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銃弾と攻撃魔法・無頼の少女  作者: 立川ありす
第16章 つぼみになりたい
332/579

火曜/強者と強者

 威力偵察の反省を踏まえたミーティングの翌日。

 人気のないホームルーム前の教室で、


「『Joker』のオーナーから聞いたのです」

 委員長が開口一番そう言った。


 新開発区の奥地に居を構えたヴィランたち。

 拠点を守る強固な結界を破るためには歌で強化された攻撃魔法(エヴォケーション)が必要だ。

 ディフェンダーズの科学者ドクター・プリヤの計算によると、結界の破壊に必要な強化を成しえるだけのパワーを秘めた歌を歌える歌い手は界隈にただひとり。

 目前の委員長だ。


 だから結界攻略戦が決行される今週末に、彼女にステージに立って欲しい。

 そのことを、オーナー経由で彼女に伝える算段になっていた。

 そんな委員長は舞奈を前に少し考えてから……


「……返事は待ってもらっていいですか? 今は少し時間が欲しいのです」

「ま、そりゃそうだろうな」

 考え深げな表情で答えた。


 それはそうだろうと舞奈も思う。

 ヒーローたちや【機関】の都合による、割と無茶目な要求なのは理解している。

 スケジュールも彼女自身の意思も、大事なことは何も考慮されていない。

 だから舞奈も、時間が迫っているからと念を押すことはしなかった。


 そして放課後……を少し過ぎた夕暮れ時。


「――思い出してみると、この前のヴィランどもは映画そっくりだったんだなあ」

「当然でしょ。本人なんだから」

 舞奈は明日香と並んで繁華街を歩いていた。

 行き先は『太賢飯店』。

 目的は本当に他の用事のない普通の食事である。


 実は放課後しばらく、テックと3人で視聴覚室に籠っていたのだ。

 ディフェンダーズの映画(ダイジェスト)を観ていたのだ。

 ついでにヒーローやヴィランについてムック本や資料も見せてもらった。


 何故なら話を聞いてみて、実際に戦ってみて、ヴィランたちの手札や動き方は映画に登場するキャラクターと似ていると思った。

 まあ本人なのだから当然と言えば当然か。

 なので来るべき結界攻略戦での敵について知っておこうと思ったのだ。

 明日香も知識として知ってはいたが、映画は見たことがなかったらしい。


 委員長の歌に頼るだけじゃいけない。

 舞奈たちもヒーローやヴィランについて勉強をしていたのだ。

 断じて遊んでいた訳ではない。


 映画の中のヴィランたちは、現実の彼女らと比べてビックリするほど当人だった。

 クイーン・ネメシスはマッチョでパワフルで、ヒーローたちを大いに苦しめていた。

 クラフターは先日の挙動よりはるかにキ〇ガイだった。


 そうこうしているうちに、少し早い夕飯時になってしまった。

 テックは門限があるらしいので明日香が呼んだタクシーで帰った。

 まあ夜道も物騒と言えば物騒だし、明日香的には迷惑料のつもりらしかった。


 だが舞奈は自業自得なので、明日香と2人で徒歩で帰宅だ。

 別に夜道も新開発区の怪異も舞奈にとっては物騒じゃないし。


 その道すがら、腹が減ったので張の店で食って帰ることにした。

 明日香の門限は明日香自身が決める。

 舞奈に門限はない。

 まあ前日に割引券を人に譲ったばかりだが、飯は食いたいときに食うのが美味い。


 そんな訳で着いた先の、赤いペンキが剥げかけた横開きのドアをガラリと開けて、


「張さん、こんばんは」

「食いに来てやったぞー!」

「おや明日香ちゃん、舞奈ちゃんも、いらっしゃいアル」

 饅頭のように肥え太った禿の店主が普段通りに出迎える。

 照明を控えた店内には例によって客はいない――


 ――否。


「こんなところで奇遇だな」

「よっ」

 カウンターで飯を食っていた金髪の女マッチョが手を振った。

 舞奈も何食わぬ表情で挨拶を返す。


 以前にスミスの店で出会った屈強な彼女。

 そして先日、新開発区で再会したヴィラン。

 クイーン・ネメシスその人が、カウンターの椅子に座って担々麺を食っていた。

 もちろん衣服は普段着らしいジーンズとシャツだが。


 まあ、まったく驚かなかったと言えば嘘になる。

 だがヴィランだって人間だ。飯だって食う。

 三食を新開発区に急増した臨時の拠点で食うのは辛いだろうし、飯の度に転移で故郷に戻るより隣町に飯屋があればそこで食うのは道理だ。

 張の店は基本的にニコニコ現金払いなのでカードも不要だし。


 そして椅子がつぶれそうなマッチョ女の巨躯の横から、2人の子供が顔を出す。

 彼女とは微妙に異なる色合いの金髪をした可愛らしい少年と少女。

 年のころは中学生ほどか。

 こちらも先ほど資料で見たばかりのリンカー姉弟だ。


 つば付き帽子を目深にかぶった弟はエミール。

 飯屋で食事中に帽子は如何なものかと少し思うが、あえてツッコまないことにする。

 映画でも常にそうだったし、頭髪か頭頂に問題があるのかもしれない。


 対照的に、流れるようなウェービーヘアをなびかせた姉はクラリス。

 出会った当初の楓と似た髪型だが、輝くような金髪でそうする様は圧巻。


 そんな2人は相手の心を読み、瞬間移動で翻弄する双子のサイキック暗殺者だ。

 見た目にそぐわず危険で厄介なヴィランたちを前に舞奈は……


(そっちの彼女も初対面じゃないな! 想像通りのカワイ子ちゃんでラッキーだ)

