戦闘4-3 ~志門舞奈vs魔獣
「……やったか?」
舞奈の口元に、安堵の笑みが浮かぶ。
だが不意に、霧散しようとしていた魔獣の身体が再生を始めた。
崩壊のプロセスを逆転させるかのように子猫の周囲に魔力が集う。
そして、再びマンティコアはその姿を取り戻した。
『ボクはもう……戻れないんだ……』
子猫は諦めたように笑う。
「……糞ったれ!!」
舞奈は叫ぶ。
舞奈はその超人的な動体視力と集中力で、子猫が小石のような欠片を抱きしめていることを見抜いていた。
見覚えのあるオレンジ色のそれの正体を、舞奈はすぐに理解した。
魔法の盾の欠片だ。
「糞ったれ……そういう……ことかよ……」
口元を歪める。
3年前、ピクシオン・グッドマイトはケルベロスを倒すため、魔法の盾を衛星軌道上から投下した。それはあの時に砕けて消えたと思っていた。
だが美佳の強大な魔力で補強されていた盾は、欠片となって残った。
そして3年たった今、子猫は美佳の魔力を使って魔獣になった。
魔力の源は意思と願いだ。
そしてグッドマイト――萌木美佳の願いは、小さな生命を守ることだ。
だから母猫を失った子猫を守るため、子猫自身の願いを叶えた。
母親を二度と誰にも害されぬよう蘇らせたいと願うまま魔獣に変えた。
エイリアニストの狂気と混沌すら圧倒する、絶対なる母性、究極の愛。
それが美佳の本質だから。
もちろん美佳が生きていたなら、そんな魔力の使い方などしなかっただろう。
美佳は強力なだけでなく、聡明な魔術師だったから。
だが美佳がいない今、欠片を構成する魔力に知性はない。
意思はなく、強い想いだけでできている。
だから子猫を魔獣に変えた。
誰にも害されることのない、強力無比な魔獣に。
前回の戦闘でマンティコアが見せた不自然な耐久力の正体もこれだ。
なにせ美佳の魔力に守られた魔法なのだ。
異能力者が何人集まろうとも削り尽せるわけがない。
プラズマライフル如きで打ち破れるはずもない。
しかも子猫を魔獣に変える魔法は、もはや子猫自身にも制御できない。
再び魔獣の姿を取り戻した子猫は、斥力場の刃を放つ。
不可視の刃が舞奈を襲う。
舞奈は苦もなく避ける。
だがドレスの残り時間は限界だ。
おそらく、あと1分も持たないだろう。
舌打ちする。
同時に、ふと気づく。
魔力は意思が凝固したものだ。
そして意思によって操ることができる。
魔力を操る者は術者だ。
子猫が抱きかかえた盾の欠片の魔力を操る術者であるように。
ならば舞奈も魔力を持っている。
皆の魔力で形作られた、このドレスだ。
ピクシオンのドレスを形成していた魔術の術者は、ブレスを創った女王フェアリだ。
だが今の舞奈のドレスは、いわば数多の術者による合作だ。
特定の術者はいない。
だから舞奈が実質的な術者になることも可能なはずだ。
美佳がいない今、子猫が欠片に残った魔力の術者になったように。
――けど、そんなこと本当にできるのか?
