占術
朝から泥人間の襲撃を受け、昼には6年生と対峙して。
そんな慌ただしい一日を何とか乗り切った放課後。
舞奈は中華料理屋を訪れていた。
中華風の派手な看板に描かれているのは3人の天女と『太賢飯店』の店名。
赤いペンキが剥げかけた横開きのドアをガラリと開ける。
「よう張」
「アイヤー! 舞奈ちゃん、いらっしゃいアル」
禿頭をつやつや光らせ、張が笑顔で出迎える。
舞奈は店を見渡して苦笑する。
中華模様や飾り紙で装飾された店内には、例によって舞奈以外の客はいない。
かきこみ時のはずなのだが……。
それでも食欲を誘う香りに笑みを浮かべる。
そして、慣れた調子でカウンターの席に腰かける。
「何にするアルか?」
「んー、担々麺と餃子」
メニュー表を形だけ見やり、夕食代わりのいつものメニューを注文する。
所持金的にわりと最後の晩餐だが、あえて気にしないことにする。
張も慣れた手つきでいつもの料理の準備を始める。
「最近調子はどうアルか?」
皮に包んで作り置いた餃子のタネをフライパンに並べつつ、張は背中で問いかける。
「ん。……上々だ」
手持無沙汰にメニューを眺めながら、ぞんざいに答える。
当たり前の日常の中の何を話題にしようか考えてから、
「チャビーの子猫も元気にしてるよ。あんたの飯、気に入ってるみたいだ」
かつてマンティコアの核になっていた子猫の話をしてみる。
以前に舞奈はいなくなった子猫の行方を張に尋ねた。
だが子猫は魔獣の核になっていた。
舞奈は張との対話の中で魔獣を子猫に戻す手段に気づいた。
そして激戦の末、仲間とともにそれを成し遂げた。
ネコポチと名づけられた子猫は、先日、飼い主とともに店に来た。
そのとき猫は、少しばかり異能が使えるだけの、無邪気な猫だった。
「よかったアルよ」
張は破顔しながら麺を茹でる。
その丸い背中を見ながら、
「そういや張、ひとつ占ってほしいことがあるんだが」
世間話のように、この店を訪れた本当の理由を切り出した。
張は一瞬だけ返事を躊躇う。
その隙に、餃子を焼く匂いとジュウジュウという音、麺を茹でる匂いを楽しむ。
すると自然と足がぶらぶらする。
6年生を子ども扱いしておきながらも、舞奈だってこの店のカウンターの椅子に座ると足がつかない。
料理屋の店主と依頼の仲介人を兼ねる張は、道術の使い手でもある。
道術とは妖術師の流派のひとつだ。
本来は特定アジアに生息する怪異の術だが、台湾人の道士たちが人間用に改良した。
その身に宿した異能力を操る術は、3種類に大別される。
内なる魔力を五行の理によって循環させる【五行のエレメントの変換】。
体内の気を活性化させる【心身の強化】。
そして怪異の術を人間の術に昇華させる過程で確立され、内なる魔力を媒介に陰陽の理を操る【潜在魔力との同調】。
道士たちはこの技術を用いて強力無比な占術――人為的な預言を行う。
預言とは、強力かつ他の手段で代替不可能な探知魔法の総称だ。
世界そのものから情報を召喚し、本来ならば決して知り得ない真実を得る。
難点は、術の難易度が高く得られる情報がランダムなこと。
そして過程を飛ばして結果だけを得るため情報の信ぴょう性が低いことだ。
推理小説の犯人の名前だけを聞くようなものだ。
だが、こういった術によって、本来ならば身構えることすらできなかった危機に対処することが可能になる。
そんな術を操る張は、
「舞奈ちゃんは結果を聞きに来る約束すっぽかすアルからなあ」
そんなことを言いつつ振り返り、眉をへの字に曲げてみせた。
「今度はちゃんと聞きに来るよ」
舞奈も言って苦笑する。
「仕方ないアルなあ……」
すると張も笑みを返してみせる。だから、
「……ニュースで滓田妖一を見た。奴の生死を探知魔法で確認したい」
何気ない風を装って伝えた。
その言葉に張は息をのむ。
支部の中川ソォナムがそうしたように。
それは当時を知る者からすれば当然の反応だ。
滓田妖一は、確かに死んだはずなのだから。
