再戦前夜
打ちっぱなしコンクリートが物々しい【機関】支部の会議室。
今はマンティコアとの再戦に向けてのミーティング中だ。
「解析の結果、マンティコアの周囲に出現した魔獣はミノタウロスであると判明した」
フィクサーは壁に掛けられたモニターを指し示す。
その側にはニュット。
古びた会議机についているのは舞奈に明日香、奈良坂、桂木姉妹、サチと小夜子。
異能力者の少年たちはいない。
今回の作戦の目的が、精鋭のみによる不退転の勝利だからだ。
代わりに机の側には、蔵乃巣学園で警備員をしているベティとクレアが立っている。
モニターには以前にも見たエレメントの繭が映し出されている。
その側にはワイヤーフレームで表示された透視図。
繭の中にいるのは、うずくまった巨人だ。
牛の頭と屈強な身体を持ち、巨大な戦斧を手にしている。
「大能力はそれぞれ【火炎術士】【氷霊術士】【雷霊術士】と判明した」
「メジャーなサムライ能力の上位版なのだな。だが保持する魔力から導き出される予想戦力は一般的な魔獣には遠く及ばず、せいぜい巨大な怪異と言ったところだ」
フィクサーの言葉を、側のニュットが補足する。
「こんなおかしなことになっているのは、恐らくマンティコアが急造したからなのだ」
「理由はどうあれ好都合だ」
舞奈はニヤリと笑う。
たしかに牛頭の巨人は過去に戦った魔獣ほど大きくないし、威圧感もない。
「その代わりというわけはなかろうが、ミノタウロスの周囲に多数の怪異が出現したのだ。多くは毒犬と泥人間だが、旧市街地で行方不明になった脂虫も混じってるのだ」
「護衛兼、魔力の供給源といったところですか」
したり顔で言ったのは楓だ。
対してニュットは「うむ」とうなずく。
ミノタウロスにとって周囲の怪異は、戦力であると同時に魔力の備蓄でもある。
本体の魔力が不足すれば捕食して魔力を吸収し、倒されれば魔力を消費して再出現させる。楓とメジェド神の関係とよく似ている。
マンティコアとミノタウロスの関係も同じだろう。
だからマンティコアに先んじて、ミノタウロスを倒さなければならない。
「残念ながら、上層部から魔法戦力の増強は許可されなかった。加えて危険度の関係上ニュットは作戦に参加することはできない」
「すまんが、そういうわけなのだ」
「ったく、この期に及んで出し惜しみしやがって」
舞奈は苦笑する。
技術担当官ニュットは兵站を始めとする複数の業務を抱えているし、外部の組織にもコネクションを持っている。
そんな彼女を万が一にでも失えば、巣黒支部の存続が危うくなる。
なので生存率100%の作戦以外には参加できない。
上層部は子猫を取り戻す実験を許可することで【組合】への義理は果たした。
だが全力で協力する必要まではないと考えているらしい。
戦力を出し惜しんできた。
だが、ここにいる誰もが動じない。
そんなことは百も承知したうえで、それでも子猫を犠牲にしたくないと立ち上がってくれたからだ。
「そっちのSランクも出番はないみたいだな」
「うむ。当然ながら不許可だったのだよ」
「やれやれ、力んだ拍子に核攻撃が出るってか?」
「屁じゃないのだから」
舞奈の軽口に苦笑しつつ、ニュットは言葉を続ける。
「それに、彼女はマンティコアが形成している結界の存在を近隣の市民に知られないため、上空に結界を張っているのだ。その維持に専念せねばならん」
「……そっか」
マンティコアの結界は天へと延びている。
それが超常現象であるのは明らかだし、それを隠すために対策が必要なのも、そんな大規模な結界を張れる者が他にはいないだろうことも理解できる。
「よって今回の作戦では攻撃部隊を4隊に分割する」
フィクサーは宣言する。
「3隊がそれぞれミノタウロスを排除、それにより中央の結界が解除された後にマンティコアを攻撃する。マンティコアへの攻撃は【掃除屋】が担当する」
その言葉に、舞奈は不敵な笑みで答える。
フィクサーは言葉を続ける。
「各部隊はミノタウロスを討伐後に【掃除屋】と合流。楓君の【大いなる生命の衣】で魔法少女に変身した舞奈君が攻撃する隙に、紅葉君がこれを説得する」
「舞奈ちん、例の子猫の本体はマンティコアの胴体後方に位置する子宮に収まっているのだ。そこ以外なら頭だろうが脚だろうが撃っても構わんのだよ」
「ああ、了解した」
ニュットの情報にもうなずいてみせる。
「それと明日香ちん」
今度はニュットは明日香に向き直る。
「奴の【力場の護殻】を強制解除できるのは、明日香ちんの斥力場の弾丸だけなのだ」
