晩餐1
「なんだか、お祭りみたいで楽しいね」
ニコニコ笑いながら、チャビーが言った。
「マイと安倍さんがいて、小夜子さんがいて、ゾマがいて……」
言いながら店内を見渡す。
舞奈も明日香も笑みを返す。
けどチャビーは店を見回し続ける。
そこにいるはずのない、誰かを探すように。
けど見つからなくて、見つかるはずもなくて、その事実に耐えかねたように、
「お兄ちゃんも、いっしょにいられたら良かったのにね……」
ぽつりと漏らした。
その一言をきっかけに、店の空気が重苦しいものに変わる。
彼を育て上げたチャビーの両親、幼馴染だった小夜子。
同じ事件で最愛の弟を亡くした桂木姉妹。
ここにいる誰もが思っていた。
けれども、その言葉を口にしていいのはただひとりだと心得ていた。
それは小4という幼さで、何の覚悟もないまま兄と引き離されたチャビーだ。
だから母はチャビーの横に椅子を寄せ、沈んだ娘の肩を抱く。
一方、園香母も娘を抱きしめる。
心優しい園香が、友人の悲しみに感化されないわけはないと心得ているのだ。
サチは小夜子を、姉妹は互いを慰める。
明日香も少し遠い目をして、彼がいた時間を懐かしむ。
舞奈は椅子の背もたれに頬杖をついたまま、皆を見回す。
口元に乾いた笑みを浮かべる。そして、
「……兄ちゃんさ、きっと、みんなに笑っててほしかったんだよ」
ポツリと言った。
素直で純粋な故に強く、同じ理由で脆かった彼が、何を考えていたのか。
彼がいなくなって1年たって、その間に何度も彼のことを考えて、なんとなくわかった気がする。
「だからさ……あいつのこと話すとき、笑ってやらないか?」
「……うん、そうだよね」
静かに言った舞奈の言葉に、最初にうなずいたのもチャビーだった。
机の上の子猫が少女を見上げ、心配そうに「みゃぁー」と鳴いた。
「そういえば、この店はBGMが無いアルね」
張が言った。
そして舞奈が止めようとする間もなく、
「水素水~♪ 水素水~♪ メメント~モリ~の水素水~♪」
歌いだした。
音程の外れまくった酷い歌だ。
「よりによって……」
「何でその曲なんだ……?」
明日香と舞奈は思わず顔を見合わせる。
小夜子は微妙な表情をして、サチは楽しそうに張を見ている。
楓と紅葉も苦笑する。
この曲が、弟の仇を探して脂虫を襲っていた桂木姉妹をおびき出すために舞奈、明日香、小夜子が出していたニセ屋台のテーマソングだったからだ。
「あ、この歌、知ってる」
だがチャビーはそんな事情など知る由もない。
「あのね! マイってば、この前、公園でお店屋さんをしてたんだよ。安倍さんと小夜子さんも一緒だったの」
「へえ、そいつはすごいなあ」
笑顔を取り戻したチャビーの言葉に、父も笑顔で答える。
「ゾマと、桜ちゃんと、高校生のお友だちと見に行ったんだよ」
高校生の友だちとは奈良坂のことだ。
奈良坂は元園香の護衛で、桜の姉の友人だが、チャビーと直接の面識はない。
「舞奈ちゃんたち、何を売ってたの?」
「えーっとね……水?」
母親の問いに、首をかしげながらチャビーは答える。
すると園香父がギロリと舞奈を睨んできた。
舞奈が胡散臭い店に園香を誘いこんだと思っているのだ!
だが胡散臭い屋台だったのは否定できないので、舞奈は成す術もなく縮こまる。
「上から読んでも水素水~♪」
「「下から読んでも水素水~♪」」
唐突に、チャビーが合わせて歌いだした。
「おい、チャビー?」
「日比野さん?」
舞奈と明日香は思わずチャビーの正気を疑う。
だが、楽しげな雰囲気を感じたのかサチが一緒に歌い始めた。
隣の小夜子も仕方なく笑う。
3人歌うと、おそらくその場のノリだけで楓も歌いだす。
アーティストとは言うものの専門外の楓の歌唱力はごく普通だ。
それでも妹の紅葉はつき合って歌う。
顔見知り以外に客のいない店内に、胡散臭い水素水の歌が響き渡る。
とても他人には見せられない絵面だ。
けどチャビーは笑顔だった。
否、自らの意思で笑っていた。
舞奈の言葉に、亡き兄の想いに答えるために。
だから舞奈も笑って歌いだした。
この、どうしようもなく下らなく、そして笑顔に満ちたひとときは、まぎれもなくあの時間の再来だったから。
小学生たちの事情など知らぬ陽介は、今夜0時に開始される作戦のことで頭をいっぱいにしながら帰宅した。だが、
「陽介さん、おかえりなさい。おじゃましてます」
「園香ちゃん、い、いらっしゃい。でも、なんで俺の家で……?」
奥からあらわれた園香を見やって面喰う。
