とある襲撃 ~祓魔術&修験術vs異能力
舞奈が謎の女にナンを奢られていたのと同じ頃。
見渡す限り廃墟が広がる新開発区の一角で、
「うへっ、相変わらず脂虫は臭くてキモイな~」
戦闘学ランを着こんだ不細工な少年が、愚痴りながらゴミを拾う。
具体的にはくわえ煙草の生首を、ゴミ拾い用のトングでつまんで袋に詰める。
「そういえば、技術担当官がこいつでサッカーしたいっていってたなあ」
「ええっ……」
「靴に臭いがこびりつきそうでござるなあ」
「流石は僕らの技術担当官! 何がしたいか意味不明だ!」
別の少年たちもがやがやと雑談しながら、黄ばんだ肉塊を片づけている。
舞奈が登校時に見つけた珍走団の残骸だ。
昨夜のうちに新開発区に入りこんで怪異の群に襲われたらしい。
その後始末をするのは、実は諜報部の任務だったりする。
臭い脂虫の死骸は放置しておくと腐って更に臭くなる。
しかも一説によると新たな怪異が発生する原因にもなる。
「まあ、生きてる脂虫を捕まえるより楽だからいいけどね」
苦笑しつつも平然と、食いちぎられてバラバラになった肉片を掃除する。
これが人の成れ果てであったなら、被害者の末路を悼むべき惨事だろう。
だが、くわえ煙草の脂虫は、忌むべき邪悪な怪異の一種だ。
それが他の怪異に襲われた、いわば共食いのような状況に同情の念は湧かない。
悪臭と犯罪をまき散らす喫煙者――脂虫は人間じゃない。
脂虫の残骸は、ただのゴミだ。
そんな汚物を扱う、新開発区という場所ゆえに危険でもある作業。
だが死んだ脂虫の片付けもヤニ狩りノルマに数えられるので、わりと評判はいい。
死んだ脂虫の後始末は、脂虫を贄にした占術と同様、高ストレス業務と規定される。
なので従事者にはカウンセリングが義務づけられる。
小夜子がサボりがちなカウンセリングだが、巣黒支部でのキャリアの長いアニメ声のカウンセラーは諜報部の少年たちには大人気だ。
なので作業にも自然と力が入るというもの。
まったく平和な少年たちである。
「エリコちゃんも、付き合ってもらってありがとうね」
少年のひとりが、少し離れた場所にあるビル跡を見やる。
「礼は不要よ。わたしもボーナスが出るから」
崩れたコンクリート壁に腰かけたえり子が、足をぶらぶらさせながら答える。
新開発区は怪異が跋扈する危険な街だ。
改造バイクにまたがって夜の散歩と洒落こんだくわえ煙草の珍走団どもが、翌朝にバラバラに食い散らかされた死骸になって発見される程度には。
なので本来は執行部に属するエリコが、実質的な戦闘能力を持たぬ彼らの護衛役だ。
だから作業には加わらず、周囲を警戒する天使を維持するために集中している。
幼いエリコは決して強力な術者ではないが、それでも異能力者よりは戦える。
それに新開発区によく出没する泥人間や毒犬は、日中は物陰に潜んでいて、日が暮れると共に活発化する。基本的に昼間にはあらわれない。
だから日中の清掃作業の護衛など名目だけだとの判断だ。だが、
「それより少し急いだ方がいいと思う」
空を見ながらえり子は言った。
「日が落ちると、こいつらを襲った怪異が出てくるわ」
「そりゃ大変だ」
少年たちはペースを上げる。
作業を始めた頃は日中だったのだが、思いのほか時間を食ってしまったようだ。
いつもより脂虫の数が多く、いつもより派手に食い散らかされていたからだ。
少年のうちひとりがトングの先に冷気をまとわせる。
そして、くわえ煙草の生首を凍らせてつかむ。
「おっ便利でござるなあ」
「へへっ! 【氷霊武器】にはこういう使い方もあるんだ」
同僚の言葉に気を良くした少年は、散らばった肉片をどんどん凍らせてつかむ。
少し離れた場所では高速化した【狼牙気功】が効率よく清掃を続ける。
大柄な【偏光隠蔽】の中学生もいるが、こちらは地道に汚物を拾い集めている。
奇襲には有効な透明化の異能も、清掃作業での使い道はない。
もとより彼らに異能力を用いた効率の良い仕事など求められていない。
特に技量を必要としない作業を人海戦術で片づけるのが任務だ。
そんな彼らは急ピッチで作業を続けていたものの……
「……ん? 向こうから誰か来るぞ?」
