赦し
――悪臭と犯罪をまき散らす喫煙者は人ではなく、脂虫と呼ばれる怪異である。
――だから執行人は、仕事人は奴らを狩り立て、屠ってきた。
――邪悪な怪異の魔の手から、罪なき人々を守るために。
「避けろ明日香!」
叫ぶ舞奈の目前で、滓田妖一が放った火球が明日香を襲う。
そして避ける間もなく直撃し、爆発した。
――舞奈の脳裏に過去がよぎる。
――昔の仲間をなくした舞奈にとって、明日香は無二のパートナーだった。
焼け焦げた4枚のドッグタグが床を転がる。
つい数秒前まで明日香が立っていた焼け焦げた床の上には、他に何もなかった。
――明日香とともに幾度も修羅場を潜り抜けた。
――2人でピンチを凌ぎ、彼女の無事な姿に胸をなでおろしたことも何度もあった。
滓田は火球を放った体勢のまま、会心の笑みを浮かべる。
少し離れた別の場所で、巨漢も嗜虐的に笑う。
――だが、彼女が敵じゃなくて良かったと本気で思ったのは今日が初めてだ。
なぜなら次の瞬間、滓田妖一はひねり潰された。
何の前触れもなく壁に激突し、そのまま壁と一緒にえぐれ、ひしゃげて潰れた。
悲鳴はなかった。
反応する暇すらなかった。
舞奈だけが鋭敏な動体視力によって、完全体になった奴を見た。
だが、それも一瞬だった。
直後に塵にまで粉砕され、飛び散った。
そうやって、かつて滓田妖一だった何かは理不尽なほどあっけなく消えた。
衝撃の余波で壁の一角が天井ごと吹き飛んだ。
「父……上……? 父上!?」
父親の信じられないような末路を、遺された巨漢が呆然と見やる。
赤黒い夕日が、先ほどまで滓田妖一が居た場所を照らしていた。
その側に幾つかの像が出現し、集まって少女の形を成す。
それは自身の身長より長い対物ライフルを無理やりに構えた明日香だった。
かつて悟との決戦で使った【反応的移動】。
4枚のルーンを使って攻撃を自動的に回避する防御魔法。
それによって、彼女は滓田妖一が放った火球を凌いだ。
光学迷彩の魔術【迷彩】。
認識阻害の【隠形】。
楓が得意としていた二段構えの隠形術。
これまでは戦闘中に多用しなかったそれを駆使し、滓田妖一に肉薄した。
そしてマンティコアとの決戦で用いた【力弾】。
銃弾を斥力場で包んで強化する魔術。
スナイパーライフルによる狙撃に使ってすら強大な威力を持つその魔術を、至近距離で、あろうことか対物ライフルを使ってかけたのだ。
その破壊力たるや、正に力による蹂躙。
「……やりやがったな」
舞奈は笑う。
明日香にとって舞奈も、おそらく無二のパートナーだ。
少なくとも今は。
だから最強と並び立つべく、明日香は常に己が魔術を、戦術を鍛え続ける。
「まさか、その力は……」
明日香を見やる巨漢の瞳に驚愕と、そして羨望の光が宿る。
「よこせ! その力を! 俺様によこせぇぇぇぇ!!」
兄弟が落とした日本刀を拾いつつ、雄叫びをあげて明日香めがけて走りだす。
明日香は斥力場の術による疲労で反応できない。
だから舞奈は撃ち尽くした拳銃をホルスターに収めつつ走る。
明日香を背にし、巨漢の前に立ちふさがる。
「邪魔だ! どけ!」
巨漢は日本刀を振り上げながら叫ぶ。
鋭い切っ先が、血のような夕日の色に光る。
だが舞奈は笑う。
丸腰のまま。
「なら貴様から……!!」
巨漢は目標を舞奈へと変える。
背後の明日香が驚愕に目を見開く。
そして強化された筋力と体重の乗った一撃が、舞奈めがけて振り下ろされる。だが、
「な……に……?」
次の瞬間、舞奈は日本刀を左手で受け止めていた。
巨漢は驚愕に目を見開く。
舞奈は笑う。
巨漢の重い一撃を、ワイヤーショットの取っ手で防いだのだ。
