高潔な魂
禍川支部ビルの玄関から跳びこんだ受付は、巣黒のそれと少し似ていた。
違っているのは細やかな内装。
あちこちに転がるくわえ煙草の死骸。
特攻服の遺体。
カウンターにも物陰にも動くものはない。
そんな受付の待合室のベンチに、舞奈はピアースを横たえる。
床より少しは寝心地が良いと思ったからだ。
だが本人はあまり気にしていない様子だ。
撃ち抜かれた胸から赤いものを垂れ流しながら、彼は自分の運命を察していた。
「俺の【重力武器】を……貫通するなんて……」
うわ言のようにピアースは語る。
喋るな、傷が開くと舞奈は言わない。
背後の明日香も。
理解しているからだ。誰もが。
彼の胸に開いた風穴は黙っても塞がらない。
斥力場障壁に阻まれ威力が減衰していなければ、こうして話すこともできなかった。
「……すまない。あたしのミスだ」
「そんなこと……ないよ……」
ピアースは舞奈に笑いかける。笑いかけ……ようとする。
こんなときですら。
対して舞奈は側にひざまずいたまま、彼を見やることしかできない。
舞奈に応急手当の心得はない。
明日香が気休め程度に包帯を巻いたが、そんなことで変わる容態ではない。
だから明日香も舞奈の後ろで立ちすくんだまま……これ以上、何もできない。
「すげぇ痛い……や……」
青年は苦痛にうめき、苦笑する。
「明日香ちゃんの魔法……凄かった……あれが……セレスティアルパニッシャー……」
「たぶんな」
「そうか……バーンさんも……見られたら……」
「ああ、そうだな」
苦しそうに、なのに友達と話すように笑みを浮かべようとしながら語る。
たぶん彼が死というものを知らなかったからだ。
対する舞奈は相槌を打つことしかできない。
狙撃手のいたビルを破壊した【熱光嵐】によるレーザー掃射が、ゲームの中のセレスティアルパニッシャーという魔法と同じなのかも知らない。
「ゲームだったらさ……こんな怪我も……治るんだ……ヒーラーや……メディックの回復スキルでさ……こう……光ってさ……」
「すまない」
「いいんだ……現実は……ゲームじゃないから……」
彼は口元に笑みを形作ろうとする。口の端から赤いものが流れる。
対して舞奈は口元を歪める。
ヒーラーやメディックの意味も不明だが、彼にそれを訪ねる機会はもうない。
それに舞奈が詫びたのは、この世界の魔法がゲームと違うからじゃない。
現実にも、致命傷を回復可能な回復魔法は存在する。
楓が修めたウアブ魔術は代替臓器を創造して対象の傷を癒す。
呪術の流派の多くでは負傷したという事実を他の目標に肩代わりさせる。
それはサチが修めた古神道では形代で、小夜子のナワリ呪術では贄だ。彼が被った理不尽な傷を、糞ったれな脂虫どもに倍返ししてやれるのなら気分が良いと思う。
だが、ここには楓もサチも小夜子もいない。
明日香が修めた戦闘魔術に治療/回復の手札はない。
今まではそれで困らなかったのだ。
舞奈が致命傷を被ることはなかった。
明日香もあらゆる攻撃を察知、防ぐことができた。
だから治療の必要などなかったのだ。2人でいた頃は。
「テックさんも……メディックなんだ……あ……テックさんって……言うのは……」
「知ってるさ。あんたの友達だろう?」
「そっか……話したんだっけ……」
ピアースの口元が笑みの形に歪む。
「舞奈ちゃんに……お願いがあるんだ……」
硬い舞奈の表情をやわらげようとするように、ピアースは笑おうとする。
震える手で、自身の首に提げられたメダルを手に取る。
彼がゲームのフレンドと一緒に手に入れたメダルだ。
ゲームのイベントで手に入れるとリアルで同じものが送られて来ると聞いた。
