真相1
開け放たれた障子の向こうで、ししおどしがタンと鳴る。
放課後、舞奈は明日香とテックを連れ、九杖邸を訪れていた。
「大天使から出てきたっていう脂虫の尋問の結果なんだけど」
「尋問できる状態だったのか、あれは」
小夜子の言葉に、舞奈はほうと驚いてみせる。
先日に舞奈たちを襲った、天使に似たもの。
その後にあらわれた、大天使に似たもの。
大天使の中から出てきたのは、生きながらコアになっていた脂虫だった。
臭い体液まみれの脂虫は、両腕と下半身を切断されて瀕死の状態だった。
それを支部に引き渡した舞奈だが、どうせ処分されるだけだと思っていた。だが、
「心臓は使えたのよ」
「……なるほど」
小夜子は何食わぬ顔で言った。
小夜子が修めたナワリ呪術には、心臓から情報を得る【心臓占い】の術がある。
対象に問いながら心臓を握りつぶし、したたる体液から啓示を得る。
普通にわかるのは質問への是非だけだが、儀式により詳細な情報も得られる。
もちろん倫理上の問題から人間や動物に対しては使用されない。
だが相手は脂虫だ。
脂虫――喫煙者は殺されるための存在。倫理の対象外だ。
そんな小夜子の術に対してブラフも黙秘も無力だが、心臓がないと使えない。
だが脂虫をコアにして魔法生物を動かす件の術では心臓は破損しないらしい。
まあ、それはそうだろうと舞奈は思う。
流石の脂虫も心臓がなければ死ぬし、死んだ脂虫は操作できない。
それはさておき、
「で、なんて?」
舞奈は話を進める。
「奴らは2匹で連れ立って、違法薬物を摂取しようとしてたらしいわ」
「また水素水か」
「今度のは新種の薬物よ。電解水って言うらしいわ」
「……そりゃ新しい」
やれやれと肩をすくめた舞奈の横から、
「で、その行為を女子小学生の集団に見られたと思って口封じをしようとした、と」
明日香が不快げに口をはさんできた。
「桜やチャビーたちか」
舞奈も思わず顔をしかめる。
小夜子は「ええ」とうなずく。
舞奈たちを襲った大天使のコア。
その正体は、桜たち女子小学生と未就学児たちを襲った脂虫だった。
2人はその事実を、舞奈が得たもうひとつの情報から予測していた。
なので、さほど驚きもしない。
だから小夜子も話を続ける。
「で、そこにパンクロッカー風の優男があらわれた。彼がギターを弾くと、奴らは痺れて動けなくなった。その隙に子供たちは逃げた」
「……らしいな」
小夜子の言葉に舞奈はうなずく。
その話は委員長たちに聞いた話と合致する。
だが尋問によって得られた小夜子からの情報には続きがあった。
「……その後、ロッカーは脂虫どもを解体した。鮮やかな手つきだったらしいわ。そして彼は施術を行い、脂虫はその支配下になった」
「術の特定はできましたか?」
「祓魔術の【屍鬼の支配】に似た脂虫操作らしいんだけど、それ以上は……」
明日香の問いに口ごもる小夜子に対し、
「――悪魔術の【屍操り】だ」
珍しく舞奈が知識を披露する。
スミスからの受け売りなのだが。
桜たちを襲った2匹の脂虫は、警察に届けられることはなかった。
何故なら1匹は彼の髪になった。
もう1匹は、大天使のコアになって舞奈たちの前にあらわれた。
そう考えれば辻褄が合う。
「貴女の言ってた祓魔術の亜流ね。ロックンロールでエレメントを操るっていう」
「ああ」
答える舞奈を、明日香は興味深げに見やってくる。
彼女の行動理念は知識の収集で、ひけらかすはそのついでだ。
だから自分の知らないことを知っている人間を見ると、それを知りたがる。だが、
「だから旅行のとき、駅で会ったっていうロッカーを疑ってるのね」
「あ、ああ……」
「……そんなのがいたんなら、言ってくれればいいのに」
「いやそれは……」
小夜子は恨みがましい目つきで睨んできた。
舞奈は思わず、おはぎを手にしたまま後ずさる。
小夜子にとって重要なのは自分と知人が安全であること、危険が未然に可能な限り遠くで取り除かれ、それに対して自分自身が警戒できること。
最後の条項は彼女が基本的に他人を信用していないからだ。