特殊鋼の金具は鋭利な日本刀すら凌ぐ。
極限まで鍛え抜かれた舞奈の肉体が、その硬さを無欠の盾へと変える。
舞奈は素早く拳銃を抜く。
刀を振り下ろしきって上体をかがめた巨漢の、無防備な顔面に銃口を突きつける。
撃つ。
至近距離から大口径弾をぶち込まれた厳つい顔が、果物みたいに四散する。
彼との最初の対決は、陽介の前で彼を叩きのめして幕引きした。
2度目の対決は、執行人から異能を奪った彼を取り逃がした。
3度目は、小夜子に狙撃で片づけてもらった。
そして今、最後の対決は皆の力を借りて勝利したのだと思う。
彼をここまで追い詰めてくれた【機関】の、【組合】の皆、ワイヤーショットを設えてくれたスミス、そして――
「――兵站!」
明日香の魔術語に応じるように、拳銃の内側から風が吹いた。
同時に巨漢は光に包まれ、完全体へと転化する。
釣鐘状ののっぺらぼうめがけて、そのまま撃つ。
斥力場の凄まじい衝撃が、撃たれた完全体と撃った舞奈の双方を揺るがす。
滓田妖一を屠ったのと同じ【力弾】。
明日香はその魔術を、術後の疲労をおして無理やりに再行使したのだ。
最後の力を舞奈の拳銃に託すために。
だから舞奈は衝撃と反動を両手で無理やりに抑え、ありったけの弾丸をぶちまける。
引鉄を引く。
明日香の魔力がこめられた銃弾を、余すところなく、あるべき場所へ送り届ける。
これまで数多の難敵を屠ってきたのと同じように。
そして幾つもの力場の弾丸が織りなす力の嵐が、銀色をした無敵の肉体を蹂躙する。
至近距離から斥力場の弾丸を連続で撃ちこまれた眼鼻のない顔面が、ひび割れる。
そして砕ける。
首を失った胴体も軽石のように粉々に砕ける。
そうやって、最後の完全体は塵になって消えた。
その様を見やりながら、舞奈は笑う。
疲労から回復した明日香が隣に並ぶ。
「あと2回は回避できたのよ。前に話したでしょ?」
「奥の手なんだろ? 何度も使わせてたまるか」
軽口を叩き、「それに」と続ける。
「まだ終わりじゃないんだ」
「……そうね」
明日香はクロークの内側から短機関銃を取り出す。
舞奈は撃ち尽くした拳銃を仕舞い、代わりに健康体操に使っていた予備を抜く。
そして隣の部屋へ続くドアを蹴破る。
そこには無数の泥人間が群れ成していた。
先ほどの結界で倒しそこなった奴らは、ここに逃げこんだのだろう。
加えて結界での戦闘に出てこなかった奴もいる。
おそらく、ここ数日で新開発区に増殖していた泥人間どもの本当の目的地はここだ。
明日香は短機関銃を乱射する。
舞奈も手榴弾を喰らわせ、拳銃を撃ちまくる。
撃ち尽くした後は銃底で頭をカチ割り、明日香の【鎖雷】で薙ぎ払う。
そうやって泥人間たちが全滅すると、がらんと広い廃ビルの一室は静かになった。
明日香は魔力を感知すべく集中する。
正確には、魔力が不自然に低い場所を探すらしい。
しばし舞奈が崩れかけた天井の隙間から新開発区の空を見ていると、
「……こっちよ」
明日香は言って、部屋の奥に向かって歩き出した。
舞奈も続く。
そして立ち止まったのは、部屋と同じ朽ちたコンクリートでできた祭壇の前だった。
その上には、こちらも年代を重ねた陶器の壺が鎮座していた。
舞奈は銃底で殴って壺の上半分を叩き割る。
そして、その中身を見やり……
「……なるほどな」
口元を歪める。
壺の中には、1匹の虫がいた。
気味の悪いヤニ色をした芋虫だ。
だが虫の頭があるべき場所についているのは、見覚えのある滓田妖一の顔だ。
「志門……舞奈……ようやく……来てくれたのか……」
滓田は舞奈を見上げ、ひとりごちるように言った。