 強く念じる。

 途端、いきなり少女――クラリスがむせた。


 ここ数日、学校で感じていた視線。

 その正体も彼女だったと今ここで舞奈は確信した。

 根拠は視線にこもる熱、気配。

 加えて思い起こせば、あのとき漂っていた香りも目前の彼女とまったく同じ。


 学校に侵入して何か探っていたのだろう。

 まあ確かに正門はベティとクレアが見張っている。

 校内は術者や子猫が徘徊している。

 だが【転移能力(テレポーテーション)】で侵入し、【透明化能力(インビジブル)】あたりで潜伏するくらいは可能だ。

 なまじ妖術師(ソーサラー)や異能力者が多いので魔力感知では見つかりにくい。

 見ているだけで悪さをしないのなら占術や預言も反応しない。

 隣の誰かと違って猫を無駄に警戒させるような特技もないようだし。


 ケホケホとむせる少女、驚く少年、あわてるマッチョとおしぼりを持ってくる張を尻目に舞奈は何食わぬ表情のままマッチョ――クイーン・ネメシスの反対側の席に座る。

 そこがいつも舞奈が座っている席だからだ。他意はない。


「初対面の相手に、何いきなり失礼なことしてるのよ」

「……初めてじゃないからヤッたんだよ」

 明日香が冷ややかにツッコみながら、更に隣に座ると同時に、


「あんまり苛めてやらんでくれ。人見知りなんだ」

「すまんすまん。彼女があんまり可愛かったんでな」

 マッチョ女も少女の小さな背中をさすりながら苦笑する。

 舞奈は軽薄な笑みを返す。

 隣のマッチョと似ても似つかぬ華奢な顔立ちの彼女が、むせる姿も映画の中の彼女と同じくらい可愛らしいのは本当だ。

 手足もほっそりしていて、知人のどんな女子とも違う良い匂いがする。

 そんな舞奈に、明日香は普段通りの白い視線を向けてくる。


「舞奈ちゃんは、いつもの担々麺と餃子で良いアルか?」

「ああ頼む」

「わたしは天津飯とスープで」

 張が素知らぬ様子でカウンター越しに尋ねる。

 だから舞奈も明日香も慣れた調子で注文を頼む。

 そして張が普段と同じように料理の支度に戻ってから、


「もうひとりはどうした?」

「クラフターならCarrierを集めてるはずだ」

 何食わぬ顔で隣のマッチョに尋ねると、そんな答えが帰ってきた。


「ヤニ狩りか。……善人かよあいつは」

 言って舞奈は苦笑する。


 喫煙者は姿形こそ人に似るが、煙草の悪臭と犯罪をまき散らす怪異の一種だ。

 奴ら有害な怪異どもを、舞奈たち【機関】関係者は脂虫と呼ぶ。

 海外からの客人はCarrierと呼ぶ。保菌者という意味があるらしい。


 そんな怪異を、死霊使いクラフターは手駒として使い潰す。

 前回の戦いでも大量の脂虫をけしかけ、調査隊を苦戦させた。

 次も同じ手を使うつもりなのだろう。

 だから手駒を確保するために付近の脂虫を狩り集めているのだ。


 あくまで彼女らはヴィラン、つまり正義のヒーローたちと敵対する悪者である。

