夢の余韻
昼間には園香の親父さんに……怒られて、作戦で共闘した県のチームは壊滅、帰りに花屋で自動ドアに激突した挙句に女の胸だと思って揉んだらバイト店員の腹だった。
そんなロクでもない一日を、それでも管理人特製の絶品ピザで〆た日曜日。
その翌日、昨日とは打って変わって平和な月曜の朝。
舞奈が普段通りに新開発区を踏破し、検問の兵士に挨拶し、校門前でベティとクレアと世話話した後、ホームルーム前の教室に登校してくると――
「――でね、すごく大きな音がしたのー」
「うんうん! ドッカ――――ンっていって、お店がゆれたんだよ!」
「ひえっ!」
「でね、お外を見たら真っ黒で、ガラス窓にはおっきな破片が突き刺さってたの」
「おっかねぇ……」
モモカと桜のツーマンショーが開催されていた。
媚び媚びのゼスチャーを交えて可愛らしく語られる、割とシャレになってない目撃証言に男子どもは恐れおののきつつも興味津々だ。
まあ無理もない。
昨日のタンクローリー横転事故はちょっとしたニュースになっていた。
死傷者も2名いたとはっきり報じられた。
うちひとりは当校の高等部の生徒だということも知れ渡っていたし、事故があった通りの近く(というか目の前)に花屋兼モモカの自宅があるのは皆が知っている。
……そんなモモカの隣に桜がいる意味はわからんが。
余談だが、舞奈たちの通う蔵乃巣学園は給食も学食(中等部以上)も美味い半面スポーツにあまり力が入っていないせいで、特に男子は全体的に肥え気味だ。
シルエットは早くもチー牛や中年男性に近い。
そんな男子どもがモモカに群がる様は、まるでジュニアアイドルの撮影会だ。
「っていうか花園の店は大丈夫だったのか?」
「うん! 舞奈ちゃんが身を挺して守ってくれたから!」
「マイちゃんが!? 凄いなのー」
「志門が!? 無茶しやがって……」
黙って聞いていたら話がおかしな方向に転がり始めた。
なので空に向かって黙とうを始めたぽっちゃり男子どもに、
「言っとくが、おまえらが空に見てるのあたしじゃねぇからな」
ツッコむ。途端、
「あ! マイちゃんなのー」
「ひえっ志門!?」
「不死身か!?」
「タンクローリーにぶつかって、無事で済んでたまるか」
男子どもは事故の話を聞いたとき以上に目を見開いて舞奈を見やる。
対して舞奈は苦笑する。
まったく奴らの中で、舞奈はどういう存在になってるんだか。
「そうじゃなくて、自動ドアを壊して開かなくしたのよ!」
客観的に見た状況に気づいているやらいないやら、モモカは媚び媚びの声とポーズで釈明する。
「でね、そのすぐ後に事故が起きたの。だからお店の中は無事だったんだー!」
「自動ドアを……壊した!?」
「うんうん。ど――ん! って思いっきりぶつかったら動かなくなったの!」
「なるほど。衝撃でベルトがずれたか、センサーかモーターがイカれたか……」
「志門、頭良いいんだなあ」
モモカ情報に男子どもも納得したらしい。
改めて畏敬の表情で舞奈を見やる。
「いや、ちょっと待て。自動ドアって近づいたら開かないか?」
「でもほら、志門だぜ?」
「ああ……」
どういう納得の仕方だよ。
舞奈はやれやれと苦笑する。
まあ多少の誤解は混ざっているが、やったこと自体は間違っていない。
本当は店の外で轢かれそうになっていた女の子を救おうとした。
だが自動ドアにぶつかって不覚にも気絶。挙句にドアも壊れた。
その直後にタンクローリーは横転、爆発 (したらしい)。
なのでまあ、舞奈がモモカの店を爆発の被害から防ぐ形になったのは事実だ。
外に飛び出せても流石に事故を止められたはずもなく爆発に巻きこまれていただろうし、当の少女も女装していただけの高等部の男子だったので結果オーライだ。
「そういやあモモカ、世話かけてスマン」
「いいのよ! だって舞奈ちゃんはお店の恩人だもん」
声をかけるとモモカも笑う。
ドアに激突して気を失った舞奈は、店の隅で気づいた。
設置されていたベンチをベッド代わりにバイト店員が介抱してくれていたのだ。
放りだした花束も拾っておいてくれた。
もちろん全部モモカの指示だったらしい。
ジャケットの下のナイフや拳銃が無事だったのもモモカの意向か、あるいは一見してやる気なさそうなバイトおっさんの意外に高いモラルの成せる業か。
