群れ集う悪
連休明けの月曜日。
つまり舞奈がピアノ教室を襲撃した疣豚潤子に対処し、委員長が普段通りに父親と夕食をとり、そして商店街に赤い嵐が吹き荒れた日の、翌日。
「よっ、おはようさん」
「おはよう工藤さん。早いわね」
「あ、2人ともおはよう。丁度よかったわ」
舞奈と明日香が久しぶりの教室に入ってくると、先にテックが来ていた。
「楓さんが、死塚不幸三に仕掛けたみたい」
「どういうことだ?」
無口な友人の開口一番に首を傾げつつ、促されるままタブレットを覗きこむ。
側の明日香もそれに倣う。
テックはタブレットを手早く操作し、画面に情報窓を表示させる。
動画だ。
少し粗目な画面に映っているのは防犯カメラの録画らしい。
そのカメラの設置場所に気づき、舞奈は口元を歪める。
商店街の一角に据え置かれた献花台。
あの惨事のあった場所だ。
そして動画の中心に映っていたのは、そこから去って行こうとする複数の人影。
警官隊と、その中心を歩く死塚不幸三。
連休明け早々に不快な面を目にし、舞奈と明日香は同時に顔をしかめる。
一方、献花台の側には楓がいた。
楓は台に一礼する。
その仕草が何処か明日香の執事に似ていると思った、次の瞬間、
「うおっ!? 壊れたのか?」
唐突に画像が乱れた。
「……砂嵐?」
明日香がその現象に思い当たり、だが2人して首をかしげる。
当然ながら、そんなものが街中でいきなり発生するわけがない。
「【大天使の巨石の召喚】……?」
明日香は画面の中の状況を己が知識と照らし合わせ、
「あるいは【大天使の金属の召喚】……いえ、ウアブの【創鉄の言葉】を応用して無数の砂鉄を飛ばしているわ」
その正体を見抜く。
前者は岩石を、後者2つは鉄を創って操る魔術の名だ。
「楓さんの仕業か」
苦笑する舞奈の前で、砂嵐の動きが速くなる。
テックが早送りしたのだ。
そして始まったときと同じく不自然なほど急に砂嵐が止んだ後、
「……何だこりゃ?」
「壊れたみたい」
砂嵐で。
「これでも可能な限り修復したのよ」
「そりゃご苦労様……」
珍しく疲れ気味に答えたテックと、相槌を返した舞奈と明日香が見やる画面には、もはや何が映っているのか判別が困難なほど乱れた商店街の様子が映っていた。
角度まで少し変わっている。
砂嵐のせいでカメラが壊れたらしい。
それでもテックは何かを見つけたのだろう。
だから舞奈と明日香も目を凝らして画面の中の景色を睨みつけ……
「……そういうことか」
目と勘がいい舞奈がやれやれと苦笑した。
献花台の前から楓がいなくなっていた。
まあ、それはいい。
砂嵐の間に用を済ませて帰ったのだろう。
その一方で、警官隊と死塚不幸三もいなくなっていた。
代わりに、先ほど一団がいたあたり一面に不吉な染みが広がっていた。
その中心に女性警官がへたりこんでいた。
死塚たちは何処に行ったのか?
ひとり残された女性警官は何を見たのか?
乱れた画面越しにすらわかる薄汚いヤニ色のそれが何なのか?