 だが人間社会から脂虫が1匹いなくなるたびに、奴らに奪われ壊されるはずだった小さな幸せが守られる事実は変わらない。


 舞奈は側の明日香と視線を交わす。


 以前の戦闘で調査隊を翻弄したクラフターはこの場にはいない。

 その隙に目前の3人を倒せば、今回の騒動の大半は終わる。


 こちらは魔術師(ウィザード)とSランク。

 勝算は十分にあるように思える。

 加えて今の彼女らと戦うのなら結界を破るための方策は必要ない。

 委員長の返事を待たずに対決が可能だ。

 しかも事態が動けば【機関】もヒーローたちも週末を待たずに敵の拠点を攻略し、前倒しで事が終わった日曜日には予定通りに園香たちとコンサートを堪能できる。


 だがクイーン・ネメシスを筆頭に、彼女ら3人ともが強力な超能力者(サイキック)なのも事実。

 準備もなく交戦するのが賢い選択とも思えない。

 舞奈と明日香だけならどうとでもなるが、周囲への被害は無視できない。

 ここが張の店の中なのはもちろんのこと、クイーン・ネメシスに本気で暴れられたら繁華街の半分ほどが焼け野原だと今の舞奈は知っている。

 むしろ積極的に交戦を回避すべく状況だ。


 なにより彼女らはヴィランだ。

 正義のヒーローの敵である悪者であり、【機関】では怪人と見なされる存在だ。


 ……つまり怪異のように本能で悪を成す、滅ぼすべき人類の仇敵ではない。

 何かを成そうとするには理由がある。

 結果として銃火を交えるにしろ、相手の事情を知っておいて損はない。


 それについては明日香も同じ意見のようだ。

 そして好都合なことに、ネメシスにも姉弟にも今は戦う意思はないらしい。


 まあ実際のところ先方の状況も、舞奈たちとさほど変わらない。

 彼女らにとって明日香はブラックボックスだ。

 所詮は妖術師(ソーサラー)の一派である超能力者(サイキック)にとって、敵に魔術師(ウィザード)がいるという事実は軽率な交戦を思い止まらせる抑止力には十分だ。


 加えて彼女らにとっては、この街どころか国自体がアウェーだ。

 迂闊に暴れたりすれば、たちまち【機関】なり【組合(C∴S∴C∴)】の術者に囲まれる。

 それでもクイーン・ネメシス本人は何とかできるのかもしれない。

 だが、治安維持や【組合(C∴S∴C∴)】最大の活動指針である魔法の隠匿の名目で派遣された術者が、必ずしも子供に対して手加減するとは……


「……なめるなよ! 僕だって、この場でお前たち全員を殺すくらいはできる」

(そりゃあ馬鹿にしてすまんかった)

 リンカー姉弟の弟の方が睨んできた。

 映画の中のエミールと同じ挙動だ。血気盛んな性格は年頃の男子らしい……

 ……否、体格や思考の癖で気づいたが……いやまあ今それを気にする必要はない。


「口で喋れよ! おまえは! みだりに不自然な意思伝達をするなってトレーナーに矯正されなかったのか!?」

(トレーナーって何だ?)

