表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
銃弾と攻撃魔法・無頼の少女  作者: 立川ありす
第15章 舞奈の長い日曜日
306/579

前日談2

 明日香と麗華が微笑ましく友情を深めた金曜の放課後。

 所変わって公園の噴水広場の一角で、


「ネットゲームの課金かー。流石は高校生、浪費の仕方もエレガントだ」

 ベンチにだらしなく腰掛けながら、舞奈はボソリとひとりごちる。


「いやあ、それほどでも」

「そんなに褒められると照れるでござるよ」

「……」

 舞奈は諜報部の執行人(エージェント)たちと歓談していた。

 学校帰りに公園でだらだらしていたら出くわしたのだ。


 揃いの戦闘(タクティカル)学ランを着こんだ彼らのひとりが、膨らんだヤニ袋を担いでいる。

 ヤニ狩りの帰りらしい。

 先日の大規模な作戦からさほど日も経ってないのに真面目なことだ。

 そんな勤労意欲にあふれる彼らは、件の作戦のボーナスを最近はまっているMOゲームへの課金に使うのだと、チーズ牛丼みたいな顔をほころばせながら話してくれた。


 もちろん舞奈たち【掃除屋】も相応の報奨金を受け取っている。

 なにせ作戦の中核を担い、敵の本丸を首尾よく討ち取った偉業に対する報奨だ。

 彼らのボーナスとは桁が違う。


 だが舞奈はそれを、アパートの家賃と張の店のツケの返済に充てていた。


 きっかけは件の作戦で協力してくれた公安の面々との別れ際の、猫島朱音の一言だ。

 曰く「払うつもりのないツケは無銭飲食と同じだ」と。

 舞奈は何となく意地になって、管理人と張にツケを払った。

 当座の生活費を差っ引いた全額をだ。

 その結果、ようやく半分ほど返せたらしい。

 そんな誠実な行為を、明日香は「どれだけツケを貯めてたのよ」とジト目で評した。


 ……なので今日も舞奈は金欠だ。朝飯は水だった。


 ベンチの端で、公園のボスを務める茶トラの野良猫が「ブナァ~」と鳴く。

 猫には金の悩みなんかなくて、気楽でいいなと少し思った。

 次いで舞奈の腹がぐぅ~と鳴ると、


「舞奈ちゃんに僕たちからのプレゼントだよ」

 少年のひとりが何やら差し出してきた。

 ジュースの缶だ。


「おっ、カツオジュースじゃないか。いいのか? お前らのが喉乾いてるだろうに」

「僕たちはさっき飲んだからねー」

「それは自販機の当たりでランダムに出たやつでござる」

 言いつつ皆一斉に空のジュース缶を取り出した。

 例によってアニメの女の子が描かれている。


「持って帰るのか? 消費にも環境にも考慮してて偉いなー」

「いやあ、それほどでも」

「おっと、それじゃあ僕らはここらへんで」

「おう、ゲーム頑張れよー」

 がやがやと去って行く高校生たちを、だらしない笑顔のまま見送る。


 折角だから、貰ったばかりのジュースを飲もうと缶に描かれた鰹を見やる。

 改めてニヘラと笑う。


 今日も舞奈は金欠だ。

 鰹節味のジュースに混ざってる本物の鰹節が、わりと魅力的なおかずだったりする。

 なので先ほどの少年たちに劣らぬ笑顔のままプルタブに手をかけた途端、


「志門さん!!」

 いきなり声がした。


 見やると縦ロールのお嬢様がいた。

 クラスメートの西園寺麗華。

 ちょくちょく舞奈や明日香に絡んでくるクラスの女王様キャラだ。


 左右には取り巻きの、長身ネグロイドと、小太りな白人の少女。

 デニスとジャネットだ。


 執行人(エージェント)たちが妙にあっさり去ったと思ったら、舞奈の友人の女子小学生が歩いてきたことに気づいていたらしい。気を利かせて退散したのだろう。

 そろって冴えない牛丼面こそしているものの、流石は諜報部員といったところか。

 そんな彼らの背中をちらちら見ながら麗華様は、


「こ、校外で! 知らない人に話しかけられたらブザーを鳴らせって先生が……!!」

 ちょっと裏返った声で舞奈に文句を言ってきた。


「いや」

