたらどう?」
「ああ、どうも」
舞奈はむくれながらもスミスが持ってきてくれた追加の椅子に腰かけ、
「今日は奈良坂さんがウニのご飯を作ってくれたんですよ」
「ウニ?」
「はい。楓さんたちが栗をたくさん持ってきてくれたので、炊飯器をお借りして栗ご飯を炊いてみたんです」
「いや奈良坂さんも、そこはツッコんでやれよ……」
楓と奈良坂の絶妙なトークに苦笑しつつ、皆で囲んだ久々の食卓に破顔した。
同じ頃。
閑静な讃原町の一角。
造りは良いがこじんまりとしたチャビーの家の、チャビーの部屋で、
「ネコポチすごーい」
「なぁー」
ベッドに腰かけたチャビーが笑う。
勉強机の上に、子猫が跳び乗ったからだ。
人間サイズの勉強机に子猫が一挙動で跳び上がる姿は、見慣れても中々の圧巻だ。
そんな机の上にはノートや教科書、やりかけの宿題が放り出してある。
いつもの事だ。
だがネコポチはこらえ性のない飼い主を叱ったりせず「なぁー」と鳴く。
ネコポチは少しは成長したとはいえまだまだ小さな子猫だが、幼い飼い主を見守るだけの甲斐性がある。
だからネコポチは机から跳び下り、飼い主の膝に跳び上がる。
そんな子猫の背中をなでながら、
「あのねネコポチ。土曜日にブラボーちゃんを探しに行ったとき、夢を見たの」
チャビーは言った。
普段より少しだけ静かな声色で。
「ブラボーちゃんが大きくなって、木よりも大きくなってね、ピョンピョン跳びはねるの。それでマイも大きくなって、帰っておいでってお話しするんだよ」
他の人に言ったら馬鹿にされそうな、絵本の中に出てくる夢のような夢の話。
けれど若い猫――あるいは少し成長した子猫は飼い主を見上げる。
同意するように「なぁー」と鳴く。
――実は先日、猫同士のネットワークでヤマネコが同じ事を言った。
――その時のネコポチは他の猫と一緒にヤマネコを散々いじりまくった。
――だが今回、ネコポチはその時の事を気にしないことにした。
――猫は度量が広くて気まぐれだからだ。
「あのね。黒崎先生が、ブラボーちゃんはお外が見たかったんだって言ってたの。だから逃げ出したんだって」
言いつつ少し潤んだ瞳で子猫を見つめる。
ネコポチは、小さな彼女が兄を亡くした場所で見つけた子猫だから。
「……ねえ、ネコポチもお外が見たい?」
静かな、柄にもなく不安げな声色で問いかける幼女の、
「なぁー」
頬を子猫はぺろりと舐めて、
「あっ」
膝の上から跳び下りる。
そして部屋の隅に置いてあった猫用バッグの陰に隠れる。
いつも散歩の時にネコポチが入っている、窓のついたバッグだ。
そんなバッグの後ろに潜んだ子猫は、幼女が見やる前で、
「にゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃ……!」
「わっ」
バッグの上から、横から、ものすごいスピードで頭を出し入れする。
そんな様子を見やって幼女はビックリして……少し納得して、
「そうだよね。ネコポチとはいっぱいお外を見てるもんね」
「なぁー」
「また一緒にお散歩しようね」
ニッコリ笑った。
「千佳ー! ごはんよー!」
「はーい!」
「なぁー」
1階から母親が呼ぶ声に、元気に答える。
その表情に、先ほど顔をのぞかせた憂いは露ほどもない。
チャビーは部屋を飛び出し、スリッパをパタパタ鳴らしながら階段を駆け下りる。
ネコポチも続く。
子猫の餌も夕ご飯と同じタイミングだからだ。
「聞いて聞いて! さっきネコポチが面白い事したんだよ!」
「へえ、どんなだい?」
「あのね――」
少し線の細い父親と語らいながらチャビーは席につく。
ネコポチは母がテーブルの足元に用意した餌にとりかかる。
そのように、月曜日の旧市街地は先週とは打って変わって平和に過ぎていった。