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銃弾と攻撃魔法・無頼の少女  作者: 立川ありす
第18章 黄金色の聖槍
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黄金色の聖槍

――10年前。


 まだ王子と呼ばれていた頃のバッハは、細面の可愛らしい少年だった。

 年相応のやんちゃな言動が周囲に無条件に許されていたのが王子だからと言うだけでなく、明るい色のやわらかい金髪と端正な顔立ちに皆が魅了されていたからだと気づかない程度には子供だった。


 そんなバッハは夢中になった英雄物語を真似るうち、魔術の才を見出された。

 なんと王子は男には珍しい魔術への適性を持って生まれたのだ。

 魔法の王国スカイフォールの第一王子としては、これ以上にない幸運だ。

 故に両親や皆の祝福の元、バッハは当時の宮廷魔術師長だったケルト魔術師の女性に師事することになった。

 バッハ自身もこの運命を歓迎した。

 いつか偉大なルーン魔術師である父と肩を並べる日が来ると信じていた。


 バッハの師は聡明で心優しくユーモアもある素晴らしい女性だった。


 だが魔術の修業のほうは、思ったほど実りはなかった。

 もとより彼も男子の例に漏れず、頭を使うより身体を動かす方が好きだったのだ。

 師の目を盗んで剣の稽古に勤しんだりもしたが、特に何も言われなかった。

 咎められることもなかったが、こちらの才能を見出されることもなかった。


 徐々に失望へと変わりつつある周囲の期待。

 自分自分の限界と願い。

 相反する2つの想いの狭間でバッハは苦悩した。


 ある日、師を困らせようと、好きなものを問われて虫と答えた。

 すると次の日から師はセミやカブトムシを創造して授業するようになった。

 造形は完璧で、知識もまるで子供の頃から虫好きだったみたいに豊富だった。

 だが、そんな師の偉大さと勤勉さに心打たれる反面、幼いバッハは自身の器の小ささを思い知らされて打ちひしがれた。


 そんなバッハの側には、ひとりの少女がいた。

 姉弟子だった。

 栗色の髪をした妖艶な少女だった。

 彼女はバッハとは逆に年頃の女の子らしく色恋にかまけていた。

 そのせいでバッハと同じくらい落第生だった。

 そんな彼女にバッハは連帯感を抱いた。


 ……そして男の子らしい別の想いも。


 ある日、彼女はバッハを誘惑した。

 バッハの剣技と違って着実に実りを見せていた彼女の少女らしい声に、匂いに、躍動する身体に、年若い王子は抵抗することができなかった。


 だから月のない夜、2人で師の目を盗んで人気のない納屋に忍びこんだ。


 バッハは彼女に言われるがまま目を閉じ、物陰に横たわった。

 その側でかすかに聞こえる衣ずれの音。

 香水と少女の体臭が絡み合った、得も言われぬ芳香。


 少年の鼓動は高まる。

 年上の少女にリードされている今の状況に、だが師に魔術の手ほどきを受けているときのような劣等感は感じなかった。

 素直に彼女がしようとしている何かを待ち望んだ。


 ……やがて不意に両の頬が、あたたかくやわらかい何にはさまれる。


 すべやかな絹のような内ももの感触。ぬくもり。

 香水よりなおかぐわしい、濃く鼻をつく少女の匂い。

 決して見てはいけないと言われたのに、バッハは堪えきれずに薄目を開ける。


 目の前に宇宙があった。


 年若い少女の太ももの色よりなお白い、若く瑞々しい内ももの白。

 シミも日焼けもない完璧な宇宙。

 宇宙の端の小さなほくろは、まるで艶めかしく輝く小さな星だった。

 視界の中心で、処女の印たる天の川が細くのびる。

 その袂で花のつぼみのようにすぼめられた魅惑的な門、あるいは扉。


 甘いかすかなあえぎ声。

 同時に宇宙が力むように揺れ動く。

