全裸
翌日の放課後。
「ここらへん通ると腹減るなあ」
「ふふ。マイちゃんったら、チャビーちゃんと同じこと言ってる」
舞奈は園香とチャビーと並んで商店街を歩いていた。
別に依頼をサボった訳じゃない。
今日の護衛はお休みなのだ。
梓は学校帰りに友人と買い物に行くからと、今朝方に張から連絡があった。
本来ならば、それでも陰からこっそり護衛すべきところではある。
だが、その友人のひとりは土御門鷹乃だ。
舞奈や明日香ほど場馴れしてはいないものの、彼女も腕の立つ陰陽師だ。
暴徒に対する警戒程度なら十分すぎる。
それに念のために張が占ってみたところ、張梓への襲撃は今日はないという。
「もーゾマったら! わたしはそんなに食いしん坊じゃないもん!」
「おまえの中で、あたしは食いしん坊のイメージなのか」
やれやれと肩をすくめる。
だが、ケーキショップ『シロネン』の前は、いつ通っても生クリームの甘い香りが漂ってくるのは本当だ。それに――
――退屈な日常も、ファンタジーと隣あわせ♪
――うつむいた視線上げたら、魔法の世界は、そこにあるよ♪
「わたしはこの歌だって大好きだよ!」
チャビーの台詞にちょっと驚く。
ちょうど舞奈も歌が気になっていたところだ。
「この声、ひょっとして双葉あずさの……」
「――双葉あずさの『HAPPY HAPPY FAIRY DAY』。昨年度のベストセラーよ」
明日香がうんちくを吐きながらやってきた。
つまり梓は5年生のころから年齢を偽ってアイドルをやっていたということか。
まあ、舞奈たちも小5で仕事人なのだが。
それはともかく、
舞奈は(今の、諜報部の連中みたいだったぞ)と明日香を一瞥する。
明日香も舞奈を(護衛対象の基本情報くらい知ってなさいよ)と睨む。
そんな2人の挙動に園香は首をかしげつつも、
「明日香ちゃん、ちょうどよかった。マイちゃんも、今日、時間ある?」
ニコニコ笑顔で訪ねてきた。
「何かあるのか?」
「チャビーちゃんがコンビニで買い物したいって言ってたんだけど、マイちゃんたちも一緒にどうかな?」
「買い食いか?」
「ううん。買いたい本があるんだって」
可愛らしく問いかける。
「ああ、つき合うよ」
舞奈は鼻の下をのばしながらながら二つ返事で答える。
明日香も頷く。
本来は今日も梓を護衛するはずだったのだ。他に予定などあるはずもない。
「おまえもたまには、教科書以外の文字を読むのも悪かないだろ」
「もー! マイったら」
軽口にチャビーは口をとがらせ、
「えへへ、よかった。わたしとチャビーちゃんは家に鞄を置いてから行くから、お店で待ち合わせでいい?」
「ああ、雑誌のところで待ってるよ」
「はーい」
園香は楽しげに答えて笑う。
「わたしも一旦、家で準備してから来るわ。家まで迎えに行ったほうがいい?」
明日香はチャビーにそんなことを言う。
「店で待ち合わせでいいよ。安倍さんの家からだと大回りになっちゃうもん」
「わたしは別に――」
「……あのあたりにゃ野良のシャム猫がうろうろしてるだろ。そいつで我慢しとけ」
口を挟むと、明日香はギロリと舞奈を睨む。
そうこうしつつ、皆は一旦、解散した。
……そして舞奈は、そのままの足でコンビニにやって来た。
新開発区まで帰って戻ってくるのが面倒だからだ。
暇そうな店員が「らっしゃいませー」と声かけする。
舞奈も雑に返事する。
皆が来るまで立ち読みでもして暇をつぶそうと、ふと思った。
