新たな力
しばし時を遡る。
舞奈のアパートにアーガス氏が訪れたのと同じ頃。
旧市街地の駅前に位置する高級マンションの、上層階の一室で、
「ふぁーあ。今日も良い朝ですね」
サテンのカバーがかけられたベッドの上で、桂木楓は優雅な朝を迎えていた。
上体を起こし、うーんとのびをしてみせる。
大きな窓の、カーテンの隙間から差しこむ光が清々しい。
歌とKASC、死塚不幸三を巡る一連の事件が終息してしばらく。
桂木姉妹もまた優雅な日々を取り戻していた。
だがベッドの隣に妹の紅葉はいない。
一足先に目を覚ましたのだろう。
丈の長いネグリジェの裾を踏まぬように気をつけながらベッドを降りる。
枕元のおしゃれ眼鏡を手に取りかけながら、白い壁紙が上品な寝室を優雅に横切る。
そして装飾の施されたノブを回してドアを開けると、
「おはよう、姉さん」
「ナァー」
広いダイニングの片隅で、紅葉と猫のバーストが出迎えた。
どうやら早起き同士で遊んでいたらしい。
紅葉は姉の楓と違ってラフなシャツとキュロットに身を包み、寝起きなので髪を下ろしているせいか普段とは一味違った魅力を醸し出している。
そんな彼女が呪術の練習がてら創ったヘビを、猫のバーストが追いかけている。
過去に死塚不幸三、キム、そして志門舞奈への牽制に用いられた【ヘビの杖】。
だが平時には猫のおもちゃだ。
そんな本物そっくりの獲物を猫パンチで攻撃するバーストは相変わらず呑気で楽しそうで、灰色で斑点模様の毛艶も美しい。
とどめを刺された魔法のヘビが、媒体である木の枝に戻る。
バーストは木の枝を追撃する。
そんな様子を見やって優雅に微笑みながら、
「おはようございます、紅葉ちゃん、バースト」
楓もにこやかに挨拶を返す。
2人と1匹の優雅で、そして高貴ないつもの朝。
だから楓も普段と同じように手櫛で優雅に髪をすいてから……
「……姉さん、何やってるの?」
「えっ?」
言われて思わず視線を追って、自身の胸元に目を落とす。
胸の前で、優雅とも高貴とも真逆な不自然なポーズをとった自身の白い両腕。
それが胸をどしどし叩く態勢になっていた。
具体的にはゴリラのドラミング。
どうやら楓は無意識にドラミングをしようとしていたらしい。
これには紅葉も困惑。
バーストも木の枝をほっぽり出してゴリラを警戒している。
猫は自由奔放だが知的な生き物だ。
側の人間がおかしな行動をすれば困惑だってする。
「あ……はは、そういうこともありますよね」
「いや、あのね、姉さん……」
紅葉は珍しく視線をそらしがちに、
「姉さん、最近よくそれやってるよ」
「……うん?」
「いや、寝起きとか、風呂あがりとかによく……」
「ナァー」
「ええ……」
驚愕の事実を告げられ驚愕する。
だが実のところ、言われてみれば心当たる兆候がなかった訳ではない。
先日の一件で死塚不幸三を屠った後。
楓はオフィス街に大量発生した屍虫の討伐にも加勢した。
脂虫や屍虫がいっぱいいて、好きなだけ殺せるからだ。
正体を隠すようにと通達されていたので【変身術】でゴリラに変身した。
そして【石の巨槌】をアレンジした爆発する小さな土塊をぶつけて攻撃した。
討伐対象の1.5倍ほどの大きさの人型生物になって、小さな茶色い土塊をぶつけて爆殺しまくるボランティアも、死塚不幸三の討伐に負けないくらい楽しかった。
気分がハイになるとドラミングをした。
屍虫に襲われていて間一髪を救われた通行人には好評だったし、子供も喜んでいた。
だから作戦終了後も魔術の訓練がてら、度々ゴリラに変身して遊んでいた。
ドラミングもした。
そのせいで癖になってしまったようだ……