 あいつら、うちの学校の先輩だぞ。

 苦笑しながらツッコもうかと思った。高等部の制服着てたし。

 だが、まあ麗華が動揺する気持ちもわからなくはない。


 たしかに彼らは図体こそ大柄だが、舞奈と比べれば動きは緩慢で隙も多い。

 野暮ったい牛丼面も、勤勉で善良な彼らの性根を思えば愛嬌のある顔立ちに見える。

 だから普段のヤニ狩りも、正直、無事で何よりという感覚が強い。

 脂虫――邪悪で凶暴な喫煙者を狩る定型業務は彼らにとって危険な仕事だ。

 対してSランクの舞奈にとって危険な相手というのは怪異の群や巨大な魔獣、呪術と妖術を極めた大魔道士(アークメイジ)を指す。

 異能力を持つだけの高校生の集団は、むしろ脆弱な保護対象に含まれる。


 だが麗華は普通の小5の女子だ。

 彼女の目には、縦にも横にも自分より大きな男子高校生は大男に映るのだろう。

 彼らの歪な面相も、慣れないとちょっと不審な感じに見えるかもしれない。

 背負った脂袋も狩ったばかりの脂虫でいい具合に膨らんでいて、見ようによっては人ひとりを押しこめそうなサイズだと思えなくもない。実際に入ってるし。

 そんなのが集団でクラスメートを囲んでいたら、過剰な反応もするだろう。だから、


「……道を聞かれただけだよ」

 適当に誤魔化す。

 彼らは知人だと無理にフォローしても余計に怯えさせるだけだ。

 それに自身と彼らが【機関】の仕事人(トラブルシューター)執行人(エージェント)だと話すわけにもいかない。


 なにより麗華の様子が、いつも以上におかしい気がした。


 まあ威勢だけは良いものの、彼女は小5女子の平均からしても脆弱だ。

 今日の音楽の授業でも明日香の歌で気絶し、上下の口から泡水を吹いて大変だった。

 加えて舞奈が怖いらしい。いつも喧嘩を売ってくる割に、話すときは引き気味だ。


 そんな愉快な人となりを考慮しても、今日の麗華様は挙動不審が過ぎる気がする。

 具体的には舞奈と会う前に何かあってテンパってる様子だ。

 だが最近の界隈には、とりたてて目立った事件もない。

 そんな中、彼女が怯えるような何があるかと考えて……


「……ひょっとして麗華様、明日香と何かあったか?」

 尋ねた途端、麗華がビクリッ! と怯えるように震えた。

 ビンゴらしい。

 詳しく事情を知ってるらしい取り巻き2人が「アハハ」と苦笑する。


 麗華が明日香にも何かと喧嘩をふっかけているのは知っている。

 対する明日香は言うまでもなく冷静で、どこまでも理知的だ。

 故にメリットがデメリットを上回ると判断すれば無茶も無謀もお構いなしだ。

 前回の作戦でも防御可能だからという理由で戦術核をぶちかましやがった。

 同様に今日も麗華様に、死なないからヨシ! 程度の認識で何かしたのだろう。


「しょうがないなあ、あいつは加減ってものを知らないんだ」

 舞奈も取り巻きたちと一緒に苦笑する。


 そういえば、舞奈が出会った当初の麗華も明日香を敵視していた。

 明日香も今以上に加減を知らなかった。

 不意にそんな昔のことを思い出すと、何だか懐かしい気持ちになって、


「……おっそうだ、これ飲むか? さっき貰ったんだ」

 口元に笑みを浮かべて缶を差し出す。

 割と本気で飲みたかったジュースだが、それより彼女が落ち着いてくれた方がいい。

 彼女が向けてくるささやかな敵意は、怪異どもの身勝手な害意、欲望と比べれば遥かに無害で可愛げがある。いっそ平和の象徴だと思えるほどだ。


「道を聞かれただけだったンじゃないンすか?」

「カツオジュース……? 何ですのこれ?」

 小太りなジャネットがボソリとツッコみ、当の麗華は微妙な表情をする。

 舞奈はちょっと口元を歪める。


「美味いんだぞ。それにカツオのDNAが入ってるから頭もよくなる」

「……DHAのことですか?」

「ハハッ! DNAじゃあカツオになっちまうンすよ」

 取り巻きの2人との他愛ない会話を交えて笑う。

 そんなバカなやりとりを傍で聞いているうちに麗華も少し落ち着いたようだ。


