記憶の中のプリンセス
高等部の校舎の片隅にある情報処理室。
ずらりと並んだ端末のひとつを操作するテック。
覗きこむ舞奈。
見やる画面の中で、情報窓に荒い映像が表示される。
防犯カメラを録画したものらしい。
場所は問題の駅の近くの通りだ。
音のない情報窓の中で、通りをいかにも怪しい何者かが通る。
コートのフードを目深にかぶった大男だ。
「あからさまに怪しいな」
言って舞奈は苦笑する。
建物と比較して2メートル近い長身が貧相に見えないほどの屈強な肉体。
なるほど、これほどの巨躯をもってすれば脂虫を叩きのめすのも容易いだろう。
大男は何かで膨らんだ小袋を抱えているようだ。
おそらく解体した脂虫のパーツだろう。
袋を抱えたまま、大男は周囲を警戒しながらそろそろと歩く。
その屈強な肉体に似合わぬ女々しい挙動に、ふと見覚えがある気がした。
それがよく知る彼ではなければいいな。
舞奈はそう思った。
そういえば彼もハゲなのに、舞奈は彼の店に聞きこみに行っていなかった。
無意識に避けていたのかもしれないと、今になって思う。
だが願った途端、画面の中に風が吹いた。
思わぬ突風に、虚をつかれた男のフードがまくれ上がる。
その下からあらわれたのは……
「……糞ったれ」
舞奈は思わず舌打ちする。
それは嫌というほど見慣れた、岩のようにゴツゴツとしたハゲだった。
アゴ一面には剃り残しが広がっている。
ムースでかっちり固められたカイゼル髭が風に吹かれて揺れる。
大男はすぐさまフードを押さえ、足早に先を急ぐ。
そして手直な店に滑りこんだ。
『Studio Abyss』
店の看板には、そう書かれていた。
馴染みがない店だ。
ゴシック風に装飾された窓のない外見からは、何の店だかわからない。
だがAbyss……アビスとは、地獄の深淵を表す語だ。
「必要なら明日香にも連絡するけど」
「いや、いい」
テックの言葉に、答えて首を横に振る。
「……こいつはあたしが処理する」
「舞奈……?」
困惑するテックに背を向け、
「結果は明日、知らせるよ」
言い残して足早に視聴覚室を後にし、そのまま下校した。
そして乾いた風に咳きこみながら、新開発区と大差ない廃ビルの通りを歩く。
「……畜生、何だよそれ」
憎々しげに舌打ちする。
犯人が見つからないのも無理はない。
防犯カメラに映っていたハゲは、スミスだった。
舞奈が無意識に、犯人の候補から除外していた、だが博学であるという条件をこれ以上なく満たしたハゲ。
舞奈は一見、普段と変わらぬ調子で廃墟とさほど変わらぬ通りを進む。
そして街の一角の、見慣れた看板の前で足を止める。
派手なネオンが、廃ビルの隙間で無駄に自己主張していた。
相変わらず『画廊・ケリー』のネオン文字の、『ケ』の字の横線が消えかけている。
普段と変わらぬ古物商の看板。
それを見やって、舞奈は口元に乾いた笑みを浮かべる。
そこにその看板があったことを、脳裏に刻みこもうとするように凝視する。
そうするうちに、
「あら、志門ちゃん。よく来たわね」
水色のスーツにピンク色のネクタイを締めたハゲマッチョがあらわれた。
野太い声に相応しく、中東系の彫りの深い顔立ち。
岩のようなアゴ一面には剃り残しが広がっている。
カイゼル髭はムースでかっちり固められている。
なのに内股で手を振りながらの女言葉で、いろいろ台無しだ。
スミスは舞奈を普段通りに出迎えてくれた。
舞奈もいつもの通りの何気ない表情を作りながら、
「なあスミス。先週の日曜日、あんた何処に行ってた?」
「それは……その……何でもないわよ、なんでも」
誤魔化す素振りがあまりにも不自然なので、思わず舞奈は苦笑する。
こんななりだが根が素直な彼は、嘘をつくのが下手だ。
今までそれは彼の長所だった。
「駅の近くの『Studio Abyss』って店の近くで、あんたを見た奴がいる」
努めて平静に……というより抑揚のない声で、舞奈は告げる。
「やましいことがないなら、その時のこと、話せるはずだよな?」
その台詞を、彼に否定してほしいと願いながら。
だが、
「志門ちゃんが……いつか気づくって、わかってたはずよね」
スミスは諦めたように笑った。
目前の少女に嘘やごまかしは無意味だと、彼は誰より知っている。
舞奈は最強でも何でもなかった幼い頃から勘だけは鋭かった。