そのフレンドというのはテックのことだったらしい。
「これをさ……渡して欲しいんだ……」
彼は舞奈を見上げて笑う。
「一緒に優勝した……イベントの……俺が持ってても……もう意味ないから……」
渡されたメダルを舞奈は手に取る。
「テックさん……すぐわかるよ……ゲームの中じゃ……凄い人だって……有名だし……すごく大きくて……スキンヘッドで……髭が……はえてて……」
大人なんだろう。前に聞いた。
そんな台詞を飲みこんで、
「絶対に見つけ出して渡すよ」
「よかった……」
儚げな笑みと共に、ピアースの手が力尽きるようにメダルを離す。
その手を舞奈は逆の手で握りしめる。
彼の手の温度が急速に失われていく様がたまらなく嫌だった。
テックが舞奈のクラスメートだということ、彼がファンだったディフェンダーズが実在すること、舞奈が知っていることを話していなかったことが嫌だった。
双葉あずさと友達だったことも言ってなかった。
いつか彼に話したら、ビックリしてくれるだろうと思っていた。
なのに彼は舞奈を安心させるように笑う。
その笑みも儚げに歪んで……
「ゲームだったら……良かったのにさ……全部……そうしたら……」
「……ああ、本当にな」
言い残してピアースはゆっくりと目を閉じる。
それっきり動かなかった。
気づくと舞奈の鋭敏な感覚をもってしても、呼吸も心音も聞こえなかった。
周囲で朽ちている幾つもの亡骸と同じように。
彼ら【禍川総会】が援護に出てこなかった理由はわかった。
物理的に不可能だったからだ。
だらりと力の抜けたピアースの首に手を回し、首から提げられたメダルを外す。
楽しげに装飾されたゲームのメダル。
赤いものがこびりついたメダルを見やって舞奈は口元を歪める。
「……わたしは奥の間を探して、可能なら魔道具の修復に取りかかるわ」
「可能なら、か」
明日香の言葉に苦笑する。
冷徹な声色は彼女をよく知らないと、多すぎる死に何も感じていないように思える。
だが明日香は精神的に余裕がなくなるとマシンのように心がなくなる。
少し余裕が出てくると元の冷静な言動に戻る。
人に慣れない猫みたいに、他人に弱みを見せたくないのだ。
明日香も、舞奈も。
だから舞奈も一瞬だけ呼吸を整えてから、
「じゃあ、あたしも家探ししてるよ。ベリアルの遺産とやらがあるかもしれないしな」
意識して何食わぬ口調で答える。
2人とも仲間を失うことには慣れていた。そのはずだった。
舞奈は軽薄に笑って痛みを誤魔化し続けた。
明日香は割り切る事で、失う痛みと折り合いをつけてきた。
……だから明日香はひとり、奥の間を目指して歩く。
禍川支部ビルの内部構造はテックからの情報で把握していた。
だから特に迷うこともないまま、赤黒く、あるいはヤニ色に汚れた廊下を進む。
激しい戦闘で壁が削れ、掲示物がズタズタに引き裂かれている。
廊下の隅に転がるくわえ煙草の死骸。
特攻服の遺体。
バリケードの残骸。
祭の後のような乱雑な静寂。
彼らは施設内に押し入った屍虫どもと激戦を繰り広げたのだろう。
そして恐らく、一度は敵を押し返した。
明日香はそう見抜いていた。
何故なら屍虫どもの残骸は打撃によって酷く損傷している。
対して特攻服の英霊たちに致命傷とおぼしき外傷はない。
Wウィルスで強化された屍虫を相手に、流石は【禍川総会】といったところか。
銃を持った脂虫が投入される前に籠城を決めた月輪の判断力も大したものだ。
しかもホームセンターのような人払い結界ではなく、物理的な実行力のある戦術結界を。奈良坂が割と気楽に使っているが、本来は高度な大魔法なのだ。