「ああそうだったな! おまえは超能力(サイオン)を持たない、ただの人間だ!」

(へへっまあな!)

「クソッ! 他人の【精神読解(マインド・リード)】を玩具にしやがって」

「haha、そういうところだぞ」

 いきり立つエミールを、女マッチョが笑いながら制止する。


超能力(サイオン)は実際に術を使う人と、研究・開発する人を完全に分業する流派よ」

 隣の明日香が説明を始めた。

 別に会話が『聞こえて』いた訳でもないだろうに。

 こいつの説明するタイミングを計る能力は読心能力に匹敵する。


超能力者(サイキック)は前者を指す呼称。後者……特に超能力者(サイキック)へ術を伝授するのはトレーナー」

「ああ」

「そして【精神読解(マインド・リード)】に限らず魔法的な読心技術は――」

「――みだりに使うと術者自身が危険なんだろ? 前に聞いた」

「誰によ?」

 全裸に。

 と、考えた途端に2つ隣の少女がむせた。顔が赤い。

 映画では無口でミステリアスな印象が強かったクラリスちゃん。

 現実の彼女は人見知りの恥ずかしがり屋だったらしい。


 だがまあ彼女らが読心の危険性と注意点を指導されたのは事実だろう。

 もちろん能力そのもののトレーニングとは別にだ。

 単に便利に心を読めるだけではない、先方も大変なのだ。


「……まったく。久しぶり『静かに』食事ができると思ったのに」

「まあ、そう言うな。店なんだから客も来るさ」

 愚痴るエミールをネメシスがなだめる。

 そうする様は世の母親に少し似ている。


 彼の言う『静かに』というのは店にBGMがかかっていないという意味ではない。

 彼ら姉弟が得手とする【精神読解(マインド・リード)】は他人の意識を覗き見る能力だ。

 そうした技術を持っていると、人が多いところでは大勢の『声』が聞こえまくって鬱陶しいだろうというのは想像できる。

 武道の経験者がアニメや漫画の変な構えが気になって楽しめずに文句を言う感じか。


 そんな中でこの店は、かき入れ時だというのに他の客がいない。

 だが、それより――


「――【精神読解(マインド・リード)】とか人が聞いてる前で言って良いのか?」

「ハハッ気づいてないのか? ここの主人は超能力者(サイキック)だ! 正体を隠す必要はない!」

「正確には『道士』という、超能力者(サイキック)と似た流派の魔道士(メイジ)ですが」

「うるさい! 知ってたのかクソッ!」

 問いに対する得意げな答えを明日香が少し訂正したら、凄い形相で睨んできた。

 どうやら張が道士であることに自分たちは気づいて、舞奈たちは知らなくて、マウントをとれると思ったらしい。その目論見を外されたからイラついたのだろう。


 超能力(サイオン)の訓練こそ受けたとはいえ、エミールの思考は基本的に勝気な中学生だ。

 むしろ男らしくあろうとして必要以上に前のめりな感じがする。

 だからという訳でもないのだろうが、そこら辺の負けず嫌いもクラスの男子や6年生のガタイの良いサッカー男子、先日のマッチョなバスケ中学生と同じだ。


 まあ明日香の識者ぶった口調が、この手の気位の高い子の癇に障るのも事実だが。


 それでも舞奈の側も、エミールとの対話で気づいたことがある。

 店主の張が術者だということが彼らには一目瞭然だという理屈はわかる。

 道士や超能力者(サイキック)等の妖術師(ソーサラー)は、その身に宿らせた魔力が魔法感知に反応する。

