姿なき侵略
「――という訳なんだ」
「それはそれで3種類の卵料理が食べられて良かったアルよ」
「3種類っていうかな……」
中華料理屋のカウンターで担々麺をすすりながら、舞奈はやれやれと苦笑する。
張が商う『太賢飯店』は、今日も今日とて夕飯時なのに客がいない。
なので少し早めの夕食を頬張りがてら、舞奈は張と歓談中だ。
話のネタは先日の調理実習。
もちろん舞奈の身には、調理実習の前からいろいろなことがあった。
日曜日の仕事では共闘した他支部のチームが壊滅。
帰りに寄った花屋では目前でタンクローリーが横転/爆発事故をやらかした。
こっちのほうが学校の授業よりずっとセンセーショナルで、世間話にも向いている。
だが人や物が壊れるなんて舞奈の身の回りでは日常茶飯事だ。
他の何者をも凌駕する難敵を、舞奈と明日香が容易く倒すのも。
そんな退屈な話より、今は平和で面白おかしい学校のことを話したかった。
……正直、花屋で見た夢の影響も少しある。
そういえば調理実習の際に、チャビーは普通にニンジンを食べていたと思い出す。
皆で作ったからだろうか?
無邪気なお子様チャビーだが、ああ見えて人の輪を重んずる人物だ。
そんなことを考えて口元に笑みを浮かべた途端、
「それにしても舞奈ちゃんのクラスはなんというか……自由アルね」
「タガが外れた奴が何人かいるのは事実だがな」
アレなものを見る目で苦笑する張に、少しむくれた声色で答える。
それでも小皿の餃子をご飯と一緒に頬張った途端、至福の笑みが浮かぶ。
そういえば張の料理を食うのも久しぶりな気がした。
餃子の皮と肉汁たっぷりの挽肉と、刻んだニラのハーモニーを愉しみつつ、
「そういやあ梓ちゃんたちも調理実習ってやったのか?」
担々麺に箸を入れつつ舞奈は問う。
麺と挽肉のそぼろにからんだスープに混ざる、山椒と豆板醤が香る。途端、
「そりゃあもう梓はクラスで一番のオムライスを作ったアルよ」
張は破顔する。
梓はジュニアアイドル双葉あずさの中の人だ。
その実態は張の養女にして、舞奈より1学年上の6年生だったりする。
「店から持って行った調味料を使って中華風の味付けにしたそうアル。お友達にも好評で、先生にも褒められたと嬉しそうに言っていたアルよ」
「そいつは聞いただけで美味そうだ」
「そうアルとも! 歌のレッスンの合間に夕食の準備も手伝ってくれるアルから、料理の腕もちょっとしたものアルよ」
「理想の女の子じゃあないか」
誰かさんとは正反対にな。
歌はプロ並み(というかプロ)、料理の技前もプロが認めた梓に対し、明日香は料理は専門外、絵も酷ければ歌は非人道兵器レベルという攻撃力に特化した女だ。
まあ舞奈も別に、他人をとやかく言えるほど歌や料理が上手な訳ではないが。
そんなことを考え苦笑する舞奈と逆に、娘を褒められた張は満面の笑みを浮かべる。
張は娘を溺愛している。
以前に張は暴走自動車から身を挺して梓を守った。
張から梓の護衛を依頼されたこともある。
梓も梓でアイドル活動の側、最近は友人と一緒に日曜日だけ店の手伝いをしている。
仲睦まじくて何よりだ。
そんな、まあ色々と事情はあるにせよ普通の親子の姿に思わず目を細め、
「そういやあ、話は変わるんだが」
「どうしたアルか? 急に難しい顔をして」
「いやな……」
訝しむ張に、何食わぬ調子で話したのは花屋で見た夢の話だ。
崩壊した20年後の世界を舞台にしたリアルすぎる夢。
鋼鉄の巨人が跋扈する死と破壊の物語。
一聴すると荒唐無稽な御伽話を、麺と餃子を交互に口に運びながら語る。
張の反応から感じる、異能や魔法のことを市井の人に語るような感触。
それでも舞奈の夢は機密でも何でもない。だが……
「……その話、あまり他の人には話さないほうが良いアルよ」
「話すとどうなるんだよ?」
