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銃弾と攻撃魔法・無頼の少女  作者: 立川ありす
第14章 FOREVER FRIENDS
254/579

真神家の夜

 その日の真神家の夕食は、焼き肉だった。

 集まってくれた皆が気兼ねなく食べられるようにとのご両親の配慮らしい。


 不審者に狙われた園香の身を案じて集まった舞奈たち。

 だが山の手暮らしの園香の両親にとっては、娘の大事な友人だ。

 だから賓客としてもてなそうというのだろう。


「お肉が焼ける良い匂いがするなあ」

「うんうん、もう少しで焼けるよ」

 裏庭の中央に設えたテーブルの上。

 グリルで温まったプレートの上で、ロースやカルビがジュウジュウ焼ける。

 テーブルを囲むのは舞奈に園香、明日香にチャビーに桂木姉妹、ご両親。


 真神邸の裏は、それなりの広さの庭になっている。

 さすがに委員長宅の庭のように魔術戦ができるほど広くはないが、晴れた日に友人と焼肉パーティーをするには十分だ。

 しかも裏庭だから、人目を気にせずくつろげる。


 不審者に狙われているというのに不用心だと少しばかり舞奈は思う。

 この場にいるのは園香父の他は、女子供ばかりだ。

 相手にその気があるのなら、襲撃してくれと言っているようなものだ。


 だが舞奈にとっては好都合だ。

 Sランクの鋭敏な感覚をもってすれば、不審者の接近を察知する程度は造作ない。


 それに、この場にいる明日香と楓は魔術師(ウィザード)、紅葉は呪術師(ウォーロック)だ。

 不審者への対処などパーティーの余興にすら物足りない。


 それよりも……


「肉を両面焼くなんて、流石です園香さん」

「うんうん。両側がまんべんなく焼けて美味しくなるよね」

 鉄板を仕切る園香を見ながら、楓と紅葉が異世界人みたいなことを言った。


「ええ……」

「……」

 舞奈は露骨なジト目で、明日香は無言で2人を見やる。


 鉄板の上で、食欲を誘う芳しい匂いとジュウジュウという音を立てて肉が焼ける。

 ニンジンもカボチャも、輪切りにしたタマネギも焼ける。

 なにせ園香の仕切りなのだから、焼け具合も完璧だ。


「楓さんも紅葉さんも、お肉、焼けましたよ」

 園香は何食わぬ笑顔を浮かべ、異世界人どもの皿に肉と野菜をバランスよくよそう。

 肉を返すタイミングやトング捌きですらなく、肉を焼くこと自体を褒められたりしてもかえって困るだろうに。だが、


「あらあら、楓さんはユニークなことをおっしゃるのね」

 園香母も動じず「うふふ」と微笑んだ。

 最近の園香の胆の座り方は、母親譲りなんじゃないかとちょっと思う。

 そんなことを考えながら苦笑する舞奈の2つ隣で、


「ネコポチやバーストちゃんも来られたらよかったのにね」

「いや、あいつら室内飼いの猫だろう」

「火の気もあるし……」

 チャビーの言葉に、舞奈は明日香と2人してツッコむ。

 でも楓の妄言に比べれば可愛らしいその言葉に、返す言葉も少し優しい。


「それにバーストはちょっと……家で仕事をお願いしてるんだ」

「バーストちゃん、お仕事をしてるの? すごい!」

 中落ちカルビをむしゃむしゃ食べつつ言った紅葉に、チャビーが感激してみせる。

 そしてお子様舌の自分用に用意してもらった特製ハンバーグを幸せそうに頬張るチャビーの横で、舞奈と明日香は首をかしげる。

 あの野良あがりのやんちゃ猫に、できるような仕事なんかあるのか?


 そんな2人を見やって園香が微笑み、


「マイちゃんもいっぱい食べてね、モヤシいっぱい用意したから」

「舞奈君はモヤシが好きなのかね?」

「うん。マイちゃんってば、スーパーでいつもモヤシを買ってるんだよ」

「そうなのか……」

 園香の言葉に、父はちょっと意外そうに舞奈を見やる。

 たぶん肉とかモリモリ食べてそうなイメージがあるのだろう。


 だが実際は単に金がないから半額のモヤシ食ってるだけだ。

 そんなさもしい普段の食生活を父には見抜かれたか、


「今日は肉もたくさん食べていきなさい」

「すんません、ごちになります!」

 勧められるままハラミを食する。

 ほどよく焼けた肉のボリュームと旨味がタレの風味と絡み合い、うーん! 美味い!!


