襲撃1 ~仏術vs道術
「え……? なに……?」」
「戦術……結界……?」
園香と奈良坂は身を寄せ合って怯える。
先ほどまで、ここは小洒落た路地だった。
だが今は見知らぬ場所だった。
何者かが創造した戦術結界によって変容したのだ。
左右に立ち並ぶブロック塀は、黒ずんだ岩の塊へと変化した。
塀の奥に並ぶ民家は小山と化した。
アスファルトの道路は荒野に、電柱は石柱になった。
そして異界と化した路地の向うに、いくつもの人影。
「脂虫? ……術で操られている?」
先頭に立った数人の男女を見やり、奈良坂がひとりごちる。
薄汚い身なりの彼らはゾンビのように表情をこわばらせ、目を見開いている。
咥えた煙草からは糞尿のような悪臭が漂う。
そして、手に手に錆びた野太刀を構えている。
「泥人間までいる」
その後に続くのは、同じく野太刀で武装した異形の人型。
脂虫のそれよりなお不潔な、ボロ布のような古着まとっている。
そして、腐った肉にただれた皮膚を張りつかせている。
「それに……妖術師……?」
しんがりには、袈裟を着こんだ尼僧。
禿頭に青筋を浮かべ、釣り目で頬骨が尖っている。
テレビで何度か見たことがある。
特定アジアからの難民の受け入れを強固に主張し、それに消極的な現政権を痛烈に批判していた人物だ。
尼僧の双眸は不気味に輝き、仏術士の奈良坂に匹敵する魔力を保持している。
脂虫と泥人間を率いた尼僧は、路地をゆっくり進んでくる。
先頭に立った脂虫の悪臭に、奈良坂はむせ返る。
「あの、あなたたちは……?」
園香は青ざめた顔で後ずさる。
以前に誘拐された事を思いだしたのだろう。
「……園香ちゃん、さ、下がっててください」
なけなしの勇気をふりしぼって、奈良坂は園香を背にかばう。
その表情も、園香に劣らず青ざめている。
奈良坂は、前回のように操られた脂虫による誘拐を想定して護衛を引き継いだ。
だが今回の状況は以前より悪い。
凶器を持った脂虫と泥人間の混成部隊の目的が、普通の誘拐とは思えないからだ。
それでも奈良坂は園香の護衛だ。
頼りない執行人だけど、園香を守ることができるのは奈良坂しかいない。
路地の反対側には誰もいないので、走れば逃げられるように思える。
だが、ここは閉ざされた結界の中だ。
逃げても安全な場所には辿り着かないし、どこかで行き止まりになる。
だから、戦うしかない。
脳裏に神仏をイメージし、自身の妖術である仏術を発動させる。
奈良坂は尼僧ではないが、真言密教を母体とした仏術を修めた妖術師だ。
本来、仏術は真言を唱え手印を結ばなければならない。
だが、慣れた術者は簡単な術であれば念じるだけで行使することができる。
仏術は、日々の修行によって身体に蓄えた魔力を、印と真言によって術と成す。
使える術は3つ。
内なる魔力を熱や電気に転化する【エネルギーの生成】。
時空との対話により物品や情報を得る【実在の召喚】。
そして、チャクラを回して生命力を活性化させる【心身の強化】。
そんな奈良坂が使った術は【持国天法】、そして【増長天法】。
前者は時空の彼方から筋肉を召喚する。
後者は魔力を循環させることで身体を内側から強化する。
執行人には守秘義務があるから、部外者の園香に魔法を見せられない。
だが身体強化の付与魔法なら見せても魔法だとわからない。
そう思いつつ身構えた途端、
「な、奈良坂さん!?」
脂虫たちが野太刀を振り上げ、奈良坂に襲いかかっていた。
もし志門舞奈だったら、瞬時に叩きのめすことができるだろう。
だが奈良坂は違う。
避けようと思った瞬間、脳天に野太刀が振り下ろされた。
別の野太刀が脇腹にめりこむ。
奈良坂には戦闘のセンスが、経験が、なにより覚悟が足りない。
だから抵抗する間もなく、臭くて醜い脂虫たちに群がられる。
そして、1対多数のリンチが始まった。
錆びた刃物が肉を打つ恐ろしい音が、何度も響く。
「奈良坂さん!?」
園香にとって、奈良坂は年上の友人のようなものだった。
そんな彼女の身におこった出来事が信じられず、園香は叫ぶ。
そんな園香にも、あぶれた2匹が襲いかかる。
どちらも凶器を手にしていない。
だが、汚物のようなヤニの臭いをふりまき、薄汚い背広を着こんだ大人の男だ。
そんなものに襲われて、小5の少女が平気でいられるわけがない。
(たすけて!? 舞奈ちゃん!)
