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銃弾と攻撃魔法・無頼の少女  作者: 立川ありす
第19章 ティーチャーズ&クリーチャーズ
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日常1

 ある晴れた平日の朝。

 平和なホームルーム前の教室に、


「お、みんな揃ってるな」

「先生おはようございますなのです。みんな席につくのですー」

「はいなのー」

 ドアをガラリと開けて小太りな担任が入ってくる。

 委員長が挨拶する。

 皆は追い立てられる羊のようにがやがやかしましく各々の自席へと向かう。

 いつもの朝の風景だ。


「チャビーちゃん、眠そうだね」

「うん。昨日ネコポチが夜遅くまで元気だったから……」

「あはは、大変だ」

 席に着きつつ、手の甲で目をごしごしする幼女に園香が苦笑する。

 チャビーはふわわとあくびをする。


「それじゃあホームルームを始めるぞー」

 担任も私語を特にとがめることもなく話を進める。


 別段チャビーたちだけがだらけている訳じゃない。

 うららかな朝の教室は、教師も生徒も皆が何処となく気が抜けた雰囲気だ。


 何故なら最近、立て続けに起こったイベントが揃って終わってしまったからだ。

 金髪のルーシア王女とレナ王女は外遊を終えて帰国した。

 副担任の鹿田先生も任期を終えて去っていった。

 クラスの皆としては異常気象に端を発した臨時休校明けでもある。

 舞奈的にはヴィランたちとの長い戦いを終えた後だ。

 気も緩もうと言うものである。


 だが、そんなクラスの平穏を斬り裂くように――


「――西園寺さん!」

 鋭い声。

 明日香だ。

 生真面目な黒髪の彼女は何故か自席ではなく麗華の斜め後ろにいた。


 麗華様は大声にビクリと硬直する。

 皆は何事かと訝しむ。

 次の瞬間、明日香は事もあろうに――


 ガッ!


「――!?」

 麗華様の机を蹴った。

 ガチ蹴りだ。

 学校机がゆっくりと傾く。


 そして皆が呆然と見やる中……仰向けに倒れた。


 重い音。

 鈍い振動。


 幸いにも麗華様はデニスが手際よく抱き寄せて退避させていた。

 だが3年の頃の明日香を知っている何人かが恐怖に顔を引きつらせる。


「お、おい、安倍……?」

 担任もサングラス越しにもわかるくらい動揺しながら制止するが……


「――離れて!」

 明日香は再び鋭く言い放ちつつ身構える。

 麗華様の机を警戒しているようだ。

 只ならぬ様子に皆も釣られて倒れた机を見やる。


 固唾を飲んで注視する中……机の中からもそもそと何かが顔を出した。


「!?」

 皆は驚きそれを見やる。

 そのサイズはネズミか子猫ほどか。

 キョロキョロと周囲を見回す毛むくじゃらな何かを見やり、


「動物……?」

 誰かがひとりごちる。

 だが舞奈の観察眼はそうではないと告げる。

 目が8個ある極彩色の小動物なんて、ついぞ舞奈は見たことがない。

 理科で習ったこともない。

 もちろんヒクヒクと動く触角のある小動物も。


 カニのような細い多足を使って机の引き出しから身を乗り出したそれは……


(((……蜘蛛だ!)))

 蜘蛛なのであった。


 麗華様の机から、大きな蜘蛛がのそのそと這い出る。

 どうやら机の引き出しに忍びこんでいたらしい。

 昨晩のうちにか?

 あるいは朝方の知らぬうちにか?