どちらにせよ礼代わりにモモカと笑みを交わし……
「……麗華様はどうしたよ?」
人の輪から離れて3人組に歩み寄る。
教室の隅で大人しくしていた彼女らに気づいたからだ。
この手の祭りで麗華様が悪目立ちしないのは珍しい。
普段なら自分以外の誰かが目立っているのが気にいらず難癖つけてきそうなものだ。
なので柄にもなく青い顔をして押し黙った麗華様を訝しみつつ、
「あ、舞奈様」
「実は昨日の事故の絡みで少し面倒なことになってるンすよ」
「面倒だと?」
デニスとジャネットの言葉に首をかしげる。
それによると、昨日、麗華は取り巻きを連れて花屋を訪れようとしていたらしい。
客として来店する麗華をモモカが(割と無責任に)持ち上げるからだ。
まあ、あざとく商魂たくましいモモカからすれば、金回りが良く財布のヒモのゆるめかたも熟知している麗華は良いおも……お得意様でもあるのだろう。
ともかく商店街に赴いた3人は、花屋の近くの通りで桜と委員長に会った。
例によってリヤカーを引いて、近所の寺へ仏花を運ぶバイトの途中だ。
そこでマウントをとろうとしない辺りが麗華のささやかな良心。
……否。委員長の親が自分のところを遥かに超える大物だと気づいているのだ。
クラスの女王様も大変だ。
ともかく5人はモモカの店から少し離れた通りで世間話に花を咲かせた。
その際デニスは、麗華と桜が不自然に会話を長引かせようとしているように感じたと話していた。もちろん個人的な感想だと前置きしたうえで。
そうこうするうちに、花屋のある方向から爆発音がした。
例のタンクローリー爆発事故だ。
5人はあわてて花屋に向かった。
危機管理意識の高い委員長の指示のもと、荒事に慣れたデニスとジャネットに率いられた一行は万難を排して遠くから現場を見やった。
彼女らから見ても酷い有様だったらしい。
遠くから眺めるだけで(麗華様が)腰を抜かして失禁するほどだったそうだ。
そして死傷者が2名いたと、晩のニュースで報じられた。
それすら事故の規模に比べれば破格の少なさだと方々で話題になっていた。
もしも麗華や取り巻き、桜と委員長が井戸端会議を早めに切り上げて花屋に向かっていたら、そこに+5されていたのは想像に難くない。
その事実を麗華は正しく認識した。
その結果が、目前で顔面蒼白のままプルプル震えている今日の麗華様だ。
まあ、それが普通の小5の反応だろうと舞奈は思う。
桜の神経がアレすぎるなのだ。
まあモモカの隣でヒロイン気取りな理由はわかったが。
平和なのか修羅離れしているのかわからん2人を見ながら舞奈が苦笑していると、
「志門さん!!」
「うわっ何だいきなり」
今気がついたみたいに麗華様がつかみかかってきた。
立ったまま気絶していたらしい。器用だ。
「志門さん! 本当に貴女ですのね!? よかった! 安倍明日香が凄い形相で走って行って、女の子が轢かれたって……うぐっ……ひっく」
言い募りながら泣きじゃくる。
普段はあんなな麗華様も可愛いところもあるもんだと思ってほっこりする。
けど彼女のくしゃくしゃな表情が、昨日見たレインの泣き顔とダブって見えて、
「やれやれ、おまえがそんなに友達想いなんて知らなかったよ」
軽く言葉を返しながら麗華の頭をぽんと撫でる。
人見知りそうなレインに、そうしてやれる人間はもういない。
あの性格の悪い脂虫の野猿がレインの迷惑になっていなかったとは思えない。
脂虫は悪臭で、言動で人に仇成す害畜だ。
それでも奴の最大の落ち度は彼女の前からいなくなったことだと舞奈は思う。
少なくとも、あんな形でないほうがよかった。
見知った顔が心構えもなく物になるのは、それが誰でも良い気分じゃないから。
そんなことを思った矢先に、
「おいやめろ! あたしの服はティッシュじゃねぇ!」
あわてて麗華を引きはがす。
この女、調子に乗ってジャケットの裾で鼻をかんでいやがった。
見やったデニスとジャネットも苦笑している。
気づいたなら止めてくれればよかったのに。
「「ううっ志門……」」
「いや、おまえらは何しに来やがった」
気づくと何時の間にか男子どもが麗華の周りに集まって男泣きをしていた。
こいつらも、たいがい雰囲気だけで生きてやがるなあ。
やれやれと苦笑する。