「志門さんも! 余計なことをしてないで早く家にお帰りあそばせ!」

「へいへい。麗華様も気をつけて帰れよ」

「わかってますわ!」

 そうやって舞奈に見送られ、3人は並んで歩き出した。


 ちなみにデニスとジャネットは麗華の家の養子という体裁で同じ家に住んでいる。

 だから3人とも名字は西園寺。

 黒、白、黄色の仲むつまじい3姉妹だ。


 そんな友人たちの背中が小さくなっていくのを見るうちに、舞奈にはそれが何処か別の姉妹――3年前の自分をはさんだ2人の仲間に見えた。

 あるいはチャビーをはさんだ陽介と小夜子。

 道を踏み外す前の鶴見雷人と、ロックバンドの仲間たち。

 そして麗華と同様、強くもないのに何かと絡んできた【雷徒人愚】の面子。


 遠く小さくなった麗華の背中に、過去に失った沢山の何かが見えた気がした。

 目前の危機を脱した途端、失った過去が脳裏をよぎるのは舞奈の思考の悪い癖だ。

 だから思わず眩しそうに目を細め、


「そうだ、デニス! ジャネット!」

「はい?」

「なンすか?」

 たまらず呼び止めると、2人は何気に振り返る。

 真ん中の麗華はビックリして跳び上がる。

 驚かせてしまったらしい。


「麗華様をよろしくな!」

 それでも舞奈は満面の笑みのまま、大きく手を振ってみせる。


 過去に舞奈は多くの知人を、友人を失った。

 だから麗華と愉快な仲間たちに、末永く幸せに暮らしてほしいと思うのは本心だ。

 そんな思惑に気づいたわけでもないだろうが、


「はい、もちろんです!」

「言われるまでもないンすよ!」

 2人も笑顔で舞奈に答える。

 そして再び背を向け、去って行った。


 そんな3人の背中を見送りながら、舞奈の思考は懐かしい過去へと向かう……


 今から2年ほど前。

 ピクシオンじゃなくなった舞奈は、同じ様にすべてを失った明日香と出会った。

 真逆な性格をした2人は互いに反発しながらも一時、心を通わせたように見えた。


 そんな、ある日。

 初等部3年の各クラスで授業参観が行われた。

 もちろん舞奈たちのクラスも例外ではなく、


「安倍さんはパパのかわりに執事さんがきてる! スゴイ! おひめさまだ!」

 明日香の元には保護者代わりに執事の夜壁があらわれた。

 今と変わらず痩せて猫背の彼も、公式の場では執事らしくスーツを着こなす。

 しかも礼儀正しく慇懃で、主を立てる名執事だ。


「千佳、お友達のご父兄を指さしたらダメだよ。……妹が失礼しました」

「いえいえ、これからも明日香様をよろしくお願いいたします」

「安倍さんのこと明日香様って言ってる! いいなーわたしもー」

「ええ……」

 明日香の執事にチャビーがはしゃぎ、多忙な御両親の代理で来ていた兄が苦笑する。

 そんな様子を盗み見ながら、


「ちぇ、なんだい」

 舞奈はひとり不貞腐れていた。


 2年生の頃から面談には保護者の代わりにアパートの管理人が来てくれていた。

 だが彼は面談等の必要最低限の状況でしか旧市街地に足を運びたがらない。

 だから今日の授業参観に、舞奈の保護者はいない。

 そんな舞奈に、


「あの、志門さん……」

 小さな声で話しかけようとした少女がいた。

 すっきりボブカットの、色白で無表情な少女。

 テックである。


 彼女の両親は健在だが、どちらも子育てにリソースを裂きたくないタイプの人間だ。

 基本的に学校の行事には来ないし、今日も来ていない。

 だから、ひとりぼっち同士、以前から気になっていた舞奈に話しかけるチャンスだ。 そう思った。


 だが、そんなテックを押しのけ――


「――あら、志門さん! あなたも安倍明日香が気にいらないんですの?」

「別にそんなんじゃないよ」

 縦ロールが割りこんできた。

 西園寺麗華だ。

 この頃の麗華様には、まだ取り巻きはいなかった。なので、


「わたくしのお友達になりませんこと? 一緒に安倍明日香をやっつけるんですの!」