 どちらにせよ、それ明日香は気づいたのだろう。

 幸か不幸か明日香の席は麗華様の後ろの方だ。

 並の人間なら奇抜なデザインのぬいぐるみか何かだと思って見過ごすだろう。

 現に他のクラスメートはそう判断した。

 舞奈の席から麗華様の机の引き出しは見えないし、静物と生物の区別はつくが変わったペットを連れてるなくらいに流したと思う。麗華様だし。

 だが明日香は治にいて乱を忘れない女だ。

 民間警備会社(PMSC)【安倍総合警備保障】社長の娘の面目如実である。


 平和な教室に突如としてあらわれた大きな蜘蛛。

 クラス中が騒然となる。

 気の弱い者は怯えた声をあげる。

 好奇心の強い者は目を凝らしながら予想を口走る。


 だが、それが悪手だと誰かが指摘する暇はなかった。

 全方位から声がして蜘蛛もビックリしたらしい、


「キャァ~~!」

「ギャー!」

「『跳んだ』だとぅ!」

 蜘蛛は信じられない勢いでジャンプした。

 阿鼻叫喚の様相の中、


「舞奈!」

「サンキュっ!」

 冷静なテックが掃除道具入れからバケツを取り出し舞奈に放る。

 だが運動神経は人並なテックが投げた、手近な男子の後頭部直撃ルートのバケツを舞奈はジャンプして空中でキャッチ。

 勢いのまま麗華様の前に着地しつつ、


「おおっと!」

 直後に麗華様の顔面めがけて飛んできた蜘蛛をバケツでキャッチ。

 鉄が軋む音、予想外に重い手ごたえにうへっと口元を歪めつつ、


「借りるぜ!」

「あっ」

 隣でひょろっとした男子が盾代わりに構えてた下敷きをパクって蓋にする。

 早くもバケツから出ようとしていた蜘蛛をギリギリで閉じこめる。

 そのまま結構な力で暴れる蜘蛛を下敷き越しに押さえつけながら、


「これ、重しになるかな?」

「おっさんきゅ」

 園香が持ってきてくれたリンゴを重し代わりに乗せる。

 リンゴの下の透明な下敷き越しに、バケツの中で動き回る蜘蛛を見やる。

 クラスの皆も舞奈の肩越しに恐る恐る覗きこむ。

 何かの映画のキャラクターと共に『それは始まりに過ぎなかった』と描かれた下敷きのロゴからは意識して目をそらす。


「うわぁ……」

 誰かが舞奈の心境を代弁し、


「酷い目に遭いましたわ。わたくし蜘蛛は苦手ですのよ」

「明日香のおかげで無事で済んで良かったじゃないか。っていうか、このサイズの蜘蛛なんか誰でも苦手だろうよ」

 続く麗華様の言葉に苦笑する。


 バケツが手狭に感じるほどの……ネズミか子猫くらいの大きさの8本脚の生物がカサカサ元気に這い回る様に、生理的な警戒心をかき立てられずにいられない。

 加えて大きな蜘蛛の派手な模様と派手な色。

 黒地にどぎついピンクと言うか、紫と言うか、言葉なんか通じなくても一目で危険生物だとわかるデンジャラスな見た目をしている。


「……にしても、どう見てもここら辺の蜘蛛じゃねぇな」

「黒崎先生が飼ってられるのでは? 生まれ故郷で見た覚えがあります」

「ムクロザキか……」

 長身で浅黒い肌のデニスの言葉に、舞奈は思わず口元を歪める。


 なるほど色と言い模様と言いサイズと言い、アフリカ産だと言われれば納得がいく。

 そして、そんな蜘蛛を校内で飼育するような人間はひとりしかいない。

 高等部の生物の講師であり生物部の顧問でもあるムクロザキ――黒崎先生だ。


 そう言えば以前にもムクロザキが飼っていたサソリが逃げたらしい。

 その時にも麗華様が大変な目にあったと聞いたことがある。

 麗華様、妙な生き物に好かれるフェロモンでも出しているのだろうか?