「いえその紅葉ちゃん、これはですね……」
「姉さん……」
「ナァー……」
思わず狼狽える楓。
対する紅葉とバーストの視線は、どこまでも冷たかった……
そんな一幕があってから数刻後。
統零町の一角にある【機関】支部の地下実験室で、
「……ということがあったんですよ」
楓は凹んだ声でそう言った。
地上と同じ打ちっ放しコンクリートの広い地下室。
その一角の、パイプ椅子に並んでくつろいでいるのは小夜子にニュット。
3人の目前で、ガラスの窓付きの木箱の中に並べられた脂虫がうめく。
そんな様子を興味なさげに見やりながら、
「別にゴリラは挨拶がわりにドラミングするわけじゃないわよ」
小夜子がボソリと言った。
ゴリラの生態なんかに一家言あるのは、登下校の際にお隣さんのチャビーがゴリラのことを楽しそうに語っていたのを聞いたことがあるからだ。
好奇心旺盛な小学生はヘンなところで博学だなあと思いつつ、何となく覚えていた。
実は、そのチャビーはテックから話を聞いていた。
そしてテックがゴリラのことなんか知っていたのは、以前に楓が九杖邸で変身したのを見ていたからなのだが。
そんな事情などお構いなしに、
「まあ、しばらくは別のものに変身するのがいいのだよ」
糸目のニュットが木箱を覗きこみながら答えた。
アーガス氏に嘘ではないが間違った知識を吹きこんで新開発区に送り出した後。
ニュットはいけしゃあしゃあと支部で時間を潰していた。
今日の酔狂は、脂虫で作った楽器だ。
くわえ煙草の脂虫の手足をもいで声帯の高さ順に並べて木箱に押しこみ、電極を刺して電源とリモコンと配線で繋ぎ、ボタンを押して悲鳴で演奏できるようにしたのだ。
もちろん木箱は密閉されていて、前面はガラス窓になっている。
なので臭い煙が充満した箱の中で、くわえ煙草の脂虫が面白い顔で悲鳴をあげる。
声は内部に設置されたマイクが拾ってスピーカーから流れてくる。
やっつけ仕事のせいで少し声がこもっているが、道楽としては上々だ。
もちろん、そんな非道を人間に対して行うことは許されない。
だが箱の中で喚いているのは脂虫――臭くて不潔で人に仇成す喫煙者だ。
倫理的な問題はもちろんないし、法的な問題も【機関】が処理する。
そんなところに小夜子とサチ、楓と紅葉が書類の提出にやってきた。
なので脂虫の拷問と殺害に興味のある小夜子と楓に作品を披露していたのだ。
あの日、誘拐された委員長に扮して紅葉と共に死塚不幸三を討った楓。
舞奈たちの活路を切り開くべくサチと共に疣豚潤子と戦い、撃破した小夜子。
そして警察署長の身分を簒奪して市民に仇成す脂虫を秘密裏に排除したニュット。
彼女らも、まあ、自分たちなりに平和で穏やかな日々を取り戻していた。
だがニュットはもとより、楓にも小夜子にも音楽の心得はない。
なので『猫ふんじゃった』を半分ほど演奏したところで飽きてやめた。
正直、楓としては期待外れもいいとこだった。
楓が忌まわしい脂虫どもに弟を奪われたのは事実だ。
その後いろいろあって、今は脂虫の死と苦痛を無上の喜びとする復讐者でもある。
だが、それを差し引いても、糸目がボタンを押すと箱の中の脂虫が「ギャー」と鳴く楽器が凄く面白いとは思えない。ちょっとスベッたかな、という感じだ。
その側の小夜子もまた、脂虫に幼馴染を奪われていた。
後にいろいろあって脂虫をいたぶるエキスパートと名の知れたのも楓と同じだ。
加えて最近は異能力者たちが狩り集めている脂虫が余り気味だ。
いっそ、しばらくはその場で始末したほうが効率的なんじゃないかと思っていた。
だが異能力者たちは楓や小夜子と異なり、メンタル的には普通の少年だ。
