戦闘1 ~戦闘魔術vs祓魔術
「待ちなさい!」
明日香の鋭い叫び。
銃声。
だが崩れかけた廊下を駆けるアイオスは素早く避ける。
その足元で小口径弾が虚しく跳ねる。
(速い!? 天使の筋肉をまとっている?)
明日香は舌打ちする。
天使とは、魔力を凝固させて作られた擬似存在である。
いわば泥人間のような怪異を人工的に作りだした代物だ。
そして【天使の力の変成】とは、デミウルゴスの魔力で天使を作る技術だ。
アイオスが使っている呪術は、そのうちのひとつ【サムソンの怪力】。
天使を自身の筋肉として顕現させ、強さと素早さを得る付与魔法である。
そして付与魔法と高い親和性を持つのは、男ではなく若い女性の身体だ。
つまり今のアイオスは、【虎爪気功】を超える身体能力を持つ。
対して明日香は付与魔法を使えない。
外部に無限のパワーソースを持つ呪術師、身体に魔力を蓄える妖術師や異能力者と異なり、術を使うごとに魔力を生成する魔術師は持続する術が不得手だからだ。
だから普段は、卓越した身体能力を誇る舞奈が前に立って敵の牽制してくれていた。
その隙に明日香が必殺の攻撃魔法を叩きこむことによって2人は勝利した。
だが、その舞奈は今はいない。
明日香は小型拳銃を構えたまま口元を歪める。
実のところ、明日香にとっての園香はクラスメートのひとりに過ぎない。
好き嫌いというのではない。
普通の家庭に生まれて健全に暮らす彼女に、自分との共通点を見出せないのだ。
自分とは縁のない、遠い世界の住人のようにしか思えない。
他のクラスメートと同じように。
だが舞奈は違う。
自分と同じように何かを失った彼女は、背中を預けることができる唯一相手だ。
気を許し、もたれかかることのできる相手だ。
そんな友人が他の少女を愛さずにいられないというのなら、それも構わない。
だから、明日香は決意していた。
舞奈が愛する少女を守ろうと。
舞奈が今のままの舞奈であるために。
再び拳銃の銃口を定める明日香の前で、アイオスは振り返る。
ロザリオを握りしめて聖句を唱え、掌をかざす。
呪術に限らず魔法に不可欠なのはイメージだ。
印や呪文は補助に過ぎない。
だから祓魔師は手印を使わぬ代わりにロザリオを用いる。
ロザリオには、【聖別と祓魔】によって光の魔力が焼きつけられている。
そんなロザリオの手前に聖なる輝きが生まれ、一条の光の矢と化す。
デミウルゴスの魔力を粒子ビームに変換する【光の矢】の呪術。
光を操る攻撃魔法は見た目にも神々しく、祓魔師に好んで使用される。
その大きさは明日香の魔術ほどではなく、ライフル弾程度。
祓魔師はグレネーダーには成り得ず、せいぜいがマークスマンだ。
だが危険度は変わらない。
ビームに穿たれた箇所からは血が流れることすらない。
付与魔法すら撃ち抜く超高熱で炭化する。
当たれば即死、少なくとも行動不能は免れ得ない。
魔道士と魔道士の戦闘は、銃撃戦に似た一撃必殺の戦いだ。
異能と異能をぶつけ合う異能力者のそれとは違う。
敵の狙いを適切に読んで、確実に回避しなければ、死ぬ。
そして銃弾に等しい速度の攻撃魔法を、目で見て避けることはできない。
だが明日香は動じることなく左の掌をかざす。
そして魔術語を念ずる。空白にして虚無たる【魔道】。
すると、光の銃弾は放たれた瞬間、幻のようにかき消えた。
即ち【対抗魔術・弐式】。
弱い魔法や異能力による攻撃を、同じ力によって無に帰す魔法消去。
一撃必殺の攻撃魔法を撃ち合う魔道士たちの命綱は、敵の攻撃を妨害する魔法消去と、先に明日香が使った雷の盾のような防御魔法だ。
「お嬢ちゃン、なかなかの使い手ねぇン」
アイオスは感嘆の声をあげる。
明日香は間髪いれず、雷撃を司る帝釈天の咒を紡いで「魔弾」と唱える。
魔術師の左手から猛り狂う紫電の砲弾が放たれる。
雷による初歩的な攻撃魔法、即ち【雷弾・弐式】。
だが砲撃の如く稲妻がアイオスを飲みこむ寸前、アイオスはドアを蹴り開けて部屋の中に滑りこんだ。
明日香も続く。
再び放たれた光の矢を【対抗魔術・弐式】で消去し、拳銃を構えて周囲を覗う。
逃げ場のない部屋の中で【雷弾・弐式】を叩きこめば敵はひとたまりもない。
だが園香がいるかもしれないので無茶はできない。
砲撃に等しい攻撃魔法の威力も状況によっては仇になる。だから、
「【教会】の聖書には、誘拐を推奨する節でもあるのかしら?」
挑発する。
だがアイオスは妖艶な笑みすら浮かべ、
「我が身は神の愛を受け継ぎしゆえ、神に等しい」
豊満な胸で聴衆を抱きしめるように両手を広げ、陶酔したように語りかける。
「そして罪は人に課せられる枷であり何者も神を堕とすことあたわぬ。ならばこそ如何なる倒錯も、姦淫も、魔術すらも愛しましょう」
「……アモリ派かぶれってところかしら」
アモリ派とは【教会】の派閥のひとつである。
聖書に記された『万物に神が宿る』という言葉を拡大解釈し、『わたしは神の分身だから何をしてもOK』と説く狂信者だ。
「あら。お嬢ちゃン、物知りねン」
アイオスはよくできましたとでも言いたげな笑みを浮かべる。
その隙に、明日香は部屋の四方に目を配らせる。
そして園香を発見した。
「あなたの主張は分かりましたから、ノンケに手を出すのはやめてください」
園香は部屋の奥に置かれたテーブルの上に横たえられていた。
友人の早熟な身体に怪我はない。
だが、ハムスターがプリントされたインナー以外の衣服を剥ぎ取られている。
アイオスは彼女に何をするつもりだったのだろうか?