 満面のドヤ顔で勧誘してきた。

 クラスの女王様になりたかった麗華は、明日香が気に入らなかった。

 だから舞奈を仲間に引き入れようとした。


「そういうのは、友達っていうのか?」

 舞奈は思わずツッコミを入れる。


 テックが何か言いたげな表情で見ていたが、麗華は気にする様子もない。

 舞奈も無口なクラスメートの挙動を察してはいたが、特に何もしなかった。


「これ! いいでしょう! パパにプレゼントしてもらったんですのよ」

「かっこいいペンダントだな。よかったじゃないか」

 麗華は聞かれてもいないのに、胸元からペンダントを取り出してみせる。

 色のついたガラス玉がはめこまれた、少し子供っぽいデザインのそれを、格好良いと思ったのは嘘じゃない。

 ピクシオンに変身するために使っていたブレスレットを思い出したからだ。


「そうですわ! わたくしの友達になったら、同じものをさしあげますわ!」

「いや、いらんが」

 即答する。

 流石の麗華も言葉に詰まる。


 だが舞奈も本心では、そういうのも悪くないと思った。

 子供っぽいデザインのアクセサリを、仲間とお揃いで身に着ける。

 その上で誰かに乞われて力を振るうのは、ピクシオン的な気がする。

 エンペラーがいなくなって、鍛えた身体能力の使い道にも困っていたところだ。

 美佳と一樹がいない寂し夢から醒めるまで、そうやって暮らすのも悪くない。


 だから、しょんぼりとうなだれながら去って行く麗華の背中を見やる。

 口元に笑みを浮かべ、椅子から立ち上がる。


「おい、麗華」

「なんですの……?」

 麗華は舞奈を振り返る。

 そして次の一言で笑顔になる。


 2人のそんな様子を、少し離れた場所からテックが無言で見ていた。


 そんなわけで、翌日。

 窓からうららかな朝日が差しこむ初等部3年の教室で、


「もう我慢なりませんわ! 志門さん! やっておしまいなさい!」

「おっ、さっそくか。しょうがないなあ」

 けしかけられるまま、幼い舞奈は明日香の前に立ちふさがる。


 結局、舞奈は麗華のお友達になることにした。


 まあ先日に明日香が自宅にプリントを届けに来たのは驚いたし、嬉しくもあった。

 だが奴と仲良くする理由にまではならないと思った。

 痛い目を見せてやれと『お友達』が言うのなら、それもやぶさかではないと思った。


 そんな舞奈を、麗華は明日香への秘密兵器と見なしたらしい。

 なので早速、目の上のたんこぶを叩きのめすべく喧嘩を吹っかけた。


「おまえのそういう態度、気にいらなかったしな」

「その意気ですわ! 志門さん!」

 お友達の声援を背にして身構えながら、舞奈は笑う。

 舞奈がここで明日香に勝つと、麗華が決めた友達ポイントとやらが満額になる。

 すると件のペンダントが貰えるらしい。結構なことだ。


「気が合うわね。そっちがその気なら相手になるわ」

 明日香も暗い目をしながら身構える。


 こちらも正直、先日に新開発区を踏破したことで少し気が大きくなっていた。

 流石の明日香も当時は小3。

 まだまだ血気盛んな子供である。


 そんな明日香の構えが戦闘訓練を受けた者のそれだと、舞奈だけは気づいた。

 だが特に気にすることなく、状況に流されるまま不敵に笑う。


 余人に乞われて敵と戦う行為はピクシオンと似ている。

 だから美佳と一樹がいない寂しい夢から醒めるまで、こうしているのも悪くない。

 その考えは変わらない。


 その上で敵は強くなきゃ敵じゃないし、自分と戦えるのはクラスでは明日香だけだ。

 そう考えると少しワクワクした。


 世界を憎む明日香。

 夢だと信じようとする舞奈。

 結局、幼い2人は対立を続ける道を選んだ。


「志門と安倍がたたかうのか?」

「どっちもがんばえー!」

 男子どもは能天気に2人を囃し立てる。


 当時から、舞奈の身体能力は異常だった。

 そんな舞奈が暴れる様に、男子が興味を持たない訳がない。