目ざとい少年が通りを指さし、
「みんな気をつけて! 襲撃よ!」
天啓を受けたようにエリコが叫んだ。
途端、廃ビルの陰から幾つもの影が跳び出した。
溶けかけた顔をしてボロを着こみ、鉄パイプを構えた人型の怪異。
雑多な獲物を携えた泥人間の集団。
人数はこちらの数倍。
エリコを含む執行人たちを包囲できるほどだ。
十中八九、珍走団どもを食い荒らした奴らだろう。
廃ビルの陰に身を潜め、次の獲物と日が陰る時刻を待っていたのだ。
「なんで、こんな数が……!?」
エリコはビル壁から跳び下りつつ歯噛みする。
これほど多くの怪異の接近に、魔力の流れで気づかなかった己が不明を恥じる。
けれど全く想定外の事態なのも事実だ。
遅めとはいえ日没前に、これほどの怪異が集団であらわれるなど普通はない。
だが、どちらにせよ敵は目前にいる。
エリコたちは奴らを倒すか、逃げのびるか、でなければ食い散らされるしかない。
群なす泥人間は一行を取り囲みつつ、雄たけびをあげる。
すると何匹かの得物が異能の炎に、稲妻に覆われる。
こちらの異能力者たちが使うのと同じ【火霊武器】【雷霊武器】。
味方よりはるかに多い敵の、個々の能力はこちらと互角。
そんな怪異の群れに対し、ブタの形の2体の天使が光線を放って応戦する。
粒子ビームを投射する【光の矢】の呪術だ。
1発は手前の泥人間の醜くただれた顔面を穿つ。
もう1発はボロの脇腹を射抜き、その背後の1匹の腹に風穴を開ける。
だが圧倒的な敵の数の前には気休めにもならない。
迫りくる怪異を見やり、エリコは歯噛みする。
少し遅れて、執行人たちも袋やトングを放り出す。
そして木刀を抜き、あるいは折り畳み式の槍を構える。
得物の穂先が襲撃者と同じような冷気に、炎に、稲妻に覆われる。
それでも彼らは攻めあぐねる。
こちらと同じ異能力を使う人型の敵に、完全に取り囲まれているのだ。
突破するのは無理だ。
執行人たちは獲物を構え、エリコを中心に円陣を組んで応戦する。
だが、これほどの数の敵に一斉に襲ってこられたら防ぎきれない。
そうならないことだけが幸いか――
――否。
「……!? 光あれ!」
「ひっ!?」
エリコがかざしたロザリオから【光の矢】が放たれた。
粒子ビームは少年のひとりに近い虚空を穿つ。
正確には透明化して少年を襲おうとしていた獣を。
大きく開かれた口から鋭い牙を生やした、大型の狼。
毒犬だ。
透明化の異能【偏光隠蔽】を併用して音もなく犠牲者の側に忍び寄り、猛獣の牙で襲いかかる恐るべき肉食獣。
不可視の危機に執行人たちは狼狽え、防御の陣が揺らぐ。
「毒犬はわたしがなんとかするわ! みんなは泥人間に専念して!」
「「了解!!」」
彼らの動揺を抑えるように、エリコは叫ぶ。
そして次なる術を行使すべく集中を開始する。
透明化に対して無力な少年たちと違い、エリコは魔力を見ることができる。
「誰か支部に救援を要請するでござる!」
「あっしがやるっす!」
ひとりが後方に下がり、携帯を取り出してアニメ柄のケースに念じる。
電波が届かない新開発区で用いるべく、特殊な付与魔法を焼きつけられた逸品だ。
少年は焦った口調で救援を求める。
だが泥人間の群は異能の炎を松明のように掲げながら、包囲の輪を狭める。
しかも散発的に不可視の毒犬が襲ってくる。
こちらの数も、それなりに多い。
エリコと天使たちだけで、すべてに対処するには少しばかり難しいほどに。
だから目前の1匹を迎撃した直後、背後に別の毒犬が迫っていた。
獣の気配にあわてて振り向こうとしたエリコはバランスを崩し、尻餅をつく。
毒犬はエリコに跳びかかる。
目前に迫る鋭い牙が並んだ大口を成すすべもなく見やり――
「――!!」
毒犬が爆発した。
「……え?」
エリコは驚く。
そして立ち上がり、振り返る。
先ほどエリコが座っていたビル壁の上に、ひとりの行者がいた。
引き締まった身体に鈴懸をまとい、白い袴の下に脚絆を穿いている。
首から提げた結袈裟が、新開発区の乾いた風に揺れる。
その上で頭部を覆うのは、虚無僧のような深編笠
そして手には錫杖。
杖の先端の輪形に通された遊環が、シャランと涼やかな音色を奏でる。