 そんなことを考えながら麗華様の硬直した顔を眺めていると、


「麗華様、虫全般が苦手なンすよ」

 ボソリとジャネットがこぼした。

 まあ、そんな感じだろうなと納得する舞奈に、


「夜道を歩くと羽虫がつっこンできたり、木の下を歩くと毛虫が落ちてくるンす。いつも麗華様を狙ったみたいにつっこンでくるンすよ」

「ええ。花にアブラムシがついてると触った途端に這い上がってきますし」

「そりゃまた……虫もしたたるイイ女だぜ」

 続くジャネットとデニスの解説。

 麗華様の斜め上なカリスマ性(?)に、流石の舞奈も返答に困る。


 ふと虫どもは麗華様の対抗ウィルスを察知しているのではないかと思った。

 虫だって生き物だ。命あるものすべてに対して危険なWウィルスに対抗する何かが麗華様にあると、本能で察知してあやかろうとしているんじゃないかと。

 虫にたかられる本人にしてはたまったものじゃないだろうが。


「それで、お花買うときに自分じゃ絶対に持たないのね~」

 モモカがしたり顔で納得する。

 トラウマなのだろうと思うと少し気の毒な気はする。

 お付きの2人に荷物持ちをさせるのはまた別の問題な気もするが。

 そんな周囲を狂わせる魅力を持った麗華様を見やって苦笑する舞奈の側。

 明日香がデニスに……


「……さっきはごめんなさい。急なことだったから」

「いえ、お気になさらず。むしろお気遣い感謝します」

 詫びていた。

 割と本気で申し訳ないと思っている様子だ。

 机を蹴ったこと……ではもちろんない。明日香の性格的に。


 そういえば机を蹴る直前に、明日香は奇妙なゼスチャーをしていた。

 思えばあれは何かのハンドサインだったのだろう。

 デニスは元少年兵だったところを明日香の会社に救出された過去を持つ。

 その部隊で使われていたサイン把握していて、先ほど使ったといったところか。

 そいつを取り押さえろ、とかそんな意味合いだろう。

 それによりデニスに嫌な過去を思い出させてしまったと考えているのだ。


 平和な教室で眉ひとつ動かさず机を蹴り倒すアナーキー明日香。

 だが他者が過去に受けたであろう心の傷には敏感だ。

 明日香が治にいて乱を忘れないからだ。

 いきなり机を蹴倒したのも、普通に知らせて驚いた麗華様が暴れて蜘蛛を刺激して噛まれたりしないようにと気を回したつもりなのだろう。

 明日香は麗華様の身の安全を第一に考えたのだ。

 麗華様のおつむの出来には欠片ほども期待していなかったけど。


 そんなことを考えて舞奈が苦笑した直後、


「騒々しいザマスね!」

 ドアをガラリと勢いよく開けて、鋭角に痩せ細ったおばさんがあらわれた。

 隣のクラスの担任だ。


 まあ騒動の渦中にいた舞奈ですら声が少し大きめだと思っていたところだ。

 隣の部屋で普通にホームルームをしていたクラスからすれば運動会だ。

 何事かと思うのも無理はない。


「榊先生! これは一体どういうことザマスか?」

「いえ、これは――」

 担任は釈明しようとして口ごもる。

 まあ確かに「生徒が机を蹴倒したら大きな蜘蛛が出てきて阿鼻叫喚の大騒ぎです」とは言い辛いだろう。

 そんな担任を押しのけて、


「――警備部代理の安倍です」

 反応したのも明日香だ。

 流石は騒ぎの発端。

 隣のクラスの担任が(何ザマス貴女は?)みたいな表情をするのも構いなし。


「先ほど安全上の問題が発生しましたが、今しがた解決しました」

 冷徹な声色で宣言する。


 まあ隣のクラスのおばさんも、明日香の顔を知らない訳じゃない。

 曰く学園の警備を任された民間警備会社(PMSC)の社長令嬢だと。

 だが、それより眼鏡の奥の明日香の鋭い眼光に圧されていた。

 明日香は立場ではなく実力で並み居る強敵を討ち取ってきた魔術師(ウィザード)だ。

