依頼2 ~禍川支部奪還
……翌朝のホームルーム前。
「ん? また支部から呼び出しだ」
「こっちもよ」
舞奈と明日香は携帯を手にして顔を見合わせる。
ここ最近、【機関】支部には何度も足を運んでいたはずだ。
用事があるなら、ついでに声をかけてくれればよかったのに。
昨日の今日で状況が変わるとも思えないのだが。
そうは思ったものの、先方にも都合があるのだろうと前向きに考える。
まあ先日からバタバタしていたのは事実だ。
慌てた人間はミスをするし、ミスは放置しても広がるだけだ。
なので普段通りにつつがなく授業を受けた後、2人は支部を訪れた。
そして例によって打ちっぱなしのコンクリート壁が物々しい会議室で、
「屍虫狩りはともかく、まあ確かに他県に出向いてってのは普通じゃあないな」
「うむ、そうなのだろう?」
舞奈の言葉に、何故かしたり顔でニュットがうなずく。
側で明日香が、ニュットの隣でフィクサーが、そんな2人を無言で見やる。
「……地元の支部では対処できないということですか?」
「うむ。まあ、そういうことになるな」
明日香の問いに、ニュットは歯切れ悪く答える。
まあ数日前に引き受けた泥人間殲滅任務も似たような状況ではあった。
県の支部の執行人との共同作戦。
敵の本丸は結局、舞奈と明日香で片づけてしまったが。
それでも件の作戦の舞台は隣町寄りとは言え巣黒の管轄だった。
だが今回、提示された仕事は遠い他県で行われる特殊な作戦への参加。
他県のトラブルに巣黒の仕事人が駆り出されるなんて前代未聞だ。
何故なら【機関】の支部は都道府県毎に存在する。
地元の支部にだって人手はあるはずだ。
よしんば戦力が足りないにしろ、人を募るのは近隣の支部からというのが組織として本来の動き方ではないだろうか?
まあ巣黒支部も他県に移動したグルゴーガンやプロートニクが度を越えた有事の際に駆けつけてくれたことが何度かある。
だが今回の任務は、そういうしがらみとも無縁な様子。
だから明日香のみならず、舞奈も不審感もあらわに依頼主を見やる。だが、
「疑問はもっともだ。だが、まず、これを見てくれたまえ。ニュット君」
「うむ」
フィクサーに促され、ニュットが1枚の写真を取り出す。
美しい緑色をした島の写真だ。
「航空写真ですか?」
「そうなのだ」
言われて見やり、
「ああ、こいつなら知ってるぞ」
「うむうむ、そうなのだろう」
思い出したのは、社会科の授業で見た地図だ。
一見すると変哲のない島に見えるこの写真。
だが映っているのは我が国の南方に位置する国土の一部……つまり四国だ。
狭い島国に人いっぱいとは言いつつも、遥か上空から俯瞰すれば緑の多い美しい島。
だが舞奈は気づいた。
この写真、美麗な緑の島の上端の一部が不自然に黒く染まっている。
「……光の加減でも間違えたか?」
「現場の状況を正確に撮影できているのだよ」
舞奈の問いに、だがニュットは糸目はそのまま口元を歪めて答え、
「信じられない話だが、その部分は超巨大な戦術結界だ」
フィクサーは普段と変わらぬ冷たい声色で言葉を継ぐ。
それでもサングラスで不明瞭な表情の端々から動揺がうかがえる。
「結界!?」
「戦術ってレベルじゃないけどな」
側の明日香は素直に驚愕。
舞奈も軽口こそ叩いたものの、驚いていることには変わりない。
「昨日の正午、四国の一部を中心に巨大な結界が出現した」
「そいつがこれってことか」
「その通りだ。現在、結界内部は外界と隔離された状態にある」
「こりゃまた」
フィクサーはあくまで冷徹に事実を語る。
舞奈はできるだけ動揺を表に出さぬよう苦笑する。
戦術結界とは、空間を周囲から『切り離す』ことにより隔離する技術だ。
隔離された空間に出入りするには強い魔力で結界を破壊するか、高度な魔法で結界に穴を開けるか、術者を倒して結界を解除するしかない。
その利便性ゆえに多くの敵が行使し、舞奈たちも普通に対処してきた。
明日香も、おそらくニュットも大魔法として結界の創造は可能。
ありふれた技術ではある。
だが、それは戦術レベル――施設ひとつか広くても数キロ程度の代物の話だ。
ひとつの県を丸ごと閉じこめるような結界など前代未聞だ。
舞奈はこれでも裏の世界の戦いに3年近く関わってきた。
だが、こんな出鱈目は見たことも聞いたこともない。
それは舞奈たちなんかよりずっと昔からこの世界を知っているニュットやフィクサーにとっても同じらしい。
