ささやかな平穏の陰で
「なあ志門、今からでもくじ引きで班分けしなおさないか?」
「そ、そうだ、それがいいと思う!」
「いいや断る」
頭に三角巾をかぶったエプロン姿の男子たちが嘆願する。
対して舞奈は同じ格好で仁王立ちしたまま容赦なく切って捨てる。
トラブルにトラブルが続いた日曜日。
無駄に徒労した月曜日。
その翌日、火曜日の4時間目は、待ちに待った家庭科室での調理実習だ。
日曜に起きた悲惨な事故のことを、男子たちもクラスの皆も早くも忘れた様子。
まあ見知った顔に被害がなければそんなものだ。
なので舞奈も彼らに倣い、【グングニル】や轢かれた彼の顔を脳裏から振り払う。
幸いにして彼らとは当日に会っただけだ。
だから犠牲も、痛みも、じきに忘れることができる……はずだ。
そんな風に一瞬の白昼夢のような物思いにふける舞奈の前で、
「おっ俺たちだって真神のごはんを食べたいんだ!」
「そうだそうだ!」
男子がとうとうと言い募る。
特に何かを失ったわけではない男子たちにとって、目前の飯は大事だ。
舞奈も状況が同じなら同じことを言うだろう。
そんな両者の側で、
「あのね、今日はオムライスだから、教科書通りに作れば誰でも美味しくできるよ」
引き合いに出された園香が苦笑する。
小5の皆が実習で作る料理は、学校側で準備された材料を使ったオムライス。
多少のロスを見こんでか、食材の量は相応以上。
もちろん授業で料理を楽しんだ後はお待ちかねの実食だ。
なお給食の代わりがそれなので、少しばかり緊張感があったりもする。
そして班決めは生徒の自主性に委ねられた。
舞奈は幸いにして園香と同じ班になれた。
なので学校で合法的に園香の手料理を食べられる。
だが園香はひとりしかいない。だから、
「けどさー体育の時間は志門に絶対勝てないし、俺たち幸薄くね?」
「そうだそうだ!」
「ならどうするよ? この場で園香を賭けて勝負でもするか?」
「ええっそれは……」
業を煮やした舞奈が凄んだ途端に男子は怯み、
「いや、そこはもう少し意地張ってくれよ……」
「やめなさいよ。埃が立つでしょ」
「舞奈はゾマをどうしたいのよ」
まな板を構えて不敵に笑う舞奈を明日香が、テックがジト目で見やる。
マスクの上からかけられた明日香の眼鏡が冷淡に光る。
そんな明日香を、舞奈は無言で見返す。
皆と同じ三角巾とマスク姿。
なのに何故かこいつだけ彼女の執事と同様、料理するんじゃなく何か別のものを斬り刻む人のように見える。雰囲気が優しくないからかもしれない。
そんな明日香の佇まいに恐れをなしたわけでもないのだろうが、
「仕方がない。自分たちの食いぶちは自分たちで何とかしよう……」
男子たちは誰ともない諦めの言葉とともに自分たちの料理を開始する。
「そうだな俺たちの班に真神はいないけど、安倍や小室もいないしな……」
「小室さんと同じ扱い……」
地味にショックを受ける明日香。
下フレームの眼鏡が見やる先には小室さんことみゃー子。
ふわふわ髪の意味不明な友人は、調理台の下でニンジャみたいにカサカサしていた。
まあ、ある意味、普段通りの奇行である。だが、
「やめろよこれからメシ作るってときに……」
口をへの字に曲げた舞奈をはじめ、皆が嫌そうな顔で見やる。
当然だ。
「みゃー子……」
「小室さん……」
「みゃー子ちゃん……」
テックや明日香はもとより、園香までもが本気で嫌そうな顔をしている。
心優しく穏やかな彼女こんな表情ができることに思わず舞奈も驚くほどだ。
ちなみに舞奈の班は舞奈と明日香、園香とチャビーに、テックとみゃー子。
うちひとりは、このように明確に戦力外。
「小室さん、食べ物を扱う場面でそれはダメなのです」
「みゃー子ちゃんってば、そんな恰好をしてるとミケに食べられちゃうのー」
隣の班の委員長や桜もジト目を見やり、
「わー桜ちゃんのところのミケは虫をとるの? すごい!」
(おまえん家のネコポチも、前に脂虫を狩ってたがな)
無邪気にはしゃぐチャビーに舞奈は苦笑する。
彼女の家の子猫は魔獣マンティコアだった過去を持つ。