それでも張は何食わぬ顔で麺を湯切りして椀に盛り、自慢のスープを注ぐ。
鶏ガラをじっくり煮込んだスープの香りが周囲に満ちる。
次いで担々麺の椀と餃子の皿をトレイに乗せる。
そしてカウンター側に回って来て、舞奈の前に料理を並べる。
「できあがりアルよ」
「お、いつもながら美味そうだ」
舞奈は破顔して餃子をつまむ。
料理が出来上がった頃を見計らって餃子のタレは準備済みだ。
張もカウンターの中の厨房に戻り、そんな舞奈を笑顔で見守る。
しばし麺をすする音、餃子を咀嚼する音だけが店内を満たす。
そして、
「……占っておくアルよ。結果が出たら携帯にメール入れるアル」
張は何気ない風を装って言った。
そんな彼の表情を見やり、
「ああ、よろしく頼む」
舞奈も他に何かを言うわけでもなく担々麺をすすった。
そして何事もなく、翌日。
普段通りの授業の合間の休憩時間。
舞奈は気乗りしない明日香を連れ、6年生の教室が並ぶ廊下を歩いていた。
先日に知り合った土御門鷹乃に会うためだ。
「大人っぽいお姉ちゃんたちがいっぱいいるなあ」
「貴女も来年はそうなるのよ。日比野さんや小室さんと一緒にね」
「へいへい、そりゃそうだ」
軽口を叩きつつ、5年生の教室前と大差ないはずの廊下を歩く。
6年生の教室は、舞奈たちの教室のちょうど真上にある。
けど今まではとりたてて用事もなかったので、めったに来ることもなかった。
自分たちの教室より1階上のフロアの、1学年上の上級生は、男子も女子も自分たちよりひとまわり大きい。
見なれたようで見なれぬ廊下には、自分たちより1年だけ大人な先輩たちの喧騒と匂いで満ちている。
舞奈も明日香も、大人や高校生に囲まれることが多い。
だが、ちょうど1学年上の生徒がたくさんいるという状況は珍しい。
だから舞奈は周囲をきょろきょろ見渡しながら歩く。
明日香は慣れた様子で会釈しながら歩く。そして、
「ここよ」
明日香の声に立ち止まった。
開いている窓からそれとなく教室の中を見やる。
ごった返す生徒たちの中、小さな鷹乃は見つからない。
何食わぬ顔でお邪魔しようかと思った。
だが先日の少年たちと鉢合わせるかもしれないのでやめた。
舞奈に死体蹴りの趣味はない。
なので周囲を見渡し、
「そこのべっぴんなおねーさんたちっ」
教室のドアの近くで話しこんでた2人組に、ナンパのように話しかけた。
明日香が隣で苦笑する。
「えっ、わたしたち?」
「べっぴ……?」
2人の少女は振り向いた。
「そりゃそうさ! べっぴんって、スタイルが良くて足もすらっと長くて、おっぱいも大きくて良い匂いがする美人のお姉さんのことを言うんだろ?」
「あら、あなた5年生の子? 可愛いわねー」
おだてられて、上級生はまんざらでもない様子だ。
ちやほさされて舞奈も思わず相好を崩す。
横で明日香が肩をすくめるが、気にしない。
「お姉さんたちに何か用事?」
「うん、綺麗なお姉さんと本当はずーっと話してたいんだけど、今日はこのクラスの土御門っていうお姉ちゃんに用事があるんだー」
雰囲気に飲まれて子供っぽい口調で言ってみる。
「あ、鷹乃ちゃんに用事なのね」
「呼んできてあげるから、ちょっと待っててね」
舞奈に笑いかけながら、2人は教室に入っていった。
「うん! おねーさん、ありがとう!」
にこやかに手を振る舞奈を、側の明日香がジト目で見やる。
「……仕事を頼むときは、お互いに気分がいいほうがいいだろ?」
反論に、明日香は無言で目をそらした。
それでも気分よく引き受けた仕事は質も高い。
2人はすぐさま鷹乃を連れてあらわれた。
……その様を見やり、舞奈は思わず噴き出した。
ちっちゃな鷹乃が、長身な女子2人に両手を掴まれて運ばれてきたからだ。
まるで捕まった宇宙人だ。
明日香は平静を装っているが半笑いだ。
彼女らは後輩を楽しませようとしているのだろうか?
それともクラスでの鷹乃の扱いは普段からこんななのだろうか?