正真正銘の異常事態という訳だ。
ここ数日の混乱は、こいつの前兆でも見つけて調べていたといったところか。
「【機関】各支部の技術部及び【組合】の見解を総合した結果、【大尸来臨郷】に相当する道術による結界だと結論づけられた」
「もちろん規模は桁違いだがな」
「まあ、そうだろうな……」
フィクサーの言葉とニュットの補足に思わずうなずく。
ひと口に結界と言っても礎となる流派により用いられる基礎技術や特徴が異なる。
中でも道術は主に怪異どもが使う妖術だ。
道術による結界創造術【大尸来臨郷】は怪異が別の怪異を贄にして行使する。
つまり、このとんでもない状況は、人に仇成す怪異どもの仕業だということだ。
まあ奴らがやりそうなことといえば、その通りだが。
「これほどまでの結界を創造可能な贄を如何に確保したかの目星はつきましたか?」
明日香が問う。
道術【大尸来臨郷】は怪異を贄にして行使する大魔法だ。
それが裏の世界の常識すら超越した規模で発現されたというのなら、それに相応しい大量の贄が消費されたと読んだのだろう。舞奈も考えは同じだ。
だから明日香と、無言で言葉を促す舞奈の前で、
「Wウィルスだ」
「うむ。県内全域に何者かの手によりWウィルスが拡散、怪異の技術で用いられたWウィルスを媒体として結界が生成されたと【組合】は判断しているのだ」
「まあ理屈はわからんでもないが……」
フィクサーが答え、ニュットが補足する。
その言葉に舞奈はうなずく。
Wウィルスは怪異の手によるウィルスだと聞いた。
だから怪異の代わりに贄として消費することも可能と言われれば納得はできる。
要はウィルスの形をした怪異なのだろう。
何とも胸糞の悪い、奴ららしいやりかただ。
「Wウィルスは【組合】が結界で防いでるんじゃなかったのか?」
「正確には神社庁の術者たちと協力してな。だが……」
何気ない疑問に糸目が反応し、
「国内において、問題の地域だけは結界で防護されていなかった」
「そいつはどういう……ああ」
「結界創造に用いるはずの媒体が、該当地域から意図的に撤去されていたのだよ」
「……バーチャルギアか」
「うむ」
答えに舞奈は口元を歪める。
なるほど状況のすべてに合点がいった。
ディフェンダーズが追っていた国際テロリストが持ち去ったWウィルス。
その実態はウィルス型の怪異だった。
対して、表向きは変哲のない家庭用ゲーム機であるバーチャルギア。
だが実際は防御魔法や回復魔法で人が住む地域を守っていた。
それを排したゲーム規制条例。正式名はネット・ゲーム依存症対策条例といったか。
そして無防備になった街に放たれたWウィルス。
ウィルスを媒体に創造された巨大な結界。
すべてが、ずっと以前から仕組まれていたということなのだろう。
「中の状況は?」
「わからんのだ」
「待てよ、わからんってこたぁないだろう」
「いや本当に内部の状況を知る手立てがないのだよ」
舞奈の疑問にニュットは無体な答えを返し、
「有線、無線による通信は不可能。探知魔法や占術すら無力化されるのだ。もちろん目視や光学的手段による観測は問題外なのだよ」
「その通りだ。現在、該当地域を管轄する禍川支部との連絡は完全に途絶」
「……」
フィクサーまでもが信じられない事実を認める。
四国が小さな島に見えるほど縮小された写真で視認できる範囲の結界化。
規模としては、ひとつの県がまるごと取りこまれている。
しかも現代技術と魔法技術、どちらによる探知も不可能。
無論、これほどの規模の異常事態であれば【組合】の術者だって動く。
だが魔術の精髄を極めた魔術師、大魔道士を何人も擁する【組合】が関与してすら
魔法的な情報収集は不可能だという。
正真正銘の異常事態に絶句する舞奈と明日香。
そんな2人に、
「だが禍川支部の術者1名が魔道具による転移により県外への脱出に成功した」
フィクサーが告げる。
「術者……女の子か? 無事なのか?」
「うむ。現在は隣県の支部で療養中なのだ。疲労が激しく当分は絶対安静ではあるのだが、まあ大事はないのだよ」
ニュットの答えにひとまず胸をなでおろした舞奈の側で、
「彼女の話によると、術からの警告を受けた数刻後に周囲の大気に異変を確認。それがWウィルスだったのだがな」
「術からの受動的な警告……というと呪術師ですか?」
「うむ。彼女はセイズ呪術師なのだよ」