その頃から彼は舞奈の側にいた。だから、
「……ああ」
舞奈も感情のない表情で笑った。
「……丁度良かったわ。こっちよ」
スミスは誘うように、奥の部屋へと移動する。
舞奈も続く。
そこで何を見ることになるのだろうか。
予想なんてしたくもないが、その必要もない。
舞奈はすぐにそれを見ることになるし、向かい合わなければならない。
ただ、部屋からバラードが聞こえてくるのが今は気に入らなかった。
普段は音楽なんて聞きもしないのに。
掠れた歌声が紡ぐのは、ファイブカードの『GOOD BY FRIENDS』。
まるで舞奈の心境を代弁するように。
この先で起こる出来事を、暗示するように。
スミスには魔法の知識がある。
それは恐らく【教会】の前身であるカバラの知識だ。
その知識を応用して、儀式を行うことも可能だったのだろう。
だから学のあるハゲを疑うなら、真っ先に彼を探るべきだった。
だが舞奈はそうしなかった。
無意識に避けていた。
今ならそれがわかる。
舞奈は彼が犯人じゃないと信じようとしていた。
かつて、美佳と一樹が帰ってくると信じこもうとしていたように。
スミスはドアの前で立ち止まる。
いつもの作業場ではなく、彼の私室のようだ。
歌も部屋の中から聞こえている。
「笑わないでね?」
「……ああ、笑わないさ」
眉を八の字に歪めるスミスに答えつつ、努めて平静な笑みを作る。
ガタイは良いのに妙に女々しい彼のことは嫌いじゃなかった。
美佳と一樹がいた3年間から、舞奈たちの側には彼がいたから。
それにハゲは恥ずかしいことじゃない。
ハゲを隠そうとすることも恥ずかしいことじゃない。
ただ、取り返しのつかなくなる前に話してほしかった。
いつか気づくと覚悟していたと彼は言った。
つまり、ずいぶん以前からスミスはそれをしていたことになる。
舞奈とリコの目を潜り抜けて。
そういえば【機関】は脂虫連続殺害犯をどうするつもりなのだろうか?
どうするにせよ、捕らえられた者がそれまでと同じ生活を送ることはないだろう。
スミスはずっと、舞奈を見守ってくれていた。
美佳と一樹がいた頃から、廃墟の街の一角には彼の店があって、彼がいた。
舞奈が覚悟を決める前で、スミスはそっとドアを開ける。
中はベッドとタンスとひと揃いの家具が並べられた、シンプルな部屋だ。
必要なものだけが必要なだけ置かれた様は、舞奈の部屋と少し似ていた。
壁際のサイドボードの上で、古いバラードを奏でていたのは古びたレコードだった。
スミスはテーブルの上に置いてあった何かを手に取る。
側には紙袋。
防犯カメラに写っていた袋だ。
そしてスミスは手にしたそれを、舞奈に差し出す。
どうやら小さなアルバムのようだ。
表紙には『Studio Abyss』のロゴ。
舞奈はそっとページをめくる。
そこに写ったものを見て………………
「………………!?」
目を丸くした。
そこに写っているものを、脳が無意識になかったことにしようとする。
だがすぐに、それは舞奈が向かい合わなければならないものだと思い出す。
写真の中で、スミスが………………
………………ナース服を着てニッコリ笑っていた。
かつらをかぶって、どうやら女に似せようとしているらしい。
だが、そもそも岩ようにごつい顔でマッチョな体形の彼である。
まったくもって似合うはずもないし、ありていに言うと視覚の暴力だ。
念のために写真の隅にプリントされた日時を見やる。
慰安旅行の日の夕方。
つまり、この写真は事件の起きた当日に撮られたということだ。
ページをめくると、今度のスミスはセーラー服を着ていた。
女子高生らしい仕草のつもりか作ったしなと表情が、殺人的なまでに似合ってない。
そして次のページも。
その次のページも。
女装スミスが笑っていた。
ページの埋まりかけたアルバムいっぱいに。
そんなアレな写真の数々を眺めながら舞奈は、
「ぷぷ……くははっ! 何だよスミス!」
腹を抱えて笑った。
「っていうか、何でナース服なんだよ医者の格好じゃダメなのか!?」
「志門ちゃんったら、笑わないって言ったのに……」
スミスは傷ついた様子で凹む。
「いやスマン、スマン!」
半笑いで形だけ詫びる。
だが舞奈はいつかのシスターみたいに、腹を抱えて笑った。
だって、こんなにおかしいことはない!