だから自分の知らないところで事態が進むことが気に入らない。
舞奈がここを訪れた理由は、慰安旅行の日、駅前にいたロッカーを特定するためだ。
あの日、外から見えない結界の中で脂虫を捌いていたロッカー。
桜やチャビーたちを脂虫の魔手から救ったロッカー。
舞奈の見立てでは、両者は同一人物だ。
なぜなら両者の容姿と言動はほぼ一致する。
金髪で、パンクな黒いコートを着た、ひょろ長い男。
あんな格好のが街に2人も3人も徘徊してたら、なんというか……世も末だ。
しかもえり子が言うには、彼は自身の流派に似るが異なる呪術を使ったらしい。
それは、あの日、舞奈が見た呪術と同じ――悪魔術だ。
言われてみれば、天使の伝達の術ごしに話した術者と言動も一致する。
そう。舞奈は最初、件のロッカーを【機関】の執行人だと思っていた。
彼に髪があったから、犯人である可能性を微塵も考慮しなかったからだ。
だが支部にロッカーの魔道士はいなかった。
当然である。
なぜなら件のロッカーと、桜たちを救ったロッカーと、天使を術者は同一人物だ。
そして彼こそが、今回の事件の犯人だ。
舞奈はそう強固に主張した。
だが前回のこともあって、明日香はまともに取り合ってくれなかった。
ならば件のロッカーが何者なのかを特定すれば真偽ははっきりする。
その意見には明日香も異存はないようだった。
「ここ掘れワンワン♪ いーぬがでたー♪」
「……それ、掘ったの誰だよ?」
側でみゃー子が歌いながら、四つん這いになって遊んでいた。
それに対して明日香は無反応。犬の真似はどうでもいいらしい。
舞奈も別に、ここにこいつを呼んだつもりはない。
呼ぶ意味もないし。
だが、みゃー子は如何な手段か桜やチャビーたちの危機をいち早く察知した。
そしてテック経由で伝えてくれた。
だから舞奈は口元にやれやれと笑みを浮かべ、
「食うか?」
手にしたおはぎを差し出してみる。
するとみゃー子はおはぎをパクって部屋の隅に走って行き、嬉しそうに食べ始める。
「……普通に食えよ」
それにその挙動は猫だ。
肩をすくめる舞奈の側で、
「ええっと、こんな感じかしら」
サチがちゃぶ台から顔を上げた。
ちゃぶ台の上にはチラシ紙。
どこかやり遂げた感のあるサチの手には鉛筆。
サチと向かい合わせに座ったテックが、ひょいとチラシを手に取って見やる。
相手の顔形がわかれば過去数週間に防犯カメラに写った通行人から犯人を特定可能。
そうテックは言った。
だが彼の顔を見ているのは舞奈とサチだけ。
舞奈の画力は良くも悪くも小学5年生相当だ。
なので舞奈は、高校生のサチを頼るべく九杖邸を訪れたのだ。
そしてサチに件のロッカーの絵を描いてもらっていた。
だが……
「……その絵を元に人物を特定するのは無理」
普段と変わらぬ無表情で、テックはぼそりと言い放った。
無表情なりに困った顔こそしているものの反論の余地もなく言い放ったのは、普段の彼女の相棒がそうだからか。
テックの前に広げられているのは自前のノートパソコン。
パソコンの隣には、今しがたチラシの裏を読みこんだハンディタイプのスキャナ。
そしてチラシの裏には、微妙にデッサンの狂った人物画。
正直サチも、絵心はそんなにないらしい。
「……なに笑ってやがる」
仲間を見つけたつもりか隣でドヤ顔する明日香を睨み、
「しかし、どうしたものか」
舞奈は腕組みして考える。
犯人の特定まであと一歩なのだ。
こんなしょうもないことで調査が頓挫してはたまらない。
だが事態を打開する名案も浮かばない。
なのでそのまま眉にしわを寄せてうなっていると、
「そうだわ。もう一度わたしにやらせてくれない?」
言ってサチは立ち上がった。
「そりゃ構わんが……」
何度も描いても絵の下手さは変わらんだろう。
訝しむ舞奈の前で、だがサチは唐突に舞い始めた。
「!?」
舞奈は驚く。
それは神術士による大魔法の施術。
結界や、集団への防護と同レベルの偉大なる呪術。
だがサチはそれを何に使うつもりか?