やつれて疲れ果てたその様子は、数十年の齢を経た老人のようだった。
「1年前、力を手に入れるところだったあんたを、あたしは撃った。覚えてるか?」
「そうか……1年……あれから……まだ1年しか経っていないのか……」
泣くことも怒ることもなく、廃墟の街に吹く風のように淡々と語る。
まるで齢により感情が朽ち果ててしまったように。
「あれから何があった?」
舞奈も感情を押し殺した声で尋ねる。
張からも聞いていたが、彼の口から聞きたかった。
そうしないと、たぶんこれが真実だと納得できない気がした。
「ああ……君に倒され死を覚悟した後……私は意識があることに気づいた……歓喜したよ……命があれば……再び力を得る機会もある……そう思った……」
「けど、そうじゃなかった」
「その通りだ……」
小さな虫になり果てた滓田は語る。
その後にしばし沈黙があった。
それが人ならば、頬を涙がつたったのだろう。
だが虫は涙を流すようにできていない。
人の魂を閉じこめておくためだけに設えた、他には何もない仮初の身体の中で、魂はすり減って朽ちていくしかない。
「それからずっと……私はこの暗い小さな場所にいる……出る術はなかった……」
そりゃそうだろう。手も足もないんだからな。
どうしようもない感情を誤魔化すために軽口を叩きたい衝動を、抑える。
この状況の、滓田妖一の、何もかもが気に入らなかった。
「キムのあの儀式は……私たちをこの姿に変えるためのものだったのだ……私たちがあのときに得た力すら……副産物に過ぎなかったのだよ……」
滓田の顔をした不快な虫は、滓田の不快な声で語る。
舞奈は無言で先をうながす。
「そして泥人間たちが魔法を使って……私の姿と知識……異能を奪っていった……」
「そうやって奴らは表の顔を手に入れて、人間に成りすましてたって訳だ。糞ったれ」
舞奈は口元を歪める。
「三尸……」
明日香がひとりごちる。
人が変異した人型の怪異である脂虫や屍虫が、何故『虫』と呼ばれるのか。
その理由がこれだ。
煙草を吸い続けることで人の魂は肉体と離れ、三尸と呼ばれる虫になって腹に住む。
その状態が脂虫だ。
魂と肉体が離れてるから心を持たず、欲望のまま悪臭と犯罪をまき散らす。
ゾンビのようなものだ。
だから人の形をしているが人間とは見なされない。
だから、ある種の術の対象になる。
そのひとつが、三尸を肉体と完全に分離し、魔法的な記録媒体に変える術だ。
虫の形をしたそれには、生前の容姿と人格が情報として記録されている。
そして別途、三尸から容姿と人格をコピーして故人に成りすます術がある。
奴らはそうやって、偽りの顔と身分を得て人間社会に潜伏する。
政治や経済に関わる者もいる。
以前に議員に偽装した泥人間の道士も、そうだった。
奴は舞奈たちが倒したが、『表の顔』は別の泥人間が奪った。
泥人間が人間社会に潜伏するための偽物の顔は、こうして受け継がれていたのだ。
だから、暗殺を仕掛けても意味がなかった。今までは。
「彼らが死ぬと……彼らの魔力と……外で得た知識が……流れ込んでくるのだよ……」
淡々と苦悩を訴えるように滓田は語る。
「彼らが私の顔を使ってしたことに……私は打ちのめされた……そして……それが私の中の魔力を……次の泥人間が得る魔力を……増幅させる……奴らの魔力は……人の苦しみから……造られるものだから……」
「人間の顔と魔力のATMにされちまったって訳か」
「この小さな暗い場所で……自分自身しか知らぬはずのものを何もかも奪われ……共有され……書き換えられていく……その気持ちが……わかるかね……?」