せっかくだし、自分もたまには教科書以外の本を読んだら楽しいかもしれない。
入り口近くのガラス壁一面に設えられた雑誌コーナーを物色する。
奥まった場所に、チャビーの目当てであろう児童向け雑誌や漫画本が集まっている棚が見つかった。それはいいのだが……
「……いや、いいけどな」
隣の棚は、児童向け雑誌とは違う意味で可愛らしいピンク色だった。
成人向けコーナーである。
そいつが児童向け雑誌の隣なのは如何なものか。
苦笑しつつ、舞奈は適当な1冊を手に取ってみる。
やや舞奈の年齢からは子供っぽいその雑誌を手に取ったのは、表紙にいつか警備員室で見たテレビのマスコットが描かれていたからだ。
件の子供向け番組の子猫の歌も、雑誌に乗るくらいには人気らしい。
ぺらぺらとめくると、例の番組の特集まであった。
双葉あずさも歌のお姉さんとして載っている。
相変わらずの人気者だ。
舞奈は思わず口元を緩め――
「――成人コーナーは囲いの中だぞ。はみ出してくんな」
押し殺した声で言った。
隣で女が立ち読みしていた。
見ずとも気配でわかる。片眼鏡の山崎ハニエルだ。
例によって恥ずかしげもなく全裸である。
認識阻害の魔術【消失の衣】、光学迷彩【投影の衣】。
二段重ねの幻術により、余人には彼女は服を着ているように見えるらしい。
だが舞奈からは全裸にしか見えない。
人並み外れた直感と洞察力を持つ舞奈には認識阻害は効かない。
それに角度のせいか、光学迷彩も効果を発していない。
舞奈にとって、全裸で街を徘徊する輩は変態だ。
なので心の底から嫌そうな表情で、舞奈にしか裸に見えない痴女を睨む。
そして反対側。
そちらにも女がいた。
ほのかに甘く香る芳香は、香水か何かだろうか。
こちらは眼鏡をかけた知的な顔立ちの女性だ。だが、
「……あんたも同類だぞ」
指差して笑ってるところ悪いが。
舞奈はボソリと言い放つ。
こちらの女も全裸だった。
違いと言えば、黒いストッキングを履いているくらいか。
ハニエルの同類だろうか?
いや、そうでなければ困る。
二段重ねの魔術によって、せめて余人にだけでも服を着てるように見せかけててくれないと、一緒にいる舞奈まで変態の仲間入りだ。
「いや、そこで不思議そうな顔するのはおかしいだろ」
舞奈の台詞に、女は『ほら、全裸じゃないですよ』みたいに自身の足元を見やる。
そりゃまあ、ストッキングの分だけハニエルより露出は少ないかも知れんが。
「……服ってのは布地で、胸と尻を隠すもんだ」
舞奈は口をへの字に曲げてそう言った。
それでも女は笑う。
こいつもメンタル強いな、と舞奈は思った。悪い意味で。
「ご安心を。ハニエル同様、わたくしも認識阻害による完璧な変装で着衣しています」
「当然だ」
吐き捨てるように言って、
「けど、そいつの変装、ちょっと前に子供にばれてたぞ」
やれやれと肩をすくめる。
以前にハニエルは、何を血迷ったか『画廊・ケリー』に遊びに来た。
その際にリコが全裸を見破って大騒ぎになったのだ。
教育に悪いこと甚だしい。
するメガネは、
「おやおやハニエル殿。認識阻害を司る金星の大天使ハニエルの名を借りながら、修練が足らないのではありませんか?」
そう言ってニヤニヤ笑った。
「どんな術にも限界がある。わたしはそれを確かめただけだよ」
ハニエルは珍しく仏頂面で答える。
もうちょっと害のない確かめ方しろよと舞奈は睨む、
この2人、ライバルなのだろうか?