どちらにせよ男子から先生と頼られていた彼女もこのザマだ。
このクラスの力関係は男子<鷹乃<女子、と言ったところか。
……昨日はもう少し優しくしても良かったかなと、ふと思う。
それはともかく。
女子2人は鷹乃を置いて、いたずらっぽい笑みを残して戻って行った。
園香に劣らぬ長身巨乳が普通にいる6年生を少し羨ましく思いつつ、
「ええい、奴らめ。いらん恥をかかせおって……」
「よっ、先生」
残された鷹乃に半笑いのまま挨拶する。
「なんじゃ、安倍明日香に志門舞奈ではないか。何の用じゃ?」
不機嫌そうに鷹乃は言った。
また持ち上げられると警戒してか、舞奈を睨んで身構えている。
どうやら普段から持ち上げられているらしい。
こちらにも少しばかり気の毒なことをした。
それに恐らく明日香との仲も、それほど良くはないようだ。だから、
「この前はありがとう」
言ってニッコリ笑いかけた。
「……!? な、なんじゃ急に」
虚をつかれて鷹乃は照れる。
その言葉を、あの時に手伝ってくれた皆に言いたかったのは本当だ。
だから舞奈の口元にはやわらかな笑みが浮かぶ。
「あの時の子猫、今はあたしのクラスメートの家で元気にしてるよ」
「そうか」
「あんたも昨日、会ってる奴だぞ」
「なんと!? あの魔獣め、あのけしからん乳と毎日……!?」
ちっちゃな鷹乃が目を見開く。
その瞳に宿るは羨望。
どうやら園香と勘違いしたか。
……加えて彼女も舞奈と同じおっぱい星人らしい。
「いや、足元でちょろちょろしてたツインドリルな」
「……なんじゃ童のほうか」
露骨に落胆する。
「わらし……?」
「ええい、奴がちっちゃいのは本当じゃろうが!」
明日香が茶化して鷹乃が叫ぶ。
正直なところ、鷹乃の背丈もチャビーと大差ない。
それを指摘して悦に入る明日香を尻目に、
「今日は鷹乃ちゃんに頼みがあって来たんだ」
世間話のように、ここに来た本当の理由を口にする。
「頼みだと?」
「ああ、滓田妖一の生死を占って欲しい」
訝しむ鷹乃に対して顔色一つ変えず、だが声をひそめて言う。
「だが奴は1年前にそなたらが……」
「――ああ、間違いない。けど同じ顔の奴がニュースに出てた」
舞奈の言葉に、鷹乃は目を丸くして驚いてみせる。
その反応を、舞奈はソォナムや張のそれより素直だと感じた。
中川ソォナムは【組合】から密に連絡を受けているようだ。
そもそも【機関】は、異能力者の組織だ。
対して【組合】は魔道士による魔道士のための組織だ。
だから【機関】に属する魔道士が、自身が所属している組織と【組合】の双方に忠誠心を割り振っていると考えるのは不自然なことじゃない。
張も元執行人だったらしいが、今は【組合】側の魔道士だと考えるべきだろう。
昨日、占術を依頼した際の反応で、そう確信した。
だが鷹乃は民間警備会社【安倍総合警備保障】のお抱えだ。
なので【組合】との関係は比較的薄いはず。
「確かなのか?」
「ええ」
鷹乃の問いに答えたのは明日香だ。
その答えだけで、鷹乃は事情を納得する。
この2人、仲は良くないが互いの技量については熟知しているらしい。
好敵手とでもいったところだろうか?
舞奈と女の趣味も合うようだし、むしろ、それなら好都合だ。
舞奈は別に【組合】を疑っているわけではない。
この魔道士による魔道士のための組織について、今回の件について隠し事をしていると決めつけられるほど舞奈は何かを知っているわけじゃないからだ。
だがそれは、絶対の信頼を預けられるほどよく知らないということでもある。
だから今回の懸案に対して【組合】との関連の薄い術者からの情報も欲しかった。
「なら、そなたが占えばよかろう?」
対して鷹乃は、ニヤニヤ笑いながら明日香を見やる。
先日の意匠返しのつもりだろう。
生真面目で融通の利かない明日香は占術が大の苦手だ。
彼女の名誉のために付記すると、探知魔法による探知や感覚強化は人並み以上の腕前だ。ただ占術――預言による情報の召喚だけが致命的に下手なのだ。
そんな明日香は苦虫を噛み潰したような表情になる。
舞奈は苦笑する。
「そこを曲げて頼む。あんたの占いは信頼できるって、当のこいつから聞いたんだ」
「そうなのか? そうだろう、そうだろう」
舞奈の言葉に、鷹乃は得意げに笑ってみせる。
別に明日香はそんなこと言ってない。