 正直そこらの警備員より腕は立つ。

 荒事に、命のやりとりにすら慣れている。

 最近は自力で核を撃つ機会も多い。

 そんな人間の眼光は、肝の据わり加減は並の生徒や教師の比ではない。

 まあ、それを一般の教師相手に向けるなとも思うが。


「目下の危険は排除されましたので授業の続行に支障はありません」

「そ、そういうことなら……」

 有無を言わさぬ口調で追い返す。


 そういうところで躊躇なく威圧できるのも明日香の明日香たる所以だ。

 道理を貫くために無理を押し通す本末転倒ではあるが。

 まあ、そこら辺を相手が察して退いてくれたのは何より。

 おばさんは大人の女性だ。


 なので明日香は次に担任を見やる。


「そういう訳で先生」

「……ああ、よろしく頼む」

 担任は皆まで言わせず、明日香と舞奈にお使いを頼んだ。

 という訳で……


「……ったくムクロザキの野郎、余計な仕事を増やしやがって」

 舞奈と明日香は人気のない廊下を歩く。


 2人の行き先は高等部校舎の一角にある生物室だ。

 目的は捕まえた蜘蛛の返却。

 蜘蛛の飼い主であるムクロザキは大抵そこにいる。


 側の教室から平和なホームルームの声が漏れ聞こえる。

 高校生らの喧騒を、何かを隔てた遠い世界の出来事のように聞きつつ歩く。

 期せずして明日香と2人、裏の世界のトラブルの渦中にいるのと同じ感じだ。


 手の中のバケツが揺れる感触が妙に気に障る。

 中で動き回っているのが小動物ほどの大きさの蜘蛛だと知っていれば尚更だ。


 先ほどのガラの悪い舞奈の愚痴を、特に明日香もとがめない。

 気持ちは同じだからだ。

 むしろ普段とは逆に明日香のほうがイラついて殺気立っている。


 何故なら明日香は無意味なことが無意味だという理由で嫌いだ。

 特に人災、中でも理をわきまえるべき大人の、しかも教師によるものは。


 ムクロザキこと黒崎先生。

 高等部で生物を教える女教師だ。

 生物部の顧問も兼ねていて、普段は部室でもある生物室に入り浸っている。


 性格はとにかく大ざっぱで胡散臭くて如何わしいダメな大人の見本だ。

 技術担当官(マイスター)ニュットがそのまま大きくなったような感じか。

 黒崎むつみという可愛らしい名前が、言動のせいで台無しである。


 そのせいか、あるいは部室に危険生物を飼育したケースを並べて悦に入っているというアブノーマルな絵面のせいか黒い噂も絶えない。

 宇宙人とか黒魔術の使い手とか好き勝手な憶測は序の口。

 素行の悪い生徒の耳からムカデを入れて洗脳してしまうという冗談みたいな噂を高等部の生徒が信じているという悪い意味でのカリスマ性の持ち主でもある。


 幸いにも舞奈や明日香はムクロザキが術者でないことは知っている。

 煙草も吸わないので怪異とかではない。

 真人間でも善人でもないが、決して邪悪な人間ではない。

 素行が悪いだけの普通の問題教師だ。


 だが、それ故に厄介なのも事実だ。

 奴はナチュラルに悪気なく騒動を起こしては舞奈や明日香に尻拭いをさせる。

 昔からそうだった。

 今回も同じだ。

 バケツの蓋にしたままの下敷きに描かれたロゴから目をそらす。


 舞奈がムクロザキにかけられた迷惑を数えながら歩くうち、校舎の端に隔離されるように設えられた生物室が見えてきた。

 幸か不幸か今は生物の授業もなく、ムクロザキは巣にこもっているようだ。

 空気の流れすら読み取る感覚でドア越しに(気密処理されている訳じゃないので)察する限り、本人も友人たちも元気なようだ。


 生物室のドアをガラリと開ける。

 壁際に並んだケースの中の爬虫類の目が、非常灯の薄明かりで不気味に光る。

 カーテンを閉め切られた薄暗がりの中、妙齢の女性が振り返る。


「失礼します」

「カーテン開けろよ。昼間だぞ」