 なので張に魔法の存在そのものを隠す必要はない。加えて――


「――術者は読心や精神的な接触に対して防護ができるのよ。読心そのものほど高度な術じゃないから、似通った技術でも可能よ」

「なるほどな」

「わたしの場合は【隠形(タルンカッペ)】や【洗脳(ゲヒルンヴァッシェン)】と同じ【物品と機械装置の操作と魔力付与】の応用」

 舞奈の心を読んだように明日香が言った。

 隙あらば解説である。


 それはともかく、まあ考えてみれば当然だ。

 術者に対する魔法的な読心行為が危険だというのなら、その危険な要素を剥き出しにして迂闊な同業者が傷つくにまかせるというのも魔道士(メイジ)らしくない。

 礼儀正しく『心の声』を『ひそめる』技術を編み出し、身に着けている。

 知人であるネメシスは言わずもがな、張もそうなのだろう。

 だから【精神読解(マインド・リード)】を得手とする姉弟は『静かに』食事ができた。


 ……舞奈たち(というか舞奈)が来るまでは。

 意識して『声』を『聞かない』ようにしていても、誰かが『大声』をあげれば否が応でも聞こえてしまう。

 以前に廃工場で相対した壮年の【精神読解(マインド・リード)】もそうだった。

 なので彼女らも? と思って出来心で試してみたところ効果はてきめん。

 先ほどはすまないことをした。


 まあ彼女らが正真正銘の未成年なことに偽りはない。

 なので、この場ではチャムエルやハニエルのことは考えない方が……


(……ごめん、その、思考が漏れてるから)

(いやその、すまん)

 担々麺から顔を上げたクラリスが、じっとこちらを見やっていた。

 頬が赤い。飯が凄く美味い表現とは違う感じで。


(ろくなこと考えないな! おまえ! だいたいおまえも未成年だろ)

 隣のエミールも睨んでくる。

 2人の【精神読解(マインド・リード)】は思ったより敏感……というか感度がいいんだなあ。


(わかったよ。もうおっぱいのことは考えないよ)

(そう思った時点でアウトだ! 姉さんもこんな奴の考えることに惑わされないで!)

 そうやって思念で口喧嘩する舞奈とエミール。


 隣の明日香は呆れた表情で舞奈を見やる。

 間に挟まった女マッチョも苦笑しながら舞奈を見やる。


 内容にツッコんでこないので、ネメシス自身は【精神読解(マインド・リード)】を使えないのだろう。

 明日香にも心を読むような手札はないはずだ。

 だが、どちらも読心に対する防護と同様、精神感応をしているのはわかるらしい。

 魔力感知か、あるいは慣れれば挙動や筋肉の動きによってわかるのかもしれない。

 機会があったら観察してみるのも悪くない。


 ……にしても先方が読心できること前提なせいか、何かあるたびに舞奈のせいだ。

 どいつもこいつも何故にトラブルの原因を舞奈に求めるのか。

 少なくとも明日香とは、一度じっくり話し合ったほうがいいかもしれない。

 そんな風に口をとがらせていると、


「舞奈ちゃん、明日香ちゃん、できたアルよ」

「おっすまんなあ張、今日もとびきりに美味そうだ」

「ありがとう。いただきます」

 張が担々麺の椀とライスの椀、セットの餃子を慣れた手つきで給する。

 そうしながら舞奈をちらりと見てくる。


「(舞奈ちゃん、くれぐれも余計な騒ぎは起こさないで欲しいアルよ)」

「(わかってるよ)」

 あんたもか!

 あたしの落ち度で騒動が起きたことなんてそんなにないだろう?


