真相2
そして翌日の放課後。
舞奈はテックと明日香とともに、視聴覚室を訪れていた。
今回はサチと小夜子に手を借りるのは先日までだ。
何故なら【メメント・モリ】のツチノコ探しが違法薬物に行き当ったらしい。
諜報部の異能力者たちが見たというツチノコ。
だがツチノコなんて本当はいなかった。
その正体は、舞奈が追っている脂虫連続殺害犯のハゲのロッカーだ。
彼は悪魔術で種々多様なデーモンの髪を生やしていた。
髪型のうちひとつは、ツチノコとよく似ていた。
脂虫は髪を維持するための贄だった。
だが楓たちは居もしないツチノコを探す過程で、薬物中毒者の脂虫を発見した。
先日に桜たちを襲った脂虫からの情報と総括して奴らのコミュニティも発覚した。
製造拠点の位置も知れた。
なので諜報部は大規模攻撃の準備でてんやわんやだ。
それに今回の件は舞奈たちが請け負ったのだ。
カタをつけるのは舞奈たちでなければならない。
「特定できたわ」
テックが示した情報窓の中には、先日と同じ痩せた男。
別窓には詳細なデータ。
本名は萩山光。
近くの大学の生徒らしい。
自宅から通学しているそうなので、家も近くなのだろう。
「ここ、楓さんが受験する予定の大学よ。医学部があるからって」
「じゃあ頭は良いってことか。なるほどな」
毎度の明日香のうんちくに、今度ばかりは納得する。
人が喫煙によって変化した脂虫は、身体構造も人間と酷似している。
それを儀式に使えるよう解体するには医者の知識が役に立つ。
そもそも学がなければ悪魔術による育毛の儀式の存在を知ることすらできない。
「あと、彼、蔵乃巣学園の卒業生みたい」
言いつつテックは別の情報窓を開く。
「そりゃまあ、家が近いなら小中高はここだろうなあ」
軽口を返しながら舞奈も見やる。
そこに載っていた写真は、今の彼より幾分若い高校時代のものだ。
「……在学中にちょっとしたトラブルがあったみたい」
「不良って風には見えないんだが」
「そうじゃなくて」
テックはやや言いずらそうに間を開けてから、
「授業中にカツラがはずれて大騒ぎになったらしいわ」
無表情に、だがきっぱりと言い切った。
舞奈は思わず吹き出しかけ、
「カツラって、高校生だぞ?」
ツッコミながら画面に映った写真を凝視する。
言われてみると、確かに頭の位置と髪の生え方に微かなずれがある。
卓越した舞奈の感覚をもってして初めて気づく程度の微かな違和感。
だが、そのずれ方は担任教師のそれと酷似していた。
ドットの並びを睨んでいると、テックが高解像度の写真に切り替えてくれた。
それを見やって確信した。
彼は在学中から髪がなかった。
そんな馬鹿なことが有り得るのかと、一瞬だけ思った。
だが、それを言うなら舞奈だって有り得ない側の一員だ。
世間一般の常識に照らし合わせれば怪異や魔法だって存在し得ない。
その存在を前提とした裏の世界ですら、魔法すら使わず怪異に対抗可能な小5なんてものは特異中の特異だ。
だから認めねばならないと思った。
かつて高等部に、萩山光という若ハゲがいたということを。
そして、ふと思い出した。
以前にベティが、カツラを落とした生徒の話題で爆笑していた。
舞奈は画面の中の、今と昔の萩山を見やる。
萩山という姓は、ごく普通の一般的な苗字だ。
光という名は、輝くような人生を送れるようにとの親の愛情の証であろう。
その2つが重なっても、もちろん問題はない。
しかし、それは本人が若くして髪を失ってはいない場合の話だ。
ベティだって別に気が回らないだけで、悪気で笑ったわけじゃない。
だが正直なところ、この氏名と状況の組み合わせによるインパクトは相当だ。
テックも表情は控えめながら必死に笑いをこらえている。
それは当時の彼の友人知人も同じだったのだろう。
現に優等生の明日香ですら顔に出てないだけで露骨に肩を震わせている。
目の前に本人こそいないものの、もうちょっと加減してやれよと思うほどだ。
萩山本人にとって、それは身を切られるような精神的な刃だったのだろう。
……どんな手段を用いても、髪を得たいと思うほどに。
