髪より大事なもの
萩山光との激戦から数日後。
夕暮れの学校の廊下で、
「いや、教師が生徒から個人的に物をもらうわけには……」
小太りの担任教師に、舞奈は紙袋を押しつける。
生徒たちがすっかり下校した廊下には、2人以外に誰もいない。
「そう言わずに取っといてくれ。いらなきゃ捨ててくれればいい」
「そういうわけには……あっ!」
渋る担任に紙袋を押しつけ、舞奈は廊下を走り去った。
「本当に困るんだがな……」
ひとりごちつつ、担任は仕方なく紙袋の中身を取り出す。
入っていたのは箱だった。
担任はふたを開け、その中に入っていたものを見やり、
「…………。」
無言でふたを戻す。
サングラスと自前のヅラが、少しずれた。
一方、カバンを取りに教室に戻った舞奈を、
「珍しいね、マイちゃんがそういうことするの」
園香が出迎えた。
「校長先生にも何か渡してたでしょ? 何を……」
「――おまえにはわからないよ」
問いを静かに遮る。
そして困惑する園香を、
「わからないから、好きなんだ」
不意に抱きしめた。
舞奈の背丈は小5女子の平均ほどだ。
だから発育の良い園香を相手にそうしても、様にならずに胸の谷間に顔が埋まる。
けど、そんなことは気にせず園香も舞奈の背中を抱きしめる。
戸惑う園香の胸中を、いつかシスターから聞いた言葉がよぎる。
舞奈は自分と同じように何かを失ってほしいわけじゃない。
理解してほしいわけじゃない。
ただ欠けるところない園香と笑みを向けあいたい。
彼女はそう言った。
そして悲しそうな彼女を、抱きしめてあげてくださいと。
そして以前に出会ったロッカーは、何故か悲しげな眼をしていた。
園香はそれを、舞奈に似ていると思った。
だから園香は舞奈と抱き合ったまま、他に誰もいない教室でそうしていた。
2人のシルエットを、窓から差しこむオレンジ色の夕日が長い影にのばした。
そんな2人を、開きかけた廊下側のドアから誰かが見ていた。
委員長だった。
忘れ物を取りに戻った彼女は、抱き合う2人を偶然に目撃した。
普段の彼女なら、学び舎でそんな卑猥な行為はダメだと止めただろう。
あるいは見なかったことにして帰るのも選択肢のひとつだ。
だが委員長はどちらでもない選択を選んだ。
教室側の壁にラフな格好でもたれかかる。
眼鏡をずらして鼻先に乗せる。
そして慣れた調子で組み立て式のギターを取り出し――
――夕暮れの街、君に会いたくて
――見慣れたコート、探して、目を凝らす
静かにブルースを奏でた。
――そこにいるはずなんてないこと、わかっているけど
――君のいた場所、いつまでも、見つめていた
その週の日曜日。
繁華街の一角で舞奈たちの担任がぶらぶら歩いていると、
「あら、榊先生。こんなところで会うなんて奇遇ですね」
声をかけられた。
栗原先生だ。
「髪型、変えられたんですね」
中学生みたいな体形の彼女は担任の横に並んで歩きつつ、頭を見上げる。
今日の彼のカツラは普段の七三分けではなく、シャギーの入った若々しい髪型だ。
小太りな体形とサングラスに、正直なところあまり似合っていない。
「いえ、生徒からプレゼントされましてな……」
担任は困ったようにカツラを押さえる。
この中学生みたいな彼女は、実は担任の髪のことを知っている。
彼女が見た目通りの学生だった頃、若かりし担任は教育実習生だった。
だが授業中、あろうことか生徒のひとりがつけていた胸パッドがずれて外れた。
教室は騒然となった。
事態を収拾すべく、彼は自らカツラを外した。
そして生徒たちに言い放った。
彼女のパッドを笑うなら、先に私のカツラを笑えと。
それから数年後、彼女は教師を志した。
何の縁やら彼と同じ学校に教育実習に訪れた。
……その際、詳細は知らないがひと騒ぎおこしたらしい。
それでも教員資格は取得できたようで、後に正式な教師として赴任してきた。
以降、後輩としてそれなりに仲良くやっている。
そんな彼女は、
「……わたしもプレゼントされたら、つけるべきなのでしょうか?」
自身のパッド入りでも控えめな胸を見やって言った。
「栗原先生!? パッドを贈られる当てがおありで!?」