尋ねた舞奈を張は妙に真面目な表情で見やる。
そして首の見えない禿頭の横で指をクルクル回した。
「……ああ知ってるよ」
舞奈は口をへの字に曲げる。
先日にテックに話して似たような反応をされたからだ。
支部でソォナムや小夜子やサチに話した時も同じだった。
「あんたにバーチャルギアの何がわかるんだ」
「よく知ってるアルよ」
悔し紛れの捨て台詞の、
「ひょっとしてゲーマーなのか?」
「そういう訳じゃないアルが、ゲームに梓の歌が使われてるアルよ」
「なるほどな……」
張の答えに驚きながらも納得する。
梓は新進気鋭のジュニアアイドル双葉あずさだ。
以前に彼女を護衛したのもアイドル活動がらみのトラブルからだ。
可愛らしいあずさの歌は、商店街のケーキ屋のテーマソングから子供向け番組の挿入歌にまでなっている。
彼女の歌声は大人も子供も笑顔にする。
正の魔力の源として、作戦で術者をサポートしたこともあった。
そんな彼女の歌がゲームに使われていると言われても納得できる。
同じゲームを諜報部のチー牛どももやっているらしいし、客層もかぶるのだろう。
なので散々にキの字扱いされた心の傷を慰めるように、双葉あずさの清楚ながら魅惑的な容姿と歌声を思い出していると、
「まあ、バーチャルギアを媒介して魔法をかけることは可能アルが」
「なんだよ出来るんじゃないか」
張はそんなことを言い出した。
舞奈は思わず飯から顔をあげて張を見やる。だが、
「【精神幽閉】で装置から離れた個人を捕まえるような使い方はできないアルよ」
「じゃあ何ができるんだよ」
張は洗い物をしながら苦笑する。
思わずむくれる舞奈だが、
「機器を中心にした防御魔法や回復魔法アル」
「……なるほど、まあ術者らしいっちゃあ術者らしいな」
当然みたいな口調の張の答え納得する。
術者と魔法を守護する【クロノス賢人組合】。
魔力の源である正の感情を芸術によって鼓舞する【ミューズの探索者協会】。
なるほどゲーム機に偽装した魔道具を使って彼らがやろうとすることが、ゲームで遊んでいるプレイヤーの防護と治療と言われれば納得はできる。
ネットワークに繋がるとも聞くし、遠くから皆を守護するのだろう。
あるいは斯様に市井の人々を守ることそのものも魔法の習練なのかもしれない。
正しい感情は正しい魔力の源だ。
だからプレイヤーを楽しませることで喜びという感情を賦活するだけじゃない。
ゲームに興ずる無辜の人々を守護することで、そうしようと努力することで自身のプラスの感情をも鼓舞し、より多くの魔力を生み出すのだ。
だからこそ【組合】【協会】は術者による術者のための組織たりえる。
そんなことを考えて思わず笑う舞奈に、
「けど最近、その件で少しばかり厄介なことが起きてるアルよ」
張は言いつつ少し難しい表情をした。
舞奈の表情が瞬時に変わる。
言葉の響きの裏に、少しばかり剣呑な状況を感じ取ったからだ。
舞奈は歌でプラスの感情を賦活させることも、感情を魔力に昇華させることもできない。だが、その高潔な行為を邪魔する企てに即座に反応し、阻止することができる。
だからこそ舞奈は魔法を使わぬSランクたりえる。
「その話をあたしにしても大丈夫なのか?」
「舞奈ちゃんなら問題ないアルよ。……無関係じゃなくなる可能性も高いアルし」
「どういうことだ?」
いつもと同じキナ臭い話になってきた。
だが舞奈はいつもの癖で、表情の変化を悟られぬよう平然と張に尋ねる。
「つい先日、【組合】の術者が集ってバーチャルギアを媒介して大規模な結界の創造を試みたアル」
「そいつはまた大層な話だな」
「目的は国全体の……少なくとも市民が暮らす地域全域の守護アルからね」
「……Wウィルスからか?」
「そうアル。……知ってたアルか」
「まあな」
