脱出
激しい魔法戦の末に明日香に敗れたアイオス。
だが彼女はニヤリと笑い、何事かをひとりごちた。
途端、爆発音が響き渡る。
「何!?」
驚く明日香の錫杖を、アイオスが払いのける。
素早くガラスの破片を拾い、明日香のワンピースの太股に付き立てる。
明日香は痛みにうめき、それでも身構える。
「あら、いいのかしらン?」
だが女はニヤリと笑う。
そして2本の指を口にやって何かを吸うゼスチャーをした。
「まさか。【屍鬼の処刑】」……!?」
明日香がロビーで暴徒の群を突破する際に使った【火葬】と同等の呪術だ。
体内に蓄積したニコチンを罪穢れと見なし、反応爆発を引き起こす。
呪術的な爆発なので、放射能汚染を引き起こすことはない。
それに最小限の威力で用いれば肺を焼くだけの無害な術だ。
だが本来は攻撃用で、手榴弾程度の殺傷力がある。
そして、舞奈は隣の部屋で脂虫の群を抑えている。
それは1ダースの反応弾と戯れているに等しい。
点火ピンは目の前の女の手の中だ。
「わたしが部屋を出るまで、そこで大人しくしてくれればいいの」
アイオスは笑う。
「そうすれば、貴女も、隣の部屋のお友達も無事よン」
言いつつ部屋の奥に駆け寄る。
そしてテーブルの上に横たえられた園香の身体に手をのばす。
明日香は思わず印を結ぶ。だが、
「だめよぉン」
制止の言葉に動きを止める。
アイオスは園香を抱え、視線で明日香を牽制しつつじりじりと窓際へ向かう。
成す術もなく錫杖を構えながら、明日香は女を睨みつける。
このままアイオスを見逃せば、園香は再び連れ去られる。
追手に気づいた誘拐犯は、次は容易に足取りをつかませたりはしないであろう。
そして、彼女の行く手を阻めば、彼女は舞奈のいる隣の部屋を爆破する。
舞奈はSランクだが、それは生身で反応爆発に耐えられるという意味ではない。
自分の判断の甘さが、背中を預けてくれた相棒の大事なものを連れ去っていく。
それでも舞奈は自分を責めたりはしないだろう。
舞奈にとって、明日香もまた愛すべき少女のひとりだから。
だからこそ、自身の無力さが許せない。
「よく頑張ったけど、ちょっとツメが甘かったわねン」
アイオスの手がガラスの割れ落ちた窓にかかる。
そのまま窓を乗りこえれば、終わりだ。
「さようなら魔術師。彼女はわたしがしっかり愛してあげるから、安心し――」
アイオスは笑う。
明日香は歯がみする。
「――お泊り会は、みんなでやったほうが楽しいよ」
軽薄を装った少女の声。
銃声。
「!?」
修道女は腕を押さえ、園香の身体を取り落とす。
「どうして……?」
開け放たれたドアの外の小さなツインテールを見やりもせず、明日香は問う。
「いやな、トウ坊が人質にとられて難儀してたんだが、何でか知らんが倒れてる奴がいきなり爆発して、隙ができたからトウ坊ごと殴り倒してきた」
いつもと変わらぬ穏やかな口調。
見ずともわかる。舞奈は口元に不敵な笑みを浮かべているはずだ。
焦りと怒り、少女を救えた安堵を悟られぬように。
舞奈の話からすると、乱戦の中で刀也が捕らえられたのだろう。
そして先ほどの【屍鬼の処刑】が暴徒のひとりを爆破した。
つまり舞奈は、ピンチをチャンスに変えて危機を脱したのだ。
「明日香、支部に連絡を頼む。今度こそ報奨金もらって、今晩は焼肉だ」
舞奈はアイオスに銃口を向けたまま、何食わぬ顔で部屋を横切る。
そして明日香をかばうように前に立つ。
今度はアイオスが歯がみする。
「ちなみに、あんたの友達は全員隣の部屋でお昼寝だ。待っても来ないぞ」
舞奈は女を拘束すべく、ゆっくりと近づく。
アイオスは頭を垂れる。
途端、世界が震え、轟音が鼓膜を殴りつけた。
「畜生!? さっきと同じ爆発だ!」
自棄になったアイオスが【屍鬼の処刑】を無制限に発動したのだ。
1ダースの反応弾を使った大発破に、明日香と舞奈は驚く。
その隙にアイオスは窓べりをまたぎ越し、部屋の外へと身を躍らせた。
もちろん園香を置いたまま。
「ああっ! 逃げた!」
だが園香を置いて彼女を追うわけにもいかない。
そんな2人の頭上に、パラパラとコンクリートの欠片が落ちてきた。
「まさか、さっきの爆発で……!?」
建物が軋む不吉な音。
国内の建築基準を遵守した建物は、あの程度の爆発で倒壊したりしない。
だが朽ち果てて呪われた廃墟の街の建物は別だ。
屋外には錆喰い虫もいた。
「はやく外へ! 崩れるぞ!」
舞奈はぐったりした園香の身体をすばやく背負い、窓べりに手をかける。
「明日香、何してるんだ!?」
振り向き見やる友人に、明日香は寂しげな笑みを向ける。
鮮血にまみれたワンピースの太股には、ガラスの破片が突き立てられていた。
平静を装っているが、歩くことすらままならない。
明日香は、崩れ去るビルから自力で逃げることはできない。
……同じ頃。
廃ビルの片隅でうたた寝をしていた野良猫が、ピクリと耳を揺らした。
住む者も通る者もいない廃墟の街で、野良猫は廃墟の一角を見やる。