なので以前にチャビー宅に侵入したPTA会長の脂虫を魔法で屠ったこともある。
そんな今となっては些細な一幕に思わず口元に笑みを浮かべる舞奈の側で、
「まあいいわ。わたしはチキンライスの鶏肉を切るから、真神さんと日比野さんは米と他の材料をお願い」
「はーい」
修羅離れして切り替えが早いせいか、いち早くニンジャショックから立ち直った明日香が料理を仕切る。だが……
「……安倍さん、包丁の持ち方が先生が言ってたのと違うよ?」
「目のつけどころが鋭いわね。逆手で持った方が力を入れやすいのよ。それに突くときに早くできるし振り回すときにも自分を切らなくて済むわ」
「?? そうなんだ。安倍さんって物知りだ! スゴイ!」
「……調理実習の包丁を、突いたり振り回したりするな」
明日香はチャビーに料理とは関係ない一生使わないであろう知識を吹きこむ。
舞奈は思わずツッコみをいれる。
な? 男子が言った通りだろ? と言外にほのめかすのも忘れない。
そんな男子も、別に料理が得意な訳ではないらしい。
奴らの卵が着実にスクランブルエッグ風の創作料理になる様子を尻目に、
「スマン園香、皆を仕切ってやってくれるか? お前がいちばん頼りになる」
「はーい」
舞奈は園香に希望を託す。
他所は他所。うちはうち。
舞奈は絶対に園香の絶品オムライスを食べたい。
余計な失敗はしたくない。
かくいう舞奈も自炊くらいする。
それ故に料理に関しては園香にまかせ、できるだけ邪魔しないようにするのが最良だとわかってしまう。だから、
「テックちゃん、鶏肉をお願いできる?」
「うん」
「わっ包丁の使い方が上手だ」
「刃物はちょっと得意。プラモデルとか作るから」
「うんうん。切り方が丁寧だね」
「でもちょっと形が不揃い……」
「ふふっ、卵で隠れるから平気かな。あっチャビーちゃん卵を割れたね。やった!」
「ゾマが言ったとおりにやったらできたんだよ!」
「……」
園香のお母さんっぷりを見やって明日香が凹む。
そんな眼鏡に生あたたかい視線を向けて、
「明日香、おまえはこっちでサラダの葉っぱを千切るんだ」
舞奈もキュウリを刻みながら、努めて冷徹に呼びつける。
テックにそんな才能があるなんて知らなかった。
それに意外にもチャビーが頑張っているのが頼もしい。
普段から真面目にお袋さんの手伝いをしている成果だ。
なので舞奈が戦力外2人をうまいこと抑えていれば、4時間目が終わるころには男子も羨む絶品ランチにありつけそうだ。修羅離れした舞奈の腕の見せ所だ。
そのようにほくそ笑む舞奈が見やる先、隣の班で……
「……西園寺さん、マスクをしなくちゃダメなのです。ツバがとぶのです」
「嫌ですわ! 息苦しくて耐えられませんわ!」
麗華様がマスクを拒否していた。
料理以前の問題である。
「麗華ちゃん、給食の時はちゃんとしてるのに」
「調理の間中ずーっとマスクしてるのが嫌ですの!」
可愛らしく首をかしげるモモカに、麗華はノーマスクで食って掛かる。
近くで見ている舞奈は(せめて大声出すな)と言いたかった。
だが言っても無駄そうなので、放っておいてニンジンのカットに取りかかる。
そもそも三角巾から縦ロールの髪がダイナミックにはみ出ているのだ。
麗華様に衛生面で何か期待するのは無駄だと思った。
最強Sランクの舞奈だが、どうにもならない事柄に対しての諦めは早い。
それが戦場で生き残る秘訣だと思っている。
「申し訳ございません。麗華様は肺活量が少ないんです」
「長くしてると呼吸ができなくなるンすよ」
「ええ……」
デニスとジャネットの微妙なフォローに委員長が動揺する。
「ならアイドルらしく声がはっきり出る桜はマスクを外す理由がないのー」
「……桜さんはえらいのです」
ひとりごちる桜を委員長が褒める。
正直、桜も外して良ければ外して歌でも歌いたいのだろう。
だが自制した。
桜が委員長の指示のもとボイストレーニングに励んでいるのは事実だ。
それに桜は貧乏子だくさんの家の子だけあって、手伝いも真面目にしてるらしい。