心の中で悲鳴をあげて、目をつむる。
次の瞬間、襲い来る脂虫の腕を誰かがつかんだ。
両手でつかんだ2匹の脂虫を、まるで漫画のように投げ飛ばす。
舞奈ではない。
奈良坂である。
セーラー服の脇腹はずたずたに裂かれている。
頭を殴られたせいで眼鏡がずれている。
だが、その身体に傷はない。
裂かれた服の隙間から、白いお腹が見えていた。
仏術士が誇る2段重ねの付与魔法は、術者の身体能力を飛躍的に上昇させる。
文字通り、常識を超えた鋼鉄の身体である。
異能力すら使っていない野太刀ごときでは、かすり傷すらつけられない。
「園香さん、だいじょうぶですか?」
「な、奈良坂さんこそ、だいじょうぶなんですか……?」
「はい、だいじょうぶです。ええと……あ、そうだ、身体を鍛えてるので!」
「鍛えるって……頭も? ……あっ」
背後から残りの脂虫が襲いかかる。
そのうちの1匹が奈良坂に、渾身の力で野太刀を振り下ろす。
だが通常の武器は仏術士に効かない。
「痛ッ! イタタ!」
あわてて振り返り、
「何するんですか!」
目をつぶって目前の1匹を殴る。
狙ってもいないし勢いもない、へろへろな一撃。
だが相手は重くて大きく扱いづらい野太刀を手にしている。
それに今の奈良坂の拳は付与魔法で強化された、いちおう必殺の鉄拳だ。
だから近所で『調達』されたのであろう薄汚い脂虫は、かつてブロック塀だった岩の塊に叩きつけられた。
「……あっ、しまった。強く殴りすぎたかも」
奈良坂は逡巡する。
悪臭と犯罪をまき散らす脂虫は【機関】から怪異だと規定されている。
だから、執行人が彼らの生命に注意を払う必要はない。
例え彼らが死んでも、人間としての身分は【機関】各支部の諜報部・法務部が剥奪し、行方不明や事故死として穏便に処理される。
だが彼らの容姿は、臭くて不潔な以外は人間と全く同じだ。
そして実戦経験の乏しい奈良坂の感覚は、執行人より一般の人間に近い。
脂虫は誰からも死を望まれているが、常人は実際に脂虫を殺したりはしない。
だから奈良坂にとっても、脂虫はできれば倒したくない、戦いたくない相手だ。
奈良坂は路地をじりじりと後ずさりながら、少しだけ考える。そして、
「えい!」
手近な1匹の足をつかんで思いっきり遠くへ投げ飛ばした。
脂虫は手足をじたばたさせながら、小山の向うへ飛んでいく。
これなら止めを刺す必要もない。
奈良坂は次々に脂虫をつかんで、放り投げる。
(これなら、やれる)
奈良坂の口元に笑みが浮かぶ。
「ええい、我が同胞ヨ! 戦争をもたらす悪い女を殺セ!」
脂虫ではらちが明かないと判断したか、尼僧が叫ぶ|。
仏門の徒とは思えない、まるで泥人間のようにおぞましい声だ。
「軍国主義の異能力者に守られた九杖サチを殺セ! 呪殺せヨ!」
尼僧の叫びに奈良坂は戸惑う。
ここに九杖サチはいないし、異能力者も軍国主義者もいない。
だが、そんな尼僧の妄言に応じて泥人間の群が動く。
奈良坂たちを威嚇するように、路地いっぱいに広がる。
そして唸る。
手にした野太刀が一斉に、炎に、電光に包まれた。
(異能を!?)