「日の光に弱い子たちに配慮してるのよ」

「気の弱い生徒のことも配慮しろよ。お化け屋敷じゃねぇんだ」

 口をへの字に歪めながら勝手に蛍光灯のスイッチをつける。


 いきなり喧嘩腰なのは経験による学習の成果だ。

 奴に対してTPOをわきまえて礼儀正しく接しても何ひとつ良いことはなかった。

 あと単純に不気味な生物が壁際にずらりと並んだ薄暗い部屋を、数年後に園香やチャビーとローテーションで掃除すると考えるのが嫌だからだ。

 ウサギ小屋の掃除とは訳が違う。

 そんな薄気味悪い悪の生物室の主は……


「……あら安倍さんに志門さんじゃない」

 整った顔立ちをした妙齢の美人だ。

 はた迷惑な高校生物の教師という噂の印象に反して。

 長い艶やかな黒髪をなびかせ、片目が隠れる長い前髪が教師として如何なものかはともかくとしてスタイルも良く見栄えもする。バストも大きく形も良い。


 だが今はお胸でなごむ気分じゃない。

 というか彼女と会う用事があるときはたいてい顔や胸を注視する気分じゃない。


「丁度良かったわ。貴女たちに頼みたいことがあったのよ」

「迷子の蜘蛛探しか?」

「よくわかったわね」

「そりゃここに居るからな」

 口をへの字に曲げてバケツを差し出す。

 ムクロザキはバケツの中で蠢く大ぶりな蜘蛛を下敷き越しに見やり、「あらあら」とわざとらしく驚いてみせてから、


「この件について、良い知らせと悪い知らせがあるわ。どちらから聞きたい?」

 そう言ってニヤリと笑う。


「まだ何かあるのかよ」

「そういうのはいいですから逃がした理由と今後の対応を聞かせてください」

「つれないわね……」

 慣れた調子で冷たい視線を返す2人。

 ムクロザキは拗ねたように口をとがらせてみせる。

 だが、それ以上は特にわだかまる様子もなく、


「飼育用のケースが割れてたのよ」

 所狭しと並んだケースのひとつを指差す。

 なるほど派手に割れている。

 何かがぶつかったか殴りつけたかという感じか。


「誰かが忍びこんだってことか?」

「クレアとベティから、そういう報告は聞いていませんが」

 首をかしげる舞奈の側で明日香が露骨に顔をしかめる。


「それに関して気になることがあるの」

「何だよ?」

「蜘蛛のケース以外に被害はないのよ。物取りにしては不自然だと思わない?」

「そりゃまあ金目のものが欲しいなら他の部屋に行くだろうしな」

「市場で高値がついてる子もいるのよ」

「そうかい」

「もうちょっとうちの子たちに関心を払ってもらっても……」

「知らん」

 拗ねるムクロザキをスルーする舞奈。

 だが言ってることは正しいと思う。


 そもそも夜間に誰かが忍びこんだら普通はケースより先に窓かドアの異常に気づく。

 それ以前に夜間の警備も【安倍総合警備保障】の管轄だ。

 昨晩の警備はベティたちとは別のチームの当番だったはずだ。

 だが侵入者に気づかないということはないだろう。

 あるいは以前のクラリスのような手練れの術者が忍びこんだ……可能性を詮索するのは最後だ。何でもできる人間を万事に引き合いに出したらキリがない。

 気配も残さず部屋の中に転移して、ケースだけ壊して蜘蛛を放りだす理由もない。

 もちろん心当たる動機も思いつかない。

 プラスの感情を魔力の源とする術者は無意味な悪事はしない。だとしたら……


「……忍びこんだ猫か何かの仕業じゃないかしら?」

「ルージュちゃんはそんなことしません」

「この学校にいる猫は子猫だけだ。飼育用のケースなんか割られてたまるか」

「本当よ。ケースの破片が飛び散ってて、掃除するの大変だったんだから」

 ムクロザキの寝言を2人して流しながら床を見やる。


 ケースの破片が派手に飛び散っていたのは本当らしい。

 片付けそびれた破片がかなり遠くまで散乱している。