脂虫――人ではないが人の形をした喫煙者の殺害は過剰なストレスになるらしい。
なので今でも袋に詰めて持ってきて、そいつらが収拾所から溢れそうになっている。
生きていても死んでいても臭くて有害な脂虫は、その中間でも場所をとって迷惑だ。
今回のニュットの道楽も、そんな厄介者を面白おかしく消費しようとの算段だと考えれば、まあ納得はできる範囲だ。
だが「ギャー」と鳴く楽器に初見で少し笑った以上の感慨がないのも楓と同じだ。
正直、小夜子も今はニュットに付きあったことを後悔していた。
あのままサチとデートしていたほうが有意義な休日になったことは明白だ。
手持無沙汰なニュットが今度は『きらきら星』を演奏し始める。
唇に煙草を癒着させた脂虫どもが、悲鳴で汚い星を奏でる。
そんな様子を楓と小夜子があくび交じりに眺めていると――
「――君たちのような若人が! 日曜の朝からこんな所で燻っていてはいけません!」
唐突に声がした。
「「「……?」」」
3人は怪訝そうな表情をしつつ一斉に見やる。
ドアの前にひとりの婦警がいた。
前髪の長いコスプレっぽい婦警だ。
あらわれたのは、公安警察のKAGEだった。
「むむ。何者だね?」
ニュットが映画の悪役みたいな台詞を吐く。
暇つぶしの材料を見つけた糸目が楽しそうに歪む。
KAGEは前髪で完全に隠れた双眸でニュットを見やり、
「もっと元気な遊びをしなさい」
地下室で窓がないから換気扇を指さす。
「うむ」
ニュットはリモコンのダイアルを上限いっぱいまで回してボタンを押す。
「ぎゃあぁぁぁぁぁぁ!!」
木箱の中の脂虫が、ドレミファソラシのどれでもない音で絶叫する。
「そうじゃなくて」
ツッコみながらKAGEの口角が微かに上がる。
ニュットに自分と似たものを感じたのだろう。
そんなコントを興味なさげに見やりつつ、
「……ああ、公安の婦警さん」
小夜子がボソリとひとりごちた。
以前に梨崎邸で、サチといっしょに公安と偽ウィアードテールの戦闘を見ていた。
その際に、KAGEの姿も見かけていた。
「あのときはどうも。朱音さんたちの戦いが参考になったようでなによりです」
「いえこちらこそ。千佳ちゃんたちがお世話になりました」
そう言って頭を下げ合う2人を尻目に、
「ところで今の術は……」
今度は楓がKAGEを見やる。
「おお、気づかれましたか」
KAGEはニコニコ笑顔で楓を見返す。
まあ婦警にあるまじき彼女の目は前髪に隠れて見えないのだが。
楓は「ええ」と頷きながら、KAGEの背後のドアを見やる。
鉄製のドアは閉じられているし、先ほども開いていない。
暇してた皆の目と鼻の先で、重い鉄のドアが開けばわかる。
KAGEはドアを開けずに入ってきたのだ。
「概念化して短距離を移動する【影移動】ですよ」
言いつつKAGEの姿が自身の陰に吸いこまれる。
跡には黒い染みのように影だけが残される。
割とシュールな光景だ。
そいつが皆が見つめる前で、部屋の床を移動し始めた。
机や椅子、巨大な木箱を透過しながら走り回る様子は中々に自由だ。
動きの突拍子の無さが少しみゃー子に似てると楓と小夜子は思ったが、どちらも特に何も言わなかった。代わりに、
「便利そうな術ですね」
「うむ。魔術による形態変化の応用なのだな。実体ある式神や魔神ではなくその前段階である概念に変身しているのだよ。ある程度なら物理的制約を無視できるのだ」
楓の言葉に、いち早く仕組みに気づいたニュットが答える。
こんなでも技術担当官である。
ちなみに、この技、明日香が前もって召喚しておいた式神を影の中に隠しておくのと同等の技術でもあったりする。