今回はモモカと桜から麗華様がギャラリーを引きはがした形になる。
そう気づいて、思わず口元に笑みが浮かぶ。
麗華様はクラスの女王様として皆の中心になるのが夢だったのだ。
だがまあ、今の麗華様本人はそれどころじゃないだろ。
まあ人生なんてそんなものだ。
そんなことを考えながら、再び人の輪を抜け出す。
「あーあ、ぐしょぐしょじゃねぇか」
ジャケットの端をハンカチで拭きながら、訪れたのは教室の隅のテックの席だ。
「……おはよう舞奈」
「やれやれ、朝からとんだ騒ぎだぜ」
テックは普段と変わらぬ様子で私物のタブレットから顔を上げる。
クラスの騒ぎを傍観しつつ、情報を集めていたらしい。
流石はテックだ。そんな彼女に、
「そういやあテック。こんな話を知ってるか?」
「何?」
ふと思い立ち、語ったのはクラスで話題の事故の話ではない。
事故の最中、気を失った舞奈が見た夢の話だ。
遠い未来を舞台にした荒唐無稽な、だが妙にリアルな夢の話。
それについてテックなら何か知っているんじゃないかと、特に根拠もなく思った。
舞奈はあの夢の背後にバーチャルギアが関与していると疑っているのだ。
テックは天才ハッカーで、日常的にバーチャルギアで遊んでいる。
そして実はモモカもバーチャルギアを持っていると小耳にはさんだことがある。
休日にたまに遊んでいるそうな。
そいつと、こう……何かあったのかと思って、裏付けをとりたかった。だが、
「崩壊した未来でロボット戦争? 確かに興味を引く内容だけど」
「……まあ、要約すればそうなるな」
「けどバーチャルギアの対応ソフトにそういうゲームはないし、発売される予定も聞いたことはないわ」
テックは無表情にそう答えた。
正確に言えばフラットな無表情より……少し困惑気味だ。
「じゃあさ。あれだ、何かのショックで繋がったりとかすることはないのか?」
「何に?」
「ゲームに」
「ユーザー登録もなしに?」
「事故にそんなもの関係ないだろう」
「……じゃあショックっていうのは例えば?」
「そりゃまー…………転んでひっくり返ったとか?」
「ええ……」
なおも食い下がる舞奈に、テックは困惑を通り越してドン引きした表情で、
「……ねえ舞奈」
「おっ、何か思い当たったか?」
「4年生の予防接種の時のこと覚えてる?」
「そりゃまあ覚えてるが……」
諭すように冷ややかに言った。
対する舞奈は苦々しい表情で答える。
1年前、舞奈たちが4年生のときに、学年全体で予防接種をした。
その際に注射を担当した医師があまりに悪人面だったため、中等部だか高等部だかから与太を吹きこまれた馬鹿が錯乱した。
噂の中身は、注射器の中身が敵性を持つナノマシンだという面白おかしい代物。
信じた馬鹿は麗華様と数人の男子。
麗華様は経血が青くなったと口走った挙句に証拠を求められて社会的に自爆。
彼女の月経周期を完全に把握していた男子がいてクラス一同ドン引きだった。
他の男子は男子で携帯に繋がるようになったと言ってみたり、磁石人間にされたから砂鉄が着くぞ! と教室を飛び出し、砂場に半身埋まって砂だらけになっていた。
こちらにも居合わせた低学年がドン引き。
当時、舞奈も人間こうはなりたくないと本気で思ったものだ。
だがテックは、今の舞奈の言動は奴らと同じだという。
……まあ客観的に省みると確かに同じだ。
なので口をへの字に曲げてそっぽを向く舞奈の隣に、
「……どこでそんなこと聞いたのよ?」
「ああ、明日香か」
黒髪のパートナーがいた。
舞奈が必死に言い募る間に登校してきていたらしい。
「いやな、昨日、花屋で転んだ時に夢を見て……」
「昨日って、花園さんのお店で? 様子がおかしいと思ったら……」
珍しくテックよりこちらのほうが話がわかると思った途端、
「……そういうこと」
明日香は何やら納得したような表情でみゃー子を見ていた。
釣られて見やったみゃー子は教室の隅で、透明な壁にぶつかるゼスチャーをしながらひっくり返って遊んでいた。
なので微妙にイラついて、
「……もういいよ」
口をへの字に曲げてそっぽを向く。
舞奈が見た夢の話を、こともあろうに彼女から吹きこまれたと思ったらしい。
なんでみゃー子と意思を疎通して、あまつさえものを教われると思うんだ?
