氷でできているのに熱いもの、なに?
「コノ虫ケラ野郎! ズタズタニ噛ミ砕イテヤル!」
「キャアアァァァァ!」
林の巨木をなぎ倒しながら、氷の巨獣が跳びかかる。
獣に変じたイエティだ。
氷柱の如く鋭い牙がズラリと並んだ獣の顎を、だが蜘蛛は素早く跳び退って避ける。
暴れる巨躯が巻きおこす風が木の葉を巻き上げ、巨獣の唸りがこだまする。
氷獣の背に乗ったレインが恐怖のあまり絶叫する。
獣イエティの背に乗ったレインの周囲には氷のドームが出来上がっている。
見た目は第二のコックピット。
いわば騎乗というより車両や獣ロボに乗りこんでいる感じである。
だが巨大な獣の背中は、車と違って走るたびに上下に激しくゆれる。
勇猛果敢に跳びかかっているならなおのこと。
しかも氷のキャノピー越しに迫る巨大な蜘蛛は、まあ良く言えば圧巻。
……臆病なレインにとっては地獄絵図だ。
蜘蛛の運動性能と魔獣の耐久力、加えて学習能力を持つ巨大蜘蛛。
奴を倒すために舞奈が考えた手段は敵の攻撃を【戦士殺し】で反転させることだ。
レインの大能力【戦士殺し】は所有者に加えられた近接攻撃を反転する。
正確には因果律を反転させることによって、所有者が近接打撃で被るはずだったダメージを免責し、代わりに攻撃者に与える。
そして異能力者や超能力者は、自身が運転するヴィークルを自身の身体の一部のように異能力や付与魔法の対象とすることができる。大能力も同じだ。
つまり【戦士殺し】の所有者がイエティに乗れば巨獣は近接打撃を反射可能。
蜘蛛が素早いとか強いとか関係なく、こちらが致命打をもらえば相手を倒せる。
どれほど賢い蜘蛛だろうが、食らわせたクリティカルな一撃がそのまま自分に返ってくるなんて初見で予想できるはずもない。
人間様にだって普通は無理だ。
そのためレインにはイエティに『乗って』もらった。
梢のセイズ呪術にも同じ効果を持つ【剣戟まつろわぬ乙女】がある。
だが、ひとつしかないレインの大能力は所有者が意識していなくても発動する。
以前にもレインは無意識に【戦士殺し】を使って命を繋いだことがある。
だからレインが運転手として搭乗した今の状態でイエティが蜘蛛に接近戦を挑む。
そしてギロチンの如く鋭い前脚によるカウンターをもらえばこちらの勝ちだ。
それに術者がそのまま攻撃を受けるより、氷の巨獣イエティに乗って大能力を付与することにより行使したほうが安全だ。
そう意図したのだが……
「……糞ッタレ! 蚊トンボミタイニ! チョコマカト!」
獣の鋭い巨大な牙を、同じくらい巨大な蜘蛛は跳んで避ける。
追いかけるように氷獣も跳ぶ。
蜘蛛も跳ねる。
ジャンプと着地のタイミングで林が揺れ、巨木がまとめてなぎ倒される。
さらに蜘蛛は空中で弾幕代わりに蜘蛛糸ボールをばらまく。
獣はたまらず怯んで身を伏せ、追撃の手をゆるめる。
小癪にもこちらを牽制しているつもりだ。
どうやら小さな人間との戦闘で、蜘蛛はヒットアンドアウェイを徹底しながらの搦め手を覚えていたらしい。
そんな攻防の巻き添えを食って困るのは気弱なレインだけじゃない。
足元で巨木の陰に隠れている小さな人間たちもだ。