担任は目を丸くする。
サングラスと慣れないズラが、思わずずれた。
――ふと振り返る
――そこには誰もいない
――けれど僕らが、来た道、確かにあるよ
同じ頃、所変わって繁華街の一角にある『太賢飯店』。
休日なのに人気のない店内で、
「あはは、似合ってるよパパ」
「まあ若々しく見えると言えんこともないというか……なあ、鷹乃っち?」
チャイナドレスを着こんだ梓が笑い、美穂が隣の幼女を見やって言う。
「何故、わらわに振るか」
迷惑そうに鷹乃は答える。
双葉あずさこと張梓は、店長である張の養女だ。
なので友人を含めた3人で、休日にだけ店でバイトをしている。
だが3人の前で太極拳のポーズをとる張の頭には髪。
大小さまざまな女子小学生に囲まれ、満更でもない表情で型を決める。
「それにしても舞奈ちゃん、カツラをプレゼントするなんて面白いよね」
少し天然な梓がニコニコ笑い、
「ならば我々はダイエットマシーンでも……」
「そんなことに対抗意識を燃やさんでよいわ」
美穂の妄言に鷹乃がやれやれと苦笑する。
調子に乗って掌底打ちなどしてみせる張の頭で、ヅラがずれた。
かつて梓は実の親を亡くした。
張は執行人の立場を失った。
だが9年の歳月を経た今、どちらも失ったものより大事なものを見つけていた。
――2人で歩いてきた道、間違ってなかったと
――確かめるように、口元、歪める
――それが笑顔に見えたらいいな
――だって僕が笑うと
――君も微笑んで、くれたから
一方、統零町の新開発区寄りに位置する廃墟の一角。
ネオンの看板が消えかけた『画廊・ケリー』で、
「それじゃーリコはでかけてくる!」
「はーい、いってらっしゃーい!」
元気に駆けだすリコを、スミスも笑顔で送り出す。
そして店の一角を見やり、厳つい顔に笑顔を浮かべた。
そこには大きなコルクボードがかけられている。
ボードには幾つもの写真が貼られている。
そのうち最も新しい1枚は、リコとスミスを写したものだ。
微笑むスミスの顔の隣でニッコリ笑うリコ。
リコの頭には、銀色のティアラのついた金髪のカツラがかぶさっている。
背景は廃墟。
写真屋ではなく、店の裏で撮ったものだ。
余談だが、カメラをまかせた奈良坂は写真の腕前も確かだった。
なので後に話を聞いた舞奈は、もう彼女は執行人なんか辞めて、まっとうな職に就いた方がいいんじゃないかとこぼした。
それはともかく、スミスの頭にあわせたカツラはリコには大きすぎたらしい。
少しばかり斜めに傾いている。
そのうえバードテールをほどいた地毛が、縦ロールの後ろにはみ出ている。
それでもプリンセスになりきったリコは、満面の笑みを浮かべていた。
リコは大好きなスミスの隣で、なりたかったプリンセスになれたのだ。
だから、それを見やるスミスも満足げに笑っていた。
――この広い世界の中、ただ君が、いてくれるだけで
――光輝く、楽園だった
同じ頃。
真神邸の2階の園香の部屋で、
「そこで何をやっておる!」
「やばっ! 親父さん!」
「パパ!?」
舞奈が園香と乳繰り合っていると、園香父が跳びこんできた。
園香は慌ててシーツで身体を隠す。
もちろん舞奈の出入り禁止は撤回されてなどいない。
「それじゃ園香、明日、学校でな!」
「ああっ! 待ちなさい!」
逃げる舞奈を追う園香父。
怒り狂った親父の手が舞奈に迫る。
だが普通の人間に舞奈を捕まえられるわけがない。
舞奈はするりと父親の手をすり抜ける。
そして窓際に置いてあったスニーカーを拾いつつ2階の窓から身をひるがえした。
「ええい! 今度この家の敷居をまたいだら……っとと」
「わわっ、パパ!」
勢い余って窓から身を乗り出す父の背を、園香は慌てて捕まえ……
「……ふふっ、パパの頭」
父の頭を見やり、珍しく笑い転げた。
困惑する父の薄くなっていたはずの頭頂に、黒々とした髪が生えていたからだ。
頭頂部用のカツラである。
舞奈の仕業だ。
しかも御丁寧に、周囲の毛に固定する金具までしっかりセットされていた。
一方、舞奈が空中で靴を履きつつ着地した先には散歩中のチャビーと父がいた。
チャビーの手にはネコポチ入りのキャリーバッグ。