付け合わせの野菜を切る手つきも鮮やかだ。
まあ単に食事の準備でふざけると飯が抜きになる環境なのかもしれないが。
にしても、あてつけ代わりに桜が評価されるなんて余程のことだ。
麗華様の悪目立ちにも困ったものである。
浅黒い肌のデニスが溢れる体力で卵を混ぜつつ、小太りなジャネットが桜と並んで鮮やかなナイフさばきでニンジンを刻みつつ、ノーマスクの姉妹を見やって苦笑して、
「……虚弱体質かよおまえは」
隣の班の男子が思わずツッコむ。
こちらはもうオムレツは諦めて、昼食は創作スクランブルエッグ風たまごチャーハンに決めたらしい。その思い切りの良さは評価したいと舞奈は思う。
卓越した感覚で、フライパンから漂ってくる匂いを嗅ぎ分けてみる。
見た目はともかく味付けの方は首尾よくいっているようだ。
予備の食材も全部フライパンにぶちこんだらしく、あちらも味、量ともに申し分ない楽しい試食タイムになりそうだ。
対して視線を麗華様に戻すと……
「……小室さん!? なっ何をなさいますの!?」
ニンジャにカサカサ追いかけられていた。
みゃー子が何をする気かなんてわかる奴などいる訳がない。
だが追いかけただけで必死で逃げる麗華様の反応が、面白いと言えば面白い。
……調理実習中にマスクなし、三角巾から縦ロールの髪がはみ出た状態で教室じゅうを走り回ったりしなければ。
「小室さん、西園寺さん……」
「やめろよメシに埃が入るだろう……」
委員長は呆然と、舞奈はやれやれと苦笑する。
テックも迷惑そうに、麗華に蔑みの視線を向ける。
明日香も2人をジト目で見やる。
麗華が机にぶつからないよう気をつけて追いこんでいるのがわかるのだ。
眼鏡の彼女は無駄なことが無駄だからという理由で嫌いだ。
そんな技量があるのに、つまらないことに使うなと思っているのだろう。
園香やチャビーも料理の側、もう本物のアレを見るような目で2匹を見やり、
「ミーンミーン! カナカナカナ!」
「かーんべーんしてくださいませー!」
「ハハハッ! 人様の机にぶつからないように逃げるンすよ!」
「もう少しおしとやかに走ったほうがいいのでは?」
みゃー子に追われて走る麗華にジャネットとデニスが面白おかしく注意を促す。
にもかかわらず……
「……あっ!?」
麗華様はお約束のように他の班の女子に激突。
皆が呆然と見やる中、ボウルの中の小麦粉を頭からかぶってくしゃみを連発。
もちろんノーマスクで。
もはや家庭科室は麗華様のワンマンステージだ。悪い意味で。
「……ったく、しょうがねぇな」
舞奈はやれやれと苦笑しながら持ち場を離れる。
そしてランダムに走り回るみゃー子の目前に一挙動かつ最短距離で躍り出て、
「プシュー」
言いつつ指鉄砲を向ける。
人を指差したら行けないと教わらなかった訳じゃないが、ニンジャは例外だ。
なので途端、
「ジジジジジ!」
みゃー子はひっくり返って痙攣し始めた。
まったく無駄なリアルさが料理する場所にそぐわないこと甚だしい。
と、まあ、そんなこんなで麗華様のグループの料理は……
「……力が至らずごめんなさいなのです」
委員長は心の底から申し訳なさそうにうなだれる。
手にしたフライパンの中身は、料理というより戦闘の結果みたいな代物だった。
どうやら麗華や委員長たちの班には料理ができる人材が誰もいなかったようだ。
何かとそつのない委員長も料理だけは今ひとつ振るわないらしい。
明日香が心の友よ! みたいな表情で委員長を見やる。
「まあ、こいつの手前、女だから料理くらいできろとかは言わんが」
「……何ですって?」
横目で見やったところを睨み返してきた明日香から目をそらし、
「もうちょっとこう、頑張れよ」
皿に盛られたそれを見やって苦笑い。
いちおう男の料理として成立している男子のグループより酷い有様だ。
少し離れた場所で見ていた家庭科の先生も困っている。
こちらは、まあ、こんなになる前に教員として大人として助け船を出してやればよかったのにとは少し思う。