うち捨てられた廃ビルがひとつ、轟音と土煙をあげて崩れ去った。
アスファルトとコンクリートが激突する破壊のマーチが鳴り響く。
そして薄れゆく土煙の中から、2つの人影が歩み出た。
少女を抱えた小柄な少女と、少女を背負った女子高生。合計4人だ。
「し、死ぬかと思いました……」
奈良坂は精魂尽き果てたかのように膝をつく。
それでも背負った園香を優しく地に横たえる。
一方、舞奈に抱えられた明日香は自力で立ち上がり、よろめく。
事務所ビル跡が崩壊する直前、2人の前に、壁を砕いて奈良坂があらわれた。
後に聞いた話では、彼女は窓からアイオスが逃げていくのを見つけて怖気づいていたらしい。だが弁才天から舞奈たちのピンチを聞いて、あわてて駆けつけてくれた。
仏術士は【実在の召喚】で筋肉を補強し、【心身の強化】で強化できる。
二段重ねの付与魔法である。
いわば【虎爪気功】と【サムソンの怪力】を重ねがけするようなものだ。
そんな彼女は、降り注ぐ瓦礫も何のその。
少女を背負って崩れゆくビルから脱出することなど造作もなかった。
「ありがとう、奈良坂さん。おかげで命拾いしたよ」
「いえ、そんな、どういたしまして……」
隠れた実力者は、やはり褒められ慣れないのか相好を崩して「えへへ」と笑う。
舞奈が労うように尻を撫でると、甘えるように尻を振る。
最初に会った時の人見知りっぷりとはずいぶんな違いだ。
忠実なくせに臆病で、なのに気心が知れると馴れ馴れしい。
そんな彼女の人となりを【鹿】のコードネームがよくあらわしていると思った。
「ゾマも無事だ。かわいらしい顔して寝てるよ」
舞奈は笑みを浮かべて園香の側にひざまずく。
そして、ふくよかな胸が規則正しく上下している様を見やって呼吸を確かめる。
そのまま少女の慎ましやかな唇に顔を寄せて呼吸を確かめる。
そのままジャケットを脱いで、少女の胸元に顔を寄せ――
「ちょっと、何してるのよ!」
思わずつっこむ。
「いや、ゾマの胸があんまり柔らかそうだったから、ついな」
悪びれもせずに振り向いた舞奈の顔を、明日香は「まったく」と見やる。
これでは変態シスターと変わらない。
痴漢に似て漢にあらず、痴女に似て女に満たぬ痴れ者。
そういう者を表す語彙を明日香は知らない。痴児とでも呼ぶべきか?
名残惜しそうにジャケットを園香に羽織らせる友人に、
「ねえ、舞奈」
声をかける。
「あの時、なんで行かなかったの?」
ビルが崩れる直前、明日香を置いて園香を連れて窓を乗りこえていれば、奈良坂の力を借りるまでもなく安全に退避することができた。
明日香には、魔術で身を守る選択肢も残されていた。だが舞奈は、
「いいだろ、そんなこと。もう済んだことだ」
口元に愉快げな笑みを浮かべる。
そうして再び前を向く。
埃にまみれた新開発区の風を感じながら、しばらくそうしていた。
「――の、もう嫌なんだよ」
不意に舞奈はひとりごちる。
実のところ明日香は、舞奈の過去を何も知らない。
自分の過去を詮索されなかったから、明日香も舞奈の過去を探ってはいない。
だが、そこで彼女が培った信念は、案外、自分と近しいものなのかも知れない。
そう思って静かに微笑んだ。
その時、背後で崩れたビルの残骸がガタリと音をたてた。
「ひでぇ目に合った……。でもオレ様の活躍で悪は滅びたぞ。オレすげー」
思わず振り向く3人の前で、瓦礫を押し退けてクセ毛の少年が顔を出した。
「ああ、そういえば……」
「あ、三剣君……」
「トウ坊じゃないか。……すっかり忘れてた」
3人そろって、わりとどうでもよさそうな感じでつぶやく。
魔剣にこめられた【重力武器】が、爆発と建物の倒壊から彼を守ったのだろう。
明日香がそう結論づけた、その時、
「ん……」
舞奈の腕の中で園香が身じろぎした。
ゆっくりとまぶたを開き、周囲に視線を巡らす。
「わたし……なにを……。マイちゃん……?」
そして覗きこむ舞奈の顔を見つめる。
「おーい! 奈良坂ー! ガキどもー!」
能天気な呼び声に、明日香は再び背後を見やる。
すると3人に気づいたのだろう、瓦礫の上から刀也が手をふっていた。
「あ、あの人……」
声に気づいた園香がつぶやく。
明日香は、園香は刀也に思うところがある口ぶりだったことを思いだした。
だが想い人と言うには口調が冷ややかすぎる気はする。
それでも、舞奈としては園香の言動は面白くないのではないかと思った。
そしてふと顔を戻す。
その表情が固まった。
小さなツインテールの後頭が、大人しげな少女の顔に重なっていた。
園香は雰囲気でも読んだのか、うっとりとした表情で目を閉じている。
明日香は目の前の光景に唖然とした。
側で奈良坂が赤面していた。
このどうしようもない友人は、そこまでして刀也の姿をを園香に見せたくなかったのだろうか?
唇を奪うほど嫌だったのだろうか?
痴児の面目躍如である。
明日香は深々とため息をつき、肩をすくめた。
「ヘンタイ」
ひとりごちた口元には、だがやわらかな笑みが浮かんでいた。