話の腰を折った明日香が微妙な表情をする。
だがニュットは気にせず話を続ける。
「彼女は支部へ緊急連絡。支部は執行人を招集。彼女自身と招集に応じた100名程度の異能力者が支部の拠点に集結したのだ」
「えらく統制が取れてるじゃないか」
「まあ禍川支部の戦力の中核である【禍川総会】の前身は異能力者が集まったチーマーなのだからな」
「お、おう……」
「それは良いですから」
舞奈の茶々にも屈せずニュットは語る。
「だが同時に地域住民にまぎれていた脂虫が一斉に屍虫へと進行したのだ」
「まさか県の脂虫が全部か?」
「それはわからんのだ。だが相当量の屍虫が拠点に殺到。施設内の一般職員はウィルスの作用により昏倒。異能力者たちだけで防戦を余儀なくされたのだ。彼らは今も孤立無援で抵抗中と思われるのだよ」
「相当『量』か……」
「うむ」
ニュットから伝えられた事実に口元を歪める。
いつもふざけて他者を惑わせる彼女。
だが、この類の状況説明で嘘はつかない。
誤解を招く表現すら使わない。
彼女がそう表現したなら、件の支部には本当に数を数える余地すらなく『量』としか表現しようのない大量の屍虫が殺到したのだ。
それも、ただ悪臭と犯罪をまき散らすだけの脂虫じゃない。
脂虫が進行し、なけなしの理性の喪失と引き換えに人外のパワーを得た屍虫が。
それもWウィルスを利用した手品だろうか?
そのような戦力が、まあ今回の状況を生み出した何者かによって支部の攻略にすべて動員されたと考えることはできる。
だが逆に結界内――県じゅうの脂虫が進行したという見解に反論する材料もない。
要するにゾンビ映画の世界だ。
そして舞奈が今まで関わってきたトラブルで、舞奈が関与しないところで状況は常に最悪の方向に動いていた。今回だけが例外だと断ずる材料もまた見つからない。
そんな中から、辛くもひとりの少女が逃げのびた。
結界の中の惨状を他の支部に伝えるために。
「もちろん緘口令と情報管制は敷かれているのだよ」
「当然だ」
「だが、これほどの事態だ。露見も時間の問題と見るべきだろう」
「そりゃまあ、そうだろうな……」
当然と言えば当然の事実に舞奈は苦笑し、
「その場合【組合】の協力のもと大魔法にて結界を破壊、該当地域を殲滅する」
「……」
続く言葉に絶句する。
だが、その決定すら【機関】上層部なら考えそうなことだと理解できてしまう。
なにより【組合】の理念は術者の保護、そして魔法や超常現象のの隠匿。
怪異のウィルスとゾンビの群れの存在を他県の市民に知られるくらいなら、事故か災害に偽装してひとつの県をまるごと焼け野原にすることを選ぶだろう。
なにせ魔術師、大魔道士を何人も擁する【組合】だ。
大魔法による絨毯爆撃だって可能だ。
例えば舞奈が知る高等魔術【雷電の嵐】、カバラ魔術【神意の嵐】。
あるいは更に恐ろしい強大な破壊の御力。
それらが複数の術者によって行使され、結界ごと該当地域を焼き尽くす。
人も怪異も、建物すら区別がつかなくなるほど徹底的に。
そんなウィルスの蔓延以上の惨事の予感に、舞奈に明日香、話を切り出したニュットやフィクサーまでもが息を飲む。
「そこで君たちへの任務だが」
惨劇の予感を振り払うようにフィクサーが口を開く。
「全面攻撃に先立ち、各支部からの有志による禍川支部奪還作戦が決行される」
フィクサーは冷徹な声色で言葉を継ぐ。
そうしながらサングラスの奥の瞳で2人を見やる。
舞奈と明日香。巣黒最強の仕事人【掃除屋】を。
「少数精鋭の攻略部隊により結界内に侵入、支部を奪還。現地で抵抗中の執行人と合流し、協力して転送用魔道具を再起動するのだ」
「ほう」
「そこから増援を送りこむことができれば、大魔法による爆撃よりは穏便に該当地域を解放できる目算なのだ」
ニュットは普段と同じ落ち着きを取り戻して補足する。
「なるほど。今回の依頼は、そいつへの参加って訳か」
舞奈と明日香も、2人を真正面から見やる。
対して2人も無言で肯定する。
「結界内部にはWウィルスが充満している。隣県の術者及び異能力者数名が結界に穴を開けて侵入を試みたが、全員が昏倒、無力化された」
「うむ。内部に送りこんだ式神も術者から離れると解体されてしまうのだ。ウィルスに微弱ながらプラスの魔力を抑制する効果もあると【組合】は判断したのだ」
「人間を行動不能に、魔法を消去するウィルスですか」