凶器に炎をまとわせる異能力は【火霊武器】。
電光で包む異能力は【雷霊武器】。
泥人間は、低級の人間が変化した脂虫とは違う。
魔力そのものから生まれたから、すべての個体が異能力を持つ。
そして異能力の源は魔力だ。
だから炎や電光の凶器は、魔力で強化された奈良坂の身体をも傷つけ得る。
「園香ちゃん、わたしの後ろを離れないでください」
そう言って、奈良坂は手首にはめられた数珠に意識を集中する。
念ずる仏は不動明王。
炎と重力を操る術のイメージの源である。
次の瞬間、泥人間どもは雄叫びをあげて奈良坂に群がる。
凶器を包む炎が、電光が踊る。
奈良坂は思わず両腕で頭を庇う。
園香は奈良坂の背中にしがみつき、悲鳴をあげる。
だが異能の凶器は、奈良坂に達することなく空中で止まった。
即ち【不動行者加護法】。
重力場による強力な障壁を作りだす妖術である。
戦闘魔術における【力盾】と似た術だ。
だが、こちらはあらかじめ【実在の召喚】の技術によって魔力を焼きつけた数珠を媒体とすることで出力を増すことができる。
とはいえ、無限に攻撃を防ぎきれるわけではない。
斥力場を破られぬよう攻撃に転じようと、懐から符を取り出す。
すでに敵が異能力を使っている。
だからこちらも攻撃魔法を使って反撃すべきだろうとの判断だ。
泥人間たちの後ろに、見覚えのある咥え煙草。
先ほど投げ飛ばした脂虫たちが、戻ってきて戦列に加わったのだ。
奈良坂は符を構える。
妖術師がその身に蓄えた魔力は、異能力者の異能力と似ている。
だから自身の身体に接する形でしか顕現させらない。
そんな魔力を攻撃魔法として離れた相手に放つためには、符を使う必要がある。
符とは【心身の強化】によって己が魔力をこめた、いわば魔法的な分身だ。
そんな符が1枚、奈良坂の目前に飛来した。
「え……?」
奈良坂が投じた符ではない。符はまだ手に持っている。
ならば誰が?
そう思った瞬間、尼僧が口訣を唱えた。
同時に、目前の符が巨大な岩石の刃と化す。
(しまった! やっぱり妖術師だった!)
敵の妖術師の存在を失念していた。
その失態を悔いる。
次の瞬間、まるで城門を砕く破城槌のような勢いで、刃が斥力場を穿った。
その凄まじい衝撃に耐えられず力場は破られ、奈良坂が手にした数珠が砕ける。
斥力場の守りを失った奈良坂と園香を、泥人間たちが遠巻きに囲む。
戻ってきた脂虫たちも、野太刀を手にして戦列に加わる。
割れて曲がった眼鏡の奥で、奈良坂の瞳が絶望に見開かれる。
やっぱり、自分には無理だったと。
「奈良坂さん……!!」
「だ、だいじょうぶ……。だい……じょうぶ……」
奈良坂はうわ言のようにつぶやく。
だが、その言葉を最も信じられないのは奈良坂自身だった。
それでも園香を背にかばいながら、じりじりと後退する。
妖術師は怪異の群をかきわけ、ゆっくりと歩み寄る。
怯える2人をあざ笑うかのように、ただれた顔に嗜虐の笑みを浮かべる。
「あ! あの! 彼女には指一本……きゃあ!?」
足元もおぼつかない奈良坂は、あっさり払いのけられる。
恐怖のせいか、2段重ねの付与魔法も消えていた。
妖術師は口訣を唱え、怯える園香の胸元に手をやる。
「ひっ……!!」
次の瞬間、園香が着ていたワンピースがひとりでにはだける。
「あの方の為に九杖サチの宝物をよーこーしーなーさーイー!!」
尼僧の顔をした妖術師は園香のブラジャーをつかみ、不気味に叫ぶ。
そして一気に剥ぎ取る。
園香は悲鳴をあげる。
尼僧は、その下に手をのばす。
だが、あるはずのものが見つからなかったのだろう、困惑した様子を見せる。
「……え?」
妖術師の不可解な挙動に、園香も困惑する。
その次の瞬間、無数の光が泥人間を薙ぎ払った。