 睨む舞奈に構わず、張は太ましい腹を揺らしてカウンターの奥に引っこむ。

 そして明日香の前に、客と店主の距離感をわきまえた礼儀正しい挙動で天津飯と卵スープを給する。


 舞奈は小皿に餃子のタレとラー油を適量注ぎ、まずは箸で餃子をひとつかみ。

 甘辛いタレの匂いが、熱々の餃子からあふれる肉汁と程よく焦げた餃子皮の匂いと混ざり合う至福の香りを堪能する。

 その後に頬張る。

 タレの風味と肉汁のコク、合挽肉とニラの食感が奏でるハーモニーを愉しむ。


 少女がマッチョの服の袖を引き、何事かを囁く。

 マッチョは張を呼んで3人前の焼き餃子を注文する。

 そんな様子を見やって舞奈は笑う。


 感覚の鋭敏さには自覚がある。

 目や耳だけじゃなく鼻も利くし、舌も敏感だ。

 その感覚を駆使して、料理を味わう感触を彼女らにも味わっていただいたのだ。


 先ほどの悪戯の埋め合わせというだけじゃない。

 立場と能力のほかは舞奈のクラスメートたちと大差ない彼女らを敵視する必要があるとは思えなかった。少なくとも今は。

 そんなことを考えながら舞奈が口元をゆるめた途端、


「Oh……,horrified egg Ooze……,help me……」

 クラリスが震える声で訴えながら隣のネメシスの服を引く。

 エミールも顔を青ざめさせる。

 少女は女マッチョと何事かを話し、マッチョはちょっと嫌そうに隣の舞奈を見やり、


「いや、あたしは何も……」

 舞奈が困惑しつつ、さらに隣の明日香を見やると……


「……おまえか」

 明日香はそっと目をそらした。

 逃げた視線が見やる先は、3割ほど食べかけた天津飯。


 明日香は先ほど舞奈がしたことに気づいていたらしい。

 鋭敏な感覚を上手く使い、読心能力の使い手たちに餃子の美味さを伝えたと。

 もちろん明日香は読心による意思伝達には介入できない。

 だが互いに長い付き合いだ。状況から舞奈が何をするのかくらいはわかるのだろう。


 ……なので自分も同じことをしたくなったらしい。

 それはまあいい。

 だがアイドルの幻を創ればバケモノになり、歌を歌えばデスボイスになる彼女がそうしようとすると、恐ろしい卵のモンスターのイメージを叩きつけることになる。

 非常に遺憾ながら、彼女のそういうところも舞奈にはわかる。


「苛めてやるなよ」

「そんなつもりは……」

 2人がそんなことをしているうちに、


「焼き餃子3人前、おまたせアルよ」

 良いタイミングで張が皆に餃子を給してくれた。

 大皿に3人分の餃子が並ぶ豪勢な様は、何時にも増して美味そうだ。

 なので子供たちも気を取りなおして餃子に取り掛かる。


 そんな様子を眺めつつ――


「――目的は何ですか?」

 舞奈より一瞬だけ早く尋ねたのは明日香だった。


 リンカー姉弟が餃子に気を取られた今が好機だと思ったのだろう。

 週末の決戦に備え、今の2人にできる唯一のことは対話と情報収集だ。

 加えて明日香は知識にどん欲だ。

 まあ先ほどの失態を早急に有耶無耶にしたい気持ちも少しはあるのだろうが。


 どちらにせよ、クイーン・ネメシスもリンカー姉弟も怪人であって怪異ではない。

 実力行使の前に戦う理由を聞いてみるのは理に適った行為だと舞奈も思う。