正直なところ、これほどの術を行使できる若い男の仏術士は希少な存在だ。
道中に倉庫を見つけて物色する。
施錠はされていたが、まあ……開けることはできる。
中には数こそ少ないものの、ライフルやグレネードランチャーがあった。
どうせなら使えばよかったのにと思ったが、まあグレネードは自分のテリトリー中でぶちかますには威力がありすぎるのも事実だ。
銃器携帯/発砲許可証の所有者がいないか、単に使いたくなかったのかもしれない。
彼ら異能力者は、自身の異能力による格闘戦に拘泥する。
だが、そんな彼らの矜持を、今だけは笑いたいとは思わない。
何より彼らは自身の異能力だけで一度は侵入者を撃退した。
それでもウィルスそのものには対抗できなかった。
耐性がなければ術者ですら行動不能に陥るほどの怪異のウイルスに侵されて彼ら全員の全身が麻痺、その後にゆっくりと呼吸が不可能になった。
それが証拠に、確かに特区服たちの身体に大きな外傷はない。
だが彼らの大半が仰向けに倒れ、苦痛と迫り来る死への恐怖に目を見開いている。
病と死にまみれた廊下を淡々と歩き、明日香は大広間に突き当たる。
そこも廊下と同じ地獄絵図だった。
部屋の入口に積まれた、くわえ煙草の死骸
広い部屋に溢れる少年たちの亡骸。
物言わぬ少年たちの髪型は雑に染めた金髪や赤毛からスキンヘッドまで十人十色。
周囲に転がる得物も木刀や鉄パイプ等々様々。
揃いの色の特区服の背には『禍川総会』と刺繍が施されているはずだが、皆が仰向けに倒れているので見えない。
月輪とおぼしき僧服は見当たらない。
だから代わりに、ノートパソコンの前に倒れた眼鏡の側にしゃがみこむ。
年の頃は中学生ほどか。
パソコンの側には固定電話や携帯電話も散乱している。
彼は最後まで外界との連絡を試みていたのだろう。
だが通信は繋がらなかった。
そんな彼の眼鏡をそっとはずし、見開かれたまぶたを手のひらで閉じ、眼鏡を戻す。
奥の間の位置はすぐにわかった。
見取り図の通りの位置にあったという理由もある。
それよりパソコンや電話から繋がったコードがのびる扉の周囲に、屍虫の残骸がひとつもない。彼らが文字通り一命を賭して、奥の間の魔道具を守り抜いたからだ。
明日香は立ち上がる。
ゆっくりと奥の間へと続くドアをくぐる。
そこは先の広間とは違う意味での地獄絵図だった。
先の部屋ほど広くはない一室の中央に、前衛芸術のようなオブジェが鎮座している。
これが明日香が修復すべき転送用の魔道具だろう。
そんなオブジェの周囲の床に、等間隔で並んでいるのは人の首。
人相と、近くに倒れている特攻服から推察するに異能力者――中でも特にランクが高い者たちであろう。
そしてオブジェの真正面には、精悍な顔つきをした青年の首。
側には法衣に包まれ鍛え抜かれた首のない身体。
どちらにも出血はない。
それでも明日香は動じない。
並んだ首が、何を目的にしたものかを知っているからだ。
大頭――仏術で用いられる髑髏本尊の一種だ。
仏術の流れを汲む陰陽術や、戦闘魔術でも使う。
それらの流派で大魔法を行使する際に魔力の源として消費する。
現在では硬質プラスチックの頭蓋骨に特別なシリコンで肉付けし、儀式で魔力を焼きつけた模造品を使うのが主流だ。
だが本来は徳を積んだ僧や王の頭蓋に特別な材料で肉付けしたものだと聞く。
目の前の首も多少は異なるが本来の姿に近い大頭なのだろう。強い魔力を感じる。
そして十分な修練を積んだ仏術士であれば【心身の強化】を応用して対象の頭を身体から取り外して仮初の魔道具にすることもできる。
人並外れた決意と気概があれば、自身の首をそうすることも不可能ではない。