少し驚いた張に、何食わぬ表情で答える。
だが今しがたの説明で、舞奈もいろいろなことに合点がいった。
ディフェンダーズの面々が奪取しようとした危険なウィルス。
だがウィルスはヴィランによって運び去られた後だった。
だからイリアは有事に備えて【機関】の皆のWウィルスへの耐性を調べていた。
逆に【組合】はウィルスによる有事そのものを防ごうとしているのだろう。
張の話では【組合】の術者たちはバーチャルギアを媒体に魔法が使える。
そのバーチャルギアは家庭用ゲーム機として全国に普及している。
だから国土全体を結界で覆い、プレイヤーやその友人たちに防護と治癒の恩恵をもたらすことも不可能ではないのだろう。
「けど」
張は続ける。
「ひとつ問題が発生しているアル」
「問題だと?」
舞奈は問いかけ、先をうながす。
「四国の一部に結界が張れない地域があるアルよ」
「バーチャルギアがない場所ってことか。山の中じゃなくてか?」
「山は別途、神社庁が対策してくれたアルよ。けど問題なのは、人がいるのにバーチャルギアが普及していない地域アル」
張の答えにひっかかりを感じ、
「……そっちの方にも、新開発区みたいな場所があるってことか?」
「新開発区はそもそも人いないアルけどね」
「うっせぇ」
普段の意匠返しのような張の言葉に口をへの字に曲げる。
だがすぐに、
「とある県が、条例でバーチャルギアの所持を禁止しているアル」
「……そういうことか」
次なる張の言葉で思い出す。
どこか遠くでそんな条例が施行されたと、以前にテックに聞いた記憶がある。
その政策を、テックや明日香が理不尽がっていたことも覚えている。
それでも当時は自分たちとは関係ない他県の話だと思っていた。
だが、おぼろげな記憶に聞いたばかりの情報を掛け合わせ、舞奈は気づいた。
ウィルスの被害を防ぐために【組合】の術者が全土に施そうとしている結界。
結界はバーチャルギアを媒体として創造される。
そのバーチャルギアが、特定の県では理不尽に所有を禁止されている。
条例、すなわち、その土地の為政者の思惑によって。
「……それって、けっこうな大事なんじゃないのか」
「その通りアルよ」
食べ終わった椀を下げながら、張は舞奈の疑問に何食わぬ調子で答える。
為政者の意向によってウィルスの脅威から無防備にされた特定の県。
その事実そのものも、多くの市民の生命を脅かす危機だ。
それ以上に脅威なのは、意図的に県民をウィルスの危険にさらす為政者の存在だ。
まあ考え方によっては怪異やWウィルス、それらに対抗する【組合】や術者の存在を知らぬ故に愚かな選択をしただけだと擁護することもできるだろう。
だが舞奈の経験則から導き出される見解は別だ。
つまり、この水面下での危機の裏で、滓田妖一のような、あるいはKASCの悪党どものような、権力者から顔と地位を簒奪した怪異が蠢いている。
張や【組合】の見解も同じなのだろう。
だから張は言ったのだ。
遠からず舞奈の出番が来るかもしれないと。
それでも遠く離れた他県の王に対し、現状で舞奈ができることはない。
もちろん張にも。
だから、それが可能な【組合】や他の組織の重鎮に対応をまかせ、一見して普段と同じ穏やかな生活を続けている。
否、英気を養っている。
だから舞奈も今日はデザート代わりに桃の乗った杏仁豆腐を平らげると、くちくなった腹をさすりながら帰路へとついた。
そして、その翌日。
普段と変わらぬホームルーム前の教室。
「――で、生き残った彼女もこの学校の高等部に在籍してるそうよ」
「じゃあ何かの機会に慰めに行ってあげないとな」
「まったく、ナンパすることしか考えてないんだから」
「そんなんじゃないよ」
ツッコむ明日香に口をへの字に曲げてみせる。
舞奈と明日香は少し早めの時間に登校してきた。