 というかムクロザキが自分でやったらしい掃除は本当に雑だ。

 就業前の掃除の時間に高等部の生徒もやるからいいやと思っているのだろう。

 今日の当番はいい迷惑だ。

 ただでさえこの部屋は一般の生徒から気味悪がられてるのに。


「で、新しいケースは何処よ? また凡ミスで逃げないように入れさせてもらうぞ」

 気を取りなおして言った舞奈に、


「さっき注文したばっかりだから、届くのは来週になるかしら?」

「おおい、それまで蜘蛛はどうする気だよ?」

「ちょっと狭いけど」

 ムクロザキは当然みたいな顔をして舞奈が手にしたバケツを見やる。

 再び舞奈は口をへの字に曲げて渋面を作る。


「……あんた、本当はそんなに可愛がってないだろうこいつらを」

 言いつつ蜘蛛がガサガサ音をたてるバケツを見やる。

 次いで壁際に並んだケースのひとつに目をやる。

 ケースの中の、あからさまに毒とか持ってそうなエグイ色の蛇と目が合った。


「バケツがないと清掃に支障がでるんですが」

「蜘蛛さんの家をとらないであげて。バケツなら用務員室に予備があったはずよ」

「この野郎……」

 言い募る明日香にわざとらしい泣き真似を見せつける女教師を舞奈は睨みつける。

 正直、今のは少しイラついた。

 明日香も氷のような冷たい視線を向ける。


「まあいいです。それで良い知らせと言うのは?」

「蜘蛛は全部で4匹いたのよ」

「どっちも悪い知らせじゃねぇか!」

 いけしゃあしゃあと言ったムクロザキに堪えきれずにツッコむ。

 だが妙齢の女教師は気にするそぶりも見せず、


「まあ毒はない種類だし、発信機が埋めこんであるから追跡も簡単よ」

 そんなことをのたまわった。


「毒がないからずさんな管理が許される訳では」

「発信機って……外に逃げること前提かよ」

「念のための用心よ」

「役に立って良かったぜまったく」

 信頼がなさ過ぎて発言ごとに左右からツッコまれるムクロザキ。

 だが本人は気にする素振りもなく、


「これに追跡用のアプリが入ってるわ」

 言いつつデスクの引き出しから取り出した何かを舞奈に手渡す。

 外部メモリのようだ。

 舞奈はそれを嫌そうに見やる。


「携帯にインストールして蜘蛛たちがいる方向と距離を表示するの。ほら、貴女たちのクラスにそういうの詳しい子がいるでしょ?」

「あたしたちが探すのは決定事項かよ」

「他に誰が探すのよ?」

「飼い主はあんただろう」

「まあ酷い。か弱い女教師ひとりに、学校中を家探しさせる気?」

「嫌ならアフリカ原産の蜘蛛なんか学校で飼わんでくれ。だいたい、それを言うならあたしらはか弱い女生徒じゃねぇか」

「貴女たちは……ほら若いじゃない。それに慣れてるんでしょ? アルバイトで」

「野郎……」

 ムクロザキの返しに舞奈は口をへの字に曲げる。


 舞奈たちの【機関】での活動は保健所のアルバイトという体裁を取っている。

 アルバイトの申請も学校側が自動的に受理する形で提出されている。

 そして仕事人(トラブルシューター)の業務では危険な存在の対処や捜索は日常茶飯事。

 生け捕りを試みることだってある。

 そういった事情を、この胡散臭い古株の女教師が何処まで知っているのやら。


 考えてみれば、ヴィランとの騒動の間とか【機関】の仕事で手いっぱいなときにムクロザキにトラブル対応を押しつけられたことは無い。

 果たして、それは偶然なのだろうか?

 そこを追求しても藪蛇にしかならないことは舞奈も明日香もわかっている。

 おそらくムクロザキ自身も。だから……


「……そういう楽な生き方ばっかりしてると、そのうち手痛いしっぺ返しくらうぞ」

 舞奈たちは捨て台詞を残して生物室を後にするしかなかった。


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