 舞奈が至福の笑みを浮かべると、真神親子も満足そうに笑う。

 友人をもてなすことで自身も楽しむ園香の善性は、どうやら親譲りらしい。


「もしかして、舞奈さんまであの伝説の技術『料理』を……!?」

「もう楓さんは、黙って食っててくれ……」

 そんな雑な持ち上げられ方しても嬉しくないよ。


 せっかくだから彼女も園香に料理のひとつも教わればいいのにと思っていた。

 だが実際は、それ以前の問題らしい……。


 しかもロースを口に運ぶ仕草だけは女優のように優雅なのがタチが悪い。

 なぜなら発言の頭の悪さを余人に気づいてもらえないからだ。


「お野菜もいっぱい食べてね」

「日比野さん、ニンジンも食べなきゃダメよ」

「えーだってー」

 隣でもチャビーがレベルの低いことを言っていた。

 やれやれだ。


「安倍さん、食べてー」

「しょうがないわね」

 食うのか……。

 差し出された箸につままれた花の形のニンジンを、明日香はぱくりと口に含む。

 むしゃむしゃ。

 そんな様子を横目で見やり、こいつも変わったなあと苦笑する。一方、


「このニンジンのカットの見事さは正に芸術。流石は園香さん」

 言いつつ楓もニンジンをつまんでしげしげと眺め、しかる後に頬張る。

 むしゃむしゃ。


「焼き加減も最高ですよね。まるでさっぱりとした肉のようです」

「わっ。ありがとうございます」

 なんだか異様に持ち上げる楓と、恐縮しつつも微笑む園香を見やり、


「……安倍さん、やっぱりさっきのニンジンちょうだい」

 チャビーは明日香の皿からニンジンをつまんで食べる。

 楓の様子を見て自分も食べたくなったらしい。

 単純なものだ。


「ほんとうだ! 甘い!」

 ニコニコ笑うチャビーを見やって園香も微笑む。

 なんだ楓も少しは良いことするなあと口元を緩める舞奈の対面で、


「わたしも先日、野菜を何種類か切ってみたのですけど、難しいですよね」

 楓はちょっと調子に乗った感じで語り始めた。


「うんうん、慣れないと難しいですよね」

「何より驚いたのは、食べられる部分と食べられない部分があるということです!」

「えっ?」

 流石の園香も首を傾げてみせる。

 もちろん野菜に非可食部分があることにではなく、楓の妄言に。


 やれやれ、さっきの良い言動が台無しだなと苦笑する舞奈を尻目に、


「そこで非可食部分を片づけさせようと、ちょっと趣向を凝らしまして……」

「おいおい」

 一般の人の前で、話して良いラインを考えてるよな?