そもそも男の術者が大魔法【地蔵結界法】を普通に行使するのは至難。
おそらく月輪は、文字通り捨て身の秘術を用って莫大な魔力の源を確保し、支部ビル全体を強固に守る結界を創造したのだろう。
支部ビルを囲む結界が不自然だった理由だ。
無理やりな施術だったので結界化されず、建物を覆うように結界が生成された。
複数の大頭を使って強固に施術されていたから通常の手段で穴を開けられなかった。
術者が指示を出せる状態じゃなかったから救援を招き入れることもなかった。
ふと月輪の首の側に、書状が置かれていることに気づく。
それは達筆な書体で書かれていた。
彼が自身の手で記した、最後のメッセージであろう。
書状によると、姫と呼ぶ彼女が脱出した後にウィルスが急激に進行し始めたらしい。
このままでは全滅すると彼は判断した。
それにより転送用魔道具が修復不可能にまで破壊され反撃の糸口が潰えること、加えて師であるベリアルが遺した遺産が敵に渡ることを彼は危惧した。
だから自身と特に魔力の高いメンバーを大頭にする、と決意のほどが記されていた。
その強大な魔力を礎として、強固に守る結界を張ると。
そして最後には、姫によろしく伝えて欲しいと記されていた。
姫というのは脱出に成功したというセイズ呪術師の彼女のことだろう。
明日香は書状を丁寧にたたみ――
「――連れてきたの? 何処にあっても同じよ」
「なら、ここにあっても同じだろ?」
振り返ると舞奈がいた。
月輪の胴の側に、こと切れたピアースをそっと横たえる。
「特攻服を用意する時間はなかったけどな」
「別に彼らだって、服が戦ってた訳じゃないわ」
「ははっそりゃそうだ」
互いにパートナーの顔も見ぬまま、乾いた笑みを交わす。
「ベリアルの遺産らしきものが見つかった。IWIの……下手すりゃIMIの銃火器が弾薬ともども揃ってた。たぶん奴が使ってたんだろう」
次いで年幾つなんだ? あいつと苦笑する舞奈を無言で見やる。
IWIというのはイスラエルの銃器メーカーだ。
明日香や舞奈が物心つく前の時代に、IMIという軍事企業から独立した。
カバラ魔術師の遺産は、舞奈が使っているようなイスラエル製の銃だったらしい。
「……そっちは修復できるのか?」
「これからよ」
心の底から疑わしそうな問いに答え、だが視線で続きをうながす。
「一緒に習作だか試作だかの魔道具も置いてあった。例のメノラーとかいう奴だ。だが触った途端に塵になって崩れた。たぶんウィルスの仕業だ」
言いつつ舞奈は目前のオブジェを見やる。
Wウィルスに同じように晒され続けた目前のオブジェが、同じ状況になっていないかと疑っているのだ。
正直なところ、迂闊だったと明日香も思う。
魔術による式神も魔術そのものも、Wウィルスの影響下では減衰した。
その影響が魔道具に及ばないと楽観視できる材料はなかった。
明日香の戦闘クロークに異常はないが、こちらは異能力者たちの異能力と同じように
ウィルスへの耐性を持つ明日香自身が常に身に着けていた。
「……とにかく修繕は試してみるわ」
「手伝いはいるか?」
「見張ってて」
「へいへい」
軽口を返す舞奈を尻目に、明日香はクロークの裏からドッグタグと紙片を取り出す。
魔道具の修繕の内訳は、【機兵召喚】の応用だ。
そもそも魔道具とは永続するくらい強固に現実と結びつけられた式神、魔神、その他もろもろの被召喚物だ。
だから破損、劣化した個所に新たな式神を再召喚し、全体の機能を回復させる。
要は陰陽師が破損個所をパーツ単位で切り離して再召喚により修復するのと同じだ。
明日香はオブジェの周囲、並ぶ大頭より内側にドッグタグを並べる。