「わからねぇよ」
凄惨な事実を淡々と語る滓田の言葉に、舞奈は忌々しげに口元を歪める。
今まで【機関】が脂虫に対してしてきたことを、舞奈は罰だと思っていた。
喫煙により人であることをやめた邪悪な怪異に、犯した罪を自身の命で償わせる。
呪術の触媒として。
あるいは奴らに苦しめられ、様々なものを奪われた犠牲者への手向けとして。
そう思っていた。
だが違った。
彼らのうち何匹かは泥人間に見染められ、三尸と化し、明けることのない暗闇の中で文字通りすべてを奪われ続けながら、苦痛だけを友に永遠の時を過ごすことになる。
その恐ろしい永遠に比べれば、四肢をもがれ惨たらしく訪れる死は救済だ。
執行人たちが奴らへ与えていたの罰ではなく、慈悲だった。
その事実が一般の魔道士に対してすら伏せられている理由も明確だ。
人間が喫煙によって脂虫に、屍虫に変わるという事実すら吐き気を催すのだ。
それが泥人間の表の顔に成り得るだなんて事実が公になったら、パニックだ。
その事実が、舞奈は気に入らなかった。耐えがたいほど。
彼がおかれた状況が悲惨だから嫌なのではない。
彼が憎いから嫌なのではない。
どちらでもなく、そして両方だった。
「君たちには……彼らには……本当にすまないことをしたと思っている……私のしたことを無にできるとしたら……喜んでそうするだろう……」
「……何を今さら」
邪悪で哀れな罪人の言葉に、吐き捨てるように答える。
だが彼の言葉は本当だと思った。
彼は音も光もない壺の中で、富も権力も、得たはずの異能もすべてを奪われ続けた。
彼にはもう何もなかった。
向き合えるものは、向き合わなければならない唯一のものは、それまで自分自身が成し遂げてきたことだけだ。
それは彼にとって、自身が犯した罪だった。
彼には罪しかなかった。
チャビーや小夜子が喪失から立ち直っていった1年間――彼にとっては永遠に等しい1年の間、彼は自身の罪だけを見つめ続けたのだ。
だがそれで、彼を許そうと思えるほど舞奈が失ったものも軽くない。
けれど、この上さらに彼を断罪したいと願うのも、何か違う気がした。
「私にその資格すらないことはわかっている……だが……」
滓田は朽ちかけた声で嘆願する。
「お願いだ……わたしを……殺してくれ……」
「……あんたの頼みなんか聞きたくないよ」
低い声で静かに答える。
そうしながら虫を見下ろす。
舞奈は自分がどうしたいのか、どうするのが正しいのかわからなかった。だから、
「……けど張から依頼を受けたんだ。糞ったれの脂虫に、二度と蘇らないよう止めを刺してくれってな」
吐き捨てるように言った。
それが張を通じて【組合】から受けた依頼の全容だ。
滓田妖一とその一味の、完全な排除。
そして結局、舞奈は1年前と同じように建前で何かをはぐらかした。
だが虫は、そんな舞奈を眩しそうに見つめた。
太陽を見上げるように。
「ありがとう……君は立派な若者だ……私も君のように……気高く生きられたら……」
「勝手なこと言いやがって」
口元を歪める。
おそらくこれが、結界の中で泥人間の滓田が舞奈に戦う理由を問うた理由だ。
舞奈と再び敵対したことで、彼は死期を悟った。
そして最後に、順風満帆に地位と権力を手に入れたはずの生涯で自身が得られなかったものが何だったのかを知りたかった。
舞奈がそれを持っていると思った。
だが舞奈は何も失わない生き方をしたかった。
別の生き方を無制限に選べるとしたら、迷わずそうするだろう。
けど、その代償が他者の痛みを知らない彼のような大人になることだとわかっていたとしたら、それでも同じ選択をするだろうか……?