 舞奈は焦る。

 隣で明日香も警戒している。


 察するに、楓は野菜くずを処分するための魔神を創造したらしい。

 そんなの普通に生ごみにすれば良いと思うが、ブルジョワの考えは理解不能だ。


「万が一にも余人に被害を与えぬよう、小さな個体を大量に創りまして……」

「多すぎてコントロールできなくなったらしいんだ」

「……おい」

 目をそらした楓と、言葉を継いだ紅葉に思わずツッコむ。


 つまりゴミ処理用の小型魔神が、暴走して収集がつかなくなったというのだろう。

 新開発区の錆食い虫が大量発生したようなものか。


「……バーストちゃんは、その後始末に?」

「そうなんだ。まあ運動にはなるし、楽しんでてくれてるからいいんだけど」

 明日香の問いに、苦笑しながら紅葉が答える。

 舞奈はやれやれと肩をすくめる。


 まあ本人(猫)が面白がっているなら、それで構わないだろう。

 舞奈は以前に、新開発区の野良猫が錆食い虫を食っているのを見たことがある。


 そして桂木姉妹は後始末を猫にまかせ、園香の護衛の名目で逃げてきたのだ。

 つまり今ごろタワーマンショのン高層階の一室は、手に負えなくなったマジカル害虫が大繁殖しているということになる。

 他の住民からすれば迷惑この上ない。


 そんなことを考えて苦笑していると、話の要点がわからないからか、


「そういえば、小夜子さんたちはどうしたんだろう」

 チャビーが空を見ながらポツリと言った。


「まあ、いろいろ忙しいんだろうさ」

 舞奈も同じ空を見ながら答える。

 夜と夕方がせめぎ合っているような中途半端な空には、虹は見えない。


 チャビーがここにいない猫や人の話をするのは、決して訪れることはない誰かを無意識に待っているからなのだろう。だから、


「高校生なんだしな」

 不都合な事実と内心を覆い隠すように、何食わぬ顔で言葉を続ける。


 小夜子とサチは忙しいから来られないと言っていた。

 その理由は【機関】の業務だ。


「そうですね」

 こちらも事情を知ってる楓も、涼しい顔で笑う。

 舞奈に合わせてくれているのか、それとも本当に面が厚いのか。


「それならやっぱりネコポチちゃんも。ほら、せっかく御馳走があるんだから」

「……猫が人間用の高級和牛食うか?」

 誤魔化すにしても、話を蒸し返すことはないだろうに。

 舞奈も思わず苦笑する。だが、


「加熱する前ならなんとか」

 明日香は意地になって言い募る。

 こちらも本当に子猫と遊びたかっただけなのかもしれない。


「いや食うかもしれんがなあ」

 チャビーの前で生肉をもりもり食わせる気か?