舞奈は彼を事件の犯人だと思いこんでいた。
そして自分の知らない遠くに行ってしまうんじゃないかと心配していた。
だが、それは舞奈の勘違いだった。
彼は潔白だったのだ。
あの日、スミスは舞奈が店に来ないことを見越し、自分だけの秘密の場所に赴いた。
自分の欲望を満たすために。
だがそれは、駅ではなく写真屋だった。
脂虫を殺して儀式を行うためではなく、女装写真を撮ってもらうためだった。
この『Studio Abyss』という店がそうなのだろう。
アビスという店名に惑わされたが、ただそう言う名の写真屋だったようだ。
挙動不審に店に滑りこんだのは、人に見られたくなかったからだろう。
だが、それが恥ずかしいなら普段の言動がそもそもアウトだ。
そちらについて彼はどう思っているのだろうか?
いくら駅から近いとはいえ、写真を撮って着替えてから脂虫を拉致して儀式をするというのも無理がある。
つまりスミスも、あの日の夕方にはアリバイがある。
舞奈が犯行の証拠だと思っていた袋の中身が、彼の動かぬ潔白を証明してみせた。
そもそも考えてみれば、スミスが犯人だと仮定すると大きな矛盾が発生する。
敵は明日香の魔術と舞奈の身体能力に驚愕していた。
知ってはいたが対応できなかったのではなく、完全に想定外な様子だった。
スミスが敵に回るとしたら、最強の女子小学生に対して無警戒なのは不自然だ。
協力者でもあり得ない。
舞奈たちのことを知ってて黙っていたのなら、味方のふりをしたスパイと同じだ。
ページをめくるとOLの格好をしたスミスがいたので、またしても吹き出す。
OLのスミスも身をくねらせ、しなを作って微笑んでいる。
全力で女になり切った表情は楽しげで、生き生きとしていた。
どの写真もそうだ。
だからツッコミどころしかないマッチョ親父の女装写真なのに、見ている方も不思議と愉快な気持ちになる。
先日に支部で見た執行人たちのオタ芸と同じだ。
隣には下品な背広を着た糸目の女子高生がいて、エロおやじの表情をしていた。
この女、本当に何処にでもいるな!
その事実すら面白おかしくて舞奈はまたもや爆笑する。
そうやって舞奈が笑い転げ、側でスミスが凹んでいると、
「しもんだ!」
元気なリコの声がした。
遊びに行った何処かから帰宅したらしい。
でもって爆笑が聞こえたから見に来たのだろう。
「スミスのしゃしんをみてるのか?」
言いつつジャンプで舞奈の背中にしがみつく。
この写真の存在を、リコは知っていたらしい。
なるほどリコは無邪気に見えて利発だ。
加えて未就学児らしく好奇心旺盛だ。
そんなリコから何かを隠し通すことは不可能だろう。
リコは舞奈の肩越しに、手元のアルバムを覗きこむ。
そして手をのばしてページをめくり、
「リコはこれが、いちばんすきだ!」
目当てのページを探り当て、満面の笑みで笑った。
写っていたのは、おとぎ話に出てくるようなプリンセスの格好をしたスミスだった。
これはまた一段と酷い。
金髪のかつらの上に銀色のティアラを乗せ、ピンクのドレスを着こんでいるのだ。
プリントされた日付はずいぶん昔だ。
昔も変わらずマッチョの彼がそうする絵面は、他の写真同様ツッコミどころ満点だ。
「な! キレイだろ?」
だが満面の笑みを浮かべたリコは、そうは思わないらしい。
大好きなスミスが、綺麗なドレスを着てニッコリ笑う。
そんな写真が一番のお気に入りなのだ。
なにが「な」なのかは不明だが。
そんなリコも写真の中のスミスと同じくらい笑顔だったから、
「あ、ああ、綺麗だな」
舞奈も口元に笑みを浮かべて答える。
「リコもいつか、スミスみたいなおひめさまになれるかな?」
「……多分な」
無邪気な問いに、言葉少なく答える。
正直なところ、その口元に浮かぶのは苦笑だ。
だがリコはそんなものに気づくはずもなく、
「もういっかいでかけてくる! リコはわすれものをとりにきたんだ!」
スミスの部屋の棚を勝手に漁って目当てのものを取り出すと、
「おう! 気をつけて行って来いよ!」
「わかってるって!」
来た時と同じように慌ただしく跳び出して行った。
「ま、その純粋さを忘れなきゃ……」
いつかなれるかもな、プリンセスに。
アルバム片手に舞奈はひとりごちかけて、
「……!?」
気づいてしまった。
舞奈が幼かった頃。
リコと同じくらい純粋で、好奇心旺盛だった頃。
リコと同じように、実は舞奈もこのアルバムを見つけたことがあった。
そして、この写真も見た。
――なあカズキ、あたしもスミスみたいなお姫様になれるか?