そんな様子を皆が(((虫みたい)))と思った途端、影は一行の前で止まった。
「婦警ちんは高等魔術による変身術【形態変化】に熟達しているのだか」
「その通り」
影からKAGEが生えてきた。
「【影移動】は【形態変化】の応用でもあるのです」
「つまり我がウアブの【変身術】でも――」
「うむ。鍛錬を積めば同じことができるのだよ」
楓の言葉にニュットが答える。
その目前でKAGEは口元に笑みを浮かべて頷き、
「今日は我が秘術の数々を、有望な若人たちに伝授するために来ました。多岐に渡る高等魔術の中でもわたしが修めた術はウアブに似ています故」
そう言って真正面から楓を見やる。
平和だが退屈な日常の最中、唐突にあらわれたコスプレ婦警の唐突な申し出に驚く。
だが楓の躊躇は一瞬。
すぐさま口元に不敵な笑みを浮かべ、うなずき返す。
楓は医学生にして芸術家、そして魔術師だ。
魔術師にとって知識は財産であり、刺激的な美酒でもある。楓は未成年だが。
そんな楓に、
「楓殿はオシリスとイシス、マァトの魔術的な意味を正確に言い表せますかな?」
KAGEは問う。
「ええ。死と再生を司るオシリス神のイメージは低位の魔神の創造に用いられます」
楓も淀みなく答えを返す。
「ウアブの祖により魔神として木星に宿り、呪術により力を借りることもできます」
「そして我が高等魔術においては大天使ザドキエルと呼ばれ、木星の護符によりその力を引き出すこともできます」
知識に知識で答えるように、楓の言葉をKAGEが継ぐ。
高等魔術における大天使のイメージは、ウアブの神を再編したものだ。
「そして生命と魔術/呪術を司るイシス神は魔力そのものの操作に用いられます」
楓は言葉を続ける。
「具体的には魔力の増強、そして変身」
「そちらも完璧な理解です」
KAGEも惜しみない賛辞を贈る、だが、
「ですがイメージに対する更なる理解によって、新たな力を得ることができましょう」
「更なる理解とは?」
挑戦的なその言葉に、楓も不敵な笑みを返す。
「我々が大天使ハニエルと称する他の魔神との差異と共通点についてです」
「ハニエル……金星に宿る魔神。イシスの他にはハトホルとマァトでしたか」
楓の答えに「然り」とうなずく。
「愛と豊穣の女神ハトホルは魔力の源たる感情と認識を操る魔術のイメージです。精神操作や、【消失の衣】等の認識阻害に用いられます」
「我がウアブの術では【消失のヴェール】が該当しますか」
KAGEの説明に、楓が言葉を続け、
「そして真理の女神マァトは脂虫を滅する破邪の力として機能します」
「ええ、その通りです」
更に繋がるKAGEの言葉に、思わず笑みを浮かべてみせる。
かつて楓はマァト神の御名を借りた魔道具『マァトの天秤』を創造し、5匹の悪党のうちの1匹、自動車暴走事件の死塚不幸三を襲撃したことがある。
あの展開する小箱にこめられた術は【沸騰する悪血】。
術により体液を沸騰させられた悪党の末路を思い出し、楓の口元が剣呑に歪む。
だが話の本題は先にある。
「そう。その共通点とは『美』に他なりません」
「なるほど。心を操るハトホルも、魔力を操るイシスもその根源は『美』」
KAGEの言葉にうなずく。
美は人々の心の糧だ。
そして賦活された心は魔力の源だ。
楓はかつて園香を描き、彼女の中に『美』を――イシスを見出した。
その姿を女神イシスのイメージに重ね合わせ、【大いなる生命の衣】の魔術を成功させ志門舞奈を魔法少女へと変身させた。だが、
「しかしマァトは……」
マァトは破邪の象徴だ。それが美と何の関係が……?