舞奈がむくれていると、
「安倍さんおはよー! テックとマイもおはよー」
「みんな、おはよう」
チャビーと園香がやってきた。
「マイちゃん、よかった。無事だったんだね」
園香は自然な笑顔を装いながらも、安堵の表情を隠せない様子。
だから舞奈も彼女を安心させるように力こぶなど作りつつ、
「大丈夫だって。あたしはこの通りピンピンしてるぜ」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべてみせる。
園香も件の事故をニュースで知ったのだろう。
あるいは母親が買い出しのついでに噂でも聞いたのかもしれない。
商店街でタンクローリーが爆発炎上した恐ろしい事故の速報は多分の噂や憶測を交えて界隈を駆け巡った。
犠牲者のひとりが女の子だという情報も広まっていたはずだ。
でなければ明日香が店に飛びこんできた理由がない。
慎ましやかな園香は噂を聞いて走り出したりはしなかった。
だが昨日の間、ずっと不安な気持ちだったのだろう。
新開発区にある舞奈のアパートには基本的に電話は通じない。
そんなことなら花はなくても顔くらい出しても良かったなあと思う。
だからという訳ではないが、
「本当によかった。事故のニュースを見てからパパも元気がなくて」
「ハハッ本当にスマン」
意識して明るい口調で言って笑う。
園香父とも昼間にあんなことが……あったばかりだ。
事故の噂を聞いて、園香同様に気が気じゃなかったのだろう。
生真面目な彼のことだ。舞奈にもしものことがあったら園香以上に悔やんだだろう。
あの時、無理にでも引き留めておけば良かったと。
そんな父を、しょげかえる父の姿を見ていたであろう心優しい園香の心情を慮って、
「今度お邪魔した時にでもまとめて謝らないとなあ」
「うん。パパも今度マイちゃんとじっくり話をしたいって言ってたよ」
「そ、そうなんだ……」
言った途端にそんな返事が返ってきた。
舞奈は少し狼狽える。
たぶん父の言う話というのは主に舞奈の生活態度のことだろう。
そういう視点で自身の日頃の行いを省みると、まあ良くて小一時間の説教だろう。
園香父の人となりを知る舞奈には容易に予想できる。
それでも新開発区で戦友を看取り、少女の涙を目にし、かと思えば旧市街地でも目と鼻の先で洒落にならない事故がおきて、犠牲も出て、舞奈は妙な夢を見て、そう考えると父の無体な説教も、二度と彼ら、彼女らに会えないよりはるかにマシと思える。
だから舞奈は口元に自然な笑みを形作りながら、
「ま、まあ、考えとくよ」
何食わぬ口調で答えた。
視界の端で委員長が、事故をネタに騒ぐ桜に人の道を説いていた。
そんなこんなで放課後。
クラスメートに普段通りに挨拶し、和やかに別れてて下校する。
そのついでに、舞奈は【機関】支部へと足を運んだ。
目的のひとつは、件の夢について識者の意見を求めることだ。
バーチャルギアはゲーム機の皮をかぶった魔道具、すなわち魔法だ。
そしてテックはゲームや機械には詳しい。
だが魔法について詳しい訳じゃない。
「あら舞奈ちゃ~ん。昨日はおつかれさまぁ~」
「まあ仕事自体は順調だったんだけどな」
受付嬢の労いの言葉に苦笑を返す。
まあ泥人間の殲滅という仕事そのものが首尾よく終わったのは本当だ。
道士がいたが、そいつも特に問題なく排除した。
ただ、作戦開始直後に共闘していたチームが壊滅した。
作戦前に園香の親父さんとロクでもない目にあい、挙句に作戦後にも花屋で転んで妙な夢を見て、必要以上にお疲れだったのも事実だ。
そんなことを考えながら、小柄で巨乳な嬢を見やって普段と同じように相好を崩し、
「なんかバタバタしてないか?」
普段と微妙に違う職員の様子に首をかしげた途端、
「おや舞奈さん」
「おっソォナムちゃんじゃないか」
2階の方から快活な少女があらわれた。
固く結んだおさげ髪を左右にのばし、健康的な肌色の額には控えめなペイント。
諜報部の中川ソォナムだ。
学校では小夜子たちより1年先輩の高2の彼女を見上げて、ふと思い出し――
「――昨日、商店街の花屋の前から人払いしたろう?」
「気づかれていましたか」
「まあな」
問いに対して驚くソォナムを見やって笑う。
流石に日曜の夕方に爆発事故が起きたにしては、被害が少なすぎて不自然だった。
