志門舞奈という生き方
「やれやれ、いい天気になったなあ」
ふわわと欠伸をしつつ舞奈は笑う。
頭上には雲ひとつない青い空。
周囲では友人たちの喧騒。
微かな獣の匂い。
ウィアードテールの一件から数日後。
舞奈たち蔵乃巣学園初等部の5年生は、遠足で動物園に来ていた。
「ライオンさんだ!」
「うんうん、大きくて立派だね」
檻の前でチャビーがはしゃぐ。
隣で園香もニッコリ笑う。
園内は生息地や種類ごとにエリア分けされているらしい。
なのでクラスの皆はグループ毎にエリアを順繰りに見て回っていた。
舞奈たちが訪れたサバンナ広場の隣は大型猫科(ネコ目ネコ科ヒョウ属)のブースになっていて、故郷をぷち再現した檻の中でトラやヒョウ等の猛獣がくつろいでいる。
元よりネコ科の動物は皆、しなやかで流麗な狩人だ。
その中でも恵体で毛づやもいい面子が居並ぶ様は、中々に壮観だ。
そんな中でチャビーたちがかぶりつきで見ているのは、ライオンの檻だ。
「おひげがフサフサなのー!」
桜もいっしょになってはしゃぎ、
「危ないので手を入れたらダメです。ちなみに、あれは『たてがみ』というのです」
委員長は注意しながらうんちくを語る。
相手は檻の中とはいえ、その図体は大柄な大人の男よりなお大きい。
あくびをする大口に並んだ牙はナイフのように鋭くて、噛みつかれでもしたらその部位はなくなると考えるべきだろう。
もしこの檻がなければ、人間なんて何人いても無力な獲物だ。
そもそも奴らが頑丈な檻の中にいるのは、それほど危険でもあるからだ。
それにネコ科の動物たちは野生のハンターだ。
猫が小さく可愛いのは、それ以上のサイズは危険すぎて人と共に暮らせないからだ。
にも拘らず、
「確かに大きいわね」
「ああ、危険そうだな」
舞奈と明日香は4人の後に2人ならんで、どことなく優しい目で猛獣を見ていた。
2人は先日、ウィアードテールが変じた魔獣と戦ったばかりだ。
追い詰められた彼女がステッキの魔力を暴走させたからだ。
バカで陽キャな混沌魔術の魔法少女が変じた異形の魔獣。
トラックほどの常識外れな巨躯をしたそいつは、結界中を縦横無尽に暴れまわった。
相手した舞奈はカギ爪で裂かれそうになって、一飲みできそうなくらい大きな口に生えた牙で噛まれそうになって、巨体でプレスされそうになった。
最強Sランクの舞奈でなければ、実際そのうちどれかになっていただろう。
そんな天災みたいな巨獣を、明日香と協力して無理やりに倒した。
それに比べれば、目前の獣はあくまで普通の猛獣サイズだ。
加えて攻撃手段は屈強な肉体と牙と爪だけなのだから、舞奈の敵ではない。
いっそ可愛い子猫と表現してもいいくらいだ。
なにより檻の中で惰眠を貪る獣に、襲いかかってくる気配など当然ながらない。
彼ら/彼女らは畜生なりに気は確かで、敵のいない現状で戦う理由もない。だから、
「たてがみはオスにしかないのです」
明日香も大好きなうんちく語りを委員長にまかせて、皆の後から檻を見ていた。
「じゃーあれはイケメンの男のライオンなのー! きゃー!」
「……桜。ライオンでもいいんだ」
テックがついに辛抱たまらず、桜の妄言にツッコミを入れる。
「でもオスは狩りをしないのです。メスだけするのです」
続く委員長のうんちくに、
「そうなんだ……」
舞奈は色々な感慨をこめて奥にいるたてがみのないライオンを見やった。
動物園の動物は狩りをしなくても餌がもらえる。
なのでメスのライオンも檻の外の人間を眺めながらのんびりくつろいでいる。
その視線の先ではみゃー子がふにゃふにゃ踊っていた。
そうやってライオンを堪能した後は、他の檻も見て回った。
トラ縞のトラや、ヒョウ柄のヒョウやジャガーのしなやかなネコ科の恵体もライオンに負けず見ごたえがあり、楓ならずとも大自然が育んだ美を称えずにはいられない。
小夜子が施術にネコ耳カチューシャを使うのも、ジャガーの姿を模するためだ。
そんな美しい獣が木に登る様や、同じ檻の仲間とじゃれ合う様は少し猫っぽい。