ネコポチの散歩の途中らしい。
これでは猫の運動にはならないのは流石に本人もわかっているはずだ。
だが実はネコポチは重力を操ってバッグを軽くしているから鍛錬にはなっている。
そんな子猫が「ナァ~~」と鳴いて、
「うわっビックリした! マイが空からふってきた!」
「……!? や、やあ舞奈ちゃん。こんにちは」
いきなりあらわれた舞奈に父娘は驚く。
「チャビーも親父さんも、こんちは」
舞奈は2人に挨拶し、親父さんの頭を見上げてニヤリと笑う。
チャビーも思わず視線を追って、
「わー! パパ! 頭!」
チャビー父の頭にも、頭頂用カツラが乗っていた。
バッグの中のネコポチも、飼い主の父を見上げて「ニャァ~」と鳴いた。
かつてチャビーは兄を、ネコポチは母猫を亡くしている。
だが、ひとりと1匹は互いの存在を慰めにして、平穏な日々を取り戻していた。
――僕がここまで来られたのは、君がいたからだって
――何度でも伝えたいよ
往常寺の本堂の隅では、住職が鏡の前でポーズをキメていた。
赤ら顔の頭の上には普段はない毛髪。
飲んだくれで金に汚い彼だが、要は俗物なのである。
なのでカツラをプレゼントされた途端、若返った気分でポーズをとりはじめた。
これなら双葉あずさをデートに誘えるかなと考えて笑った途端、
「ブナァ~」
でっぷり太ったブチ猫の弁財天が、何やらくわえてやってきた。
ブチ猫そっくりに太ったヘビだ。
間抜けな顔から覗く舌と、細い尻尾をちょろちょろゆらす。
だが住職は猫をちらりと一瞥し、
「そんな汚いヘビなんか、捨ててらっしゃい」
しっしと手を振って追い払った。
「まったく、もっと金になるものを見つけてこればいいのに」
勝手な文句をブツブツ言いつつ住職が再び鏡に向かった途端、
「ブナッ!?」
弁財天の口元からヘビが逃げた。
ブチ猫は目を丸くする。確かに仕留めたはずなのに!
住職は構わず鏡の前でポーズをとる。
その側を太ったヘビが、もの凄いスピードで通り過ぎる。
そして10メートルくらいジャンプして窓から逃げた。
――君が何処にいても聞こえるように
――笑ってくれるように
――僕の気持ち、歌にして、送るよ
伊或町の一角にある、古びたトタン壁の工場跡地で、
「ぎゃあっ!?」
「がはっ!」
錆びた機械の側に並ぶ朽ちかけた木箱に、くわえ煙草の男が激突する。
薄汚い野球のユニフォームを着こんだ脂虫だ。
激痛に顔を歪めた彼らの四肢は不揃いに切断されている。
焼きつぶれた切断面は、小夜子の【光の鉤爪】によるものだ。
小夜子は次の犠牲者を探して身構える。
その側で、恐ろしい罵倒と哄笑が室内を揺るがす。
楓が構えたウアス杖から炎が伸び、脂虫どもを焼き尽くしているのだ。
こちらは火炎放射の魔術【火吹きの杖】。
諜報部と【メメント・モリ】の合同部隊は、違法薬物の精製所を襲撃していた。
薄汚れた建物全体をサチの【天岩戸法】により結界化し、殲滅する手はずだ。
「姉さん……いや、その、楽しそうなのはいいことなんだけど」
激戦区から少し離れた木箱の陰で、紅葉はやれやれと苦笑する。
普段は楓の盾となる彼女は、今回は結界を維持するサチの護衛をしている。
脂虫を殺すの大好き小夜子と楓が、狩りを堪能しているからだ。
「小夜子ちゃんもよ。みんなで旅行に行ったときより楽しそうなんだから」
こちらは結界を維持すべく集中しつつ、サチものんびり紅葉に答える。
楓は魔術の研鑽により、防御の弱さを克服しつつあるらしい。
その成果を試してみたいとも言っていたが、残念ながら今回それは無理そうだ。
一方的な虐殺を続ける楓たちに、防戦の機会はない。
弟を亡くした楓と紅葉。
幼馴染を亡くした小夜子。
彼女らもまた、喪失を忘れさせてくれるくらい心躍る何かを見つけていた。
「ちょっと妬けちゃううわ」
「妬くって、誰に……?」
ボソリとひとりごちる紅葉の足元に、脂虫の上半身が転がった。
胴を斜めに切断され、くわえ煙草のまま激痛と恐怖に叫んでいる。
そんな薄汚い塊に、サチは手にしたリボルバー拳銃を向ける。
にこやかな笑顔のまま。
そして躊躇なく引き金を引く。
銃声。