「ええ、承知してます」
明日香も不敵に笑う。
マンティコアの斥力場障壁を解除できるのは、斥力場を利用した攻撃魔法だけだ。
前回はニュットが【斥力刃】の魔術で対処した。
だが次の戦闘にニュットはいない。
残る面子で同種の攻撃ができるのは明日香しかいない。
つまり【掃除屋】の2人が揃って、はじめてマンティコアに対抗できる。
「わたしとサチは【火炎術士】を引き受けるわ」
「ええ。取り巻きに脂虫を加えているのは、おそらくこの個体ですよね?」
「十中八九そうなのだ。よろしく頼む」
サチと小夜子の申し出に、ニュットが頷く。
脂虫を爆発させる【断罪発破】は【火炎術士】が司る炎の異能だ。
そしてナワリ呪術師の小夜子は脂虫を贄にして自他を強化する。
「では、【雷霊術士】は我々が引き受けましょう」
金髪美女のクレアが言った。
彼女とベティは明日香の実家が営む民間警備会社【安倍総合警備保障】の傭兵だ。
明日香が手を回したのだろうか? あるいは【組合】と組織間でのやりとりがあったのだろうか? 政治など知らぬ舞奈にはわからない。
だが、どちらにせよ彼女たちは今回の作戦に協力してくれた。
それが嬉しく、そして頼もしかった。
重火器を操るクレアと屈強な呪術師であるベティの実力は、良く知っている。
ベティはヴードゥー女神官だ。
なので雷嵐の神シャンゴに祈ることにより落雷を呼び、雷を防ぐ。
雷を操る敵への対処は適任だろう。
「こっちにはクレアとあたし、ここにはいないけど鳩時計が参加するっす」
色黒で長身のベティが、緊張感のない口調で補足する。
「鳩時計?」
「土御門鷹乃。我が社の陰陽師です」
「いつもは施設にこもって魔道具の整備とかしてるっす」
「あ、わたしの拳銃に魔法を焼きつけてくれた人ね。その節はどうも」
「へぇ、そいつは心強いや」
思わぬ手助けに、舞奈の口元に笑みが浮かぶ。
「貴女たちは学園の警備員の……。まさか、裏でこんなことをしていたなんて」
「裏って言うか、こっちが本業なんすけどね」
言いつつベティは手にしたささみスティックをかじる。
「ま、お互い頑張りましょうや」
「ああ、こちらこそよろしく」
自然体なベティに、紅葉も笑みを浮かべて答える。
凛々しい彼女は、かつて舞奈と互角に渡り合った呪術師だ。
さらに今回の作戦では、舞奈がマンティコアを抑える側で、その魔獣を呪術によって説得する役目を担っている。
「ならば【メメント・モリ】は【氷霊術士】を討ちましょう」
楓は力強く申し出る。
野暮ったい眼鏡は相変わらずだが、彼女の実力も前回の戦闘で見た。
そして彼女も【大いなる生命の衣】の魔術によって舞奈を魔法少女に変身させる重要な役割を持つ。
かつて大事な誰かを失った魔道士の少女たち。
慟哭を知る彼女たちが、別の誰かの笑顔を守るために立ち上がってくれる。
その事実を再確認し、舞奈は口元に笑みを浮かべた。
そして、次の日の放課後。
「やれやれ、今日も授業が終わったよ」
舞奈はうーんと伸びをした。
マンティコアとの対決が迫っていても、いつも通りに日常は過ぎていく。
だから舞奈も明日香もいつも通りに登校して、いつも通りに授業も受ける。
なので舞奈もいつも通りに教科書とノートを鞄に詰めて帰り支度をしていると、
「……? 園香の奴、何か用事でもあるのか?」
珍しく園香が急いで荷物をまとめ、挨拶もそこそこに出て行った。
「あのねー、マイ」
チャビーが笑みを浮かべてやって来た。
ふさぎこむよりずっとマシだが、なんだか急にそんなだと戸惑う。
「どうしたんだよ?」
「ゾマったらデートなんだよ! ウサギ小屋のところで待ち合わせなんだって」
「デートだと?」
舞奈はビックリした。
惚れた腫れたの話題が好きなチャビーが笑顔な理由は理解できた。
だが奥手な園香がデートとは意外だ。
チャビーを元気づけるために一芝居打ったのだろうかと勘繰るが、そんなことをするくらいなら他にもっとスマートなやり方があるだろう。
「相手は誰だよ?」
「高等部の、すっごーく綺麗な女の人。絵のモデルをしてるって言ってた」
「園香って絵とか描いたっけ……?」
思わず口に出してから、その綺麗な彼女とやらが園香を描くのだと思いなおす。
「そっか、モデルかー」
まあ、可愛らしくスタイルもいい彼女を描きたいと思う誰かがいるのは不思議じゃない。相手が変な奴だと困るし、誰なのかは気になるが。
そう思って、ふと見やると、チャビーは教室の隅を見つめて物思いにふけっていた。