 舞奈はやれやれと肩をすくめた。


 そんな風に、真神家の晩餐は面白おかしく過ぎていった……。


 幸いなことに、不審者は真神家の周囲にはあらわれなかった。

 気配もなかった。


 そして、その夜。

 真神邸の2階にある園香の部屋で、


「女の子らしい部屋だね」

「えへへっ、ありがとうございます」

 紅葉の賛辞に、園香は年齢相応にはにかんでみせる。

 中3の紅葉は園香より名実ともに年上で、礼儀正しく背も高くてスマートだ。


 そんな紅葉と、明日香とチャビーは園香の部屋に集っていた。

 床には4人分の布団が並んでいる。

 ちょっとしたパジャマパーティーである。

 楓や舞奈がいっしょじゃないのをチャビーは残念がっていたが、流石に6人分の布団を敷くとすし詰めだ。


 この件が片付くまで、紅葉たち4人は園香の部屋に泊まる算段だ。

 仕事人(トラブルシューター)魔術師(ウィザード)呪術師(ウォーロック)が揃った鉄壁の守りである。


 そんな4人は仲良く布団に寝そべって、


「ねえねえ、紅葉さんって、好きな人とかいるの?」

 チャビーの恋バナが始まった。


 幼女みたいな容姿ながら、チャビーは惚れた腫れたの話が大好きだ。

 自身が気になった相手の話をしたことだって何度かある。

 もちろん毎回、別の男だ。だが、


「好きな人……っていうのとは少し違うけど」

 紅葉は生真面目に考えて、


「尊敬できる人ならいるよ」

「誰、誰!?」

 チャビーはどちらも同じとばかりにワクワクする。

 園香も、そこまで露骨ではないものの少し期待した目で見やる。

 そんな皆に見つめれて少し照れながら、


「……いや、舞奈ちゃん」

 そう紅葉は答えた。


「わたしよりずっと年下なのに強くて、何でもできて、凄いなって本気で思う」

 それはSランク仕事人(トラブルシューター)としての評価が多分に含まれていると明日香は思う。

 だがチャビーは大はしゃぎで、


「じゃーゾマのライバルだね」

「えっ?」

 わりと素っ頓狂な言葉を返した。


「ゾマってばね、最近、マイとすっごく仲がいいんだよ、ねー」

「う、うん」

 無邪気な台詞に園香は顔を赤らめる。


 けっこう以前から園香と舞奈は親密だ。

 それに、それは紅葉と舞奈との関係とはまったくの別物だ。

 それでも紅葉は、


「ライバル同士、よろしくね」

「あ、はい」

 赤面する園香に凛々しい表情を向けた。

 そんな2人を見やってチャビーはニコニコ笑う。


 お子様チャビーが、その手の視線を女子同士に向けるのは珍しい。

 だが人は前に向かって歩いていくものだから、彼女も少しづつ変わっていく。

 そんな無邪気な横顔を盗み見て、明日香も珍しく微笑んだ。


 そんな風に小中学生がかしましく過ごす一方、楓は、


「ふふ、主人のお布団でごめんなさいね」

「いえいえ、お構いなく」

 ご両親の部屋で、園香母とダブルベットで寝ていた。


 さすがに園香の部屋の床に5人分の布団はひけない。

 それに夜に園香の護衛をするなら、母親もという考えだ。


 楓はちらりと側を見やる。

 高等部の3年生で成長もほぼ終わった楓と、園香母の背丈はさほど変わらない。

 化粧を落とすと流石に齢は隠せないが、それでも可愛らしい仕草と顔立ちは、娘への強い影響をうかがわせる。


「楓さん、舞奈ちゃんとよく話されているんですか?」

 母は楓に、囁くように静かに問いかける。

 寝室のダブルベットの隣でそうされると、なんというか…………堅物で奥手に見える園香父が、所帯を持とうと決意した気持ちが理解できるような気がする。


 やはり彼女の娘だからこそ、園香はあれほどまでに完璧な美の体現たりえる。

 そして彼女の愛に包まれて育ったから。

 楓はそう確信した。


「主人が舞奈ちゃんのこと、とても気にしているようで」

 言って母は「ふふ」と笑う。


 娘の園香と仲の良い舞奈の普段の顔が気になるのは、親として当然だろう。

 母の愛をあまり実感していない楓だが、それを理解することはできる。

 正直それが羨ましいと、思わなかったと言えば嘘になる。


 だが母の口調には、それだけではない熱がこもっていると楓は思った。

 志門舞奈という少女の生き様が、やはり彼女も気になるのだろう。

 おそらく彼女が、人生の伴侶に園香父を選んだのと同じ理由で。だから、


「舞奈さんは、とてもユニークな方なんですよ。それに勇敢な――」

 楓は語り始めた。

 仕事人(トラブルシューター)という立場は伏せるとしても、芸術家として、人として、舞奈について語りたいことは山ほどあった……


 ……そして当の舞奈はと言うと、


(そういえば、前にもこんなことあったな)