そして真言を唱え、魔術語で締めて――
「――ごめんなさい。やっぱり元の破損が酷すぎたみたい」
手ごたえのなさに諦める。
「他に何とかならんのか?」
『……すまんが、明日香ちんの言う通りなのだ』
「いや、直ってるじゃねぇか」
舞奈の問いに、当のオブジェから聞こえたニュットの声が答える。だが、
『気休めなのだよ。例えば致命傷に包帯を巻くようなものなのだ』
ニュットの例えに、舞奈と明日香は揃って顔をしかめてみせる。
だが状況は理解できた。
なにせオブジェの向こう側から届くのはノイズ交じりのニュットの声のみ。
そんな状態で人や物がそのまま転移できるとは思えない。
『こちらでも調べたが、今の魔道具で本来の転移の力は使えないのだ。通信と……小さな物品の移動程度が限界なのだよ』
「そりゃまた」
『加えて舞奈ちんと明日香ちんの双方がその場を離れればすぐに、そうでなくても数時間後に停止する。次はどう直しても繋がらないのだ』
ニュットの言葉に舌打ちする。
つまり今回の作戦は、最初から成功する可能性なんてなかったのだ。
この場所にたどり着いて魔道具を修復すれば【組合】の術者たちが群れ成しやってきて、すべてを解決してハッピーエンドになると思っていた。
仲間がひとり、またひとりと倒れても、目的を果たそうと全力を尽くした。
そうすることで彼らの犠牲にも意味を見出せると思っていた。
けど、すべてが無駄だった。
『それに……時間切れなのだよ』
「時間切れだと?」
『うむ。【組合】【機関】上層部共に今回の作戦は失敗と判断。大魔法による結界の破壊、爆撃による該当地域の殲滅が決定された』
「……ああ、そういう話だったな」
続くニュットの言葉に舞奈は口元を歪める。
明日香も無言でうなずく。
2人とも、それでも大勢に影響はないと思った。
結界に侵入した部隊は、少なくとも舞奈たちのチームは2人を残して全滅。
連絡が取れず仕舞いの他のチームが健在だとも思えない。
県全体に蔓延したWウィルスの効果が【禍川総会】の異能力者たちに与えたものと同じなら、避難したという一般市民も彼ら同様に全滅だ。
生き残っているのはウィルスから負の影響を受けない脂虫だけ。
それならいっそ、すべてを焼き払ったほうがさっぱりしていいだろう。
そうしたところで、もう失われるものはなにもない。
だから【組合】【機関】上層部の判断は的確だと思える。
だが、その上で、
『そこにいるのは舞奈ちんと明日香ちんだけなのかね? 他にもいるなら一緒にシェルターに避難するのだ。総攻撃の決行は6時間後の予定なのだ』
「シェルターだと? 初耳だが」
『たいていの支部にはあるのだよ。……巣黒にはないのだがね。うちの場合、人員による対処が不可能でシェルターが必要な状況ではシェルターがあっても無駄なのだよ』
「そうですか」
ニュットの勧告に舞奈は、明日香は何食わぬ口調で答える。
だが口元には不敵な笑みが浮かぶ。
「待ってる間に怪異に襲われないように、なにか戦力になるものを送れませんか?」
『戦力とな?』
「はい。ルーンの媒体を送っていただければ」
『ドッグタグをすぐには作れんので、あちしの手持ちで構わんかね?』
「使えれば問題ないです」
言った明日香の前に数個の金属片があらわれ、床を転がる。
魔道具の最後の力を振り絞り、送られてきたのだ。
そんな様子を見やって舞奈もニヤリと笑う。
「ならさ、あたしにも何かくれよ?」
『ふふ、それではマァトの天秤をお貸しいたしましょう』
「楓さんもいたのか」
苦笑する舞奈の前に、金色の小箱が出現する。
宙に浮かんだそれが落ちる前に、舞奈は手に取る。