 そして思わず目を見開いたバッハの前で、


「……!」

 ゆっくりと扉が開いた。


 この世で最も美しい花が咲くように、扉がゆっくり口を開く。

 その向こうには無限の漆黒が広がっていた。

 まるで異世界のようだとバッハは思った。


 甘い少女の香りが、すえた匂いと混ざり合う。

 そして扉の向こうにある異世界から香り立つ強者たちが溢れ出た。


 星明りに照らされて黄金色に輝く強者たちは少年の目を、鼻を、口の中を蹂躙する。

 武士(もののふ)たちに目を焼かれてバッハはうめく。

 少女の細い悲鳴のような嬌声にあわせるように、扉の向こうの異世界から強者たちが雪崩れ出る。

 それは少年が今まで想像したこともない体験だった。

 魔術ですら再現できない冒涜的で刺激的な何かに、少年は打ち震えた。


 だがそんな恍惚の最中、納屋の扉がギイっと開いた。

 姿の見えない2人を探しに来た従者が、物音に気付いて探しに来たのだ。


 ……結果、バッハの端正な顔は酷い炎症を起こし、醜くただれていた。

 師の魔術の腕前をもってしても完治することはなかった。

 如何な魔術にも不可能なことはある。

 そもそもケルト魔術は治療を得意とする流派ではない。

 師は落胆し、バッハに深く詫びた。

 そんないたたまれない師を見ても、別に優越感に浸ったりできなかった。


 一方、 姉弟子はすべての咎を引き受けた。

 修業中の身でありながら不貞の行い。

 王子に対する不敬。

 それらの罪を償うため、バッハの知らぬ何処かへと去って行った。


 バッハも失意のあまり、王子の地位も立場も捨てて失踪した。

 師であればバッハを追うことも、捕らえることもできただろう。

 だが魔術による追手はなかった。

 すでに師に見切られていたか、それとも他に理由があったのか、最後までバッハにはわからなかった。


 それから数年、彼は人里離れた山奥で世捨て人のように過ごした。

 ただ人形のように研鑽の真似事を続けた。

 もちろん成果は上がらなかった。

 魔力の源であるプラスの感情が枯渇していたから……だけではない。

 元よりバッハに周囲が期待するほど魔術の才はなかったのだ。


 だが夜空を血の色をした星が流れた夜、バッハはそれに出会った。


 何かに呼ばれて踏み入った森の深部で見つけた血の色をした石。

 それはバッハに力を与えてやろうと語りかけた。

 力を持つ証拠としてバッハが命ずるまま仮面となった。


 バッハは血の色の仮面を手にした。

 仮面はバッハに知識と魔術を惜しみなく分け与えた。

 バッハが師から受け継げなかったものをすべて。


 一夜にして魔術を極めたバッハは、長らく忘れていた本当の願いを思い出した。

 去って行った彼女を見つけ出す。

 そして、もう一度……あの香り立つ冒涜的で刺激的な夜を再現する。


 だがバッハは気づいた。

 時は既に遅し。

 かつて少年だったバッハは今や声変りを終え青年になっていた。

 同じくらいの年月が当然ながら姉弟子の身にも及んでいる。

 少女だった彼女は大人の女性になっているはずだ。

 かつてバッハを狂わせた白い宇宙も潤いと張りを失っているのは明白だ。

 黒く淫靡に輝いていた星すらも今ではただの黒ずみだろう。

 あの美しくなまめかしい扉も錆びついているはずだ。


 バッハは絶望した。


 だが仮面から知識と高位の魔術を得たバッハは、新たな天啓を得た。

 占術によって、かつての姉弟子と同じ『条件』を満たす若い処女を探せばいい。

 紫外線ともシミとも無縁な白くすべやかな宇宙、黒く輝く妖星、そして無垢なる花の蕾のような異世界への扉をその身に宿した選ばれし少女を。


 それからバッハは仮面から与えられた魔術によって占術を繰り返した。


 そしてバッハはついに見つけた。

 自身の目前に、あの若々しい白い宇宙が広がるヴィジョンを。