幾つもの恐ろしい魔術の存在を知っている、そして楓の人となりを知っている明日香にも、舞奈にも何となくわかる気がした。だから、
「信じられんことするな……」
舞奈は画面を見やりながら肩をすくめた。
隣では明日香が苦笑していた。
そして、その後は何事もなく放課後。
画面ごしに舞奈たちをドン引きさせた楓はというと……
「楓ちんや、わざわざ来てもらった理由はわかっていると思うのだが……」
「ええ、もちろんですとも」
対面で困ったように糸目を歪めるニュットを、涼しい顔で眺めていた。
口元には勝ち誇るような不敵な笑み。
反省しないタイプの犯罪者の表情である。
ここは【機関】支部の、打ちっぱなしコンクリートが物々しい会議室。
「それで、それに何の問題があるというのでしょう?」
言って楓はにこやかに笑う。
己が掌を見やり、笑みを嗜虐的に歪める。
怪異どもを無慈悲に屠った、引鉄の感触を思い出すように。
「奴らは全員が脂虫。しかもリーダーは人間の祭を襲撃した『社会の敵』ではありませんか。わたしは人に仇成す怪異を討つという【機関】の基本理念に従っただけですよ」
「いや、まあ、それはその通りなのだがなあ……」
ニュットは糸目の目尻を下げて口ごもる。
そもそも先日の殺戮で、楓が攻撃に用いた魔術はひとつだけ。
脂虫を爆発させる【沸騰する悪血】だ。
普通の人間にはまったく無害なその術を選択したという点では、むしろ周囲への被害を抑えるべく配慮したと称えられるべき判断だ。
「それでもだなあ、取り巻きの警官を含めて全員を虐殺と言うのは、いくらなんでもやりすぎだとは思わんかね? 先方からクレームが来たのだよ」
ニュットは困った声で反論する。
「……もちろん相手は脂虫じゃないのだよ」
楓に睨まれ慌てて補足する。
割と情けない挙動である。
魔道士としては珍しく組織の内外に術者以外のコネの多い彼女は、警察にも知人のひとりや2人はいる。それには楓も気づいていた。
だが、今はそれはどうでもいい。
「それに【機関】の理念は怪異を『密かに』排除することなのだ。公共の往来で派手に処刑されては後始末も大変だし、【組合】も良い顔はしないのだよ」
「余人の目に触れぬよう、対策は講じましたが?」
「いや、あの砂嵐は対策とは……。結局、遺留物の片付けと各所への口止めは諜報部が受け持ったのだ。女警官どののケアもな。一般人をビックリさせたら駄目なのだよ」
ニュットの指摘に、流石の楓も返す言葉を持たなかった。
だが糸目はそれ以上に追及したりせず、
「まあ今回は一度目のやんちゃだから、方々も大目に見てくれてるのが幸いなのだ」
何食わぬ顔でなだめる。
その言葉で楓は気づいた。
ニュットは楓のしようとしていたことに、気づいていた。
その上で、あえて黙認した。
各方面に誤魔化しがきく初回の『暴走』を、楓に割り振ったのだ。
なぜなら【機関】内部でも、件の事件に対する批判や不満はあったはずだ。
双葉あずさにはファンが多い。
本人や知人がサイン会に赴いた者は支部の大半を占めるだろう。
執行人から被害者も出た。
なにより脂虫を嫌う者は【機関】の内外にかかわらず多い。
人間が喫煙によって脂虫へと変わり、屍虫に変わるプロセスは機密とされる。
だが脂虫――邪悪で欲深い喫煙者の言動は、万人に嫌悪感をもたらす。
だからサイン会を襲撃した脂虫の老人に、報復を求める声も多かったのだろう。
もとより脂虫は、喫煙によって人を辞めた怪異だ。
殺すことに倫理的な問題はないし、法的な問題も執行人ならばクリアできる。
だが、その中で、もっとも凄惨に復讐できるのが楓だった。
楓は他の誰よりも脂虫を憎み、脂虫を惨たらしく殺すことに心血を注いでいた。
それを実現する力量もある。
同じくらい脂虫を憎悪している小夜子は事件で負傷して療養中だった。
だから楓に、死塚不幸三に対するマイナスの感情すべてを代弁させた。
この件に楓が乗り出したなら、もはや他者が手を出す余地はない。
楓より凄惨な報復が可能なものはいない。
何故なら楓は元・脂虫連続殺害犯【メメント・モリ】だから。
……だが楓は訝しむ。
先日のささやかな余興が予定調和だとしたら、自分は何故、ここにいる?