「あのね! 今日ね! 学校のみんなが晩御飯食べに来ることになったの!」
続いてチャビーもやってきた。
「マイに、ゾマに、安倍さんも来てくれるの! いいでしょ?」
「いいでしょって、今さらダメだなんて言えないだろ?」
そう言って、陽介はチャビーの頭をやさしくなでる。
陽介たち執行人は、今晩の作戦決行を控える身だ。
本来ならば少しでも休養をとるべきだ。
だが、人の良い彼は妹の屈託ない笑顔を見て嫌とは言えない。
「マイと安倍さんが食材を持ってきてくれて、ゾマが料理を手伝ってくれてたの!」
「手伝うっていうか、園香ちゃんが作ってくれてるんじゃないのか?」
「お兄ちゃんったら、ヘンなところで鋭いんだから」
チャビーは拗ねてみせる。
陽介は苦笑する。
「っていうか、お前の役割分担はなんなんだ?」
「そ、それはね……」
つっこむとチャビーは焦る。そんな妹の頭をなでつつ、
「園香ちゃん、迷惑かけちゃってゴメンね。俺も手伝うよ」
「そんな、ありがとうございます」
「お兄ちゃん、マイだけじゃなくてゾマにまで手を出そうとしてる!?」
「してないってば! っていうか舞奈のことだって誤解だって言ってるだろ」
陽介は苦笑しつつ、はしゃぐチャビーと困る園香を連れて台所に向かう。
その時、ドアがガチャリと開いて、
「チャビー、ジュース買ってきたぞー」
「日比野さん、これで全部なんでしょうね? さすがに3度目は勘弁してほしいわ」
両手にコンビニの袋を提げた舞奈と明日香が入ってきた。
執行人の都合など知らぬ舞奈たちは、今日は単なるチャビーの友人として食事会の準備を手伝っていた。
さらにドアが開いた。
「陽介君、千佳ちゃんから家の電話に留守電が入ってて――」
言いつつ小夜子が入ってきた。
小夜子は陽介の両隣に並んだ千佳と園香、靴を脱ぎかけの舞奈と明日香を見やり、
「陽介君、小学生に囲まれて嬉しそうだね」
凄い目つきで陽介を睨んだ。
そんな些細なトラブルがあったりもしたが、食事会の準備は滞りなく進んだ。
陽介は機嫌を直した小夜子と一緒にカレーを作ることになった。
チャビーの大好物だという甘口カレーだ。
市販の子供用カレーにハチミツを足すらしい。
それはカレーなのか? と舞奈は思った。
だが、チャビーが満面の笑みで心待ちにするそれを、食べてみたくなった。
そして小学生組は隣のダイニングで、園香の指導の元、サラダの野菜を切っていた。
「あのね、小夜子さんはチャビーちゃんのお隣さんなんだよ」
「うん! お兄ちゃんと、とっても仲がいいの」
「日比野さん、手元を気をつけてね」
慣れた手つきでトマトを切る園香の隣で、チャビーは危なっかしくキュウリを切る。
包丁とまな板が2人分しかなくて、ひとつは当然ながら園香が使って、もうひとつはチャビーが切りたがっていたのでチャビーが使っている。
なので舞奈と明日香は切った野菜をサラダボウルに盛りつける係だ。
「兄ちゃんのガールフレンドってことかー」
手持無沙汰な舞奈は無駄口を叩く。
「そう! ガールフレンドー!」
「日比野さん、手元、手元!」
「あのね、小夜子さんってば、高校生なのにお胸がちっちゃいって気にしてるんだよ」
チャビーは楽しそうに話す。
これでも病気がちなチャビーは、元気な時にしか会えない友人たちが大好きだ。
だから大好きな友人のことを、別の友人に話すのが楽しいのだ。
「なるほど、胸を……」
「あ、ちょっと、どこ行くのよ」
明日香の制止を背にして、舞奈はふらふらとキッチンに向かう。
甘口なのだとすぐにわかるカレーの匂いが意外にも食欲をそそる。
「お隣のお姉ーちゃん、チャビーから聞いたよ」
笑みを浮かべてそう言うと、なぜか陽介が動揺した。
「ええっと、聞いたって何を?」
「胸が小さいことを気にしてるってことさ。でも、あたしはお姉ちゃんの胸、良い形だと思うよ。兄ちゃんもそう思うだろ?」
尋ねた途端、陽介は目を泳がせた。
彼は健全な青少年だ。
いきなり女の子の胸の話をふられたら照れもするだろう。
だが舞奈は小夜子に背後から抱きついて、小ぶりな胸を揉んでみた。
小学生だから許される行為である。
「ひゃっ!?」
小夜子が放り出した皿を、陽介はあわててキャッチする。
あられもない小夜子の声につられて赤面する。
「あのね、舞奈……。そういうことしたらダメだよ」
しどろもどろに舞奈をたしなめつつ、小夜子を見やる。
けれど彼は青少年だ。
その視線は小夜子の視線に吸い寄せられ、
「陽介君のエッチ!」
小夜子は真っ赤になって叫んで、
スパコーン!