かつて脂虫への攻撃を躊躇したサチもまた、少しずつ成長していた。
――天国でも、地獄でもない、この世界の中
――この道はまだ、ずっと先まで、続いてるけど
――ひとりで歩く道じゃないよ
――僕にはまだ歌が、あるから
一方、近くの駅前で。
「おまえら、何を……ぐあっ!?」
悪ぶった容姿をした2匹の若い薄汚い脂虫が、アスファルトの地面を転がる。
彼らを見下ろしながら囲むのは、学ランを着こんだ不細工な執行人たち。
「ううっ2匹もいると流石に臭いなあ」
「早く処理して持って帰ろうか……っていうか手足もぐの今日は僕の当番か」
荒事にどれだけ慣れてもおぼつかない手つきで、それでも手に手に得物を構える。
「くそっ! こんなとこで殺されてたまるか!」
「ああっ!?」
脂虫のうち1匹が立ち上がりつつ、包囲を破って走り出した。
頼りにならない執行人たちである。
だが次の瞬間、脂虫は閃光とともに痺れて吹き飛んだ。
ギターの音色が響く。
気づくと隣に貧相なロッカーがいて、ギターをかき鳴らしていた。
萩山だった。
かつて萩山は執行人たちを操り舞奈を襲わせた。
執行人たちは萩山のハゲを笑った。
けど、あの時、互いの存在を認め合ったから、今ではハゲとブサの友人同士だ。
そんな萩山が被ったフードの下に髪はない。
あの時に生えた虹色の髪は、溢れ出た魔力が形作った一時的なものだからだ。
だが萩山の顔には清々しい笑みが浮かぶ。
瞳はまるで天使のキューティクルのように、虹色の髪のように明るく輝いている。
彼が見つけた、毛髪を超えた真実の髪。
それは頭に生える毛のことじゃない。
心の中にあって、善き者の傷つきやすいハートをあたたかく包みこむ何かだ。
あの日、見つけた髪より大事なものは、彼の中でふさふさと揺れている。
もう二度と、失われることはない。
彼の心に、歌がある限り。
だから彼はギターをかき鳴らす。
すると【閃雷】の呪術によって稲妻が放たれ、2匹の脂虫を交互に撃つ。
そして執行人たちは、ロックンロールの音色に合わせて脂虫の加工を進めた。
――2人で歩いた道
――2人で歌った歌
――絶対に、忘れやしない
所変わって学校の、下校時刻の警備員室で、
「ルージュちゃん、こんばんは」
明日香が笑顔で窓からのぞきこむと、
「ナ、ナァ……」
子猫のルージュは後ずさった。
首輪に付いた小型カメラのレンズが鈍く光る。
「明日香さま……」
カメラの画像を監視していたクレアが苦笑しながら顔を出し、
「すっごい怖がられてますよ、ボス」
「子猫をいじめたらダメなのです」
「そうなのー」
「いえ、いじめてるわけじゃ……」
ベティがニヤニヤ笑いながら、後ろからは委員長と桜がやってきた。
「ルージュ、こわかったの?」
えり子がクレアに招かれてこっそり部屋に入る。
するとルージュはえり子の胸に跳びこんだ。そんな様子を、
「…………。」
明日香は無言で、凹んだ顔でじっと見つめる。
えり子の家庭には他の家に比べて様々なものが不足していた。
数年前に屠った父親は脂虫で、母が女手ひとつで支える家計は苦しい。
明日香もまた、誰にも話してはいないが過去に失ったものがある。
かつて死者の記憶を式神と化す大魔法で、彼らの姿を垣間見た。
だが今は友人たちに囲まれ、それなりに面白おかしい日々を過ごしている。
――そうさ君は、歌になって
――吹き抜ける春の風になって
――僕の隣に、いるよ
そして夕方。
窓から差しこむ夕日に照らされた校長室。
「こうしていると、若い頃を思い出しますね」
小さく老いた校長は、ひとりごちつつ額縁を見やる。
校長の頭には、長髪のカツラが乗っている。
額縁の中の肥えて巨大な若かりし頃の自分と、今そこだけは唯一の共通点だ。
写真に写った格好つけたギターも、今では何処かの棚の奥だ。
「エース、ジャック、クイーン、ジョーカー……」
でっぷり太った自分の周囲に追いやられつつも笑うかつての仲間を見やる。
「あの頃が……懐かしいですね……」
目を細めてひとりごちる老人を、オレンジ色の光が優しく包む。
まるでバラードのように。
――あの懐かしい歌になって
――まばゆい木漏れ日になって
――僕の隣に、いるよ