もちろん舞奈に定石より少ない被害を残念がる趣味はない。
そういうのは負の感情を糧とする怪異の考え方だからだ。
だが不自然なことには違いない。
ソォナムは預言によって商店街の惨劇を知り、被害を抑えるべく行動したのだ。
何故なら彼女は有能な占術士で、善良なチベット人の留学生だ。
そんな彼女は照れたような微笑を返す。
「それに実際に動いてくれたのはハットリさんですし」
「そっか、なら彼女にも礼言っといてくれ。花屋の近くにあたしの友人もいたんだ」
「そうでしたか。ふふ、かしこまりました」
謙遜するソォナムになおも笑みを向ける。
善良で快活なチベット人の少女も笑う。
彼女は事故の被害を少しでも減らすべくハットリに委託し、人払いをした。
別の路地で麗華様と桜たちが不自然に話しこんでいたのも、そのせいだ。
舞奈ほど術に耐性のない彼女らは、突如として芽生えた『花屋へ直行することへの禁忌感』に流されるまま井戸端会議を続けた。
デニスも不審に思ったが特に急かしたりはしなかった。
その結果、事故に巻きこまれずに済んだ。
おそらく同様に命拾いした人も多々いたはずだ。
だから礼を言いたかった。
あの事故の被害を最低限にまで抑えた何かが、誰かの善なる意思の元になされたことだと気づいたなら、労うくらいしてもバチは当たらないと思うから。
その様にして気分よく目的のひとつを果たした舞奈は、
「そういやあ、あんたにもうひとつ聞きたいことがあるんだが」
「はい、何でしょうか?」
ここに来た本来の用事を片付けようと問いかける。
例の夢の件だ。
技術的に詳しい話を聞きたいのなら糸目のニュットを見つけたほうがいいのだろう。
何せ奴は技術部所属の技術担当官。
だが奴はどうも胡散臭い。
はぐらかされたり面白おかしい与太をふきこまれる可能性がある。
以前に奴に適当なことを言われたアーガス氏が日曜の朝に来襲してきた件を舞奈は忘れてはいない。だが舞奈が胡散臭い夢の話をどう切り出そうか悩む隙に、
「あ、舞奈ちゃん」
「昨日は大変だったみたいね。報告に来たの?」
「いんや、昨日のことは昨日で終わったよ」
小夜子とサチがやってきた。
「っていうかソーは舞奈ちゃんに捕まってたのね」
「すいません小夜子さん。少し話しこんでしまって」
「ソーのせいじゃないわよ」
「ええっなんかゴメン……」
ちょっと険のある口調の小夜子に思わず詫びる。
どうやら忙しいのは舞奈の気のせいじゃなかったらしい。加えて、
「舞奈ちゃん、昨日も女の子とよろしくしたばかりなのに」
「ああ、作戦のことも知ってるのか……」
ちょっと不満そうな表情を見やって舞奈も気づく。
先ほどサチが言った昨日のことというのは例の泥人間殲滅作戦のことだ。
件の作戦のことを、2人も聞かされていたらしい。まあ当然か。
共闘相手の【グングニル】に脂虫がいたことも知っているのであろう。
彼らとの共闘は同じ執行人の小夜子たちではなく【掃除屋】が実施。
結果【グングニル】は壊滅。
生き残ったのは紅一点のレインだけだ。
なんというか……まあ小夜子が面白くない気持ちもわからないでもない。
「……別に県のやりかたに文句を言うつもりはないけど」
ぶつぶつ文句を言う小夜子を見やって、ふと思いつき、
「ソォナムさんにも聞こうと思ったんだが」
「……ん? どうしたのよ?」
例の夢のことを、満を持して話してみる。
ここにいる全員が術者だし、小夜子の気晴らしになると思った。だが、
「ええ……。わたしは魔術師ではないですが、【精神幽閉】の不具合ではそういう現象は起きないのではないかと……」
ソォナムは申し訳なさそうにそう答えた。
「バーチャルギアってそんなこともできるの?」
「できないわよ」
機械音痴のサチに小夜子が無情に答え、
「舞奈ちゃん、昨日の仕事で何かあった?」
「いや特に変わったことはないが。……何かって?」
「変なものを拾って食べたとか」
逆に冗談でも皮肉でもない本気で気がかりな様子で尋ねてきた。
釣られてサチとソォナムむ気づかわしげに(というか可愛そうな子を見る目で)見やって来たので、
「食べないよ!」
舞奈は口をへの字に曲げて小夜子に答えた。
そのようにして結局、夢の真偽について何も得ることなく舞奈は支部を後にした。