――多分な。
先ほどのリコと同じように、3年前の舞奈はそう言った。
今の舞奈と同じように、当時の一樹も苦笑しながら答えた。
だが舞奈は、早々にプリンセスになることができた。
美佳が舞奈にピンク色の衣装を仕立ててくれたのだ。
ティアラの代わりにリボン。
ピンク色のジャケットに、赤いキュロット。
幼女の普段着にドレスは無理だから、その代わりだろう。
そう。
今の舞奈の格好は、スミスみたいなプリンセスの格好だ。
ピクシオンとして多忙な毎日を送るうちに、舞奈はすっかりそのことを忘れていた。
自分の可愛い服装は、美佳が見繕ってくれたのだと思うようになっていた。
だから2人がいなくなってからも、サイズ違いの服を買って同じ格好をしつづけた。
舞奈にとって、それは美佳が遺してくれたものだったから。
……つい先程までは。
「……………………。」
舞奈はアルバムをサイドボードに置いて、がっくりと膝をついた。
今の舞奈は、リコや昔の自分ほど純粋じゃない。
だから自分がしていた格好が、プリンセスに扮したスミスの物まねだと知ってしまえば「ええ……」と思う程度の感性は持っている。
もちろんスミスは信頼のおける好漢だ。
今も昔も、物理的に、精神的に様々なものを彼に頼ってきた。
多分これからも。
だが、それとこれとは話が別だ。
なんだか美佳への美しい想いを汚されたみたいな気がしてショックだった。
だから舞奈はサイドボードの側にうずくまって、しばらくそうしていた。
舞奈に笑われまくったスミスも、ソファでうなだれていた。
廃墟の街のそばにあるスミスの店は、雑踏の音すら届かぬ静けさだ。
だから古いレコードの『GOOD BY FRIENDS』だけが、何か大事なものを失った2人を慰めるように静かに流れる。
今日は早くアパートに帰って、仕事なんか忘れてふて寝したかった。
明日は新開発区じゅうを歩き回ってツチノコを探そうと思った。
……何というか、もう何もかもがどうでもよかった。
しばらくそうやって、2人して黄昏ていた。
それでも先に立ち直ることができるのは年の功なのか、
「……ところで志門ちゃん、またどうしてこんなことを嗅ぎまわってたのよ?」
スミスがボソリと問いかけた。
「いやな……」
舞奈はスミスに事情を話す。
別に今回の仕事に守秘義務はないし、そもそも張にも話した。
なにより隠し立てするのも面倒だった。
だから何気に話した。だが、
「その祓魔術の亜流っていうの、悪魔術なんじゃないかしら?」
「……!?」
スミスがボソリとこぼした一言で、我に返った。
その流派には聞き覚えがある。
天地に満ちる魔力を使って祓魔術を疑似的に再現する技術らしい。
「悪魔術は元素の力を加工して天使の力を疑似的に再現するの。それに付与魔法も使えるわ。しかも性別や年齢による制限の緩い――」
「――つまり、ハゲた頭に髪を生やすことも可能ってわけか」
言って舞奈はニヤリと笑う。
それならば納得がいく。
敵が天使に似たものを使役した理由も。
それらが火、水、風、土、氷、雷の6種類の力を使った理由も。
スミスには魔法の知識がある。
それは恐らく【教会】の前身であるカバラの知識だ。
だから、真っ先に彼に尋ねるべきだった。
困ったときは信頼できる識者の言葉を聞くべきだ。
それを怠るとロクなことにならない。
今回それを、改めて実感した。さらに、
「けど志門ちゃんたちの今の探し方じゃ、見つからないわよ」
「どういうことだ?」
苦笑するスミスの言葉に、思わず問う。
「その目的で儀式を執り行ったのなら、最初の施術で髪が生えてるはずなのよ」
「なんだって!?」
その答えに、舞奈は目を見開いた。
「何度も儀式を行ったのは、髪を維持するためなんじゃないかしら」
「……つまり、あたしたちが探してるハゲにはもう髪が生えてたってことか」
驚きを隠すのも忘れ、ひとりごちる。
だがすぐに、ニヤリと口元に笑みが浮かぶ。
ツチノコなんて探している場合じゃない!
なぜなら、そういう話だったら舞奈には有力な心当たりがある。
どんな仕事だって、目的が明確になると俄然やる気が出るものだ。