話題の中心は先日に共闘した【グングニル】のことだ。
明日香の話では、先方の唯一の生き残りであるレインは高等部の生徒らしい。
そういえば着ていた制服もこの学校のものだった。
だから少しでも心の支えになれればと下心なく(本当に!)思っていたら、
「おっテックじゃないか。ちーっす」
「おはよう工藤さん」
「あ、舞奈。明日香。おはよう」
更に早く来ていたテックが自席でタブレットを見ていた。
明日香の白い視線から逃れるように、
「なんか面白いニュースでもあるか?」
軽口めかしてタブレットを覗きこむ。
テックの表情が不自然に深刻だったという理由もある。
無口で無表情な彼女の、それでも表情の機微は付き合いが長ければわかる。
そんな舞奈の態度で彼女も察したのだろう、
「面白いニュースかはわからないけど」
テックはタブレットの画面を舞奈に向ける。
当てずっぽうが当たったわけではないのだろうが、ニュースサイトの記事のようだ。
横から明日香も覗きこむ。
途端、2人の表情が変わった。
「四国の特定地域が音信不通? って、穏やかな話じゃないな」
記事の内容を一瞬で斜め読みして口元を歪める。
ちょうど昨日、張から聞いた話が脳裏をよぎったからだ。
曰くWウィルスの蔓延に備えて【組合】の術者が結界を張ろうとしている。
だが四国の一部に施術不能な地域があると。
その地域の為政者の意向によって。
「そんな話、今朝のニュースじゃ見なかったぞ?」
「テレビのニュース番組には報道管制が敷かれてるらしいわ」
疑問を呈した舞奈に答えたのは明日香だった。
こちらはいくらか事情を知っているらしい。
彼女の実家は民間警備会社【安倍総合警備保障】。
おまけに彼女自身も魔道士として【組合】と接触する権限を持つ。
「でも音信不通なのは本当。該当地域の店やネットサービスをしてる企業に何件か連絡してみたけど、全滅」
「店がやってないんじゃなくてか?」
「出ないんじゃなくて繋がらなかった。そもそも24時間やってるネットのサービスが特定地域だけ一斉に使えなくなるなんて普通じゃない」
「まあ、そりゃそうだが……」
テックの言葉に口元を歪め、
「問題の地域って、まさか――」
「――ええ。ネット・ゲーム依存症対策条例――例のゲーム規制条例があった県よ」
「バーチャルギアがない県って訳か」
続く情報に、苦虫をかみつぶしたような表情になる。
先日に張が――【組合】が危惧していた事態が現実になろうとしている。
そんな気がしてならない。
そして舞奈の悪い予感はよく当たる。
特に舞奈自身が手を出せない事柄について。
それでもまだ、すぐに舞奈たちの身の回りで何かが起こることはなかった。
じきに他の生徒も登校してきて普段通りにホームルームが始まり、授業をして、給食を食べて、午後にも授業をした。
当然ながらクラスメートにも教師たちにも特に変わった様子はなかった。
みゃー子の挙動が妙と言えば妙だったが、奴の言動はいつも変だ。
それでも舞奈たちは休憩時間に情報収集をしようとした。
6年の鷹乃や、ちょっと頑張って高等部の小夜子たちやソォナムを尋ねてみた。
携帯で【機関】支部に問い合わせてもみた。
だが、どの手段でもテックや張からの情報以上の何かがつかめることはなかった。
残念ながらレインにも会えなかった。
支部の大人たちがいつも以上に慌ただしかった気がしたが、こちらも舞奈たちの出番が近いやもとほのめかされただけで確実な何かが伝えられることはなかった。
遠くではあるが無関係ではない何処かで、何かが起こっている。
だが、その正体が何なのか、どうすればいいのか誰もわからない。
そんな雰囲気だった。
だから胸騒ぎを覚えながらも、舞奈たちは自分にできる唯一のことをした。
つまり普段通りに下校した。