 無論、以前に話した感触では、ネメシスは見た目や立場と裏腹に思慮深い人物だ。

 話し合いで解決できる問題を無理やり力で解決しようとするタイプではない。

 なのに舞奈たちと敵対する道を選んだということは、両者の間に埋めようのない利害の相違があるということだ。


 舞奈にはニュットのように、相手と利害を調整したり煙に巻く技量はない。

 明日香も同じだ。

 逆に会話なり思考なりを誘導されることで味方の情報を漏らす危険性がある。

 いくら餃子が美味いとはいえ姉弟の【精神読解(マインド・リード)】は本物だ。

 そろって情報収集のチャンスを無にしてまで飯に専念するとは思えない。


 それでも、彼女らの思惑を何ひとつ知らない今の状況よりはマシだと思った。

 そもそも最初から舞奈の思考は筒抜けだ。

 加えて、もうひとりのヴィランであるクラフターはケルト呪術師だ。

 舞奈から得られる以上の情報を街じゅうの猫たちから得ていると考えるべきだろう。

 そんな舞奈の思惑を知ってか知らずか、


「もし世界に危機が迫っているとして、そいつが親しい知人ひとりの犠牲で回避できるとしたら、あんたはどうする?」

 ネメシスは穏やかな口調で答える。

 舞奈はその言葉を頭の中で反すうし、


「……その下らん2択を突きつけてきた糞ったれを探し出して、ぶちのめす」

 相手と同じように静かに答える。

 対するマッチョ女は口元に愉快げな笑みを浮かべる。


「そっか。あんたはそうやって生きてきたのか」

「当然だ。世界に何人の人間がいると思ってやがる。そいつら全員が、たったひとりと引き換えにどうこうなってたまるか。本当にヤバイのはその胡散臭い預言者だ」

 その言葉は今まで舞奈と明日香の前に立ちふさがってきた厄介事の本質でもある。

 だからか隣で明日香が口元にニヤリと笑みを浮かべる気配。

 彼女も同じ答えを用意したということくらいは心を読めなくてもわかる。

 そんな2人の回答に女マッチョも楽しげな笑みのまま、


「なら、そいつが遠い異国の知らない人間だとしたら?」

 再び問う。だが……


「……同じだよ。世界か命かどっちかをよこせなんて言う奴の言うことに馬鹿正直につき合ってたら、そいつは世界も命も両方とも持ってく」

 にべもなく答えながら、舞奈の脳裏をよぎるのはKASCの悪党たちのこと。

 滓田妖一とその一味のこと。

 人に化けて人に仇成す怪異どものこと。

 そしてエンペラーの刺客たちのこと。


 舞奈たちが相対したそれらにとって、言葉は他者を惑わし傷つける道具に過ぎない。

 奴らの言葉の中に真実はない。


 だから裏を読み、逆に相手の裏をかき、討ち滅ぼすことが唯一の正解だった。

 そんなことを考えながら遠い目をする舞奈の答えに、


「なるほどな」

 ネメシスもまた乾いた笑みの形に口元を歪める。

 その笑みの意味を、心を読む能力のない舞奈が正確に把握することはできない。


 彼女らは強制されて悪事を働こうとしているのだろうか?

 だとしたら、その元凶を絶つために力を貸すのもやぶさかではない。

 舞奈はヒーローたちと協力関係にあるだけだ。

 ヴィランと直接に敵対している訳ではない。


 あるいは自分たちにしか敵わない何かと孤独に対決しようとしているのだろうか?