好き放題にばらまかれた蜘蛛糸が、舞奈たちが潜む巨木の周囲に降りそそぐ。
至近弾を明日香が【氷盾】で迎撃する。
「明日香ちゃん! 目の前の奴、続けてもう1発来るわ!」
「了解!」
チャビーを抱えながら危険を察した梢の言葉に、明日香が素早く指示を出す。
氷盾は重なり合って、連続で襲いかかってきた蜘蛛糸ボールを受け止める。
梢の預言がなければ盾1枚では押し切られていただろう。
それでもネバネバした蜘蛛糸の塊が、舞奈たちが隠れている巨木の横に着弾。
ベチャリと周囲に広がって白いトリモチの絨毯になる。
梢が「ひいっ!」と悲鳴をあげる。
「頼むわよおチビちゃん! これ、まともに喰らったら窒息するわよ!」
「全力で防護してます」
恐れおののいたファイヤーボールが園香を片手に明日香にしがみつく。
明日香が施術の側、迷惑そうに返事を返す。
「すまん梢さん、もうちょっと後ろに下がれるか? できればあたしたちの真後ろにいてくれ。あんたも!」
「もっもちろんだよ!」
「そうさせてもらうわ!」
舞奈の言葉に、梢はチャビーをぎゅっと抱きかかえながら戦闘から遠ざかる。
隣のファイヤーボールも園香を抱いたまま油断なく後退する。
地面の揺れ方からして何処に逃げても同じな気がするが、園香やチャビーがすぐ近くにいる状態で蜘蛛糸が飛んで来るよりは少しだけマシだ。
「壁も一緒に動くのか……」
先ほど梢が【牢固たる守護者】で建てた土壁が、術者に合わせてずりずり這っていく様子を見やる。割と異様な光景……というか、ちょっとキモ可愛い。
そういう所にも術者の個性が出るのだろうか?
だがまあ、ひとまず壁はどうでもいい。
それより蜘蛛だ。
舞奈は獣と蜘蛛の怪獣決戦に目を戻す。
巨大な蜘蛛は、巨大な氷の獣と真正面から組み合うつもりはないらしい。
自由自在にジャンプしながら蜘蛛糸をばらまき逃げの一手だ。
自分と同じくらい大きな相手が出てきてビビッているのだろうか?
まあ、どんなに大きくても蜘蛛は蜘蛛だ。
誇り高い戦士じゃない。
形勢が不利になったら当然のように逃げを打つのを責める謂れはない。
あるいは……まさか、こちらの手の内に気づいた訳ではないと思いたいが……。
イエティを相手が戦う気になるくらい弱そうなサイズにしてもらうべきだったか?
このまま林の奥に逃げ去られたら厄介だと一瞬だけ思った。
だが次の瞬間、
「オオット! コノ野郎!」
巨大な獣イエティが舌打ちする。
巨大な獣がギリギリで避けた蜘蛛糸ボールが、後ろの巨木をまとめてなぎ倒して巻きこみながら転がっていく。先ほどまでとは射出の勢いが桁違いだ。
蜘蛛は氷の獣めがけて蜘蛛糸ボールを砲弾のように鋭く吐き出したのだ。
今度は弾幕じゃない。
当てて倒す気になったらしい。
それが証拠に先ほどまでより蜘蛛糸ボールの速度もサイズも桁違いに増している。
心なしか射撃の精度も良くなってきている。
なんとも賢いブラボーちゃんだ!
同じものが直撃すると巨大な氷の獣でも少しばかり危険だ。
だから次弾も確実に回避しようと身を屈めた獣の鼻面を、素早い一撃が捉えた。
今度はフェイント!