「大丈夫なンす。ロスにいたころ、もっと酷いものを食べたこともあるンすよ」
「この国の食材は衛生面に十分すぎる配慮がされてますし、問題なく食べられますよ」
ジャネットとデニスがフォローする。
委員長は凹む。
そりゃまあ、そんなレベルの慰めかたをされても困るだろうと舞奈も思う。
「お姉ちゃんみたいに上手くできなかったのー」
「モモカもバイト君に料理を教わらなきゃね」
しょげかえる桜とモモカの前に、
「大丈夫」
すっくと園香が立った。
「ちゃんと火は通ってるから、こうやって焦げたところを取って味を調えればチキンライスとして食べられるよ」
にこやかな笑みのまま、鮮やかな手つきで失敗料理をリメイクする。
もちろん背にした調理台に並んだ人数分の更には、ホカホカと食欲をそそる卵とケチャップを香らせるオムライス。
料理の場では園香がヒーローだ。誰も彼女にかなわない。
「こりゃ凄い、そんな特技まであるなんてな」
「昔、遠くのお友達と遊んだことが何度かあって、その子が料理は好きなんだけど、よく失敗するから……」
思わず笑顔で労う舞奈に、園香はえへへと照れつつ答える。
「園香にも、そんな友達がいたのか」
「うん。小さい頃のことなんだけどね」
「その子の話、聞いたことある!」
笑みを向け合う舞奈と園香に、チャビーが元気に口を挟んでくる。
舞奈が知らないくらい昔の話というと、低学年の頃ということになる。
当時はチャビーも病弱だったから、話に聞いただけと言われても納得できる。
その頃から園香は料理ができて、あまつさえ他人のフォローまでしていたらしい。
そんな舞奈たちの側で、
「な、なあ花園。良かったらボクたちの料理をわけてあげるよ」
「わあ! ありがとう!」
太っちょ男子が殊勝にもそんな話を持ちかけてきた。
さすがはモモカ。ぶりっ子の面目躍如である。
……男子に女子が胃袋をつかまれてる事については特に何も言わないとして。
「それなら、わたしたちの班の料理も皆で食べようか? みんな、良いかな?」
「わたしは賛成ー」
園香が申し出てチャビーが賛同する。
お子様チャビーは男子のスクランブルエッグ風謎チャーハンが気になるらしい。
チャビーのお袋さんは料理も割と得意らしいし、身近に園香が居るから失敗作のフォロー品みたいのを食ったことはないのだろう。
なので3つの班は、それぞれの実習料理を分け合って試食に臨むこととなった。
そのようにして、男子どもは園香の料理にありついたのだった。
と、まあ、そんなこんなで調理実習も無事(?)に終わった。
そして午後の授業もつつがなく過ぎ去り、放課後。
「なんか最近、呼び出しが多いなあ」
「界隈で何か何か大きな厄介事でもあるのかしら」
「そういやあ昨日もバタバタしてたっけ……」
舞奈は明日香と並んで統零町の灰色の大通りを歩く。
下校のついでに【機関】支部へ赴く道すがらだ。
またしても携帯に呼び出しのメールがあったのだ。
そして保健所の敷地の片隅に座する、とある寂れたビルに入る。
「舞奈ちゃ~ん、明日香ちゃ~ん、いらっしゃぁ~い」
「へへっ今日も来ちゃった」
「こんばんは」
昨日と同じように小柄で巨乳な受付嬢が出迎える。
舞奈も昨日と同じように鼻をのばし、それを見やって明日香が肩をすくめていると、
「シモン! アスカ! いらっしゃいデース!」
奥から小柄な怪人物がやってきた。
なびく金髪に黒マント。
イリアである。
ディフェンダーズのひとりドクター・プリヤの中の人であり、飛び級で海外の大学を卒業した天才女子中学生。
「呼んだのは、あんただったのか」
「Yes! お2人を呼んだのは、ちょっとしたテストをするためデス」
困惑する2人を見やってイリアはにこやかに笑う。
現在、ディフェンダーズは休止中だ。
リーダーであるミスター・イアソンことアーガス氏が療養中のためだ。
なので彼女は学位を生かして医者の仕事をしていると聞いていた。
「テストだと?」
「Yees!」
マントの中から鳥のくちばしのような形のペストマスクを取り出し、かぶる。
次いで同じ場所から何やら機材を取り出し、