舞奈は背後から忍び寄っていた明日香に、後頭部をハリセンではたかれた。
そんなトラブルもあったものの、
「いただきます」
夕食の時間には、テーブルに皆で作ったご馳走が並んだ。
タコさんウィンナーを乗せた甘口カレー。
クリームスープで煮こんだロールキャベツ。
ささみのサラダ。
豪華な料理を囲むのは、舞奈と明日香と園香。
向かいには陽介と、両隣に座った小夜子と千佳。
「ロールキャベツをお上品に切り分けるのは不用心だったな、ひときれいただき!」
明日香の皿に、舞奈がフォークを走らせる。
だが、フォークはカキンと受け止められる。
ロールキャベツに夢中になっていたはずの明日香が、自分のナイフで舞奈のフォークを防いだのだ。
「油断したのはどっちかしら?。奇襲にしては見え見えだし、強襲にしてはのろまね」
そのままギリギリとつばぜり合いをはじめる。
「舞奈も、明日香も落ち着いて……」
「その隙に、マイのカレーのタコさんウィンナーをいただきー」
「あっ、千佳!? そんなことしちゃダメだろう」
「マイちゃんも、チャビーちゃんも、おかわりが欲しかったらまだあるよ」
小学生が好き放題に振舞う中、同い年のはずの園香がお母さんみたいになっていた。
そんな園香を見やって顔を赤らめる陽介を、
「……陽介君、今度は園香ちゃんのことじーっと見てるね」
小夜子がすごい負のオーラがこもった視線でジトッと睨んでいた。
「小夜子、これは、その、違うんだ……」
陽介はあわてて目を泳がせる。そして、
「そうだ。小夜子、口開けてみて」
「……?」
不審げに開けた可憐な唇に、フォークで刺したサラダのささみを押しつけた。
小夜子は思わずささみをほおばる。
頬を赤らめながら、それでももぐもぐと咀嚼する。
「お兄ちゃん、小夜子さんと恋人ごっこだ」
「そ、そんな、千佳ちゃんったら……」
照れたついでに機嫌も直った小夜子の様子に、陽介は胸をなでおろす。
彼もけっこう苦労しているらしい。だが、
「じゃあ、わたしはお兄ちゃんにタコさんウィンナー」
「……え?」
チャビーが真似してフォークの先にウィンナーをのせて食べさせた。
今度は陽介が驚いて、それでも笑顔になって咀嚼する。
「それならカレーも食べてください。せっかく手伝ってくださったんですから」
そう言う遊びだと解釈したのだろう、園香もいっしょになって食べさせようとする。
「あはは、兄ちゃんロバみたいだな」
目を白黒させて狼狽える陽介を見ていると、舞奈も何か食べさせてみたくなった。
「あたしのささみも食えよ」
「わたしは貴女たちが彼に炭水化物と肉だけを食べさせようとする無神経さが気に入らないのだけど。陽介さん、サラダのニンジンスティックも食べるべきです」
言って舞奈はささみを、明日香はニンジンを押しつける。
「園香ちゃん、舞奈、明日香、気持ちは嬉しいんだけど……」
しどろもろになって狼狽える陽介を、小夜子が凄まじい形相で睨んでいた。
舞奈は小夜子がナワリ呪術師だということを知らなかったのだが、それでもこのときは彼女が魔女みたいだと思った。
……正直、舞奈も少しやり過ぎたなあと思った。
そんな張りつめた空気を、
「あのね、わたし、お兄ちゃんのカレーライス大好き!」
無邪気なチャビーの笑みが浄化した。
「わたしね、大きくなったら、たくさん、たくさんカレーを作ってね、プールいっぱいに作って、みんなで食べたら楽しいよねって思う!」
「どんだけ食う気だよ。っていうか、腹に入りきらないだろ」
舞奈は思わずつっこむ。
だがチャビーは楽しげに笑う。
「じゃあね、じゃあね……カレーのプールで泳ぐとか!?」
「千佳ちゃん……?」
「チャビーちゃん……?」
「何を言っているの日比野さん!? 正気!?」
園香と小夜子は顔を見合わせ、明日香は理解できないといった表情で目を見開く。
「わたしと、お兄ちゃんと、小夜子さんと、マイとゾマと安倍さんもいっしょにね、みんなで泳ぐの。クラスのみんなとウサギさんもいっしょだよ!」
「ウサギが黄色くなるぞ……」
再び舞奈がつっこむ。
小夜子とクラスメートたちはしばし見つめあい、そして爆笑した。
「そういえば日比野さん、明日はウサギ小屋の当番よ。わたしと真神さんと貴女で」
明日香が思い出したように言った。
「おまえ、スケジュール表みたいだな」
舞奈が茶々を入れる。
「でも、千佳もその調子なら大丈夫そうだよね。行っておいでよ」
「わーい、ウサギさんと何して遊ぼうかなー」
「ちゃんと掃除もするんだぞ。明日香、園香ちゃん、千佳をお願いするね」
陽介の言葉に、2人はにこやかにうなずく。
「はやく明日にならないかな!」
そう言ってチャビーが笑う。
チャビーを囲んでみんなが笑う。
そうやって、日比野家の晩餐は面白おかしく過ぎていった。