巨獣の頭にまともに当たった白いネバネバの蜘蛛糸が、巨大な頭を包むようにベチャリと張りつく。
「キャアアァァァァ! メリルさん!?」
「問題ナイ!」
背面コックピットにいる自分の目の前まで蜘蛛糸に迫られレインが絶叫する。
だがイエティもさるもの。
「コンナ! チャチナ! タコ糸ナンカ! 俺様ニハ効カナイゾ!」
怒声と共に集中し、超能力を賦活する。
氷の身体の周囲に凍てつく冷気が放出される。
ネバネバはたちまち凍りつき、バラバラに粉砕されて周囲に散らばる。
「うわあっ! ととっ!」
「ちょっと周り見てよメリル!」
舞奈たちの目前にも、自分と同じくらいの大きさの氷の破片が降ってくる。
一方、蜘蛛も負けてはいない。
一拍だけ力を溜めると、今度はイエティめがけて蜘蛛糸ボールを掃射した。
対して正直、メリルは今まで敵の攻撃を本気で回避したことはなかったのだろう。
巨大なイエティで人間サイズのヒーローを相手するなら無用な技術だ。
だから次の瞬間、白いボールは全弾がまともに命中。
氷の獣の前半分がネバネバに覆われた。
凍らせて砕くには少しばかり厳しい量だ。
「あわわわ……」
「レイン! 気をしっかり持って!」
蜘蛛糸に半ば埋もれたコックピットの中で、乗っているレインの顔面は蒼白だ。
梢の声援も聞こえているやらいないやら。
まあ生きた心地がしないのはわかる。
だが次の瞬間、
「コンナモノ! 何回ヤッテモ同ジダゾ!」
ネバネバは水に流れるように流れ落ちる。
今度は逆に氷の巨獣の温度を上げたのだ。
つまり表皮を少し溶かして粘液ごと洗い落とした。
そして失った体積は次の瞬間、巻き起こした冷気により大気中の水分を凍らせて補充する。メリルもこう見えて、ああ見えて頭は割と回るようだ。
それは良いが、少し離れた地面が一面、流れ落ちたネバネバの泉になった。
同じことを目の前でやられると洒落にならない事態になる。
この勝負、巨大な蜘蛛と巨大な獣の当人同士では対等な接戦ではあるのだろう。
だが周囲の人からすれば天変地異だ。
そんな凄まじい怪獣対決に、
「サィモン・マイナー! これ、どうするのさ!?」
「あたしじゃなくて蜘蛛に聞いてくれ!」
蜘蛛糸が当たって傾いた巨木を見切って近くの木陰に素早く移動しつつ、背後のファイヤーボールに叫び返しながら舞奈は口をへの字に曲げる。
そうする間にも戦場に響く咆哮。破壊音。巨大な何かが風を切る音。
そしてレインの絶叫。
正直、彼女には申し訳ないことをしたと思う。
後でちゃんとした埋め合わせをしたほうがいいかもしれない。
それ以上に、少しばかり目論見が外されたのも事実だ。
なにせ敵の近接攻撃を反転させる算段だったのだ。
逃げ回りながら蜘蛛糸ボールだけ使われると困る。
かと言ってイエティの機動力で跳びかかって倒すというのも難しそうだ。
そもそもイエティは氷でできた巨人だ。
そこらへんはメリル自身のほうが理解していたので人型よりは機敏な獣型に変形したのだろう。だが、それだけでは足りなかった。
正直、舞奈もそこまで考えていなかったのも事実だ。
何より、あの図体の2匹で暴れられることによる周囲の被害は予想以上に甚大だ。
勝負が長引くと舞奈たちも巻き添えをくう。
蜘蛛が前脚による攻撃を繰り出してくれさえすればいいのだが……。
「……いっそのことさ、皆で街まで逃げちゃわない?」
「そうしたいんならチャビーと園香を連れて先に行ってくれ」
梢の言葉に憮然と答える。
そもそも舞奈が探索に同行した理由のひとつは人を淫乱にする蜘蛛が産卵して大発生するのを防ぐためだ。
別の白いネバネバを吐く巨大蜘蛛に追われながら逃げ帰ったのでは意味がない。