 リビングのソファに寝転んで、広くて綺麗な天井を見ていた。


 借りた毛布の下は、ラフな格好ではあるものの普段着を着ている。

 いちおう舞奈がここにいる理由が、不審者への警戒だからだ。


 それでも今は暇なので、舞奈の気持ちは過去へと移る。

 九杖邸を、まだ三剣邸と呼んでいた頃。

 舞奈がまだ美佳と一樹への想いに囚われていた頃。


 舞奈は今回と同じように、園香から相談を持ち掛けられた。

 そして皆で園香の部屋に泊まった。

 皆が寝静まった夜半、舞奈は今のようにリビングを訪れた。


 その時は明日香も訪れた。

 そして互いの傷跡を慰め合った。


 そして今は……


「――舞奈君、ソファは固くないかね?」

「あ、大丈夫っす。体丈夫なんで」

 ローテーブルをはさんだ向かい合わせのソファで、園香父が寝ていた。


 夫婦仲も決して悪くない彼は、ソファで寝たことなんてないだろう。

 なのにこうしているのは、舞奈を見張るためだ。


 舞奈は宿泊を許可されただけで、別に信用されたわけではない。

 園香父には娘の園香だけでなく、伴侶である園香母も守る責任があるのだ。

 外から来る不審者から。

 そして家の中に入りこんだ不埒物から……。


「舞奈君、背中は大丈夫かね?」

「背中……?」

 舞奈は首を傾げ、そして思いだした。


 以前に舞奈は、飛んできた机から園香と父をかばったことがある。


 そのこと自体は最強の舞奈にとって普通のことだ。

 なので、わりと本気で忘れていた。

 そもそも、それ以降にも魔道士(メイジ)たちと戦う中で、火球や稲妻、氷塊を山のように投げつけられ、超巨大な魔獣も飛んできて、そのすべてを苦も無く凌いだ。


 だが父は、魔法とも異能力とも無縁な普通の大人だ。

 机が飛んでくるなんて一生に一度あるかどうかで、普通はない。


 そんな状況で身を挺した舞奈を、心配するのは彼にとって当然のことだ。

 舞奈がいなければ、彼自身がそうしただろう。

 無事で済む算段なんてなくても。

 彼は舞奈と違って最強じゃないけれど、それ故に覚悟がある。だから、


「ああ、平気っすよ。あの時、医者もそう言ったじゃないすか」

 舞奈は何食わぬ口調で答える。


 彼を誤魔化すのは、割と困難な部類に入る。

 態度が重々しいと心配されるし、軽薄すぎても逆に勘ぐられる。


 彼が話し相手と真摯に真正面から向き合い、相手のことを考えているからだ。

 相手が子供であっても、決して雑な扱いはしない。だから、


「……そうか。なら良かった」

 父も答えて、舞奈と同じ天井を見やる。

 そして会話が途切れる。


 2人に共通した話題がないからだ。

 無論、どちらも園香に深い愛情を持っている。

 だが父親の前で、舞奈視点で尻が良いとか、胸が大きいとか、甘えさせてくれるとか言ったところで会話が弾むところか正座で説教されるのがオチだ。


 だから2人して天井を眺めた後、


「……舞奈君は、新開発区に住んでいるというのは本当かね?」

 不意に父は問いかけた。


「ええ、まあ……」

 舞奈は曖昧に肯定の言葉を返す。

 父は「そうか」と答える。


 実は舞奈が新開発区に住んでいるということは、調べればわかる。

 彼がそうしてはいけない理由も、しない理由もない。


 そして自分の調べたことが、信じられないとしても無理はない。

 新開発区は封鎖された死の街だ。

 大人も子供も、危険だからという理由で立ち入りを押し止められる、

 なのに彼にとって、舞奈は娘と同い年の女子小学生だ。だから、


「もし君に事情があって、今とは違った環境で暮らしたいと希望するのなら……里親に名乗り出ても構わないと思っている。我々にはその資格もある」

 生真面目な声色で、言った。


 それが彼にとっての、ある意味で矛盾した事実への向き合い方だ。

 彼が信じられなかった事実を事もなく肯定した舞奈に対しての回答だ。

 娘の友人に対し、彼は責任を取ろうとしている。だが、


「もちろん、その際には我々の教育方針に従ってもらうが」

「……気持ちだけもらっときます」

「そうか」

 舞奈の答えに、父親は少し笑みを浮かべてみせた。

 彼には見えていない(はずだ)が、舞奈はちょっと冷や汗をかいていた。


 彼は舞奈を真人間にしたいのかもしれない。

 まあ、真っ当な神経をした人の親なら当然の感性だとは思う。

 なぜなら舞奈は彼の娘と親しい。


 だから、そんなふうに、ぽつり、ぽつりと会話しながら、2人とも眠りについた……


 ……否。


 園香父の寝息が穏やかになった頃。


 カッ!


 舞奈は双眸を見開いた。

 狸寝入りをしていたのだ。


 念のために寝返りを装い、向かいの園香父を見やる。

 廃墟暮らしに慣れた舞奈の目は、闇に慣れればフクロウのように夜目が効く。


 幸いにも父が起き上がる様子はない。

 だが念には念を入れて、安全だと確信できるまで規則正しい寝息を確認する。


 そして幽霊のように静かにソファから立ち上がる。


 空気すら揺らさぬようゆっくりと、慎重にドアに歩み寄る。

 もうひとり自分がいたとしても気づかれないと自負できる、完璧な隠密行動。

 あるはずもない罠まで警戒しつつ、物音ひとつ立てずにドアを開ける。

 ……正直なところ、忍びこんだ不審者そのものだ。


 だが、せっかく園香の家でお泊りしているのだ。

 せめて園香のパジャマ姿を一目見たいと思うのは人情だろう。


 そして、こっそり部屋から連れ出し、ダイニングで少し『お話』するのも悪くない。

 そんな桃色の青写真を脳裏に描いて舞奈は笑う。


 明りのない廊下は薄暗い。

 だが舞奈は夜目が効くし、廊下の構造は把握済みだ。


 だから舞奈は温い風のように音もなく廊下を進み――


「――トイレかね?」

「!?」

 不意に明るくなった。

 舞奈は思わず跳び上がった。


 おそるおそる振り返る。

 そこには蛍光灯のスイッチに手をかけた園香父がいた。


「場所がわからなければ案内しよう」

 父は優しい口調で言った。

 だが目は笑っていなかった。


 舞奈は凍りついたように動けなかった。


 そのようにして、真神家の夜は過ぎていった……


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