ある意味、猫は小さな猛獣だ。
チャビーはネコポチへのお土産にと、トラたちの写真を携帯で撮りまくっていた。
そして次に訪れたのは、猿やゴリラのブースだ。
「あ、ゴリラさんがご飯食べてる!」
「うんうん、すっごく器用に食べるよね」
チャビーと園香がゴリラの檻の前で和む。
毛むくじゃらで大柄な人型の動物がそうする様は、なるほど少しユーモラスだ。
舞奈はその様がササミ食うベティみたいだと思ったが、あえて口にはしなかった。
隣の明日香は半笑いだ。考えることは同じなようだ。
「ヘンな顔なのー」
言って笑う桜に、
「ゴリラは森の賢者とも呼ばれているのです」
「霊長目ヒト科ヒト亜科ゴリラ属。ネコポチちゃんをジャガーたちの仲間だっていうなら、彼らとわたしたちヒト亜科ヒト属ホモサピエンスも同類よ」
クラスの賢者が立て続けにうんちくを語る。
明日香もそっちに復帰したらしい。
「頭が良いんだ!」
「言われてみれば優しそうな顔をしてるよね」
チャビーと園香は素直に感心する。
背後のテックは既知とばかりに頷く。
そして舞奈は、
「……賢くて優しいなんて、最高じゃないか」
苦笑しつつ答える。
感覚の鋭い舞奈は広い檻の反対側の喧騒に気づいていた。
どうやら別のクラスの男子がゴリラに何か投げつけられたらしい。
騒がしい……というか阿鼻叫喚の様相を呈している。
どうせやんちゃな男子がゴリラに何かやらかしたのだと舞奈は軽く考える。
小5の男子の言動なんて、猿とさほど変わらない。
それに攻撃魔法は賢者の嗜みだ。
そんな風に舞奈も和んでいると、
「向こうに猿がいるのー」
「お猿さんだー」
ゴリラを見るのに飽きた桜とチャビーが走りだした。
いっしょにウィアードテールごっこなどしたせいか、2人は妙に仲がいい。
「ん……? ああ、猿の檻があるのか」
走る桜の背中を見やり、行く手に見えた猿の檻に目をやる。
どうやら目玉のひとつらしい。
他の檻より遥かに大きな円形の檻の中に、ごつごつした立派な岩の山が建っている。
舞奈はそれを、ウアブが魔法で創ったようだと思った。
そんな大きな岩山のあちこちで、毛むくじゃらの猿たちが思い思いに戯れている。
餌を食べていたり、追いかけっこのつもりか仲間同士で走り回っていたり、親猿が子猿の毛づくろいをしていたり、のんびりと観光客を眺めていたりする。
そんな猿山に駆け寄る桜たちも、まあ服を着た同類に見えなくもない。
「貴女の普段の言動も、大概よ」
「うるせぇ。自分だけ人間様を気取りやがって」
軽口を叩きあいながら続く舞奈と明日香の前で、
「ここが桜のステージなのー」
いきなり桜が歌いだした。
するとチャビーも歌いだす。
……うん、猿だ。
「信じられんことするな」
「……」
「桜さん、他のお客さんの邪魔になるのです……」
舞奈は苦笑し、明日香は無言で、委員長は呆然と見やる。
「でも楽しそうだね」
テックと一緒に追いついてきた園香は、歌う2人を見やって微笑む。
なんだか最近、園香は精神的にタフになった気がする。
舞奈たちがいろいろなトラブルに巻きこみまくったせいだろうか……?
そんな負い目を誤魔化すように、
「まあ猿もたまには、珍しい生き物を見たいだろう」
他人事のように言ってみる。
歌う2人の背後では、みゃー子が謎の踊りをしていた。
心なしか動作の端々にキレがある。
バックダンサーのつもりか。
そんな桜たちの奇行は小癪なことに、道行く他の観光客には好評だった。
まあ高学年とはいえ所詮は小学生だ。
猿に歌を聞かせようとする様が、微笑ましく見えたのかもしれない。
しかも猿にもウケている。
音程は狂いまくりな桜の歌も、元気と勢いだけは一丁前だからか。
なので曲が終わった後、
「キキッ!」
1匹の猿が駆け寄ってきて、檻の隙間から何かを差し出した。
バナナだ。
「桜にくれるのー?」
桜は猿からバナナを受け取り、
「わーい! おひねりなのー!」
満面の笑顔を浮かべて、はしゃいで踊る。
それを見やって、猿が手を叩いて喜ぶ。
うん、猿だ!