だが舞奈たちに成す術もないのも事実だ。
頼みの綱のイエティはあの調子だ。
メリル(とレイン)には申し訳ないが、何か他に手を考える必要があるだろう。
そういえば、あの蜘蛛糸ボールが蜘蛛の本来の能力とは思えない。
蜘蛛は糸で獲物を捕らえるが、ああいう風にじゃない。
おそらく魔獣としての一種の異能力だと考えるほうが妥当だ。
地面に落ちたネバネバがすぐに消える様子もないし、相当に強力な魔力がこめられているはずだ。撃つのにも相応の消費が必要だろう。
だが強大な魔力を持つ魔獣の弾切れなんか待っても無駄だ。
その前に日が暮れるか、林一面が白いネバネバで埋まる。
そんなことを考える舞奈の近くの木陰で詠唱。
次いで盾代わりの巨木を貫通しながら青白い光線が放たれ、氷の獣に突き刺さる。
「その手があったか」
舞奈は笑う。
明日香の【冷波】だ。
午前中には水分を凝固させて不気味な氷像を作るのに使っていた冷気の魔術。
だが対象に冷気のパワーを送りこみ凍結させるこちらが本来の用法だ。
即ち魔術師が生み出す強大な魔力による、氷の巨獣の超強化。
何せ明日香は以前の決戦で、真逆の効果を持つ【熱波】の魔術でイエティにとどめを刺した。
その魔力を付与するという事は、単純にパワーが倍になるのと同じだ。
「ウオォォォォ!」
パワーアップしたイエティは雄叫びをあげながら蜘蛛めがけて跳びかかる。
心なしか先ほどより大きさも、地を蹴る勢いすら増している。
だがパワーやサイズが増しても、蜘蛛のスピードに追いつける訳じゃない。
むしろパワーが増して周囲の被害も増した分、状況が悪く……。
「待テ! 逃ゲルナ!」
「ひいいいぃぃぃぃぃ!」
獣は跳ねる。
蜘蛛はもっと高くジャンプする。
レインが怯えて絶叫する。
加えて小癪にも、蜘蛛はフェイントも巧みに使いこなす。
「何ッ!?」
地響きを立てながら挑みかかる氷の巨獣の顎を、蜘蛛はからかうように避ける。
そんな攻防を見やり、
「なあ明日香、奴の動きに見覚えがないか?」
舞奈はふと気づいた。
「何よいきなり……って、まさか……」
「……だろう?」
嫌な予感が的中していそうな雰囲気に思わず口をへの字に曲げる。
「でも、どうして……?」
「みゃー子の奴、もう1匹を捕まえたときにこいつを見逃してたろ?」
「そいういう話だったわね」
「そん時に実際はこいつとも一戦やらかして、逃げられてたんじゃないのか?」
「……つまり小室さんの動きを学習したっていうの?」
「そうとしか思えん」
言いつつ自分の言葉を確かめるように蜘蛛の動きを見やる。
明日香も見やる。
実際のところはわからない。
本当はあの時に聞けばよかったのだろう。
だが、あの場で今の状況に備えて情報収集なんて無茶ぶりにもほどがある。
そもそも意思疎通すら困難なみゃー子から話を聞いても理解できなかったろうし。
だが戦場の喧騒を他所に2人の間に流れる嫌な沈黙が、厄介な予想が十中八九、当たっているであろうと告げていた。
つまり巨大な蜘蛛の魔獣は素早く賢いだけじゃない。
舞奈や明日香ですら手を焼くみゃー子の行動パターンを学習したのだ。
一見さんが手を焼くのも当然だ。
そしてみゃー子を捕まえたり、裏をかいたりする方法なんて舞奈たちには予想もつかない。戦慄する舞奈と明日香。
「話の内容が見えないんだけど、説明いい?」
「いや実はな……」
後ろから問いかけてきたファイヤーボールに事情を話し……
「……あんたたちが通ってるとこ、本当に普通のエレメンタリースクールなの?」
「普通だよ! 学校は!」
素直な感想に思わず叫び返す。
次の瞬間、轟音と共に目の前に着地した蜘蛛の足元に光線が突き刺さる。