そこに灯っているのは、魔力の炎。
異能力の【火霊武器】とは比べ物にならない熱量だ。
「なるほど、これが新開発区ですか」
女の声。
まるで遊環の音のように涼やかな声色で、謎の行者はひとりごちる。
そして直後に背後に出現した毒犬を見やりもせずに一突き。
途端、杖の先にともった炎が爆発し、怪異の獣を四散させる。
女は一瞬、周囲を見渡し状況を把握し、
「見れば苦戦しているご様子。わたしも加勢いたしましょう」
言うが早いか壁から跳び下り、地を駆ける。
その様は疾風の如く。
「!?」
驚く少年たちの脇をすりぬけ、一行を包囲する泥人間どもの前に躍り出る。
錫杖で次々に泥人間を叩き伏せる。
杖の先に灯した炎は敵に当たるたびに爆発し、粉砕する。
思いがけぬ抵抗に、泥人間は包囲の輪を崩して行者に襲いかかる。
炎を、稲妻の鉄パイプを避けつつ行者は真言を唱え、祝詞を唱える。
その特徴的な施術を、修験術というのだと以前に何処かで聞いたことがある。
錫杖の先に炎が灯る。
行者は新たな炎を宿した得物を携え、駆ける。
その雄姿に勢いを得て、執行人たちも各々の目前の泥人間に襲いかかる。
さらに行者は左手でリボルバー拳銃を抜く。
3インチの銃身がギラリと光る。
行者は真言と祝詞を唱え、引き金を引く。
銃声、そして爆音。
ひとりの少年の背後の空間が爆ぜた。
次いで腹を爆破された毒犬があらわれ、そのまま溶け落ちる。
おそらく杖に火を灯しているのと同じ付与魔法を銃弾にかけたのだろう。
以前にサチが、これより一回り小さい銃を使っていたのを見たことがある。
だが、こちらには技量上昇の付与魔法は焼きつけられていないらしい。
おそらく彼女にそんなものは必要ないから。
遠くの敵は小口径弾で、近づく敵は錫杖の先で荒れ狂う炎で葬り去る。
戦場を縦横無尽に駆け抜け敵を屠るその様は、まるで仏敵を滅する不動明王だった。
執行人たちは、その様を志門舞奈のようだと思った。
それでも敵の数は多い。
だから行者は足を止め、新たな真言をを唱える。
次いで祝詞を締める。
すると行者の身体は稲妻と化した。
行者が変じた、人間サイズのプラズマ塊。
それが激しく輝きながら、異音とオゾン臭を残して泥人間の群めがけて放たれる。
怪異どもは避ける間もなく、放電する塊に次々に飲みこまれ、焼き尽くされる。
圧倒的な破壊の稲妻が飛び去った跡には、焼かれて灰になって吹き消える残骸と、まばらに逃れた泥人間だけが取り残される。
その一方で、
「危ない! エリコちゃん!」
エリコの目前に小太りな少年が立ちふさがった。
目前には、剥き出しの上半身に呪術的なペイントが施された泥人間。
かざした掌の先には、巨大な金属の刃。
エリコの前に泥人間の道士があらわれたのだ、
おそらく奴が今回の襲撃の首謀者。
乱戦の中、透明化の妖術で姿を消し、幼い祓魔師に奇襲を仕掛けたのだろう。
そんなエリコをかばい、ひとりの執行人が立ち塞がったのだ。
道士が放った巨大な刃が少年の胴を薙ぐ。
少年は吹き飛ばされて、エリコの側のコンクリート壁に激突する。
だが無傷。
身に着けた防具や衣服を無敵にする【装甲硬化】の異能だ。
エリコは小太刀を抜いて、構える。
だがエリコの目的は斬撃じゃない。
魔道士を相手に無思慮な接近戦は命取りだと幼いエリコは知っている。
道士は次なる術を放つべく符を構える。
対してエリコは小太刀で十字を切る。
魔法消去だ。
エリコの得物と道士の符が、魔法を消し去るマイナスの魔力に包まれる。
次の瞬間、エリコが手にした小太刀の刃が砕け散った。
魔法消去は諸刃の刃だ。
敵の技量や魔力が消去者のそれを上回ることにより反転されると得物を失う。
得物がなければ術者自身が命を失う。
だからエリコは、明日香からのアドバイスによって不要な刀を持ち歩いていた。
消去を防いだ道士は施術を完成させようと構える。
対して2匹の天使が粒子ビームを放つ。
ビームは道士の周囲を浮遊して主をを守る金属塊を砕く。
防御魔法を破壊されて怯む道士を、氷炎をまとった幾つもの剣や槍が貫く。
近くにいた執行人が一斉に突いたのだ。