 黒く輝く星の側で花弁のように妖艶な扉が開き、異世界から香り立つ武士(もののふ)たちが、強者たちが雪崩れ出て自分めがけて降り注ぐ刺激的な光景を。


 運命の瞬間が訪れる日時は数年後。

 場所は極東の島国の一角。


 その後の調査で、占術で得られた預言を現実のものとするには複数の困難な条件を満たす必要があることもわかった。

 その過程で自身が世界すべてと敵対することも。

 自身のしようとしていることは大いなる災厄としてスカイフォールの預言の書に記され、対策されているであろうことも。

 何より預言の成就と同時に……自分自身の人生が終わることも。


 だが、そんな些細な障害に屈するつもりはなかった。

 あの妖しく魅惑的な夜を再現できるのなら捨てて良いものばかりだ。

 すべてをなげうったバッハにとって、あのすべやかで魅惑的な白い宇宙、異世界への扉を開くことだけが人生のすべてだった。

 もう一度あの強者たちと対決することだけが望みだった。


 だから2年前、計画を開始した。

 バッハは仮面から得られた知識と魔術を用いて更なる禁忌の技術を我が物とした。

 ヴィランと、怪異とすら接触し協力関係を築いた。

 親から授かった顔と名を捨て、仮面の黒騎士ヘルバッハを名乗った。


 そして遂に今――


「――跳べ!! 明日香!」

 何かを察して舞奈は叫ぶ。

 牽制代わりに改造ライフル(マイクロガラッツ)を全弾ぶっ放しながら、あわてて地面を転がる。

 同じタイミングで明日香も跳ぶ。


 対して相対していたヘルバッハは振り返る。

 自身に対して致命的な効果をもたらす特殊弾を背中でまともに受けながら、避けようとも防御しようともしない。


 そんな彼の、そして舞奈と明日香の視線の先には麗華様。

 胡坐をかいた公安の猫島朱音の膝の上に抱えられて両脚を大きく広げながら、凄いスピードで麗華様が特攻してきたのだ。

 そのポーズはオランダのアーティストが発表した彫刻、処女の光の如く。


 少し前、上空で怪鳥とのドッグファイトの最中にお腹が痛くなった麗華様。

 朱音が高度を下げた際に、安倍明日香と志門舞奈が黒騎士と戦っているのを見た。

 舞奈と明日香が何か投げると黒騎士は爆発する。

 だが爆炎の中から黒騎士は平然とあらわれ、明日香と舞奈は面食らう。


 あれが敵ですの? と麗華は問うた。

 そうだ、と朱音は答えた。

 そういえば以前、公園で騎士と舞奈が戦っているところを見た気がする。

 その時にも舞奈はらしくもなく騎士を相手に苦戦していた。


 麗華様はチャンスだと思った。

 今の自分はプリンセスだから何でもできる(願望)。

 生意気な安倍明日香も、志門舞奈も騎士を倒せないらしい(雑な現状認識)。

 つまり、今、あの黒騎士を自分が倒せば自分がいちばん強いことになる。

 明日香より舞奈より強い世界ヒーローだ。

 無限にマウント取り放題!

 思いこみと思いこみを賭け合わせた妄想も、麗華様にとって都合が良ければ麗華様にとっての真実だ。


 だから麗華は朱音に命じた。突撃、と。


 もちろん朱音は自分が見こんだ少女の言葉に疑念など抱かない。

 彼女は勇敢で、なにより志門舞奈のクラスメートだ。


 だから朱音は麗華を抱えたまま怪鳥を振り切り、ヘルバッハめがけて突き進む。

 飛行の梵術【迦楼羅天の飛翔ガルデナス・ガガナム・チャラティ】にカバディの動きを取り入れた超機動で、ゲーマーがシューティングゲームの弾幕を避けるように怪鳥の群をかいくぐる。


 麗華を抱えた朱音に超スピードで斬り裂かれた雲の切れ目から光が差す。

 薄闇に閉ざされていた新開発区の中心部にのびる天よりの光。

 プリンセスであり英雄でもある麗華の背後を照らす黄金色の後光のように。


 正直、麗華様のおポンポンは限界の数秒前だ。


 だが、そんな麗華様の目前で、舞奈と明日香があわてて跳び退いて道を開ける。

 ハハハ痛快!