訝しむ楓に笑みを向けながら、
「同じですよ」
KAGEは答える。
「破邪とは即ち、美の対局である醜を破壊するためのイメージなのですから」
言葉を続けながら木箱の上側のガラス蓋を開ける。
一同は一斉に顔をしかめる。
箱の中に充満していた悪臭が周囲に広がったからだ。
並べられていた脂虫の口には煙草が癒着している。
だがKAGEは構わず1匹の脂虫に手をのばし……
「……それは音階ごとに並べてあるから、潰すなら交換用の控えを使って欲しいのだ」
「承知」
ガラス蓋を閉める。
小夜子が【蠢く風】で大気を操り、悪臭を換気扇の近くまで運んでいく。
KAGEは部屋の隅に積まれていた脂袋をひとつ手に取り、
「破邪の魔術【沸騰する悪血】は、高等魔術では【死鬼沸騰】と呼ばれます」
言うと同時に、袋の中の脂虫の身体がブクブクと膨れ上がる。
体液に混ざったニコチンを媒体に、薄汚い脂虫の血が沸騰しているのだ。
呪文もなしに行使された【死鬼沸騰】。
その威力は弱く、破裂する様子はない。
だが、それは彼女が威力を調整しているからだ。
呪文もなく用いた魔術を細やかにコントロールするKAGEの手管に、楓のみならずニュットや小夜子も刮目する。
だがKAGEは何食わぬ表情で、
「破邪の力は、他にも【死鬼爆発】という用法があります」
言いつつ今度は、脂虫の目鼻と口から火が噴き出す。
今度は肺の中のニコチンが爆破したのだ。
だが、それでも脂虫は死んではいない。
自身の内側から行われた破壊工作に目を見開き、うめいている。
「ハニエルが内包するイシスのイメージより生成された魔力が衣へと姿を変ずるのと同じく、破邪の力も『脂虫の破壊』という目的のために在り方を変えます。金星に所縁ある神々のイメージ、それにより生み出される魔力とはそういうものなのです。そして」
KAGEは袋を高らかに掲げる。
袋の中の脂虫は歪み、焼かれてボロ雑巾のようだ。
それでも醜く浅ましく蠢く。
そんな社会の屑を見やるKAGEの口元には笑みが浮かぶ。
その表情で楓は、小夜子は気づいた。
彼女は自分と同じ種類の人間だと。
ニュットは特に気にしなかった。
「本来ならば生物を創り出して操る術のイメージは大天使ザドキエル=オシリス神。骨や亡骸をあえて生み出し操る術には大天使ウリエル=アヌビス神。ですが」
KAGEは言葉を続けながら、袋を持つ手に力をこめる。途端、
「脂虫の死骸を用いた【屍鬼の魔槍】はハニエルのイメージにより成されます」
「「「!?」」」
一同の目前で、脂虫の身体がひしゃげて肉の塊になり、袋を突き破って飛ぶ。
臭い肉の槍が壁を打つ直前、KAGEの制御で槍は溶け落ちる。
小夜子が風を操って汚い肉片を片付ける。
「脂虫の身体を破壊し無理やりに変形させるために用いる魔力の源は金星。つまり悪の反対である善、醜の対局である美、死の対極にある生、すなわち破邪の力です」
そう言ってKAGEは嗤う。
「魔術により創造するのです。悪しき醜き喫煙者だけを引き裂く善なる物質を」
「……ということは、我がウアブ魔術においても?」
「ええ。同等の術が存在しますとも。たしか【穢肉の巨刃】と言ったはず」
その答えに、楓の口元にも笑みが浮かぶ。
KAGEは続けて小夜子を見やり、
「さらに我々は金星の護符を用いることにより、破邪の力を呪術のように扱うこともできます。即ち脂虫の頭蓋を材料にした【髑髏手榴弾】」
その言葉に小夜子も思わずKAGEを見やる。
小夜子が修めたナワリもまた、呪術の流派のひとつである。
だからKAGEは小夜子に向かって深くうなずき、
「もちろんナワリでも同等の呪術を行使可能です」
「!?」
「【生贄を屠る刃】の上位にあたる【頭蓋を加工する掌】の術です。心臓を贄に用いるナワリでは脂虫を破壊する術は多用されませんが、この術は頭蓋骨を利用します」
その言葉に小夜子の双眸が剣呑に光る。
「では早速、作ってみましょうか」
「あちしには!? ルーン魔術を操るあちしにも何か面白い新技はないだかね?」
「うむ。ニュット殿ははんだを均等につけるようにしたほうがいいでしょう」
「ええ……」
糸目を八の字に歪めるニュットを尻目に、楓と小夜子は瞳を輝かせる。
楓は知識と意思を魔力に変える魔術師だ。
小夜子も魔力を媒体にして森羅万象を操る呪術師だ。
新しい知識を、技術を、実践するのに心躍らぬ訳がない!