首をかしげる舞奈の前で、
『……』
不意にサチは舞を止める。
その顔つきは、普段のサチのそれではなかった。
即ち【神降し】。
術者の身体に、過去の英雄や高位の術者を憑依させ力を借りる大魔法だ。
サチはおもむろに、部屋の隅の引き出しを漁る。
その仕草が普段の彼女と違い、なんというか爺むさい感じなのが気になった。
サチは引き出しから筆ペンを取り出し、爺むさい動作でちゃぶ台に戻る。
そして、チラシの裏に筆を走らせた。
一行はその様子を見守りながら、
「!?」
驚愕する。
サチの手さばきは、先ほどの拙い手つきとはまるで違っていた。
舞奈や明日香、小夜子やテックが呆然と見守る前で、
「……北斎ですね」
明日香が、サチが力を借りた偉人の名を言い当ててみせる。
明日香は芸術作品への造詣も深い。
……自身の画力は視覚の暴力レベルなのに。
そんな皆の前で、サチが描きあげたのは見事なロッカーの似顔絵だった。
墨の濃淡で表現された独特の画風で表現されたそれは、紛れもなく、あの日に2人で会った貧相なロッカーそのものだ。
輪郭線の強弱で、風に吹かれて折れそうな貧相さまで表現されている。
そんな完璧な出来栄えに微笑むサチに、
「そんなことのために無茶しなくても……」
小夜子は不満ありげにサチを見やった。
呪術師は天地に満ちる魔力を操ることで術と成す。
大魔法は強大な魔力を用いた力ある術の総称だ。
故に呪術師による大魔法には通常のそれより遥かに注意が必要だ。
しかも【神降し】は自身の内に力を呼び出す付与魔法じみた術だ。
大魔法を成すほどの強大な魔力が術者の力量を上回っていれば、魔力に自我が飲まれて暴走する。だが、
「大丈夫よ。小夜子ちゃんったら心配性なんだから」
そう言ってサチは笑う。
そのおっとりとした若々しい表情は、普段の彼女のそれだ。
早くも術を解除したらしい。
施術による負担を最小限に抑えるのも彼女が熟達した術者である証だ。
そうまでして描いたロッカーの絵を、テックはスキャナーで読み取って検索する。
だが、
「……見つからない」
「どういうことだ? ……悪魔術師は光学迷彩が苦手だって聞いたんだが」
舞奈は首をかしげる。
悪魔術は粒子ビームこそ撃てないが、雷の応用で可視光線を曲げる程度はできる。
スミスはそう言っていた。
即ち【蜃気楼】。
舞奈たちを襲った襲撃者を透明化させていた術の名だ。
この術は他流派の同等の術に比べ、比較的容易に多数を透明化できる。
だが反面、維持に高度な集中が必要だ。
悪魔術師にとっての集中とは、すなわちロックンロールだ。
それでも遠距離から刺客を透明化させるのなら問題はない。
だが脂虫を屠って儀式をした後、ギターを弾きつつ歌いながら透明化して公共の往来を練り歩いたら防犯カメラとか以前に周囲にバレバレだ。
「苦手って言っても、できないわけじゃないんでしょ?」
「そりゃそうなんだがなあ……」
明日香の指摘に歯切れ悪く答えながらも舞奈が困惑していると、
「立てばキンパツ♪ 座ればおハゲー♪ 歩く姿はツッチノコー♪」
相変わらず珍妙な歌を歌いつつ、みゃー子が畳の上を這いまわっていた。