 黒騎士も思わず振り返る。

 あら、仮面で顔を隠しているけど金髪で細面でイイ男。

 麗華様は豪胆にも、あるいは不敬にも元王子の黒騎士の容姿を値踏みして――


 ――麗華様の限界、あるいは黄金色に輝く運命の時が訪れた。


 舞奈は必至で地面を転がり、距離を取りつつヘルバッハたちを見やる。

 凄い勢いで飛来してきた麗華様。

 朱音に抱えられて大きく足を広げたまま、それを――放った。


 それは、かつてプリンセスの一部だったもの。

 あるいはスカイフォールの魔法の土地で収穫され、調理され、プリンセスが召し上がったジュースやクッキーだったもの。

 勢いだけは一丁前な麗華様の面目躍如。


 ちなみに朱音が自分と麗華にかけた【四大天王の法チャタスラ・マハーラージカス・ダダティ】。

 朱音としては高速飛行のGから麗華を守るつもりで行使したものだ。

 だが他の流派の同等の術も同じだが、身体を強化する付与魔法(エンチャントメント)は対象の身体を満遍なく包括的に、全体的に強化する。

 筋力だけを強化するでなく骨も、皮膚も、それらの耐久度も。

 腕や脚だけでなく心臓も、内臓も同程度に強く逞しくする。

 それにより本来の肉体の限界を超えた運動によって対象の身体がダメージを受けることを防ぐのだ。

 これもプラスの感情から生まれた魔法全般の特徴である。

 魔法は人を守ろうとする。


 だから今の麗華様は、腸内細菌も活性化されている。

 腸の蠕動(ぜんどう)を引き起こす縦走筋も環状筋も強化されている。

 強靭に力強く、雷鳴のように腸を震わせる。

 プリンセスの十二指腸、小腸を得て装填された黄金色の砲弾を、満遍なく強化された大腸が撃鉄の如く勢いで押し出す。

 強化された菊門が砲弾に圧をかけ、鋭さと勢いを付与する。


 いわば放たれたのは、聖なるウォーターカッターだ。


 暗闇の中、差しこむ光に照らされて輝くそれは、まさに黄金色の聖槍だった。


 ケルトの英雄クーフーリンが持つ分裂する槍ゲイボルグの再来だった。


 プリンセスの身体そのものから精製され、プリンセスの腸で鋳造され、プリンセスの菊一文字に放たれた、伝説をも超えた黄金色に輝く聖なる槍。


 それでも実際のところ、舞奈や明日香がそれをまともに喰らっても被害はなかった。

 どんなに勢いがついていても所詮は水物。

 せいぜいが糞まみれになって吹き飛ばされ、孫の代まで根に持つ程度だ。


 だがヘルバッハは別だ。

 体組成の大半をWウィルスに置き換えることで強化されていた彼の身体は、いわば人の形をしたウィルスそのものだ。

 そこに魔法でパワーアップしたプリンセスの血肉の成れ果てがぶちこまれたのだ。

 つまりWウィルスの天敵である対抗ウィルスそのものが。


 その様は非装甲の普通の人間が無数の鉛でできたショットガンで撃たれた如く。

 あるいはティッシュを丸めて作った人形が熱湯をぶちまけられた如く。

 だから次の瞬間――


――マーサ――僕はもう一度――


 バッハの視界を何時か見た黄金色の強者たちが埋め尽くす。

 声変りを終えた男の口元に笑みが浮かぶ。

 何故なら文字通り自分のすべてと引き換えに、彼は願いを叶えたのだから。


――異世界への扉を――――開くことができたよ――


 直後、黒騎士の上半身を黄金色の聖槍が飲みこんだ。

 記憶に残るあの夜に勝る勢いで目を、鼻を、口の中を蹂躙する。

 忖度はなかった。


 だから……


「……てて、酷い目にあったぜ」

「…………」

 舞奈は悪態をつきつつ、明日香は無言で立ち上がる。


 ふと空を見やる。

 斬り裂かれた雲の切れ目が徐々に広がっていた。

 Wウィルスを収束させていた焦点であるヘルバッハが倒されたことによって、ウィルスが四散しているのだ。

 四国の一角での状況と同じだ。


 次いで2人は、数秒前までヘルバッハが立っていた場所を見やる。

 あたり一面に光り輝く黄金色がぶちまけられた地面の向こう。