だが慌てて飛んできた飼育員が、桜から猿のバナナを取り返した。
まあ衛生管理的には当然だろう。
猿の餌を客が食って、腹でも壊されたらたまらん。
だが、ただ取り上げるのも酷と思ったか、代わりに房バナナをくれた。
近くの売店で売ってた土産物だ。
「おひねりが豪華になったのー!」
「桜ちゃんすごーい」
「お弁当の時間にみんなで食べるのです」
「すっかり猿のアイドルだな」
はしゃぐ桜たちにやれやれと肩をすくめつつ、
「ちょっと、勝手にどこ行くのよ?」
「……ん、花摘み」
生返事を返しつつ、舞奈は仲間たち輪を離れた。
友人たちの姿が見えなくなると、何食わぬ顔で近くの茂みに分け入る。
先ほどからヤニの悪臭と厄介事の気配を感じていたのだ。
そして舞奈の感覚に間違いはなかった。
鬱蒼と茂った草木の陰で、数人の中学生が男を組み伏せていた。
薄汚い身なりの男の手には、悪臭を放つ煙草。
この動物園は禁煙だ。
対して少年たちが着ているブレザー制服には見覚えがない。
他支部の執行人だ。
「君!? どうやってここに!?」
「人払いの魔道具が効いてないのか!?」
「こんなとこでも、ヤニ狩りってするんだな。お疲れさん」
戸惑う少年たちに、「よっ」と何食わぬ顔で挨拶する。
「人払いが効かないのは、あたしが事情を知ってるからだ。あと魔道具とか迂闊に口走らんでやってくれ。あんたたちにも守秘義務があるはずだ」
「ええっ事情を知ってるって……!?」
「君、小学生だよね……?」
あまりに慣れた調子の舞奈に、少年たちは困惑した後、
「…そういえば、今日って蔵乃巣学園の初等部が遠足に来るって」
「てことは、君、まさか巣黒支部の……」
「S……ランク……!?」
驚きおののきながら舞奈を見やった。
彼らも怪異との戦闘に身を置いたことがあるのだろう。
だから気づいた。
女子小学生の尋常ならざる雰囲気と、鍛え抜かれた四肢が意味することを。
「須黒の……って、まさか、あの魔獣を単身で屠ったという!?」
「人に化けて企業グループを率いた怪異を、まとめて殲滅したという!?」
「まあ間違いじゃないが……」
持ち上げられ具合に舞奈は苦笑し、
「単身で核攻撃が可能で、死の概念すら超越した大魔道士!」
「脂虫を趣味でなぶり殺す、悪の天敵!」
「……別の奴の噂が混ざってるよ。須黒にはSランクが2人いるんだ」
「ひいっ!? 2人も!?」
あとSランクとは全然関係ない奴も混じってる。小夜子さんにも困ったもんだな。
やれやれと苦笑する舞奈に、
「も……もちろん、わかってますって! 複数人に分身する魔法があるんすよね。たしかミラーリングフォースっていう」
「……いや、わかってねぇよ」
妄言に思わずツッコむ。
暴走する噂のせいで、そのうち訳のわからないものにされそうだ。
それはともかく、
「この動物園は、禁煙じゃなかったのか? 表に書いてあったぞ」
「本当はそうなんだけどね」
舞奈の疑問に少年のひとりが苦笑し、
「それでも吸う奴がいるんだよ」
「まあ、脂虫だからなあ」
「それもあるんだけど、原因はこれだね」
言って男の側にしゃがみこみ、指に挟まれた煙草に触れる。
途端、男の手が煙草ごと凍りついた。
素手で【氷霊武器】を使ったか?