道士は命からがら後ろに跳んで距離を取る。
その前に、少年たちが立ち塞がる。
「エリコちゃん!」
「僕らの力を使ってくれ!」
執行人の少年たちは、それぞれの得物を交差させて鉄の十字架を形作る。
そこに異能の力が作用し、炎の、稲妻の、氷の十字架へと変わる。
「……うん!」
エリコはうなずく。
そして天使を解除して魔力へと還元する。
そして聖句を唱える。
すると十字架から無数の光線が放たれる。
元素の色に染まった光線はそれぞれ軌道を描き、泥人間の道士を穿つ。
光の矢に貫かれた泥人間は、汚泥と化して溶け落ちた。
多数の粒子ビーム放つ【輝雨の誘導】。
本来ならばエリコの技量では荷が重い高度な祓魔術。
それを執行人たちの魔力を借りることで行使したのだ。
道士が消滅すると、まばらに残った他の泥人間も戦意を失って逃亡する。
やはり奴が群のリーダーだったのだろう。
廃墟の陰に逃げ去る奴らを追う余力は一行にはない。
だが一行は、奇跡的に怪異の群を殲滅することができた。
エリコが未熟なりに機転を利かせることができたから。
執行人たちが思いのほか勇敢だったから。
そして、
「旅の者、恩に着るでござる」
「感謝感激雨あられです! 貴女は命の恩人だ!」
少年たちは謎の行者の周囲に集い、口々に称える。
稲妻から人の姿に戻った行者は錫杖を構え、静かに、そして堂々と佇んでいた。
「……ありがとう」
エリコも少し照れながらも礼を言う。
そんな一行に行者は向き直り、
「礼など不要ですよ。神使に導かれるまま廃墟を征った先に、怪異に害される子供たちがいたというだけのことです」
涼やかで、そして穏やかな女性の声で答えた。
エリコは彼女の身体から、微かな魔力を感じとっていた。
修験術は妖術の流派だ。
だが彼女の身体に宿る魔力は、古神術に似た優しい魔力だ。
「それより、貴女たちは【機関】の執行人ですか?」
行者は一行を順繰りに見やる。
エリコはうなずく。
「次からは戦力を増強したほうが良いですね」
行者は少し身をかがめてエリコと視線を合わせながら、
「特に貴女は利発な祓魔師ですけれど、だからこそ、こんなところで無駄に命を散らさせるのは忍びないです」
優しい口調で言った。
その様を、エリコはまるで母親のようだと思った。だから、
「……わかったわ……わかりました」
たどたどしく答える。
そんなエリコを見やって満足げにうなずき、行者はすっと立ち上がる。
深編笠に隠れて見えない顔が、エリコには優しく微笑んでいるように思えた。
「それでは、ご健勝を」
言い残すと、行者は廃墟の通りを何処へともなく歩き去った。
その背中を一行は感謝と羨望をこめて見送った。
後には遊環の涼やかな音色だけが遺された。
その直後、
「皆の衆、無事かね!?」
「あ、あのっ!」
戦闘セーラー服を着た2人の少女が転移してきた。
片方はルーン魔術【移動】で。
もう片方はケルト魔術【智慧の門】で。
「あっ技術担当官」
それにSランクの。
エリコは目を丸くして答える。
作業中の思いがけぬ危機に、とっさにやってきたのは支部の重鎮だった。それに、
「エリコ! 無事?」
「敵は!? ……ん? いないのか?」
急停車した半装軌車の荷台から、明日香と舞奈が飛び降りた。
思わぬ救援の登場に、それほどまで心配されていたかとエリコは少し嬉しくなった。
だが、
「怪異の集団というのは何処かね?」
ニュットは訝しみながら周囲を見渡す。
一方、エリコとさほど変わらぬ背丈でおさげ眼鏡のSランクは、溶け落ちて地面に浸みた泥人間の魔力に気づいたようだ。
次いで彼女は怪異とは別の魔力の残り香に気づく。
そして、廃墟の通りの向こうを見やった。
あの行者が去って行った方向を。
彼女らがエリコたちを救うべく動き出した僅かな間に、怪異の集団は全滅していた。
エリコたちの奮戦と、なにより突如あらわれた謎の行者によって。
「いや、実はですね……」
執行人のひとりが言い淀む。
その言葉を皮切りに、エリコたちはここであったことをニュットたちに報告した。
そして親切な彼女の言葉通りに増強されまくった護衛の下、手早く作業を終えて帰路についた。