「うむ。そのため【組合】は配下の術者たちに転移によるものを含む結界内への侵入を禁じたのだよ」
「じゃあ有志も入ったらダメなんじゃないのか?」
Wウィルスのあまりの脅威に舞奈は首を傾げ、
「だが例外があるのだよ。以前に実施したパッチテストで、極めて少数ながらWウィルスへのほぼ完全な抵抗力を持つ者がいることが判明した。彼らだけはWウィルスが充満する結界中でも普通に活動できるのだ。その中から有志を募ったのだよ」
「つまり、あたしたちもその完全な抵抗力の保持者って訳か」
「そういうことだ」
続くニュットの言葉にうなずく。
まあ正直なところ、その事実は事前に奈良坂がおもらししていた。
だが、自分たちがここに呼ばれた理由は理解できた。
結界内で活動できる、おそらく全国でも数えるほどしかいない選ばれた人間。
そのうち2人がSランクとそのパートナーだというのなら、たとえ遠い他県にいたとしても、協力を乞おうとするのは自然なことだ。
「禍川支部には転送用の魔道具が設置されておるのだが、先方の端末が彼女の転移を最後に機能を停止しておってな」
ニュットは変わらぬ口調で言葉を続ける。
「そいつを再起動、ないし調整すれば【組合】から援軍が送れる」
「援軍だと?」
「うむ。ウィルスを無力化する結界を無理やりに創造し、拠点とするのだ」
「そこにさらに術者を投入して拠点を広げるって訳か」
「力技ですね」
「だが効果的な手段には変わりないのだよ。そして先だって先方の魔道具を使えるようにする作戦の重要性もな」
説明に、明日香と2人してうなずく。
舞奈たちウィルスを無効化できる斥候が先方の支部を奪還し魔道具を修理。
すると魔法を極めた【組合】の術者が転移を駆使して拠点を設置。
後は残る敵を殲滅するなり、内部から結界を破壊するなり首謀者を排除するなり如何様にもしてくれる。
それだけの力が【組合】にはある。
なまじ事態が大きくなったから彼らも本気だ。
そういう後ろ盾があるのなら、少数精鋭による敵地への侵入作戦にも希望が持てる。
「それでも今回の作戦への参加は強制はしない」
ニュットの言葉への補足のように、フィクサーは2人へ告げる。
「今回の敵の戦力は未知数。加えてバックアップを期待できない完全なスタンドアロンによる作戦となる。万が一にも救援は不可能だ」
「そんな状況は、今に始まったことじゃないだろ?」
対して舞奈は不敵な笑みを浮かべる。
側で明日香もうなずく。
今までの作戦でだって、舞奈と明日香は数々の危険を承知の上で戦ってきた。
ここ数回のディフェンダーズとの共闘もそうだ。
以前のKASC攻略戦でも敵首謀者の排除を2人で成し遂げた。
それ以前の数々の戦いでも。
その理由に高額の報奨が含まれていないと言えば嘘になる(少なくとも舞奈は)。
だが、それ以上に自分が最強であるという自負が決断の決め手となった。
今回の件、舞奈たちには静観する選択肢があるらしい。
だが、その結果、作戦が失敗して大魔法で一掃されたと聞くのは目覚めが悪い。
最悪の場合、この手の攻撃に対する有効な対処法がないまま別の地域が攻撃され、今度はバックアップがないどころか2人だけでの対処を余儀なくされる可能性すらある。
だから、この分が悪い賭けに乗ることに決めた。
何故なら舞奈のいない状況下で、悪い事態はさらに悪い方向に進む。
それが舞奈が10年そこらの人生、3年ほどの実戦経験で思い知った教訓だから。
おそらく側の明日香も同じだろう。
だからフィクサーは、珍しくニュットまでもが神妙にうなずく。
2人並んだ最強のの子供の、想いを汲んで。
「ならば【掃除屋】に正式に作戦参加を依頼する。決行は今週末。現地への移動手段は当方で手配する」
「週末でいいのか? 急いでると思うんだが」
「無論、一刻を争う事態だ。故に作戦の失敗を確認後に二次攻略部隊を編成する余裕はない。よって君たちにも万全の準備のもとに作戦に臨んで欲しい」
「なるほどな、了解だ」
問いにフィクサーは生真面目に答える。
舞奈も同じ表情でうなずく。
まあ突入する人員こそ少数精鋭とはいえ、全国から人を募った大規模な作戦だ。
昨日の今日で強行しても、作戦開始すらおぼつかないぐだぐだな状況になるだけなのは想像するまでもなくわかる。
もちろん舞奈も、そんな作戦に間に合わせの装備で挑むつもりはない。
そのようにして今週末の、舞奈たちの禍川支部奪還作戦への参加が決定した。