ちょっと明日香と鷹乃の関係を思い出す。
並ぶ者なきSランクの舞奈にとって、そんな関係が羨ましくないと言えば嘘になる。
そんなことを思った、そのとき、
「おねーさん、はだかんぼうだー」
「おしりまるだしー」
舞奈たちの背後を親子連れが通った。
無垢で可愛らしい女児たちは、明らかに2人の痴女を指さしていた。
母親は成人向けコーナーを睨んでいた。とんだ風評被害である。
「『お姉さん』ですか。穢れなき子供の瞳には真実を見る力が宿っているようですね」
「そうじゃなくて、全裸をどうにかしろよ」
舞奈はどっと脱力し、
「……で、何の用だ?」
面倒くさそうに問いかけた。
正直、用事があるのならとっとと済ませて帰ってほしい。
一緒にいるところを園香やチャビーに見られたら面倒だ。
固定概念に囚われない子供が認識阻害を見破りやすいというのなら、チャビーあたりは普通に気づきそうなものだ。
それに園香は……ひょっとしたら以前にハニエルと一緒にいるところを見られたときに、見破っていたかもしれない。そうでないかもしれない。
舞奈が全裸と一緒にいたところを、見られてなければそのままにしておきたい。
見られていたのなら、2度目は絶対に阻止しなければいけない。
「君は、魔力とはどういうものかを知っているかい?」
舞奈の内心など露知らず、問いかけてきたのはハニエルだった。
「魔法の源になる力だろ? ……火や水や風や大地に宿ってる」
知ってることなので無意識に答える。
そしてハニエルが高等魔術師――魔術師だということを思い出し、
「それから、人の意思や感情からも創りだすことができる」
付け加える。
「ああ、その通り」
ハニエルは満足げに微笑む。
魔道士が魔力を扱う手段は流派によって異なる。
呪術師は森羅万象に宿る魔力を借る。
妖術師は己が身に集積した魔力を操る。
そして魔術師は自らの手で魔力を生みだす。その材料は意思と感情だ。
「正確には、魔力の源となるのは善なる意思と正の感情さ。だから我々は人に似せてデザインした神の姿をイメージし、畏敬の念を魔力へと昇華させる」
「なるほどな」
全裸にそぐわぬ真っ当な言葉に、舞奈はうなずく。
戦闘魔術や仏術の仏、ウアブの神や、高等魔術の大天使。
それらは皆、人の形をしている。
そのほうが人間である術者にとって馴染み深く、畏敬の念を抱きやすいからだろう。
それに魔術師は皆、道を究めようと欲するストイックさを秘めている。
……舞奈の隣の痴女も、むしろストイックだからこその全裸と言えなくもない。
そんな彼女らに力を与えるのは神ではない。
神に至らんと研鑽を重ねる彼女たち自身の心なのだ。文字通り。
「実は君が手にしたその本も、要は同じことなのだよ」
「こいつがか?」
さっきまで読んでた児童向け雑誌の表紙を、思わず見やる。
そしてハニエルに目を向ける。
「ああ。人は子供を見ると正の感情を抱く。幼体を保護するための正常な心の働きだ」
全裸の言葉を聞きながら、描かれたキャラクターをじっと見つめる。
歌のお姉さんこと双葉あずさや、可愛らしい子猫、チャビーが好きなテレビ番組に出てくるアニメチックな女の子たちが、所狭しと並んでいる。
彼女らは皆、笑顔を浮かべていて、確かに見ていて好感が持てる。
「大きな瞳、丸みを帯びた体型、そういった要素を備えたものに、人は好意を抱く」
「まあな」
確かに舞奈も、このキャラクターたちは可愛らしいと思う。
誰もがそう感じるだろうと思う。
「だが、それとは逆の感情を抱く者もいる」
「逆の感情だと?」
不穏な言葉にオウム返しに舞奈は問う。
ハニエルは「ああ」と答え、言葉を続ける。
「……怪異さ」
憎々しげに、その名を語る。
「正の感情を生み出す善なるものを嫌い、美しいものを憎み、負の感情の源となる恐怖と死と腐敗を友とし、ヤニの悪臭を好む下種で不潔な存在さ」
「……なるほどな」