 ……かつてエンペラーとその僕たちに、たった3人で挑んだピクシオンのように。


 そんな思惑を、だが今は意図的に脳裏から追いやり、


「そいつがあんたの目的なのか? 世界を救うための犠牲とやらを拉致することが」

 確かめるように問う。


「だとしたらどうする? この場で止めるか?」

「馬鹿言え」

「じゃあ勝負はお預けだな」

 言ってマッチョはニヤリと笑う。

 今度の笑みには少しばかり凄みが籠る。


 この場は大人しく引き下がる。

 だが再び相まみえた時には全力を尽くして戦う。

 そう言いたいのだろう。


 これが交渉だとしたら、決裂したことになる。


 だが情報収集だと考えれば……可もなく不可もない痛み分けといったところか。

 舞奈たちは目先の解決には役立たないとはいえ敵の思惑の概要を聞いた。

 敵もまあ、少し考えればわかる程度のことを舞奈から読み取ったのだろう。だから、


「……おまえたち、腹いっぱい食ったか?」

「ええ」

「まあな。その……飯は美味かった」

 女マッチョの言葉に、餃子を平らげて満足そうに姉弟は頷き、


「なら帰るぞ。店主、勘定を頼む」

 3人は席を立つ。

 その様子を、難しい日本語を知ってるなあと感心しながら舞奈は見送り――


「――おおっと」

 ネメシスがさりげなく持っていこうとしたレシートを奪い返す。

 マッチョは驚く。

 たぶん戦闘でのフェイクに使えるレベルで本気でスッたつもりだったのだろう。

 だが空気の流れを敏感に読み取る舞奈の感覚は誤魔化せない。

 それに……


「……ここであんたに奢らせるのはフェアじゃないだろ?」

 舞奈は不敵な笑みを返す。


 実のところ舞奈にとって、大人は飯を奢ってくれるものだ。

 そして目前の女マッチョは間違えようもなく大人だ。

 図体の大きさも、了見の広さも、懐の深さも。


 だが少なくとも今は、舞奈はヒーローたちの協力者だ。

 彼女らはヴィランだ。

 舞奈がこの店に訪れた時と同じ、敵同士だ。


 それを知っていて借りを作るのは舞奈の趣味じゃない。

 次に彼女らと会った時には戦うのだから、こうするのが正しい在り方だと思う。


「いいのか? ずいぶんツケがたまっているようだが」

「……ツケをためて食うのが美味いんだよ」

「人として最低だぞ、その台詞」

 女マッチョは苦笑する。

 明日香はジト目で見やってくる。

 舞奈は張を軽く睨む。

 先方の【精神読解(マインド・リード)】を利用して余計なことを吹きこんだらしい。

 まったく他人の読心能力を道具にしやがって!

 そんな張は素知らぬ表情で会計を済ませる。


 ちなみに明日香の前には最初からレシートはない。

 彼女はこの店への支払いは口座から直接引き落とすようにしているらしい。

 張は術者向けに魔法の品や情報も取り扱っている。なので明日香は飲食以外にも多額の支払いをしているのだそうな。まったくブルジョワ様は!


 その一方、女マッチョは釣り銭の硬貨を珍しそうに眺めてからポケットにねじこむ。

 そんな様子を見やって舞奈は口元に笑みを浮かべ、


「……互い面倒な仕事が終わってさ、その時に今の面子が揃ってたら……また一緒に飯でも食おうぜ。友達も呼んでさ」

「そいつは名案だ」

 何食わぬ口調で提案する。

 それでも再び彼女らと、敵味方でなしに飯を食いたいというのは本心だ。


「そのときは、あんたの奢りな。皆のぶんも全部だ」

「おまえ、調子に乗ってるだろ」

「うるせえ。ふぁっく! ふぁっきゅー!」

「FUCK YOU」

 女マッチョは口を大きくはっきり開けて、舞奈の発音を矯正する。

 そして後ろ手を振りながら去って行った。


 開けっぱなしのドアに気づいたクラリスがあわてて閉める。

 その際に張にちょこんと一礼する。

 そんな可愛らしい様子を見やって舞奈は口元に笑みを浮かべる。


 そして3人の足音が遠ざかり、舞奈の鋭敏な感覚ですら追えなくなった後。

 かき入れ時だというのに店主と舞奈しかいない店の中で、


「よかったアルか?」

 張は3人と舞奈と明日香の椀を片づけながら、問いかける。


「……ああ。そもそも、ここでどうこうする問題でもないだろ」

 舞奈は閉じたままのドアを見やりながら、何食わぬ口調で答える。

 明日香も無言でうなずく。


 ヴィランたちにも戦う理由がある。

 その事実を、先ほどはっきりと確かめることができた。


 それでも今週末、舞奈たちは彼女らと全力で戦う。

 彼女らの目的を挫く。

 何故なら舞奈にも、たぶん明日香にも戦う理由が――守りたいものがあるから。


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