自分がどうしたいのか、どうするのが正しいのかわからない。
だから術で片づけようと印を組む明日香を制し、拳銃をホルスターに収め、ワイヤーショットをはめていない右手で虫をつまみあげる。
ぶよぶよとした感触が、例えようもなく気持ち悪かった。
軽くつまんだだけなのに、焦げた糞尿のような煙草の悪臭が周囲に立ちこめる。
それをコンクリートの床に放り落とす。
べちゃりと気味悪い音がした。
虫の上にかかとを乗せ、体重をかける。
かつて脂虫で、その前は人間だった不気味な虫は無意識の反応で身をこわばらせる。
だがすぐに観念したか、力が抜ける。
舞奈はさらに力を入れ、体重をかける。
ぶよぶよとした物質そのものが持つ微かな抵抗と共に、滓田妖一だった虫は潰れた。
そして小夜子が贄をあげるときのような黒い煙になって、消えた。
気分は最悪だった。
ひとしきり虚空を睨みつけてから、舞奈は携帯を取り出してかける。
「張か。……例の状態になった滓田妖一を殺った」
『こちらでも確認したアルよ』
いつもの仕事のように何食わぬ顔で報告し、張もいつもと同じ口調で答える。
「……けど、これで全部、終わったんだよな」
口元を笑みの形に歪める。
少なくとも、これでもうチャビーが狙われることもない。
舞奈のしたことは、少なくともひとつの善に結びついている。
それで十分だ。
張は沈黙でそれを肯定する。
だが代わりに、ちょっと嫌な事実を告げた。
『そうアル。残りの5匹も片づけたら終わりアル』
「……全員分あるのか」
『そうアルよ』
まあ、そうだろう。
滓田は滓田の虫になったのだから、他の息子たちもそれぞれの虫になったと考えるのは妥当なことだ。
『同じ部屋にあるはずだから、よろしくアルよ』
「……へいへい」
気楽に言ってくれた張に嫌そうに返し、口をへの字に曲げる。
いつもの彼とのやりとりのように。
その軽薄な言動こそが、このままならぬ世界で舞奈が舞奈自身であるための秘訣だ。
『そうアル。それが終わったらご馳走をおごるアルよ』
舞奈の内心を知ってか知らずか、張は朗らかな口調でそんなことを言った。
「……いや、飯は次の機会にしてくれ」
舞奈は苦笑しつつ電話を切る。
そして、やれやれとため息をついた。
事実は事実として納得するし、報酬はもらったのだから完遂はする。
それが舞奈の仕事だからだ。
だが不快だという事実もまた変わらない。
「ベティを連れてこればよかったわね」
肩をすくめて明日香が言った。
「ヴードゥーにそんな術あったか?」
「……虫型の怪異を潰すのが好きなのよ」
「そいつは結構なご趣味なことで」
舞奈はやれやれと肩をすくめる。
そして、崩れかけたビルの隙間から差しこむ夕日が部屋をまだらに照らす中、2人は嫌そうな顔をしながらも手分けして残りの三尸を探しはじめた。
同じ頃、伊或町の一角にある安アパートの一室をフィクサーが訪れた。
背にはエリコ。
攻撃部隊が撤収した後、緊張の糸が途切れて眠ってしまったのだ。
彼女は有能な祓魔師だが、それでも小3の幼い少女だ。
チャイムに答えて用心深くドアを開けたのは、エリコの母親だ。
母親は、残業続きの自分より遅く帰宅した娘の満ち足りた寝顔を見やって安堵する。
そして我が子を宝物のように抱きしめる母親に一礼し、フィクサーは言った。
彼女が目を覚ましたら、労ってあげてくださいと。
同じように、日比野邸には桂木姉妹が訪れた。
紅葉に抱えられた愛娘に、跳び出してきた母親と父親が駆け寄る。
そして母の胸の中で、チャビーはむにゃむにゃと目を覚ました。
その足元に跳び下りたネコポチが、楽しげに「にゃぁ~」と鳴いた。
その報は、自宅で友人の身を案じていた園香の元にも届けられた。
電話を受けた母親の声に、園香は顔をほころばせて部屋を跳び出す。
主が去った園香の部屋を、窓から差しこむ星明かりが照らす。
祝福するような満天の星空を、新開発区の方向から一筋の光が横切った。
それは一見して雲に見え、角度によっては龍にも見えた。
――悪臭と犯罪をまき散らす喫煙者は人ではなく、脂虫と呼ばれる怪異である。
――だから舞奈と明日香は彼らを狩り立て、屠ってゆく。
――生きた呪物と化して奪われ続ける悪夢から、邪悪で愚かな彼ら自身を救うため。