驚く舞奈だが、すぐに少年が手袋をはめていることに気づく。
元素の力を素手に宿らせる異能力の持ち主は存在しない。
舞奈が知るひとりの例外を除いて。
そんな心中には構わず、少年は凍った男の2本の指をへし折り煙草を手に取る。
薄汚い脂虫――喫煙者は、人の姿と身分こそ持ってはいるが、人間ではない。
悪臭と犯罪をまき散らす害畜だ。
だから他の害獣や害虫のように、千切って殺すことに良心の呵責は必要ない。
組み伏せられた脂虫は抵抗すらしない……というより、できない。
空気の流れを通じて筋肉の動きを探ると、収縮したまま動いていない。
組み伏せた少年が【雷霊武器】を使っているのだ。こちらも得物は手袋か。
舞奈は汚い指付きの凍った煙草を見やる。
「電子タバコって奴か」
「ああ。見た目に煙が出ないからいいんだろうって思うんだと思う」
ひとりごちた舞奈に少年が答え、
「けどヤニはヤニだからね」
別の少年が言葉を続ける。
「動物園から……というか、動物たちから魔道士経由で苦情が来るんだ」
「そうそう。だから、たまたま学校が近い僕らが休み時間に持ち回りで狩ってるのさ」
「そっちも苦労してるんだなあ」
舞奈もつられて苦笑する。
「どうでもいいが、そのやり方だと余計に手間かかって大変じゃないか?」
言いつつ見やる。
少年たちの得物は異能力を発動させるための手袋と、他も良くて木刀程度。
長物を持っているものはいない。
そのせいで脂虫を拘束するにも接近して組み伏せたりして、臭くて辛そうだ。
「サムライの異能力なら、長物とか使ったほうが臭くないと思うんだが」
「槍とかかい? 便利そうだだけど、街中でそんなん持ってたら捕まるからなあ」
「いや、折り畳める奴があったろう」
「折り畳み式の槍!? 須黒にはそんなのがあるのかい?」
「あれ? 執行人共通の装備じゃないのか……」
少年たちといっしょに舞奈も困惑する。
たしか須黒でも何人かが折り畳み式の槍を使っていた気がするのだが……。
けど正直、彼らの得物をちゃんと気に留めたことはない。
獲物による接近戦しかできない彼らに戦力として期待していないからだ。
なので器用な誰かの私物だと言われても、気のせいだと言われても納得できる。
まあ隣町が廃墟だったりする須黒だから装備も充実しているのかもしれない。
そんなふうに首をかしげる舞奈の前で、別の少年が手斧で脂虫の手足を落とす。
脂袋にして持ち帰るためだ。
斧の刃先が熱いのは【火霊武器】の応用か。
装備が限られているなりに、彼らも考えて仕事している。
舞奈が感心していると、懐の携帯のバイブが鳴った。
見やるとテックからだった。
次のブースに移動するらしいので、その連絡だ。
流石はテック。
スーパーハッカーらしい几帳面さだ。
「まさか近くで魔獣が!?」
「あたしの行く先々に、先回りして魔獣が出てたまるか」
少年探偵じゃないんだ。
苦笑しつつも、舞奈は執行人の一行に別れを告げる。
そして何食わぬ顔で皆のいる次のブースへ向かう。
げっ歯類のブースにある、ふれあいコーナーにいるらしい。
いつもの癖で園内の地図は頭に叩きこんである。
なので迷うことなく目的地は見つかった。
「あら、ボス猿のお帰りね」
「……うるせぇ」
軽口を叩いた明日香を軽く睨む舞奈の手には果物の山。
少年たちが、お土産にと売店のカットフルーツを持たせてくれたのだ。
後で経費で落ちるらしい。
「マイちゃん、こっちだよ」
「わっ、マイもお猿さんにお土産を貰ったの?」
「いや猿っつうかな……」
苦笑しながらも園香とチャビーを見つけ、静かに近寄る。
2人は係員の指導の元、ハムスターと触れ合っていた。
学校のウサギに似た可愛らしい顔立ちをした小さな生き物を手のひらに載せ、ふわふわな綿毛のような身体を逆の手でそっと撫でる。
園香のハムスターは心地良さそうに手のひらに身をまかせている。
チャビーのは手の上で餌を頬張っている。
そんな2匹を、テックが恐る恐る見ていた。
みゃー子は少し離れた場所で逆立ちしている。
そこをリスがキキッと鳴きつつ駆け登る。
こちらでもちょっとした見世物だ。
そんなところに焦った表情の飼育員がやってきた。
どうやらリスはふれあいコーナーの動物ではないらしい。
近くのリス園から逃げてきたようだ。
「君、ちょっと動かないでね」
飼育員はゆっくりみゃー子に後ろから近づこうとする。
だが舞奈は空気の流れで筋肉の動きを探り、リスは逃げるだろうと察する。
外の世界を見たいのか、あるいは遊んでいるつもりなのかは知らないが。
とはいえ飼育員も仕事だ。
代わりに捕まえてやろうと、舞奈は跳び出せるよう静かに重心を移動させる。
狙いはリスが動いた瞬間。
逆立ちしたみゃー子は、その気になれば巨木のように微妙だにしない。
だからリスが飼育員の気配に気づくタイミングに集中し――
「――!」
リスが動いた。
……飼育員の手の中に!