再び明日香の施術だ。
今度は光線に射抜かれた蜘蛛の脚に氷の茨がからみつく。
即ち【氷棺・弐式】。
光の速度で飛ぶ光線の魔術で、着地の隙に不意打ちすれば流石に避けられない。
蜘蛛の足のひとつが凍った隙に、抜け目のない梢が歌う。
すると氷の茨はイエティが振りまいた冷気と霜を吸い寄せて強固に蜘蛛を縛める。
こちらも冷気によって対象を捕縛するセイズ呪術【西の氷河の蛇】。
だが、それらは牽制。
次いで木陰から氷の砲弾。
再び明日香の、今度は【氷獄】の魔術。
先ほどの【氷棺・弐式】より強固な氷の檻を形作る、大物を拘束するための術だ。
強力だが隙も多い拘束術を、動きを鈍らせた隙に当てる算段か。
明日香の底意地の悪さだって、みゃー子のアレさに負けてはいない。
だが蜘蛛は本命を見抜いたように、【氷獄】を蜘蛛糸ボールで迎撃する。
その隙に自身を縛める氷の茨を引き千切って跳び退る。
獣イエティの攻撃が宙を切る。
蜘蛛が着地した場所にあった巨木がまとめてへし折れる。
「……だんだん周りの被害が大きくなって、状況が悪くなってってない?」
「そう思うんなら、あんたも何か名案を考えてくれよ」
大人なんだから。
後ろからのツッコミに口をへの字に曲げて答える舞奈の目前で、
「安倍明日香! 頼ミガアル!」
「えっ?」
低く身構えたイエティが明日香を名指して叫んだ。
イエティが背にした巨木の陰に潜みながら訝しむ明日香に、
「俺ノ姿ヲ変エロ!」
「えっ? 何に……?」
「ネ……猫ニ……?」
言い募る。
ちょっと気まずそうな、自分でも不安がるようなイエティの口調に……
「……いいじゃねぇか! やってやれよ明日香」
舞奈も気づいた。
イエティの中の人ことメリルちゃん、頭の巡りは相当だ。
蜘蛛に匹敵する学習能力で、明日香の施術の『癖』を見抜いたのだ。
そして、それをピンチを打開するため躊躇なく利用しようとしている。だから、
「追加の氷を張りつけるなりして、奴を可愛い……猫ちゃんにしてやるんだ!」
舞奈も明日香をけしかける。
イエティの背で朦朧としたレインが「ねこ……ちゃん?」と首をかしげる。
「まあ、やれと言われればやるけど……?」
訝しみながらも施術する明日香。
突き出した指先から今日だけで何度目かの【冷波】が放たれる。
冷気の光線が再びイエティに突き刺さる。
途端、今度は氷の獣の姿が『変わった』。
それは、まるで歪んでねじれたアライグマのような。
例えようもなく冒涜的な、死霊か悪魔か邪教のシンボルの如くおぞましい何か。
生真面目な魔術師である明日香は芸能/芸術活動全般が不得手だ。
歌も集団虐殺レベルだが、絵心のほうも大概だ。
そんなセンスで創造された猫(?)の氷像を、メリルは何度も見せられた。
だから、こんな作戦を思いついたのだろう。
目前に出現した冥界の獣の姿に、慣れない梢が思わず悲鳴をあげる。
イエティの中にいるレインは外見の変化に気づかない。
だが、その姿を見た蜘蛛の動きが変わった。
そういえば先ほどイエティに園香たちをまかせる隙を埋めるために明日香が創造したダミーの氷像も、蜘蛛は怒り狂って徹底的に破壊していた。
明日香の悲惨な造形には、生物にストレスを与え無意識に苛立たせる何かがある。
だから――
「――見て! 蜘蛛が!」
梢が指さす先で、蜘蛛は雄叫びをあげながら前脚を振り上げ、襲いかかる。
もちろん狙いは地獄の獣と化したイエティ。
「ナッ!?」
「キャァァァァァァ!」
その凄まじい殺気とスピードに、イエティが避けることなどできるはずもない。
氷の獣の胴に蜘蛛の前脚が突き刺さる。
勢いの乗ったクリーンヒット!