ただ明日香より明日香以外の魔道士のほうが占術が得意なのは確かだ。
だが、そんな方便に気づかず鷹乃は鼻高々に笑う。
明日香と違って素直な性格のようだ。
さぞ明日香に苦労させられていたのだろうと何となく察して苦笑する。
すると、
「わらわの腕を疑っておるのか? どうれ、軽くそなたを占ってやろう」
言って鷹乃は小さく真言を唱えはじめた。
「おいおい」
こんなところでと、さすがの舞奈も少しあわてる。
確かに彼女は【機関】や【組合】との関連は薄い。
だが、だからと言って術や術者の存在を余人に知られて良いわけはない。
それでも鷹乃はニヤリと笑う。
彼女の施術は、今のつぶやきのような数語で完成したらしい。
熟達した魔道士は、慣れた術を動作も詠唱もなく行使することができる。
なるほど奈良坂が身体強化で、明日香が防御魔法の盾や他のいくつかの戦闘用の術でしているような熟練の技を、鷹乃は探知魔法でやってのけたのだ。
土御門鷹乃が修めた術は陰陽術。
かつて我が国の識者たちが道術、神術、仏術を融合させて編み出した魔術だ。
その基盤はベースとなった各々の術同様に3種類に大別される。
作りだした魔力を五行の理によって循環させる【五行のエレメントの変換】。
魔力を物品に焼きつける【高度な魔力付与】。
魔力で空間と因果律を歪めることによる【式神の召喚】。
陰陽師の占術は因果律に介入する【式神の召喚】の応用だ。
高度に自動化された探知魔法による情報収集能力は、諜報部のエースであるソォナムに匹敵する。そんな術を得手とする鷹乃に、
「なにも衆人環視の中でしなくても……」
ひとりごちつつ明日香は面白くなさそうに窓の外を見やる。
そんな明日香を見やって鷹乃は笑う。
次いで舞奈をまじまじと見やり、
「……そなたが家を無くして路頭に迷うと啓示を受けたのじゃ」
「ま、当りだな」
舞奈は尊敬の視線を送る。
「何したんじゃ?」
「もうすぐ酸性雨で数日アパートを閉め出されるから、そのことだろう」
「なるほど、新開発区に住むのも楽じゃないのお」
言いつつ鷹乃は得意満面に笑いながら明日香を見やる。
どや! どや! と迫らんばかりのドヤ顔だ。
明日香は面白くなさそうに目をそらす。
だが舞奈は笑う。
「けど、当たってるのは半分だ。雨の間に泊まる場所は決まってるからな」
「む、なんと……」
不発ではないが完璧でもない結果に、鷹乃は口をへの字に曲げる。そのとき、
――ドサリ。
「……うわっ」
目の前に何かが落ちてきた。
高学年くらいの女の子だ。
それが手足を上向けに突っ張らせたまま落ちてきて、背中から床に激突した。
鷹乃は思わず息をのむ。
舞奈と明日香は少女を見下ろす。
……みゃー子だ。
意味不明、意思疎通も不可能なクラスメートは、何のつもりか虫みたいにかさかさ手足を蠢かせてから、舞奈たちを順繰りに見上げる。
そして鷹乃と目が合った途端、
「キョエエエエエエェェッ!!」
「……!?」
不意に身体をのけ反らせ、奇声をあげて飛び跳ねはじめた。
「キョエッ! キョエッ! キョエッ! キョエエエッ!!」
「のわぁ、な、なんじゃ? なんじゃ!?」
みゃー子は海老反りになったまま鷹乃のまわりを跳び回る。
おそらく手足のスナップだけで、ノミみたいに高くぴょんぴょん跳んでいる。
しかも仰向け。
海老反って上下逆さになった顔は鷹乃を見やって笑っている。
それは地球上のどんな生き物の真似とも、どんな部族の風習とも似つかない、とても奇怪で珍妙な行為だった。
あえて言うなら3年前に美佳が呼び出していた外宇宙の怪物に似ている。
無論、それが本当は何を意味するかなんてわからない。みゃー子だからだ。
「キョエッ! キョエッ! キョエエエッ!」
「……やめろよみゃー子。先輩だぞ。敬え」
舞奈はやれやれと苦笑しながら言ってみる。
「ひいっ!? こ、こっちに来るでない!!」
鷹乃は怯えて舞奈によじ登る。
まじビビリだ。
それはそうだろう。
付き合いの長い舞奈たちですらみゃー子の奇行には驚かされる。
初見の彼女からは、それこそ外宇宙からやってきたエイリアンに見えるのだろう。
「安倍明日香ぁ! そなたこそ人前で何を召喚しとるんじゃ!」
鷹乃はパニック状態で叫ぶ。
「……落ち着いて鷹乃さん。これは非魔法のクラスメートよ」
そう答え、明日香もやれやれと肩をすくめた。