明日香は呆れつつも、園香の柔らかそうな足の裏を見やって距離を目算する。
「うふふ。肌を重ね心を通わせる悦びを知らないウブなお嬢ちゃン」
シスター・アイオスはロザリオを手にし、聖書に記された祝福の言葉を紡ぐ。
「貴女にも神の愛を見せてあげるわよン」
部屋の四方の壁に吊られたロザリオが輝く。
あらかじめ部屋の中に準備してあった大規模な呪術を発動させたのだ。
そう気づくと同時に、吹き荒ぶ風の音が消えた。
替わりにハレルヤコーラスが響き渡る。
そして世界は変容した。
「戦術結界。定石通りね」
明日香は何食わぬ表情でひとりごちる。
戦術結界とは、空間を周囲から『切り離す』ことにより隔離する強力な魔法だ。
隔離された空間に出入りするには強い魔力で結界を破壊するか、高度な魔法で結界に穴を開けるか、術者を倒して結界を解除するしかない。
その利便性ゆえに、多くの敵によって用いられてきた。
そして、その度に難なく対処してきた。
中でも祓魔師の結界の呪術は【聖域の創造】。
造物魔王の強大な魔力を結界として顕現させる【天使の力の変成】の一種だ。
先ほどまで崩れかけたコンクリートだった壁という壁は、今や身をくねらせる裸婦が描かれた油絵の宗教画だった。
机やロッカーは妖艶な女体を模した彫像と化した。
床にはギーガーの絵画の如く淫猥な孔が並ぶ。
散乱する瓦礫すら樹脂でできた娘と化した。
さしずめ変態美術館といったところか。
男は興奮に我を失い女は羞恥に萎縮する倒錯の世界。
だが明日香は、淫靡な世界の創造主を冷ややかな視線で見やるのみ。
日頃から舞奈のクラスメートに対する行為にうんざりしていたので、このイカレた妄想の発露に対しても「うわ、こいつも?」以上の感慨が沸かないのだ。
だから素早く視線を巡らせ、園香の姿がないことを確認する。
結界の外に取り残されたのだ。
明日香はニヤリと笑う。
結界と仲と外は断絶しているから、園香が戦闘の余波で傷つくことはない。
だが裸婦たちは、明日香に結界のもうひとつの特性を失念させていた。
即ち、結界は作成者と同じ流派の魔法を強化する。
「ウブなお嬢ちゃんの魔術で、これを防ぐことができるかしらぁン?」
アイオスは再びロザリオを握りしめ、祈り始めた。
熟れた身体がまばゆい光を放ち、祈る女を象った光のシルエットと化す。
(大魔法!?)
通常の攻撃魔法が術者の外部に魔力を集めて放つのに対し、大魔法は扱いうる魔力のすべてを術者の内側に集めて一斉に放つ。
その威力は攻撃魔法の比ではない。
輝く女から洩れ出した光が球体となり、周囲に浮かぶ。
聖句が紡がれる度にひとつ、またひとつと光の球が生まれる。
祓魔師最強の呪術【神罰の嵐】。
その名の如く、膨大な魔力を光弾の嵐と化して叩きつける大魔法である。
溢れ出た無数の光球すべてが【光の矢】と同等以上の魔力を秘めているのだ。
その火力は複数の機関銃手による一斉掃射に等しい。
魔法消去で防ぐことなど不可能だ。
だが明日香の躊躇は一瞬。
膝をつき、冷気の顕現たる大自在天の咒を紡ぐ。
足元に掌を押し当て「守護」と唱える。
キンという澄んだ音と白い冷気を引き連れて氷の壁が起立する。
氷の壁を生み出す【氷壁・弐式】の魔術。
続けざまに帝釈天の咒を唱え、再び「守護」と締める。
同時にシスターの祈りが完成し、無数の光の矢が明日香めがけて放たれた。
氷の壁は一時、光の濁流を食い止める。
だが、その勢いに次第に削れ、砕かれ、遂には氷の欠片となって飛散した。
残る光弾が明日香めがけて殺到する。
その直前、完成した【雷壁】が明日香の周囲に電磁バリアを形成した。
群れなす光弾を、放電するドーム状のバリアが阻む。
「大魔法を防いだ!?」
アイオスが驚愕に目を見開く。
明日香は祓魔師最強の呪術を防ぎきったのだ。