だが次の瞬間、胴に風穴を開けていたのは蜘蛛だった。
鋭い前脚の一撃によるダメージが、レインの【戦士殺し】で反転したのだ。
巨大な蜘蛛の姿が揺らぐ。
魔力によって形作られた巨体が生命維持が困難なほどに損傷した。
その事実を無理やり『なかったことに』するために莫大な魔力が消費されたのだ。
魔獣の巨体を維持することそのものが困難なほどに。
そして、その中に一瞬だけ見えた極彩色の小さな蜘蛛。
ブラボーちゃんだ。
蜘蛛の一撃はメリルやレインのいる場所を避けていた。
だから反転されたダメージも、蜘蛛の本体には影響しない。
そして本物のブラボーちゃんの位置を舞奈は見逃さない。
魔法とは無縁な舞奈にすら見えるほどに凝縮された魔力のコアの位置も。
ブラボーちゃんの少し下側。
まるで獣が卵を孵化させようとするように。
「明日香!」
「オーケー!」
抜いた途端、拳銃の内側から風。
銃にかけ、薬室にもダメージを与える通常の付与魔法とは別の魔術。
ただ1発の弾丸の、弾頭にかける遅効性の攻撃魔法。
即ち【力砲弾】。
実体のない虚像の如く、蜘蛛は魔獣の姿を取り戻してブラボーちゃんを覆い隠す。
それでも舞奈は片手で拳銃を構えて撃つ。
先に使った【力弾】とは比べ物にならない反動。
だが舞奈は決して狙いを外さない。
だから斥力場をまとった弾丸は魔獣を貫通、コアを撃ち抜いた。
巨大な蜘蛛を撃ち抜いて、反対側から大口径弾が飛んでいく。
蜘蛛の中には何もなかったかのように変わらぬ一瞬の速さで。
だが確かに感じた手ごたえ。
そして次の瞬間、巨大な蜘蛛の姿が消えた。
何ら前触れもなく。
まるで最初からそんなものは居なかったかのように。
そんな、あっけない幕切れが、舞奈たちと巨大な蜘蛛との激戦の幕切れだった。
代わりに周囲を吹き抜ける冷たい風に身震いする。
周囲を見回し……
「……こいつは派手にやらかしたなあ」
舞奈は口をへの字に曲げる。
巨木はへし折られ、地は抉られ冬でもないのに霜が張り、酷い状態だ。
林の惨状が、ここで巨大蜘蛛と巨大な氷の獣が戦いを繰り広げたと告げていた。
だが舞奈はもっと酷い戦場跡を知っているので特に気にしない。
火が出る魔術や超能力を使っていたら周囲一面が焼け野原だったことを思えば、まあ許容できる範囲だと思うことにする。
幸い、ここは誰かの私有地でもないらしいし。
真っ二つに折れた巨木の陰から、動物たちが非難するように見ているのに気づく。
そんな目で見られても困ると思いつつも、だが見たところ今の戦闘で野鳥や動物たちに被害がなさそうなのを確認して少し笑う。
流石は野生の動物たちだ。
……そんな舞奈の目前に、ポトリと落ちた極彩色の蜘蛛は、
「あっ待ちやがれ!」
追いかけようとした舞奈の手を逃れて逃げる。
そして……
「……」
大きくて頑丈そうな人工物の中に逃げこんだ。
具体的にはへし折れた巨木の側に転がっていた虫かごの中。
巨大蜘蛛襲来のどさくさにチャビーが落としたまま今まで放置されていたのだ。
「やれやれ、普段の行いかな」
ひとりごちつつ、梢が抱きかかえたチャビー、キャロルが抱えた園香を見やる。
間近で行われた戦闘に気づきもしない2人の寝顔を見やって口元をゆるめる。
そして虫かごの蓋を閉めてロックをかけた。
小さな賢い極彩色の蜘蛛は、今度は特に抵抗しなかった。
それが散々な苦労をさせられた毒蜘蛛探しの、あっけない幕切れだった。