――もちろん! だってマイちゃんが決めたことだもの。
――そっか。
ドレスから得られた回答に、思わず笑みを浮かべる。
舞奈と園香の絆が最も強く輝くのは、他の誰かを救うために力を合わせるときだ。
だから舞奈は、蘇ったマンティコアの巨大な顔を見やる。
「……戻れないことなんてないさ」
安心させるように笑う。
「解けない魔法なんてない。強く……強く願えばな!」
ドレスの魔法を操って飛ぶ。
マンティコアがいる場所より、高く。
「なあ、みんな」
目を閉じる。
ドレスに魔力を注ぎこんでくれた仲間たちの姿が脳裏をよぎる。
楓、明日香、ニュット、名前も顔も知らぬ【組合】の術者たち。
そして、それらを優しく包みこむ園香の香り。
「あたしに……最後の力を貸してくれ!」
叫ぶ。
その言葉にこもる真なる意思に応じ、ドレスは光の粉と化す。
そして魔力に還元される。
すると舞奈はピンク色のジャケットを着こんだいつもの姿に戻る。
当然ながら飛行能力も失って、重力に引かれて落ちる。
上向きの風が小さなツインテールを、ジャケットを激しく揺らす。
だが舞奈は笑う。
ジャケットの内側に収められたホルスターから慣れた動作で拳銃を抜く。
弾倉を落とす。
すると拳銃の薬室の中に魔力が集い、弾丸の形になった。
ちょうどサチの【弦打】に似た状態だ。
ドレスは舞奈の願いに応じ、衣服の形を放棄した。
そして一発の銃弾になった。
かつてピクシオン・フェザーがドレスを魔力に還元して結界と化したように。
舞奈は両手で拳銃を構える。
子猫が抱いた石に銃口を定める。
マンティコアの姿をかぶった今は子猫の姿は見えないが、位置関係は把握済みだ。
今まで明日香と共に数多の戦場を潜り抜けて来たから、その程度のことはできる。
そんな舞奈の脳裏に何かが囁く。
もしも欠片の術者である子猫がいなくなったなら、舞奈が欠片の魔力を操る次の術者になれるかもしれない。
美佳が遺した魔力で、悟がやろうとしてできなかったことをできるかもしれない。
石を狙った弾丸が数ミリ逸れれば子猫に当たる。誰もそれを責められない、と。
それでも舞奈は笑う。
慣れた調子で狙いを定め、引き金を引く。
次の瞬間、魔力の弾丸はマンティコアの身体を一直線に貫く。
そして子猫が抱いた欠片だけを正確に砕いた。
欠片は光の粉となり、魔力へと還元され、消える。
舞奈の守りたいものは過去じゃない。
今、周りにいる少女たちの笑顔だ。
その想いが、想い出になったはずの美佳のそれと似ているように思えて、微笑む。
そんな舞奈の手の中に、不自然な軌道で子猫が飛びこんで来た。
美佳の魔力の源は小さな命を守りたいという願いだから、石の形を無くして霧散する間際になお、か弱い子猫を守ろうとして舞奈に託したのだ。
そんな子猫を、両手でそっと包みこむ。
だが舞奈も地面に向かって猛スピードで落ちている。
このままでは子猫ともども、お陀仏だ。
無論、それは地上からも見えている。
だから何とか舞奈を受け止めようと、身体強化された奈良坂が小夜子の力を借りて跳躍した。ベティもクレアに協力してもらってジャンプする。
……だが軌道を読み違えたか、2人は空中で激突して地に落ちる。
「なに遊んでるんだ、あいつらは……」
舞奈は思わず苦笑する。
その時、楓の【創風の言葉】の魔術が完成した。
舞奈の真下に空気の塊が出現し、クッションのように落下の勢いを弱める。
さらに明日香の【力盾】が形成され、勢いを殺す。
そして舞奈は明日香の腕に抱き止められた。
明日香は舞奈を抱えたまま、勢いのまま尻餅をつく。
「……今日一日で、何回空から落ちるつもりよ」
クロークの胸元の骸骨が、肩甲骨の間に突き刺さって痛い。
以前にも明日香に命を救われ、こうやって抱き止められたことがある気がした。
それが何時だったかすぐに思い出せなかったが、とにかく気分がいい。だから、
「さんきゅ」
そう言って、笑った。
その手の中で、小さな子猫が「にゃぁー」と鳴いた。
魔法は解けてしまったから、もう舞奈に動物の言葉はわからない。