その疑問に答えるように、
「そしてここからが本題なのだが……」
糸目は何食わぬ顔で、備品のノートパソコンを開いた。
同じ頃、
「支部に急用って、何なのよ?」
「いいから来いって。……ちょっと確かめたいことがあるんだ」
舞奈は授業後に明日香を連れ、統零町の大通りを歩いていた。
「死塚不幸三のこと?」
「まあ、それもあるんだが」
明日香の問いに、どう答えようかと少し考える。
舞奈はしばらく以前に、人の言葉を話す『土行』の道士を倒した。
小夜子とサチは悪魔術と『木行』を操る道士と戦った。
先日も異郷のスタジオで、『火』をつけようとした屑田灰介を止めた。
帰りには死塚不幸三が自動車――『金』でサイン会を襲撃していた。
そして昨日、ピアノ教室を襲った疣豚潤子は『水行』らしき術の形跡を残した。
つまり、この街で人の顔を持った五行の道士が蠢いている。
奴らが何を企んでいたのか。
あるいは、何を仕出かそうとしているのか。
それについて少しでも情報が欲しかった。
「舞奈ちゃ~ん、明日香ちゃ~ん、いらっしゃぁ~~い」
「ちーっす」
「こんにちは」
小柄で巨乳な受付け嬢の甘い声に挨拶を返し、
「フィクサーはいるか? いなきゃソォナムちゃんか……技術担当官でもいいや」
「ん~~、その中ならニュットちゃんが会議室にいるわよぉ~」
「しゃーない。さんきゅ」
適当な礼を言いつつ階段へ向かう。
支部を統括するフィクサーと、占術士でもある中川ソォナムは忙しいらしい。
政治的に、魔法的に、それぞれ情報通な彼女らと話せないのは残念だ。
彼女らが多忙だという事実そのものが、悪い予想の裏付けと考えられなくもない。
だがまあ、技術担当官ニュットも妙に顔が広くて情報通なのも事実だ。
疑念について相談するなら都合がいいと前向きに考える。
そして2階の一角の、立てつけの悪い鉄のドアをギィと開くと、
「おお舞奈ちん、明日香ちん、丁度よいところに来たのだよ」
糸目のニュットが振り向いた。
会議机をはさんだ対面には楓もいる。
2人ともパイプ椅子に腰かけ、机上のノートパソコンを覗きこんでいたらしい。
この時分に楓がここにいる理由は、死塚不幸三の件だろうか。
そう思いつつ、
「何か進展でもあったのか?」
ノートパソコンを覗きこむ。そして……
「……どういうことだ?」
口元を歪める。
側で同じように画面を見やった明日香が驚く気配。
楓は無言のまま、憮然とした表情で画面を睨みつけている。
「見ての通りなのだよ」
変わらぬ糸目ながらも不快そうに、ニュットが答えた。
やや粗い画像の動画は、何処かからの隠し撮りらしい。
白レンガの屋敷の前。
そこにはヤニで歪んだ邪悪な表情をした壮年の男が映っていた。
杖をつき、取り巻きの警官たちを従えて歩くその男は――
「――死塚不幸三?」
呆然とした様子で明日香が呟く。
舞奈も同じ気持ちだった。
楓もそうなのだろう。
映っていたのは、先日に裁きを受けたはずの死塚不幸三だった。
動画の端のタイムスタンプを見やる。
残念ながら今朝の撮りたてらしい。
「念のため、ドローンで奴の自宅を監視していたのだよ」
「で、結果がこれって訳か。……糞ったれ」
ニュットの言葉に悪態を返す。
何かのトリックかも知れないと疑ってみる。
だが他の諸々を考慮に入れて熟慮すると、最も可能性の高いトリックは――
「――復活した……ということですか」
「うむ」
憎々しげな楓の言葉に、ニュットも重々しくうなずく。
舞奈と明日香も並んで同じ表情を浮かべながら、画面の中の老人を睨みつける。
十分な社会的地位を持っていた彼もまた、蘇ったのだ。
おそらく、かつての滓田妖一と同じように。
……そんな厄介な事実が判明したもの、火急に講じられる対策がないのも事実だ。
それこそフィクサーやソォナムの力を借りた、組織的な計画が必要になる。
だから一旦、その場はお開きになった。
そして翌日、