ハニエルの言葉に、舞奈は忌々しげに虚空を睨む。
彼女自身の言葉にも、聞き逃しようもない侮蔑の感情がこもっていた。
煙草は人を脂虫に変え、脂虫は屍虫や大屍虫へと変じて人に仇成す。
幼子と煙草。
なるほど前者は愛し慈しむべき存在で、後者は蔑み滅ぼすべき害悪だ。
「そんな奴らが司るのはマイナスの魔力。つまり魔法消去。創造の逆たる破壊の力さ」
ハニエルは言葉を続ける。
だが舞奈は首をかしげる。
「破壊の魔法なんていくらでもあるだろう? 稲妻や火の玉でだって、ものは壊せる」
「それは『稲妻』や『火球』を『創って』いるんだ。創られたものを使って何を成すかは使い手次第だ」
「……ああ、なるほど」
言って苦笑するハニエルに、舞奈はうなずく。
魔法による稲妻や火球は、いわば銃のようなものだ。
使う目的は何かを壊すためでも、それ自体は繊細な技術によって創られた道具だ。
だから使い手の意図によって、何かを守るためにも使うことができる。
「けど消去は違う」
全裸は言葉を続ける。
「これは他者を貶めようとする負の感情から生まれたマイナスの魔力を、善なる意思から生まれた魔法にぶつけて相殺する技術なんだ」
「だから反転されると術者や術具が傷つくってわけか」
「その通りだ」
ハニエルはうなずく。
舞奈は口元をへの字に曲げる。
そちらは料理に汚物をぶつけて台無しにするようなものか。
汚物を弾き返すのに使えるのは、同じくらい汚れたものだけだ。
そして、跳ね返ってきた汚物を浴びると、自分自身が汚れてダメになってしまう。
「泥人間の道士は技術によって、マイナスの魔力をかけあわせて無理やりに魔力を生み出す。だがそれは奴らの本質に反するものだ」
だから泥人間は、毒犬どもは人間を襲う。
言外にハニエルはそう言った。
脂虫は悪態とヤニの悪臭で周囲を汚す。
猫や子供や愛らしいものを嫌悪し、攻撃する。
善を憎み、人を恨み、最後には屍虫と化して襲いかかる。
魔道士は創造の魔力で付与魔法を用いる。
対して怪異はマイナスの魔力をかけあわせて無理矢理に身体を強化する。
泥人間の道士の術が人間の術より拙いのも、それが本質と相反するものだからだ。
人間と怪異は、根源から相容れないものなのだ。
奴らは正の対極である負だ。
善の対極である悪だ。
美の対極である醜だ。
命の対極である死だ。
だから善なる魔力の源たる美しいものすべてを汚し、破壊しようとする。
「……まったく、胸糞の悪い話だ」
先日の事件の顛末を思い出し、舞奈は顔をしかめる。
キムにそそのかされて闇の魔力を得ようとした滓田とその一味は、虫になっていた。
潰したら、負の魔力の産物に相応しい黒い煙になって消えた。
ハニエルたちは、奴らのすべてを知っているのだろう。舞奈と同じく。
それでも彼女は笑う。
「対して、我々魔術師は善なる意思を高めることで、より強大な魔力を生みだすことができる。他の流派の魔道士にとっても意思と感情は大きな意味を持つ」
口直しのようなその言葉に、舞奈も笑う。
人間も、動物も、善なる意思や喜びによってプラスの魔力を生み出す。
魔術師たちは、魔道士たちは、そんな愛すべき同胞をマイナスの魔力から生まれた敵から守る防波堤になり得る。
「だが、その段階で他者の力を借りようとする者たちもいる」
「他者の力?」
オウム返しに問う舞奈に、ハニエルは「ああ」とうなずく。そして、
「その先はわたしからお話ししましょう」
眼鏡の全裸が後を継いだ。
「チャムエルと申します。以後、お見知りおきを」
自己紹介に、舞奈は「ああ」と返事を返す。
「魔力の源となるのは善なる意思と正の感情」
その言葉に舞奈はうなずく。
「そして、それは美によってもたらされます」
「……そういうことか」
察しのついた舞奈は笑う。
魔術師は正の感情を魔力に変えられる。
ならば、自身のイメージへの畏敬の念に限定する必要はない。