その様をサチは「?」と、明日香と小夜子は怪訝そうに見やる。だが、
「!? ひょっとして野郎……」
舞奈だけは気づいてしまった。
「……仕事をするときとそれ以外で、髪型を使い分けてやがるのか?」
その発言に他の面子も気づいたようだ。
なるほど、といった表情で舞奈を見やる。
舞奈はやれやれと苦笑する。
みゃー子の奇行以外がきっかけで思いつければよかったのだが。
それはともかく、舞奈はスミスからかじり聞いた悪魔の知識を思い出す。
悪魔術師は造物魔王の魔力を受信できなかった者たちが編み出した流派だ。
だから代わりに森羅万象に潜む元素の力を加工し、取りこむことで身体を強化する。
火の力なら【灼熱の力】、氷の力なら【冷血漢】。
その調子で6属性それぞれの術がある。
造物魔王の魔力で形作られた疑似生命を天使と呼ぶように、元素を無理やりに変化させた疑似生命をデーモンと呼ぶ。
それら応用した育毛の儀式もまた、厳密にはデーモンでできたかつらだ。
だから用いる元素により6種類の髪型に変化する。
以前に戦った少女の形をしたデーモンと同じように。
その中のひとつ【閃雷の力】を応用した雷のかつらは、まばゆく輝く金髪だ。
舞奈たちと会ったときの彼は、その髪型をしていた。
だがかつらを他の元素に切り替えれば、もう少し地味な髪型になる。
そして、ふと、脳裏をよぎったのは時を同じくしてあらわれたツチノコの噂。
奴はヘビだが高くジャンプできるという。
つまり、人の頭の高さのものを誤認しても不思議ではない。
しかもスミスが見せてくれた元素毎の髪型のひとつに似た髪型があった。だから、
「もう1枚、頼めるか? 後ろ髪を、こう、ちょろっとのばした感じで」
サチに気軽に言ってみる。だが、
「あっごめんなさい、術もう解いちゃって」
「ああ、そっか……」
その返事に舞奈も困る。
側の明日香も困る。
少し離れた場所でみゃー子が「みゃー」と鳴き、
「……こんな感じでいいの?」
面白くもなさそうな顔で、小夜子がチラシの裏にシャープペンを走らせた。
サチの絵を真似したのだ。
ただし髪型だけが舞奈の要望通り、後ろ髪を少しのばしたショートカット。
肥えた蛇のような頭の形と、尻尾のような後ろ髪が何とはなしにツチノコに見える。
おそらく【石の心臓】を応用した石のかつらだ。
「おっ、こんな感じ。……小夜子さん絵うまかったんだなあ」
舞奈はまじまじとチラシを見やる。
そして隣で裏切られたような表情をしている明日香を尻目に、テックに渡す。
テックはそれをスキャナーで読みこみ、ノートパソコンで検索する。
そして……。
「1件ヒットしたわ」
言われて見やった画面には、駅の近くの路地を歩く痩せた男。
着ているのは地味なコート。
髪型は地味なツチノコ尻尾。
だが身のこなしとやや頼りなさげな雰囲気は、あの日に駅で見た男と同じだ。
しかも背負ったギターは駅前で見た彼が抱えていたものと同じ。
コートはリバーシブルなのだろう。
「学校の視聴覚室の端末を使えば、詳細を検索できるわ」
「ああ、よろしく頼む」
テックの言葉に笑みを返した。