「おはよう、舞奈」
「おう、おはようさん」
舞奈が少し早めに登校すると、先日と同じようにテックがいた。
「どうだった?」
「……残念ながら、予想通り」
舞奈の問いに答えつつ、テックはタブレットの画面を向ける。
死塚不幸三の復活を知った直後、舞奈はテックに他の悪党どもの現状を調べてもらっていたのだ。その結果、
「まず、屑田灰介が警察病院から脱走していたわ」
「ちょっと待て。どうやって逃げるんだあれが」
無表情なテックの声に、思わずツッコむ。
屑田灰介は、自分でまいたガソリンの気化爆発に巻きこまれて炎上した。
舞奈が最後に見た屑田は、表も裏もわからぬ黒焦げだった。
病院から逃げ出すどころか動くことすら……あるいは生存すら困難なはず。だが、
「知らないわよ。そういうの、そっちのほうが詳しいでしょ?」
「まあ、そりゃそうなんだが……」
テックの言葉にうなずくしかない。
脂虫を復活・複製する宝貝、肉人壺。
虫のように再生させる方天画戟。
あるいは脂虫を三尸と化し、泥人間の道士がその名と顔を奪う妖術。
舞奈はそれらを知っている。
それらを用いて世に仇成す怪異どもを、何匹も屠ってきたから。
どちらも本来は希少で、滅多に用いられることはない。
だが現に、死塚不幸三は復活した。
他の悪党は無関係で、その恩恵を受けていないと思えるほど舞奈は楽観的ではない。
「それから、長屋博吐が証拠不十分で釈放されたわ」
「……誰だっけ? そいつ」
「連休前にゾマを付け狙ってた不審者」
「ああ、例のレイプ魔か。いたなあそんな奴」
思い出した舞奈に、テックはやれやれと苦笑する。
あれ以降に派手な事件が起こりすぎたのだから仕方がない。
長屋博吐は園香をつけ狙い、チャビー宅でネコポチに追い払われ、桜宅で捕まった。
テックが表示させた写真には見覚えがある。
醜い顔の団塊男だ。
ぬめつけるような嫌らしい目つきは、なるほど女児を付け狙う輩らしい。
この見た目通りのクズ男はPTA会長の立場を利用し、女児の家に忍びこんだ。
学生時代にはレイプ未遂や女生徒への暴行を繰り返し、徒党を組んで担任教師を流産させようとしたこともあったらしい。そんな情報を思い出し――
「――そいつは『子供を痛めつけるのが大好き』なのかな」
ふと脳裏に台詞が浮かんだ。
以前に相対した、喋る土行の道士が戦闘中に口走った言葉だ。
「さあ」
テックは無表情に答える。
だが舞奈は確信していた。
あのニンジャ道士の覆面の下の顔は、レイプ魔の長屋博吐だったのだろう。
そう考えれば色々と辻褄が合う。
たとえばネコポチが八つ裂きにしたはずの長屋氏が、桜の家で捕まった理由とか。
件の妖術や肉人壺を使えば復活は可能だ。
肉人壺なら脂虫をコピーして複数個所の女児宅に同時に侵入することもできる。
双葉あずさを襲った方の長屋氏もそうした。
「あと、もうひとつ……」
「それ以上誰かいたっけ?」
「今回の件に関係あるかはわからないけど……」
「構わん。聞かせてくれ」
口ごもるテックを、何食わぬ表情で促す。
舞奈は経験上、本当に大事な情報が声高に語られることはないと知っている。
そしてテックは情報収集のエキスパートだ。
だから彼女が小声で語ろうとした事実を、聞き逃してはならない。
そんな真摯な舞奈の言葉にテックは頷き――
「――あっ! マイちゃん! テックちゃんも!」
桜が騒々しく飛びこんできた。
「大変なのー!!」
「後にしてくれ桜。今、大事なことを話してるんだ」
舞奈はしっしと桜を追い払う。
桜のよく回る口から大事なことが語られたことはない。
もちろん、これからも。
そう思っていた。
だが桜は構わず舞奈の目前に回りこんで、
「あずさちゃんが、歌うのやめちゃったのー!」
「……双葉あずさが活動休止を発表したわ」
「なんだって!?」
2人からステレオで語られた事実に、舞奈は思わず目を見開いた。