他者の生みだしたアートへの感動を、魔力に変えることだってできるのだ。
そう考えて笑みを浮かべる舞奈を見やり、チャムエルも笑う。
眼鏡の似合う、整った顔立ちの知的な美人。
だが服装のせいですべてが台無しだ。
年の頃は大学生ほどか。
なので明らかに大人なハニエルと異なり『親が泣くぞ』という印象がぬぐえない。
そんな全裸ストッキングは何食わぬ顔で言葉を続ける。
「そして魔術結社【ミューズの探索者協会】は、音楽と芸術活動をサポートすることにより人の世を美で満たし、そこから魔力を生み出すことを目的としています」
「で、あんたは、その【協会】とやらの人間って訳か」
「はい。そして【音楽芸術保証協会】は我々の表舞台での名です」
「……なるほどな」
舞奈は再び笑う。
芸能を振興すること自体を目的とする団体。
音楽と芸術そのものを、魔力の源という利益とみなす魔道士たちの集団。
そんなものがあるのなら、好条件での契約も納得がいく。
「なら【親亜音楽著作権協会】は?」
薄々と気づきながら、答え合わせをするように問いかける。だから、
「人間に偽装した泥人間の活動母体のひとつです」
返された答えは予想通りのものだった。
マイナスの魔力、負の感情を糧とする怪異ども。
奴らにとって、プラスの魔力の源となる音楽の衰退は利益だ。
その上で人間の資産を手に入れられるのだから、これほど旨い話もない。
今回の件もそうだ。
双葉あずさの歌を独占し、そこから生まれる利益を貪るために、奴らは泥人間らしい手段を使った。
脅迫は、人間に偽装した泥人間から一般の人間へのアプローチとしては典型的だ。
そして奴らにとって、一番の目的は双葉あずさの歌を自らの利権と化すことだ。
ならば二番目の目的は、正の感情を生み出す双葉あずさがいなくなることだ。
だから梓への襲撃は必ず実行される。
美を愛する者たちによって、もっとも痛手となる形で。
相手の背後に怪異がついているのなら、舞奈と明日香が揃っていてすら油断することはできない。
そして、気づいた。
今日の梓は友人と買い物だ。
舞奈と明日香は別の場所にいる。
学校の警備員も、張邸の魔法的なセキュリティも期待できない。
それは襲撃者に対しては絶好のチャンスなのではないか?
襲撃はないと言った張の占術に、対抗策は本当に無いのだろうか?
そう思った途端、携帯に着信があった。
園香かと思ってとったら明日香だった。
『舞奈! 今、どこ!?』
「……? 商店街の本屋だが」
『丁度良いわ! 今すぐ公園に向かって』
「何だよ急に」
『梓さんたちが襲撃を受けてるみたい』
その言葉に舌打ちする。
「占術の結果がそう出たってオチじゃないよな?」
『偵察用の式神に尾行させてたのよ』
なるほど明日香は、今しがた舞奈が聞いた事情のすべてを知っていた。
だから襲撃を警戒し、周到に準備をしていた。
無論、鷹乃だって陰陽師だ。
舞奈と明日香が駆けつけるまで凌ぐくらいはしてくれるはずだ。だから、
「……了解した! すぐ行く!」
舞奈は携帯を切って走りだそうとする。
「お待ちください」
「すまん、後にしてくれ」
「そういう事情でしたら送りますよ。ハニエルは他者の治療中のため戦闘に参加できませんがわたしは別です。それに長距離転移はわたしのほうが得意なのですよ」
そう言ってチャムエルは知的な、それでいて不敵な笑みを浮かべる。
彼女が属する【協会】は、音楽と芸術の担い手を守るための組織だと聞いた。
その理念を、彼女自身が体現しようとしているらしい。だから、
「すまん、頼む」
舞奈もニヤリと笑った。
ハニエルは認識阻害の出力を上げ、舞奈たちの姿そのものを店の客から隠す。
その側で、チャムエルは小さく呪文を唱える。
奉ずるはサンダルフォン。
重力操作の応用による空間湾曲を司る、天界の幽閉所の支配者。
それが【転移門】の魔術だと気づいた瞬間、舞奈の視界が暗転した。