作戦2
そして翌日の放課後。
「実は折り入って相談したいことが」
「うんうん、なんでも言ってみて」
昨日と同じく送っていった梓の家で、明日香は梓に詰め寄った。
にこやかに答える梓を前に、聞き耳を立てられまいと周囲を警戒し、
「その、歌唱力に関するアドバイスを……」
珍しく歯切れ悪く、そう言った。
「そいつは名案だ」
舞奈もやれやれと苦笑しながら同意する。
「歌が上手になりたいんだ」
「いえ、上手とまでは望まなくとも人並みに……歌で人を害さない程度に……」
「あはは、明日香ちゃんったら謙遜だー。そんなにきれいな声なのに」
ニッコリ笑ってそう言った。
明日香の歌の酷さは半端ない。
あの拷問のような音楽の時間が、現役アイドルの指導で変わるのなら願ってもない。
なんせ音楽の時間ごとに地獄の責め苦を味わっているのだ。
だが5年生の特定クラスの授業風景など知らぬ梓は、
「じゃあ、わたしがコーチしてあげるから歌ってみて」
にこやかな笑顔のまま、そう言った。
「何を言いだすんだ梓さん!?」
「いえ、歌うのはちょっと……」
舞奈は顔面蒼白、明日香も遠慮がちに辞退する。
でもまあ普通に考えれば、梓は普通のことを言っている。なので、
「歌うの駄目なの? どうして?」
「いえその……」
「防衛上の観点から……?」
訝しむ梓に、舞奈と明日香はごにょごにょと言い訳する。
2人は張からの依頼により梓を護衛しているのだ。
大事な護衛対象に、あんなものを聞かせたら依頼失敗じゃ済まない。
だいたい梓はアイドルだ。
今後の活動に支障が出たら一大事である。
なので教えを乞うのは構わんが、美声を披露するなどという凶行に走らないよう、できれば絵を描くのも避けてくれと明日香に何度も言って聞かせ、梓にも了承を得、不満げな明日香と不審そうな梓を残して張邸を後にした。
逃げたわけではない。
舞奈には行くところがあるのだ。
それは【機関】支部だった。
「あら~、舞奈ちゃんこんにちは~」
「ちーっす」
小柄で巨乳な受付嬢に、にこやかに挨拶する。
そして嬢の胸の谷間を眺めながら、
「……お。こんな所にも貼ってあるのか」
ふと受付の奥の、掲示板に貼られたポスターに気づく。
それは双葉あずさのポスターだった。
「舞奈ちゃんもファンなんだ~」
「まあな」
適当な相槌をうったつもりが、自然に笑みがこぼれた。
別に護衛していることを触れ回る必要もないだろうと思った。
それに……ファンだというのも嘘ではない。
少なくとも彼女の歌を聞いてからはそうだ。
「そうそう、知ってるぅ~?」
「ん?」
「あずさちゃんって、張さんの娘さんなのよ~」
「……らしいな」
嬢の言葉に動揺を隠せず、目を見開いたまま声色だけは何食わぬ調子で答える。
双葉あずさが梓だということ。
梓が張の娘だということ。
それを唐突に彼女から聞かされたのが意外だった。
秘密なんじゃなかったのか?
「あんた、張と知り合いだったのか」
「そりゃ張さん、昔は執行人だったんだものぉ~」
「そういや、そんなことを言ってたなあ」
言いつつ嬢を見やる。
支部にはたくさんの執行人がいる。
その中で彼女が張の家族を知っているということは、知人だったのだろうか?
彼女の過去を、舞奈は張のそれと同じくらい知らない。
支部に来るたびに顔を合わせているのに。
だが、世の中には詮索するべきじゃないことがある。
禿げて肥え太った張と彼女は、同期かもしれないが同年代とは限らない。
そう思って話を切り上げようとした舞奈だが、
「そもそも、張さんが仕事を辞めたのはあずさちゃんを~」
「――どういうことだ?」
嬢の言葉に、思わず舞奈は問い返す。だが、
「ごめ~ん何でもないの~」
嬢ははっと我に返った様子で誤魔化した。
「おいおい、言いかけたなら最後まで教えてくれよ……」
舞奈は口をへの字に曲げて嬢を見やる。
だが化粧と愛嬌でいろいろ隠した嬢は、笑顔で舞奈を見返すのみ。
仕方ないので舞奈はやれやれと肩をすくめ、
「ソォナムちゃんはいるかい?」
「諜報部の事務所か~、ん~~執務室にいるんじゃないかなぁ~?」
「フィクサーの部屋に?」
首をかしげる。
何か新しい厄介事でも起きたのだろうか?