それでも成績は良かったらしい彼は、医学部のある今の大学に入学した。
髪のことで悶着があったのなら、遠くの大学を目指すはずだ。
だが件の大学は相応にレベルも高いらしい。
彼にとって幸か不幸か、優秀な学生が上を目指そうとすると、他に選択肢がない。
そこで彼は、魔法の存在を知ったのだろう。
最初は祓魔師を目指したはずだ。
メジャーな【教会】と深く関わる祓魔術は、その道を志す者が触れる機会も多い。
彼は秘せられた知識を見つけだして学習した。
術者を目指して真摯に研鑽を積んだ。
修練に修練を重ねた。
そうでなければ、人は魔道士になれない。
そう。
彼は文字通り神に祈ったのだ。
どうかわたしに髪をくださいと。
……だが、その願いが聞き入れられることはなかった。
育毛の基礎技術は身体強化の付与魔法。
それは道術における気功であり、祓魔術においては天使の力だ。
そのどちらも、女と比べて男にはあまり効かない。
しかも加齢とともに更に効きが悪くなる。
ホルモンバランスが影響しているらしい。
ハゲも男性ホルモンが原因らしい。
旧約聖書において、怪力サムソンは髪を剃られることでその力を失ったとされる。
それは男性ホルモンが【サムソンの怪力】を阻害する事実をあらわした寓話だ。
つまり天使の力を応用した育毛は、ハゲには使えない。
神はハゲにだけ、髪を与えない。
誰より強く髪を熱望しているのはハゲなのに。
その事実に、彼がどのタイミングで気づいたのかはわからない。
修練の中、天使の力を操れないことに薄々感づいていたか?
あるいは声が枯れるまで聖句を唱え、それでも奇跡が起きなかったのか?
そのどちらにせよ、彼は絶望したはずだ。
彼は人に裏切られた。
そして研鑽の末、神にすら裏切られた。
だから悪魔にすがるしかなかった。
神の代わりに森羅万象からかき集めた魔力をデーモンと呼び、操る術を鍛えるしか。
世界でただひとりパンを与えられなかった者が、泥水をすするように。
祓魔術を歪めて悪魔術を編み出した先人がそうしたように。
ロックンロールが悪魔の音楽かどうかは知らないが、悪魔術に有用なのは確かだ。
彼らの絶望を、怒りを、ロックは力に変えてくれる。
だから彼はロックを学んだのだろうか?
あるいは術者を志す前から彼はロッカーで、だから神に見捨てられた後にも希望を見出すことができたのだろうか? ロックと魔法技術と、医術を組み合わせて。
いずれにせよ、彼は自分を裏切り続けた世界に反旗を翻した。
自分の手の中にあるものだけで、自分の望むものを手に入れようとした。
髪を。
だから彼は、誰の言葉も聞き入れることはない。
何者にも束縛されない。
つまり【機関】にも、【組合】や【協会】のような魔術結社にも。
それは術者として、限りなく自由な在り方だ。
だが、同時に危険な振る舞いでもある。
現に彼の行動を問題視した【機関】は、彼を止めよと仕事人に依頼した。
彼が無秩序な脂虫の殺害を止めなければ、次に差し向けられるのは刺客だ。
「どうするの? このまま住所も特定できるけど」
「……いや、いい」
テックの申し出を静かに、だが舞奈ははっきりと断った。
小5の舞奈は髪を失う苦しみなんて知らない。
彼の絶望を、苦悩を、世界への憤りを想像することしかできない。
だが髪という字は長い友と書き、三本の毛を添えることで成り立つ。
そして舞奈は大事な友を、仲間を失う痛みを嫌というほど知っている。だから、
「髪を維持するのに必要な、次の儀式の日が近づいてる」
スミスから聞いたうろ覚えの知識を使って語る。
「たしか今度の日曜だ。儀式の場所も特定できる。だから――」
「――その儀式に踏みこんで、彼を止めるっていうのね」
「ああ」
無理やりに割りこんできた明日香に、笑みを返す。
彼の前に正々堂々とあらわれ、対話する。
そして説得する。
彼がこれ以上、誰かに裏切られないように。
ハゲに大ウケしていたくせに、明日香も同じことを考えていたのだろう。
どちらの照れ隠しのつもりか舞奈を見やり、
「男のために体を張るなんて、貴女も変わったわね」
軽口を叩いてきた。