だから楓は脂袋のひとつを持ち上げ、ニヤリと笑う。
小夜子は別の袋の口から手を突っこんで脂虫の頭をわしづかみにする。
そのように皆が新たな力を試そうとしていると――
「――ここにいましたか」
立てつけの悪い鉄のドアが開く。
入り口から普通にあらわれたのはフィクサーだった。
コスプレ警官を目ざとく見つけ、珍しく敬語で話しかける。
そして一瞬だけ思考を巡らせ――
「――公安のKAGEさん。挨拶が遅れてすいません。当方の占術士がつい先ほど貴女の来訪を感知したもので」
数ある彼女の呼び名から相応しいものを探し、そつなく一礼する。
巣黒支部を統べる調整役として、裏の世界の礼節は心得ている。
彼女が若さと、他の様々なものと引き換えに得たものだ。
そんな彼女は……
「……ところで君たちは何をしているのかね?」
部屋を見やって訝しむ。
なぜなら、楓は何やら不気味な塊を宙に浮かべてニヤニヤしていた。
小夜子は両手に頭蓋骨を構え、古代アステカの壁画みたいな謎のポーズをしながら同じ表情をしていた。
ニュットは木箱の一角から基盤を取り出し、黙々とはんだ付けをしていた
そんな様子をKAGEが満足そうに見ていた。
フィクサーは、そんな4人を怪訝そうに見つめていた……
そんな一幕があってから数刻後。
讃原町の一角にある真神邸の応接間で、
「……ということがあったんですよ」
「そうかい」
来客用のソファに並んで腰かけたまま、舞奈はKAGEをジト目で見やる。
寸刻前に、商店街の一角で話しこんでいた舞奈とKAGE。
そこにあらわれたのは、買い物帰りの園香とチャビーだった。
舞奈は誤魔化そうとしたが、園香の不信感を払拭することはできなかった。
なので2人は今、状況に流されるまま園香の家にお邪魔していた。
園香とチャビーは2人を残して席を外した。
純粋で曇りのない心を持った同級生たちが全裸を見抜いたかどうかはわからない。
だが、その是非は舞奈の命運を大きく変える。
具体的には園香の親父さんに話が伝わって、舞奈が大目玉を食らう。
舞奈の不埒な言動に何度も目をつむってくれた園香父。
だが全裸幼女の連れ歩きは流石に一発アウトな気がする。
最悪の場合は園香との交際まで禁止されかねない……。
「で、どうすんだよ? この状況を」
舞奈は全裸に冷ややかに問う。
「どうしましょうね」
「……」
何も考えていない他人まかせな返答に、舞奈は思わず頭をかかえる。
正直なところ、今からでも園香を追いかけて釈明したい気持ちでいっぱいだ。
だが舞奈には一般人の園香やチャビーに話せない事情が山ほどある。
それを差し引いて何を言っても、状況を悪化させることにしかならない。
舞奈は言わずと知れた最強のSランクだ。
幾度もの絶体絶命の危機を、鍛え抜かれた身体と銃技によって切り抜けてきた。
先日は人間の文化を破壊せんと企む怪異の親玉を打破した。
公安警察や、海外のヒーローチームに刮目されるのも当然の活躍だ。
そんな舞奈が手出しすらできない今の状況。
原因にも過程にも舞奈には何の非もないのに、舞奈の将来を左右するジャッジ。
運命の瞬間を前に、舞奈はただ座して待つことしかできない。
そんな中、再び舞奈は頭を抱えた。
そう。
この手の実力とは無関係な博打事で、今まで舞奈に幸運が微笑んだことはない……