「おお、よしよし。……君、ありがとう」
飼育員は両手で大事そうにリスを抱きかかえて去って行く。
「……どういたしまして」
対照的に憮然とした表情で答えたのは、みゃー子の前に立った明日香だった。
明日香は小動物に恐がられる。
学校のウサギもそうだし、子猫のルージュもそうだ。
動物園のげっ歯類ブースの動物たちも同じらしい。
なので大きくて頼れる飼育員の手の中に逃げこんだのだ。
ちなみに明日香は今まで、少し離れた場所で凹んでたらしい。
「わわっ。明日香ちゃん、大変」
園香が慌ててやってきた。
心優しい園香は、いじけている友人を放っておけない。なので、
「ねえねえゾマ! 向こうにカピバラさんのふれあいコーナーもあるんだって!」
やってきたチャビーと一緒に、隣のコーナーに明日香を引っ張っていった。
舞奈も続く。
柵の中にいたカピバラはハムスターやウサギの仲間と呼ぶにはずいぶん大きい。
大人の大きさは大型犬ほどはあるだろうか。
動作ものっそりとしていて温厚そうだ。
子供やウサギがじゃれついても微妙だにしない。
なるほど、と舞奈は思った。
大きなネコ科の猛獣は危険だが、小さな猫は人と共に暮らせる。
ならば大きなげっ歯類なら、小動物が恐れる明日香にも平気なはず。
……だといいな。
明日香もその思惑に気づいたのだろう。
食事中のカピバラに目をつけ、そっと近づく。
足音も完全に殺している。けっこう本気だ。
……別に捕獲する訳じゃないんだから。
それに周囲では子供とか普通にはしゃいでるんだが。
真正面から行ったのは、げっ歯類の広い視野に死角はないと知っているからだ。
後ろから近づかないのは敵意がないのを示す意図があるのかもしれない。
だが不審者みたいな手つきと表情で台無しだ。
近くの親子連れが若干、引いていた。
それでも気にせずカピバラは餌を食む。見た目通りの豪胆さだ。
それを幸いに、明日香は至近距離まで近づく。
カピバラは客に気づいたかゆっくりと顔をあげ――
――ぬぐっ!
明日香の服で口を拭った。
予想外に素早い動きに不意を突かれたか、ワンピースの腹の部分にくっきりと、カピバラの口の形に草の汁と果汁の跡がつく。
「うわっ! お客さん! すいません!」
飼育員が慌てて飛んできた。
悪い意味で個性派揃いな5年生のせいで、今日は飼育員の仕事が増えまくりだ。
本当に申し訳ない。
「いえ、家に帰れば替えはいくらでもありますので」
明日香は感情を押し殺した口調で答え、
「だからこの一着は記念にこのまま保存しておいても……」
「……そういうとこだぞ」
抑えきれなくなった感情ダダ漏れな明日香にカピバラも若干、引いていた。
その側で、
「毛がふさふさで気持ちいいね」
園香はカピバラの子供を抱きしめていた。
カピバラも心地よさそうに、園香のふくよかな胸に身をまかせている。
ちょっと羨ましいと舞奈は思った。
「わー! 大きい!」
「……ふさふさ」
チャビーは大はしゃぎで、テックも控えめにカピバラの背を撫でていた。
そうやってカピバラを堪能した皆は、ふれあいコーナーに戻る。すると、
――♪
委員長が一曲、披露していた。
生真面目な委員長にしては割と珍しい振る舞いだ。
だが、彼女だって楽しげな雰囲気を盛り上げたいくらいのことは思うだろう。
曲目は双葉あずさの『こねこのいちにち』。
こちらも珍しい曲のチョイスと、静かなアレンジは場所を選んでのことか。
地力があるとアレンジの幅も広がるのは他の技術と同様だ。
飼育員も他の客も、ウサギもハムスターも静かなギターの音色に聞き惚れている。
桜も曲に合わせてハミングしながら、気持ちよく左右に揺れている。
舞奈もいっしょに曲に身をまかせつつ、楽しむ皆を見やって笑う。
すると何かが頭に駆け登ってきた。
さっきのリスだ。
警備がザルなんじゃないのか。苦笑しながら小さな頭を優しくなでる。
そんな様を明日香が羨ましそうに見やる。
するとリスは、やってきた飼育員の手の中に走りこんだ。
「小動物を、おどかしてやるなよ……」
「別に凄んだわけじゃ……」
そうやって皆が小さな動物たちと楽しんでいるうちに、曲は終わった。
他の客らしい親子連れが微笑みながら、動物たちに気を遣って小さく拍手する。
委員長は一礼する。
そして何処へともなくギターを仕舞った委員長に、一匹のリスが駆け登った。
肩に乗ったリスを見やって、委員長は笑う。
そんな一連の様を見やって、舞奈はふと思った。
委員長はギターを仕舞う際に、慣れた手つきで折り畳んでいる。
当然だ。そうでなきゃ仕舞えない。
今まで深く考えていなかったその収納ギミック。
それを不意に、どこかで見たことがある気がした。