滓田の一件が片付いて暇になったと思ったから野暮用を頼みに来たのに。
無駄足どころか余計な仕事を抱える羽目にならなきゃいいが。
「舞奈ちゃんが想像してるようなことじゃないと思うよ~」
「へいへい、とにかく行ってみるよ」
これ以上ここで嬢と話していても、らちが明かないのは確かだ。
舞奈はのろのろと、とりあえず執務室に向かって歩き始めた。
ビルの端にある諜報部の事務所より、こっちのほうがちょっと近い。
「やあ、舞奈ちゃん」
「おっちゃん、こんちはー」
頭頂が寂しい警備員に挨拶を返す。
「今日は明日香ちゃんは一緒じゃないのかい?」
「別に、いつもセットで行動してるわけじゃないよ」
問いかけに、ぶっきらぼうに答える。
「ははは、そりゃ残念だなあ明日香ちゃん。執務室でいいものが見られたのに」
「いいものだと?」
人のよさそうな警備員の言葉に問いを返す。だが、
「ははは、舞奈ちゃんも行ってみるといいよ」
おっちゃんはそう言い残し、にこやかに去って行った。
「……まあ、これから行くところなんだが」
首をかしげつつ、舞奈は階段を上る。
そして打ちっぱなしコンクリートの廊下を歩き、
「フィクサー、入るぞ?」
相も変わらず立てつけの悪い鉄製のドアを開け、
「……!?」
何かが一斉に舞奈を見た。
部屋にはボールくらいの大きさの毛玉が大量に散乱していた。
……否。よく見ると猫だ。
執務机の上に猫。
キャビネットの上に猫。
床にも猫。
棚に詰まった猫。
打ちっぱなしコンクリートの室内に申し訳程度の調度品が並べられた執務室の、いたるところに猫まんじゅうが鎮座していた。
そいつらが一斉にこっちを見たのだ。
流石の舞奈もちょっとビックリした。
一方、猫は舞奈を一瞥すると何事もなかったように昼寝(?)に戻った。
窓も開けっぱなしだが、外に逃げる様子もない。
というか猫たちは微妙だにしない。
よほど人に慣れているか、あるいは図々しいのか。
まあ明日香が見たら喜んだのは確かだ。
舞奈の位置からは後ろ向きになったソファの、背もたれの上にも猫。
その横に、ひょっこり跳び出ているのは三つ編みおさげの片割れ。
位置からすると、座っているのは小学生くらいの背丈の何者か。
これは一体どういうことかと訝しんでいると、
「舞奈さん。こちらに見えられてたんですね」
後ろから声をかけられた。
快活な声色は中川ソォナムだ。
「舞奈さんが来られたと虫の知らがあって、玄関まで迎えにあがったんですよ」
「……用があったら出向くから、あんたはどっしり座っててくれ」
苦笑する。
下手をすれば互いに互いを探して歩き回っていたところだ。
「ところで今日は何用で?」
「本題の前に、あれが何だか教えてもらって構わないか?」
部屋にひしめく猫たちを見やって言った。
そしてソォナムに振り返り、
「……あんたのそれもな」
彼女が手にした大皿を一瞥する。
なんか磯臭いと思ったら、皿には新鮮な生イワシがたっぷり盛られていた。
「ふふふ」
ソォナムはにこやかな笑みを浮かべ、
「この前の作戦で、我が支部のSランクが猫たちに協力をあおいで、千佳さんの捜索を手伝ってもらっていたのですよ」
「その報酬がそいつってわけか? 猫だけに」
「はい。彼女はいつも猫さんたちと、生イワシと術者本人によるグルーミングを条件として契約を交わすようです。今はその履行の最中ですね」
「そりゃ、ご苦労なことだ」
舞奈は笑う。
先日の作戦において、商業地区に逃げこんだ滓田一味は奈良坂が足止めし、テックの誘導によって鷹乃が、そしてハニエルが駆けつけ、【機関】攻撃部隊が全滅させた。
チャビーを連れて転移したキムは、別の何者かに導かれた桂木姉妹が倒した。
新開発区で復活した一味は【組合】との契約により舞奈たちが片づけた。
だからSランク抜きでも、チャビーを救いだして滓田一味を屠ることは可能だった。
だが、その場合、テックが、【機関】が、【組合】が少しでも判断を誤れば状況は違ったものになっていただろう。敵は占術の裏をかく程度には情報戦に精通していた。
逆に誤情報を恐れて攻撃部隊を分散させていたら、個別撃破されていた。
そのジレンマを解消したのがSランクだ。
なにせ街中の猫が滓田の一味を見張るのだ。
奴らが如何にこちらの裏をかいても、逃げ切ることなどできなかっただろう。
子猫の警備員によって学校への侵入が困難になったのと同じ理屈だ。
そして猫が滓田を見つけたならSランクが転移で駆けつけ、追っ手を欺いたつもりの奴らを如何様にでも片づけてチャビーを救ったはずだ。
そんなバックアップがあってこその、皆の勝利だ。
少なくとも舞奈は、そう思った。だから、
「あたしも何か手伝うよ」
笑顔で申し出た。