 そこに黒い鎧を身にまとった奴はいた。


 若くスマートな黒衣の騎士は両腕を広げた状態で横たわっていた。

 黄金色の飛沫にまみれた上半身の上に、ハンサムだった顔はない。

 聖なるショットガンに吹き飛ばされ、頭ごと消えてなくなっていた。

 奴の顔を覆っていた仮面もない。

 顔と一緒に消し飛んだか、何処か遠くに転がって行ったか……あるいは用を果たして崩れ去ったか。舞奈に20年後の夢を見せた石がそうだったように。


 その呆気ない、信じられないような最期を舞奈はただ見つめる。

 明日香も。


「――終わったか」

「……ま、とりあえずはな」

 着こんだコートをはためかせながら歩み来る朱音に答える。

 麗華様を抱えて跳んでいった後、戻ってきたのだろう。


「完全体には……ならないようですね」

「そのようですね」

 次いでやってきたフランシーヌの疑問に明日香が答える。

 ある種の怪異が倒された後に完全体に転化することを、キャリアの長い公安の彼女らも当然ながら知っている。

 ヘルバッハ自身もその条件は満たしていたはずだ。


 現に答えた明日香自身も頭のない亡骸を警戒している。

 今まで出会った多くの難敵は、倒された後に銀色の姿をした完全体に転化して再び襲いかかってきた。

 蘇った滓田妖一とその一味も、KASCの悪党どもも、蔓見雷人も。

 なにより奴自身が先ほど盾にしたテロドスと殴山一子だってそうだ。

 そして完全体への転化は、最初の肉体が破壊された直後に行われる。

 倒された瞬間に光って、いつの間にか目前に銀色の異形が立っているのだ。


 だが目前の黒騎士は、首を無くして地面に転がったまま微妙だにしない。


「わたくしのプリンセスパゥワ――! に恐れをなして声も出ないようですわね」

「……」

 最後にやってきた麗華様の戯言を意識して聞き流す。

 ご満悦な麗華様は、この期に及んで今の状況も、自分の仕出かしたことにも果たした役割にも気づいていないのだろう。

 なんとなく釈然としない気分のまま、


「それより糞をしたらケツを拭け。母ちゃんが泣くぞ」

「ひゃっ!」

 意識して何食わぬ口調で言いつつ、手にしたティッシュを何枚か重ねて麗華様のワンピースのスカートの中にツッコむ。

 黄金色の聖槍の欠片が服の内側を汚さないように拭きとる。


 少し顔をしかめてスカートから手を引く。

 よく考えたら何でこいつの下の世話なんかしてるんだ?

 と思った途端、新開発区の乾いた風が吹き抜けた。

 手にしたティッシュが宙を舞い、黒衣の騎士の頭があった場所に落ちる。


「……ちょっと何やってるのよ」

「風が吹いたのは、あたしのせいじゃないだろう」

 嫌そうな明日香に同じ口調で返す。

 明日香的には真面目に警戒している最中に水を差されたと思ったのだろう。

 舞奈が麗華様を見るような目でこっちを見ている。


 だが最後まで仮面で顔を隠し続けた奴は、このほうが嬉しいかもしれないと思った。

 特に意味も根拠もないが。


 気づくと舞奈は奴を恨んでも、憎んでもいなかった。

 それ以上に正直、何が何だかわからないという気持ちのほうが大きい。


 奴は2年前、泥人間を使って麗華を誘拐しようとした。

 テロドスを使ってWウィルスを世界に広めた。

 殴山一子を使って四国の一角を滅ぼした。あと北海道の一角も。

 つい先日は宣戦布告と同時に、ルーシアと麗華を再び誘拐しようとした。


 そして今日、舞奈と仲間たちは奴を倒すべく新開発区に踏みこんだ。

 新開発区の中心部に辿り着いた舞奈と明日香は奴と死闘を繰り広げた。

 奴は殴られても、蹴られても、撃たれても、雑草のように立ち上がってきた。

 ボロボロになりながらも致命的な一撃に連なる攻撃だけをピンポイントで避けて。

 核攻撃すら防護して。


 そんな暗躍と死闘の結末は、目前で頭を吹き飛ばされて転がる黒衣の姿だ。

 復活する様子もない。


 何か手違いがあったか?