 小3女子が、足が速いという理由で男子にモテていた。


 対する明日香も、当時は少し気の早い中2じみた底知れなさがあった。

 バックもキナ臭くて舞奈との対戦カードとしては申し分ないと思われていた。


「あのマイちゃんも、明日香ちゃんも、喧嘩はだめだよ……」

 園香はおろおろと2人を止めようとする。

 心優しく気弱な彼女は、荒事の気配に早くも顔面蒼白だ。


 ちなみにチャビーは今日は病気で休んでいた。

 病欠しがちな彼女だが、こんな場面に居合わせないのは幸運だ。


 他の女子たちは困惑、そしてドン引きしながら教室の隅に避難する。

 テックも安全そうな場所から無表情に静観を決めこむ。


 そんな風に各々が思惑を抱えて見守る中で、


「センセがくる前に、保健室にはこんでやるよ!」

 舞奈が動いた。

 手近な椅子に、机に飛び乗る。予備動作なしだ。


「えっ今どうやって!?」

 開幕いきなりの超機動に、ギャラリーたちが驚愕する。


 だが舞奈は構わず、並んだ机の上を跳び駆ける。


「速い!?」

「まるで机の上を『飛んでいる』ようだ!」

 常識を超えた、いっそ重力を無視したゲームキャラに似た挙動に男子が目を剥く。


 当時の舞奈の身体能力は一樹に、あるいは今の舞奈には遠く及ばない。

 だが変身せずにエンペラーの刺客から逃れられる程度の鍛錬は積んでいた。

 そんな舞奈は一瞬で明日香の隣の机に達する。


「そこですわ志門さん!」

 麗華がバトルのオーナー気取りで激励する。

 舞奈も笑う。

 足元に相手の頭がある絶対有利な状況。


 対する明日香は、先ほどから妙なゼスチャーをしながら何やらぶつぶつ言っていた。

 避けたり仕掛けようとする気配もない。


 舞奈は接敵しながら訝しむ。

 臆したか?

 あるいは何かを企んでいるか?


 唇を読んで、呟いているのが真言に酷似していると気づいた。

 かつて一樹が仏術を使っていたので知っている。

 端々に荼枳尼天(ダーキニー)という単語が混ざる。

 だが考えるのは後だ!


 舞奈は敵の目前に飛び降りる。

 先ほど机に跳び乗った際もそうだったが、人の目は上下の動きを追うのに不向き。

 だから反応も遅れがちだ。

 相手が何をするつもりだろうが、人の身体である限りその制限は同じ。


 そんな人型怪異やエンペラーの幹部と戦うためのノウハウを、舞奈はクラスメートとの死闘に使っていた。

 それほどの相手だと無自覚に判断していた。


 身を低くして着地の衝撃を抑えつつ、そのままの姿勢からハイキック。

 狙いは無防備なワンピースのみぞおち。

 つま先がナイフの如く鋭く風を切る。

 人を蹴る勢いじゃない。


「明日香ちゃん!?」

 園香の悲鳴。

 他の何人かの気弱な女子も思わず目を覆う。だが、


「なにっ!?」

 舞奈の必殺の蹴りは相手の腹を不自然に逸れ、わき腹をかすめて虚空を裂いた。

 そのままシューズのかかとが側にあった机を捉える。

 勢いよく蹴り上げられた机が隣の机を巻きこみながら派手に宙を舞う。


「きゃあっ!? 机が!?」

「『ふっとんだ』だと!?」

 女子が悲鳴をあげ、男子が小3の身体能力を超えた蹴りの威力にどよめく。


 だが当の舞奈も動揺する。

 狙いは確実だった。

 なのに蹴り上げた瞬間、明日香は舞奈の狙いの外にいた。

 あるいは蹴りが『逸らされて』いた。

 まるで空間そのものを捻じ曲げたみたいに。


 対する明日香はニヤリと笑う。

 そして再び何かを――荼枳尼天(ダーキニー)を奉ずる咒を呟き、今度は側の何かを持ち上げた。

 ひっくり返った机を!


「な……っ!?」

「お、おい、あれ『机』だよな……?」

「安倍って……あんなナリで怪力なのか?」

 舞奈と違って鍛えた風でもない彼女がひょいと持ち上げたのは、椅子ではなく机だ。

 収められたノートや教科書が周囲に散らばる。

 その絵面のシュールさに、ギャラリーたちが困惑する。だが、


(斥力場か!)