「腕を出してくださいデス」
「そのマスクしながら何かされるの嫌なんだが……」
「イイカラ! イイカラ! Oh! すごい筋肉デス!」
しぶしぶブラウスの袖をまくった舞奈の腕にペタリと何か貼る。
ひんやりとした、それでいて微かに痺れるような感触に口元を歪める。
正直、こんな軽いノリの中学生に意味も分からないまま何かされるのは不本意だ。
だが彼女は医学や毒劇物の扱いに長けた医師にして悪魔術師。
つまりは識者だ。
識者の言葉には耳を傾けるべきだと舞奈は経験則から知っている。
それが、たとえ今は胡散臭いペストマスクをかぶっていても。
そんなペストマスク怪人は腕を出した明日香にも同じようにパッチを貼りつつ、
「パッチテストですか?」
「Yes!」
明日香の問いに元気よく答える。
そいつは舞奈も聞いたことがある。
たしか本来は皮膚アレルギーの検査に使う方法だったはずだ。
「そいつで何を調べるっていうんだ?」
「Wウィルスへの耐性デース!」
「皮膚に貼ってわかりますか?」
思わず尋ねた舞奈へのイリアの答えに、明日香は首をかしげてみせる。
対してペストマスク怪人は何食わぬ調子で、
「Wウィルスは怪異と同じマイナスの魔力から生み出された特別な毒デス。耐性がなければ皮膚に触れただけでも体内に浸透し、様々な悪影響を引き起こしマス」
「うわっ!? なんてもの貼りやがる」
「弱毒化してあるのでノープロブレムデス」
答えた途端に舞奈は叫ぶ。
対してイリアはマスクを外し、何食わぬ表情で朗らかに笑う。
このペストマスクは医者の仕事をするときの正装のつもりだろうか。
その勘違いを誰かが正す必要があると思うのだが……。
それはともかく、Wウィルスはヴィランどもが開発した危険なウィルスだと聞く。
アーガス氏は話の中で、ウィルスを使った風の呪術を喰らっただけで身体が痺れて動けなくなったとも言っていた。
だが舞奈がひとしきり嫌そうな表情と態度で不快感を表意してから腕を見やると、毒々しい色のパッチを貼られた場所に特に異常はない。体がだるいとかもない。
隣でテストを受けた明日香も同様だ。
それがパッチのウィルスが弱毒化されているからなのか、舞奈たちに何らかの抵抗力があるからか、あるいは時間が経った後で別の災難が起きるのかは判断できない。
その辺も事前に何がどうなるのか納得のゆく説明があるべきだと思うのだが……。
「けど、何でまたいきなりこんなことを」
「Wウィルスを持ちだした何者かが国内で動き始めたデス」
気を取りなおした舞奈の問いに、イリアは少しひそめた声で答える。
別に聞かれて困るような相手はいない。
だが、まあ彼女もその場のノリを優先したい人種なのだろう。
それもまた……術者の資質のひとつではある。
自分の心に正直すぎる彼女の生き方が、学才のみならずアートを魔力に変えて森羅万象を操る悪魔術の礎にもなっている事実は疑いようもない。
「【組合】のMageたちが結界を張ってウィルスから市街地を守るデス」
「そちらの作業に動員される予定ですか?」
「いえ、結界の創造そのものは現地のdeviceを利用するから楽ちんデス」
明日香の問いにイリアは答え、
「でもShikokuの一部に結界を張れない場所がありマシて」
「つまり、有事の際に動けるかどうかの確認って訳か」
「Yesデース」
「なるほどな……」
続く答えに舞奈も納得する。
怪異の研究施設からWウィルスが持ちだされたのは以前に聞いた。
それによる被害を防ぐべく【組合】が何かしているらしい。
だが、そちらも順風満帆とはいっていないようだ。
だから舞奈たちも何らかの尻拭いに駆り出される可能性があり、そのための準備なのだと聞けば、まあ事情は納得できる。
要は日曜の共同任務と同じだ。
そいつが次の仕事になったとして、まあ先日みたいに無駄に人が死にまくる仕事じゃないといいんだがと舞奈は思う。
だが、それを決めるのは舞奈たちじゃないことも知っている。
なので2人はイリアと少し世間話などした後、今日は大人しく帰宅した。