銃のマウントレールに設置するタイプの魔道具らしい。
『それでは我々は作戦へ協力すべく失礼するのだよ。舞奈ちんたちはくれぐれも……大人しくしているのだよ。外は危険なのだ』
「へいへい」
「わかっていますよ」
ニュットの言葉に舞奈と明日香は何食わぬ口調で答え、
「通信は切ってもらって構いませんが、こちらの魔道具との接続そのものは繋いだままにしておいてもらって構いませんか?」
『……? 数時間で消えるから意味はあまりないのだが……了解したのだ』
そう言い残して巣黒支部との通信は切れた。
途端に舞奈はその場に座りこみ、携帯を取り出してかける。
「おっテックか?」
『舞奈!?』
「ああ。明日香もいるぜ」
携帯から漏れたのは久しぶりの友人の声。
今は月曜の昼中くらいのはずだから、食事中か休憩中か。
結界内はWウィルスによって外界と隔離されている。
だが転送用の魔道具によって巣黒支部と接続されている状況下では別だ。
電波も巣黒の近くの基地局に直に届くはずだから、通話料も変わらない。
「今、そっちでネットに繋げるか?」
『学校の視聴覚室にいるけど』
「そいつは重畳。ちょっくら送って欲しいデータがあるんだ」
『何のデータ? あと舞奈の携帯でいいの?』
「いんや……」
言いつつ側の明日香を見やる。
見返してきた明日香がうなずく。
何時の間にか、明日香の目前には広げられたノートパソコン。
大広間にあったものを勝手に拝借してきたのだ。
「……今から知らないアドレスからメールが行くはずだ。そいつに返信してくれ。必要なものも書いてあるはずだ」
『了解。……来たわ。…………何このアドレス』
「ヤンキーっぽくて格好いいだろう?」
『……いいけど。これならすぐに用意できるわ』
「頼むぜ! あと……いや何でもない。帰ったら話す」
『変なフラグたてないでよ』
「そういうんじゃないよ」
軽口で締めながら電話を切る。
「データ来たわよ」
「さっすがテック様だ」
側の明日香の返事に不敵に笑う。
明日香もパソコンを普通に操作するくらいはできる。
だからノートパソコンの画面の中で、データチェック用の情報窓を脇に移動する。
代わりに表示されたのは、周囲の地図だ。
大きく2ヵ所にマーキングされている。
ひとつは禍川支部ビルがある保健所。
もうひとつは死酷人糞舎。
今回の騒動を引き起こした殴山一子がいる場所だ。
こうしてヴィジュアルで見てみると、四国の一端を覆う結界のほぼ中心に位置するのがわかる。
「ちなみに銃と目ぼしい資材は表に運んでおいたぜ」
「気が利くじゃない。なら、すぐに出れるわね」
「ああ」
2人は不敵な笑みを交わす。
舞奈は支部の奪還が済んだらやりたいことがあった。
増援の術者と一緒に、殴山一子を叩きのめしてやりたかった。
奴がスプラの、バーンの、トルソの仇だから。切丸を狂わせた元凶だから。
結局、【組合】の術者は来られなくなった。
奴に叩き返す借りがひとつ増えた。
まあ、いつものことだ。
この手のことで、舞奈の手の届かない場所で状況が有利に運んだ試しはない。
けど、側の明日香が同じことを考えていたのが少し嬉しかった。
だから2人は、奥の間に鎮座する男たちの亡骸を振り返る。
ピアース、月輪、【禍川総会】の異能力者たち。
舞奈と明日香は揃って彼らに一礼する。
2人とも敬意を表す宗教的、組織的な作法を持たない。
だから学校の朝礼で校長先生にするように深々と首を垂れる。
横たわって動かない勇士の姿を――彼らがそこにいた事実を心に焼きつける。
そして――
「――御力をお借りします」
明日香が恭しくひざまずき、月輪の首を手に取った。