だが、今の子猫の気持ちはわかる。
笑っているのだ。
そして歓声に気づいて顔を上げる。
楓、紅葉、サチ、小夜子、ベティとクレア、装甲車の運転手。
作戦に協力してくれた仲間たちが、子猫を抱いた舞奈と明日香を囲んでいた。
どこからともなく諜報部の少年たちまでやって来ていた。
小夜子が【供物の門】で呼んだらしい。
ニュットも転移して来た。
マンティコアがいなくなったこの一帯は、今や安全地帯だ。
仲間たちは一様に笑顔を浮かべながら、口々に舞奈を称え、子猫の無事を喜ぶ。
そう、笑顔だ。
かつて大事な誰かを失った少女たちが、舞奈を囲んで笑っている。
今回の作戦では誰も犠牲にならなかったから、心から勝利を喜ぶことができる。
「あら、やっぱりピクシーボブね。なんて可愛らしいのかしら」
「子猫の名前に、ボブってのはどうなんだ?」
「……そういう猫種があるのよ」
舞奈を抱いたまま、明日香はやれやれと苦笑する。
そんな子猫が、不意に明日香の手の甲をぺちぺちと叩いた。
明日香の表情が輝く。
やっと撫でさせてくれるのかと手を離す。
少し緊張した面持ちで子猫に近づける。
だが子猫は明日香の手をかいくぐり、舞奈のポケットに頭を突っこんだ。
そして1本のチーズかまぼこを取り出す。
「ったく、元に戻った途端にずうずうしい奴だなあ」
苦笑する。
マンティコアと初めて遭遇したあの日、子猫の居場所を教えてくれた紅葉の猫のバーストに1箱くれてやって、けど1本だけ手元に残しておいたものだ。
その後いろいろあったので、その存在をすっかり忘れていた。
あれからずいぶん日が経っているが、チーかまに新鮮もクソもないだろう。
凹む明日香を横目で見やり、再び苦笑する。
そして歯を使って器用にビニールを破って子猫に差し出す。
舞奈がこの子猫を探そうと決意してから、本当にいろいろなことがあった。
諜報部の少年たちと出会い、少女たちの戦う理由を垣間見た。
彼らと、彼女らと、協力して魔獣と渡り合った。
二度となるとは思っていなかった魔法少女になった。
あの魔法を顕現させることができたのは、仲間たちが協力してくれたおかげだ。
否、仲間たちだけではない。
ここにはいない明日香の友人、それに現世の事象には関与しないはずの【組合】までもが手を貸してくれた。
だから舞奈と明日香は子猫と一緒にここにいる。
舞奈は仲間に、協力者のひとりひとりに感謝の言葉を送りたくてたまらなかった。
だが奥ゆかしい【組合】の術者たちは、そんなことをされても困るだろうと思った。だから、
「ったく、美味そうに喰いやがって」
腕の中の小さな子猫を見やり、口元にやわらかな笑みを浮かべた。
そんな舞奈と仲間たちを、遠方から1匹の猫が見ていた。
猫種は足の短いマンチカン。
毛色は白と黒の縞模様。
見る人が見れば、【機関】支部に出入りしている野良猫だと気づくだろう。
旧市街地を縄張りにしているはずの普通の猫は、新開発区の荒れ地のまっただ中に座りこみ、舞奈とマンティコアが戦っていた方向をじっと見ていた。
だが不意に、興味を無くしたように大きくあくびをして、伸びをする。
まるで物語がハッピーエンドで終わったのを確認して満足したかのように。
猫は「ニャァー」とひと鳴きする。
するとその周囲の空間を、燐光すら放つ高密度の魔力が満たす。
そして次の瞬間、猫は消えた。
見る人が見れば、これがケルト魔術による長距離転移【智慧の門】であると気づいただろう。
同じように廃墟のビル壁の陰からも、ひとりの女が舞奈たちを見ていた。
コートを着こんだ片眼鏡の女だ。
その周囲には4体の天使が浮かぶ。高等魔術における式神に相当する、大天使だ。
「実験はひとまず成功、と言ったところだね」
肉眼で見えるはずもない荒野の向うに目をやりつつ、笑う。
マンティコアの結界の周囲、荒野の端に位置していたミノタウロスの結界ならば、楓やベティも術を使って視ることができた。クレアは双眼鏡で視ていた。
だがマンティコアと戦っていた舞奈たちは、広い荒野の中心にいる。
通常の術で視認するには遠すぎる。