 実は舞奈たちは奴が企んだ何かを阻止したのか?


 あるいは奴はこのどうしようもない屈辱的な末路を望んでいた?

 そもそも最後のアレだって、死ぬ気で【空間跳躍ディメンジョン・リープ】を使えば避けられないタイミングじゃなかったはずだ。


 だが真相はもうわからない。

 結局、奴が何をしたかったのかもわからず仕舞いだ。

 おそらく、もう誰にも。

 隙あらば仮面の下の素顔も拝んでみたかったが、それも無理だ。


 舞奈はやれやれと苦笑する。


 呆れて声も出ないのは本当だ。

 麗華が何を考えてあんなことをしたのか、後で2人に確認する必要があると思う。

 もちろん2人というのは公安の2人のことだ。

 麗華様本人に聞いても訳のわからない妄想を聞かされるだけだ。


 そう言う意味で、麗華様とヘルバッハは似ているのかもしれない。


 本当にやれやれだ。


 まあ麗華様のすることに目くじら立てても仕方がないのは事実だ。

 そんな彼女の奇行で事態が収拾したのも事実だ。

 釈然としないのも事実だが、文句を言う筋合いはない。


 何より舞奈も、ずっと見たいと願っていたものを見ることができた――


「ぉ――――――――――――――――い!!」

「おっ来た来た」

 麗華様から目をそらしながら、声のした方向に向き直る。

 雲の切れ目から差しこむ光に目を細めながら、少し離れた廃ビルの合間を見やる。

 そこから大勢が走ってきた。


 極彩色のマッチョのミスター・イアソンを先頭にディフェンダーズの面々。

 紫マッチョのクイーン・ネメシスとヴィランたち。

 もちろんクラリスやエミルもいる。

 それどころかクラフターや、倒したばかりのファイヤーボールやイエティの中身ことメリルちゃん。中空にはふよふよ死神まで漂っている。

 気が変わって加勢にでも来たのだろうか?

 次いで白黒2人の警備員に、鷹乃の式神。

 他支部の執行人(エージェント)たち。

 魔術結社の術者たち。

 楓たちや小夜子たち、つばめたち、奈良坂やえり子や諜報部の連中まで満面の笑みを浮かべ、手を振りながら走ってくる。

 機甲艦(マニューバーシップ)から降りてきたのだろう、レナやルーシア、デニスとジャネットも。

 並んで停まった装脚艇(ランドポッド)のハッチが開き、騎士団の面々も続く。

 先ほど共闘したばかりのゴードン、イワン、ジェイクたち……。


 ボスを倒した後に、轡を並べた戦友たちがやってくる。

 誰ひとり欠けることなく。

 それは3年前の光の中で、あの四国の一角で、舞奈が見たいと思ったものだ。

 そして結局、見られなかったものだ。


 別に空を見上げたりはしなかった。

 だが『CONGRATULATIONS』の文字が浮かんでいると言われれば、そうなのだろうと信じたい気分だ。


 だからヘルバッハのしたかったことも何となくわかる気がした。


 そう考えれば足元の黒騎士の、いっそ晴れ晴れしいほど無防備な倒れっぷりは、目論みを外して逃げようとした挙句に逃げ損じた人間の格好とは違う気がする。

 まあ、それが舞奈の妄想だと言われれば反論はできないが。

 だから――


「――なあ明日香、100万回死んだ猫って話を読んだことあるか?」

 ふと側の明日香に問いかける。


「『生きた』猫のこと?」

「ああ、それだよ」

「それがどうしたのよ?」

 重箱の隅をつつくようなツッコミに雑に返す。


 そして仮面の代わりにティッシュをかぶった黒衣の騎士をちらりと見やる。

 奴が次に何かの夢を見るのだとしたら、今度の夢はまともで穏やかなものでありますようにと願いながら……


「……いや別に」

 何食わぬ口調で答える。

 そして明日香の文句を背中で聞きつつ、仲間に手を振りながら駆けだした。


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[一言] ···汚い聖槍 何処ぞの「王」「遺憾である」
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