 舞奈だけは、そのからくりに気づいていた。


 真言と、先ほどの謎めいた回避。

 加えて周囲の空気が不自然かつ無理やりに押しのけられる圧迫感。

 その現象は、エンペラーの刺客がまれ使った異能力【重力武器(ダークサムライ)】に似ていた。

 正確には【力波(クラフト・ヴェレ)】。

 その前のが【力盾クラフト・シュルツェン】という術なのだと舞奈が知るのは少し後のことになる。


 だが斥力による防御への対処方法は知っている。

 つまり逸らせられないほど勢いのある一撃。


 だから舞奈は素早く後退る。

 その様は突き出された拳を引くが如し。

 先ほどの攻防の余波で机が散乱する教室を、背後の確認もなく走る速度で。


「早いわ!?」

「こっちはまるで瞬間移動だ!?」

 何かのトリックのような挙動に女子も男子も目を見張る。


 明日香も少し驚いた表情で舞奈を見やる。

 魔術を修めた明日香は魔力を感知することができる。

 だからこそ、それを用いぬ純粋な技量と身体能力による奇跡を正確に評価できた。

 だから、その口元には微かな笑みが浮かぶ。


 対する舞奈は慣性すら無視した動きでピタリと停止する。

 そしてニヤリと笑う。

 目の前の明日香と同じように。


 かつての戦場から解放された今、なのに異能の力を操る敵と戦うのは『楽しい』。


 だから流れのまま、舞奈は手近な椅子を手に取る。

 ここから加速をつけた一撃で力まかせに斥力場をぶちぬき、敵を打ちのめす。

 そのくらいしても奴なら平気だろう。

 そうと考えるのは甘えか、あるいは敵への無自覚な信頼か。


 対する明日香は舞奈を追わない。

 その場で机を構えて警戒する。


 机のサイズで威圧しつつ、近づいてきた舞奈をぶん殴るつもりだろう。

 馬鹿正直に舞奈を追っても捕まえることはできない。

 だから待ち受けようと、明日香はとっさに判断した。

 その判断が的確だと舞奈は思った。


 だからこそ、手加減はしない。


 椅子を構えて駆ける舞奈。

 机を振り上げる明日香。

 どちらも喰らったらKOは必至。

 スピードと読みと反射神経が勝敗を分ける一撃勝負。だが、


「かくごしろ!」

「……!」

 動き出した2人の間に、


「ああっ!? ボクのカンガルの筆箱!」

 唐突に、ひとりの男子が跳び出してきた。


 明日香が振り回していた机は彼のものだったらしい。

 そこからこぼれた文房具を拾いに駆け寄ったのだ。

 標準的な小3に、荒事に際して状況を総合的に判断する能力はない。

 たとえば大事な筆箱に気を取られ、椅子と机の激突予想地点に跳び出したりとか。


「ちょっと待て!?」

 全力で駆ける舞奈は急には止まれない。


「何を!?」

 スイング中の明日香も同じだ。しかも、


「マイちゃん! 明日香ちゃん! ダメ!!」

「ゾマ!?」

「真神さんまで!?」

 園香が思わず割って入った。

 たぶん誰にも怪我をさせたくないと、とっさに動いた結果なのだと思う。


「「……!」」

 対する舞奈と明日香の判断は、どちらも一瞬。

 舞奈は自分から手近な机に跳びこんだ。

 明日香もおそらく無理やりに斥力場を捻じ曲げ、机を手近な別の机に叩きつけた。

 勢いのついた椅子と机は辛くも園香と男子を逸れ、代わりに側の机をなぎ倒す。


 ぶつかる音。

 砕ける音。

 事故か工事か、あるいは戦闘のようなド派手な轟音。


 はた目には、それは机と椅子が園香を避けたかのように見えた。

 まるで長身の少女の周囲に見えないフィールドが形成されて、2つの凶器から彼女自身と男子を守ったかのように。


 更に明日香が、園香に屈するように膝をついた。

 荼枳尼天(ダーキニー)の魔力の(無茶な)行使で疲弊したからだ。


 だから一瞬、クラスは張り詰めたような沈黙に包まれる。

 そうやって小3女子の他愛もない喧嘩は一旦、幕引きとなった。


 余談だが、この一件以来、男子は園香を「デカ女」と呼ぶのをピタリとやめた。

 それどころかさんづけで呼ぶようになった。

 後にクラス替えを経て5年になった今も、当時を知る男子は園香に敬語で話す。


 その後、騒ぎを聞きつけた担任が、少し早めの時間に慌ててやってきた。

 もちろん2人は担任にこってりしぼられた。

 皆で教室を片付けて授業をする間、仲良く廊下に立たされた。


 だが腹の虫がおさまるはずもない。

 明日香も術の行使による疲労を誤魔化すためか、必要以上に攻撃的になっていた。

 何より2人とも当時はまだまだ血気盛んなお子様だった。だから、


「こんどは邪魔の入らないところで勝負だ」

「いいわよ。……今日の夕方、体育館っていうのはどう?」

「ああ、いいぜ!」

 思いのほか乗り気な明日香に、舞奈は思わず口元に笑みを浮かべた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