「あたしには別に、女の子のためしか戦わないなんてポリシーはないぞ」
舞奈は口元をへの字に歪め、
「それに……ああそうだ、テック。この前の、あずさのライブの映像ってここから見れるか? できれば『Joker』の防犯カメラがいい」
「できるけど……いきなりどうしたのよ?」
「まあ、いいから頼むよ」
訝しげなテックが画面に情報窓を開く様子を眺める。
「……ああ、そこから頼む」
舞奈の合図で、テックは映像を再生する。
画面の中のステージの上で、歌を終えたあずさが微笑む。
側には舞奈と明日香、鎧を着こんだチャムエル。
そんな面々を拍手が迎える。
ライブの演出に偽装した結界の中で豚男を屠り、結界が解除された後だ。そして、
『あずさァァァァ!!』
ステージの袖からあらわれた別の豚男があずさに走り寄る。
振りまわした手斧が機材に当たって火花を散らす。
その目前に、あずさを模した不気味で恐ろしいクリーチャーが出現する。
『アァァァァァァァ!! 俺のあずさがァァァァァ!!』
豚男は怯む。
……画面を見ていた明日香が舞奈を睨みつけてきた。
「い、いや、ここからなんだよ」
促されて仕方なく目を戻した明日香の前で、壊れた機材から稲妻が跳ねた。
鋭い紫電は狙い違わず豚男を穿つ。
怯んだ豚は逃げる。
その様子に、見ていた明日香も気づいたようだ。
「テック、別のカメラから見れるか?」
「何処を?」
「……舞台の反対側の袖が映ってるのをお願い」
横から口をはさんできた明日香の指示で、テックは別の情報窓を開く。
そこには鋲のついた黒皮のコートでパンクに決めた、痩せた長身のロッカーがいた。
見惚れるような金髪の彼は、襲われるあずさを見やって慌てる。
彼はクリーチャーを見て驚き、それでもあずさを襲おうとした豚男を見やり――
――!!
ギターをかき鳴らした。
その音色に合わせるように、機材から跳んだ紫電が豚男を撃った。
「……いつから気づいてたのよ?」
「奴について、いろいろわかってきてからな」
明日香の問いに、口元に笑みを浮かべて答える。
萩山光は、双葉あずさの誕生日ライブに場繋ぎとして呼ばれていた。
彼は悪魔術師であると同時にロッカーでもあるからだ。
だが、あずさは豚男に襲撃された。
当時の萩山にとって見知らぬ子供と女が、あずさを守っていた。
そして萩山は迷った末、悪魔術を使ってあずさを守ることを選んだ。
停止した画像の中でギターを手にした彼は困惑しながらも、その口元には笑み。
それを見やって舞奈も笑う。
明日香も、テックも笑う。
彼は偽物の髪を生やし、維持するために大量の喫煙者を殺した。
アイドルが襲われていたので守った。
見知らぬ子供たちが喫煙者に襲われていたので守った。
喫煙者は殺した。
その脂虫を贄にして、自身の秘密を嗅ぎまわる2人の子供を襲撃した。
要するに少女を守り、脂虫を殺した。
つまり正しいことしかしていない。
襲撃にしたって、どちらかといえば警告の意味合いが強かった。
襲撃の対象――舞奈たちが最強でなければ、たぶん戦闘にはならなかった。
むしろ、その準備をするついでに別の子供を救ったとも言える。
以前にニュットが、桜たちが無事なのは舞奈のおかげさまだと言っていた。
だが実際は、おかげさまなんてものではなかった。
萩山は舞奈たちに対抗すべく贄にする脂虫を探していて、脂虫が襲おうとしていた桜たちを見つけて救ったのだ。
あずさのときと同じように成り行きで。
そう。
彼はきっかけがあれば自然に善を成し、悪を挫こうとする人間だ。
ありていに言うと善人だ。
友達になりたいと思えるような、いい奴だ。
ただ、彼は手段を少し間違えてしまった。
このままでは彼の利害が【機関】や【組合】と衝突する。
だから舞奈は思った。
かつての自分たちと同じように大事な何かを失った彼を、止めようと。
倒すのではなく。
そんな舞奈を見やり、明日香もテックも笑みを浮かべる。
舞奈も明日香もテックも、善人を見れば気分がいい。
誰だってそうだ。
いい奴が不当な不利益を被ろうとしていたら、そこから引きはがしたいと思う。
善良な彼自身と同じように。