にも拘らず、女は舞奈と仲間たちの笑顔を見やり、同じように笑った。
「――愛こそは法なり。意思の下の愛こそが」
高等魔術において伝説として語り継がれる大魔道士の言葉を諳んじる。
そして、満面の笑みを浮かべる。
「魔獣の魔力すら凌駕する強い意思と願い。人間の力を見せてもらったよ。ミス・フィクサーが示唆した通りにね」
楽しそうに笑う。
瓦礫が散乱する新開発区の廃墟を靴もなく歩くのは無謀だ。
にも拘らず、女のコートの下側からのびる白い足は、靴下すら履いていない裸足なのにも関わらず傷ひとつない。
そんな普通ではない彼女が、見えるはずのない舞奈を見据えながら、言った。
上層部が今回の作戦に乗り気ではないと確信した後、フィクサーは【組合】に訴えかけていた。この戦いで、魔法を超える人間の姿が見られるやも知れぬと。
「志門舞奈。術を使えぬ只の少女だと思っていたが……」
その口元には笑みが浮かぶ。
だが瞳は敬うように、恐れるように一点を見ていた。
同じ頃、安倍邸の地下にある施術室。
「明日香様たちは無事に魔獣を倒したようですな」
猫背で白衣を着こんだ夜壁が言った。
「わらわが手を貸したのじゃ、そのくらいは当然であろう」
ちっちゃな女の子が尊大に答える。
「ご無理を承知での頼みを聞き入れていただき、小生からも礼を申し上げますぞ」
「ふんっ! 大したことなどしておらぬわ」
慇懃に一礼する夜壁につっけんどんに返し、少女は立ち上がる。
喜びにゆるむ表情を見られぬよう夜壁に背を向け、
「あの生意気な小娘と鉢合わせる前に、わらわは帰るぞ……っと」
歩き出そうとして、よろめく。
「同調中の式神を破壊されたショックが抜けきっていないのでしょうな。椅子をお持ちしますので、しばしおくつろぎくださいませ」
「むむむ、不覚じゃ……」
しゃがみこんだまま幼女はうめく。
「でしたら、気晴らしに、わたくしめが作成中の作品を御覧になられますかな? 明日香様のご友人から頂いた脂虫の表皮を加工し終わったところでございまして……」
「……いや、椅子だけ持ってきてくれ」
幼女はげんなりした表情で答えた。
さらに同じ頃、ウサギ小屋の前。
「……あれ、わたし、眠っちゃってた?」
チャビーが気がつくと、すぐ横に眼鏡があった。
どうやら眼鏡の少女にもたれかかって寝ていたようだ。
子猫の話をしている途中で、何故だか眠ってしまったらしい。
授業中の居眠りみたいでちょっと恥ずかしい。けど、
「あの……いえ、その、ごめんなさい……」
何故か眼鏡が謝った。
チャビーは寝起きでぼんやりした頭で状況を整理しようとして、
「あのね、夢に猫ちゃんが出てきたの。こーんなに大きくなってたんだよ」
ふと思い出したことを、そのまま口にした。
これを学校の友人に話したら笑われるところだろう。
だが眼鏡は笑ったりしなかった。まるで、それが事実であると知っているように。
「でも、ボロボロで、すごくさみしい所にいたの。だからね、わたし、いっしょうけんめい猫ちゃんを呼んだの。そうしたら猫ちゃんも、にゃーって答えてくれたんだよ」
おぼろげな夢を結末を語って、笑う。けど、
「でも、夢だったんだよね……」
すぐにその表情は曇る。
「猫ちゃん、どこに行っちゃったのかな……」
「あ、あの……!」
そんなチャビーを心配したか、眼鏡はあわてて言い募る。
「あの、猫……今頃は……。あ、いえ、その、ひょっとして戻ってきてるかも……」
「えっ?」
「いえっ! その……! あの、えっと、正夢! そう、正夢、かもしれないし……」
「うん! そうかも!」
言ってチャビーはニッコリ笑う。
無邪気なチャビーは他者の好意を素直に受け取ることができる。
だから元気にぴょんっと立ち上がって、笑顔で眼鏡に向き直る。
「お話聞いてくれてありがとう! お家に帰ってみるね!」
そう言い残して、校門に向かって走り出した。
その後姿を、眼鏡は微笑みながら見守っていた。
そんな様子を、小屋の金網に中から1匹のウサギがじっと見ていた。
だが、すぐに興味を無くし、他の2匹と同じように葉っぱを食み始めた。