「では、このイワシを猫さんたちに差し上げるまで待ってもらってもいいですか?」
「そりゃ構わんが……!?」
大皿を受け取り言われるがまま部屋の中を見やると、
「……!?」
部屋中の猫たちが一心にイワシの皿を見やっていた。
よほどイワシが食べたかったのだろう。
無数の双眸の静かな、だが狂おしげに切望する熱い視線に、思わず肝を冷やす。
目をそらすとイワシと一緒に喰われそうな気がした。
明日香を連れてこなくて本当に残念だと、舞奈は思った。
そうしたら、彼女の視線が子猫からどんなふうに見えているか理解させられたのに。
「猫さんたちのイワシを持って来ましたよ」
おののく舞奈をよそに、ソォナムが部屋の中に呼びかける。すると、
「……あ、ありがとうございます」
蚊の鳴くような声に続いて、
「うわっ!?」
部屋じゅうから小皿が飛んで来た。
何かの食べかすを乗せた幾つもの空皿はソォナムの前に礼儀正しく整列する。
次いで舞奈の目前で、ソォナムが持った大皿に盛られたイワシが宙を舞う。
イワシは小皿に綺麗に取り分けられる。
そしてイワシを乗せた小皿は、再び部屋に中に飛び去った。
「【妖精の召使】。世界を構成する微細な魔力を操り、空間そのものを鳴動させて物品を動かすケルト呪術なのだそうです」
「横着なんだか、すごいんだか」
ソォナムの説明を、聞いた舞奈は苦笑する。
大気を操る類似の術を、小夜子やベティが使うのを見たことがある。
だが、目前で行使されたそれは、舞奈が知る術よりはるかに器用でスムーズだ。
そういえば彼女と同じケルトの魔法を操るエンペラーも、フェアリ女王も、こうやって何かと手を触れずにものを動かしていた気がする。
おそらく他の流派では一般的ではない、この術が一種のステータスだったのだろう。
部屋の各々の場所に着地した皿に、飢えた猫たちが殺到する。
先程までは毛玉だったのに、今やまるでピラニアだ。
大皿をそのまま置かないのは、部屋中の猫たちが折り重なると危険だからか。
猫たちは部屋でイワシを食べながらグルーミングの順番待ちをしているらしい。
舞奈もそんなニートのような生活ができたら気楽でいいだろうなと苦笑する。
ふとスニーカーをカリカリ引っかく感触。
しゃがんで見やると、手足の短いマンチカンの猫がいた。
見知った顔だ。
以前にフィクサーと話していたときに、窓から入ってきた猫である。
舞奈は先程くすねておいたイワシを1匹、尾をつまんだまま猫に差し出す。
足元に猫が1匹いるのを察し、皿が飛び去る一瞬の隙に拝借したのだ。
その程度の芸当は舞奈には容易い。
猫は「ニャァー」とひと鳴きし、美味しそうにイワシを貪る。
イワシを手にして舞奈は笑う。
チャビーやえり子が子猫を飼いたがった理由が、ちょっとわかる気がした。
そんな舞奈を見やってソォナムも笑う。
猫はイワシを平らげる。
舞奈は一挙動で立ち上がり、ソォナムが差し出してくれたハンカチで手を拭く。
彼女はSランクを手伝い、猫ニートどもにイワシを運んでいるのだろう。
いかにも善良な彼女らしい。
あるいは暇なのだろうか?
なら舞奈としては好都合だ。
「台車で運んだら駄目なのか?」
「一度にあまり大量の餌を近づけると、一斉に跳びかかってきそうなので」
「……それは預言なのか?」
珍しく困り顔のソォナムに背を向け、舞奈は歩き出す。
「2人で持てるぶんなら大丈夫だろう。手伝うよ」
「ありがとうございます」
ソォナムもドアを閉めて、空の大皿を手に舞奈と並ぶ。
そして2人は打ちっぱなしコンクリートの廊下を歩く。
「……あんた、【親亜音楽著作権協会】って奴らのことを知ってるか?」
世話話のように何食わぬ口調で、本題を切り出す。
双葉あずさを狙う輩について占術士の意見を仰ぐのが、舞奈がここに来た目的だ。
「はい。芸術の担い手たちから非道な搾取を繰り返す悪逆な輩だとか」
「ひゅー! あんたも言うねぇ」
ソォナムの答えに、舞奈は笑う。
「そいつらが、この近くで活動してるアイドルに悪さする計画を立ててるらしい。それについて、何か情報を知りたい」
「かしこまりました。数日お時間を頂ければ、略式ですが占っておきましょう」
「すまん、恩に着るよ」
「いえいえ、お互い様ですから」
ソォナムもニコニコと笑みを浮かべて歩く。
その横顔を見やりながら、舞奈はふと思い出した。
「あと、ついででいいんだが」
「何でしょう?」
「【音楽芸術保証協会】って奴らについても、何かしでかす予定があるなら知りたい」
何気なく言ってみる。
ソォナムは、驚いた様子で舞奈を見やった。
だが、すぐに元の笑顔を取り繕い、そのまま少し考えを巡らせる間の後、
「……はい。そちらについても善処しておきましょう」
普段通りのにこやかな口調で答えた。