友人のデートの話題に夢中になって、子猫のことを忘れたわけではもちろんない。
かつてチャビーには、こういうことを話す相手が舞奈の他にもいた。
ずっと昔、それは彼女の兄だった。
そして先日まではチーズかまぼこを手土産にあのビルを訪れて、子猫に話しかけていたのだろう。
「元気出せよチャビー。ちゃんと見つけて、連れもどしてやるからさ」
言いつつ頭に手を乗せ、わしゃわしゃとかき回す。
「マイ……!」
チャビーはビックリして、でも嬉しそうに舞奈を見やる。
「じゃがいもいもいも♪ さーつまいもー♪」
妙な歌とともに、みゃー子が転がってきた。
「わー! じゃがいもだー!」
「……トマトマンと、どう違うんだ?」
それでもチャビーは喜んで、転がるみゃー子を追いかける。
意味不明なみゃー子も意外に人の役に立つんだなと、その様子をしばらく見ていた。
その後、教室を後にし、いつも通りに校門のクレアとベティに挨拶して下校した。
そして『画廊・ケリー』にやって来た。
「あ~ら、志門ちゃんいらっしゃい」
「ようスミス、看板直せよ」
いつものようにハゲマッチョの店主が出迎える。
舞奈もいつものようにネオンの切れた看板を一瞥し、
「……っていうか、リコは外か?」
店内を見回す。
「ええ、お友だちの家よ。猫を飼ってるっていうから見に行ったの」
「そっか、あいつにも友達なんてできたんだな」
「何言ってるのよ。この前みんなで送ってくれたときの子よ?」
「みんなで? ……ああ、桜のところの」
未就学児のリコは、桜の2人の妹と同い年らしい。
知った顔の子供同士が仲良くしていると聞いて、舞奈の表情も自然にほころぶ。
「ま、丁度いいか」
言いつつ舞奈は何を探すでもなく店の外を見やる。
この店に来て、あの騒々しい幼女と話さないと何だか物足りない。
だが素早く気持ちを切り替えて、何食わぬ顔でスミスを見やる。
「スミス、また長物を用立てて欲しい。この前の魔獣と再戦だ」
「あら、お仕事がんばるわね。ガラッツの整備は万全よ」
「スマン、今回はもうひとつの方を借りに来たんだ」
その台詞に、スミスの表情が変わる。
「あれでやり合うっていうの!? 相手は魔獣なのよね?」
「ああ、だからだよ」
驚くスミスに、舞奈は不敵な笑みを返す。
「わ……わかったわ」
面喰いつつも店の奥へと消える。
そして再びあらわれたスミスは、古びた銃を手にしていた。
短機関銃に似て銃身も銃床も短い、一見するとコンパクトなカービン銃。
だが弾倉は箱型で大ぶりな大口径ライフル弾用のそれだ。
「狙撃銃と同じ大口径のアサルトライフルの銃身を短機関銃並に縮めて無理やり近接専用にカスタムした、言うなれば改造ライフル」
商談用の丸テーブルに改造ライフルを乗せ、スミスは遠い目をしてみせる。
「まさかこれをまた使うだなんてね」
「まあな」
舞奈の口元に乾いた笑みが浮かぶ。
この銃を最初に撃った戦闘は、チャビーの兄の仇討ちだった。
それをチャビーの大事なものを取り戻すために再び持つことになるなんて、当時は思いもしなかった。
作戦では舞奈は楓の魔術によって魔法少女に変身する予定になっている。
だからといって、自力で戦う準備を怠りたくはなかった。
「大丈夫なの? もともと室内で怪異化した人間を撃つための銃よ。これを使うってことは、魔獣相手に接近戦を仕掛けるってことよ?」
「知ってるさ」
不安げなスミスに、だが舞奈は真正面から見やる。
「どちらにせよ、7.62ミリで魔獣を傷つけるには至近距離からぶちこむしかない」
不敵に笑う。
3年前の幼い舞奈は、一樹と美佳の後から狙撃に専念していた。
一樹は神業というべき近接戦技術で魔獣の牙を、打撃をすべて凌いだ。
2人がいなくなってからも、舞奈は一樹に近づこうと心身を鍛えた。
そして今、新たな仲間たちの先頭に立つのは舞奈だ。
かつて一樹がしていたように、舞奈は背にした仲間たちを守る。
そして3年前には果たせなかった、魔獣の核を救出する。
もう2度と少女に涙を流させないために。
「やってみせるさ」
舞奈の口元が不敵な笑みを形作る。
「もう誰も犠牲になんかしない。大事なものを全部守って、全部取り戻す」
その表情に秘められた決意に、スミスも安心して笑った。
そして、その晩。
明日香は実家の地下にある施術室にいた。
部屋の天井は神殿を思わせるが如くに高い。
そこには太陽を意味する【総統】のルーンが数多に彫りこまれている。
角度をずらして幾重にも彫られたそれは、風車のようにも見える。
壁一面に経文が書かれ、床には胎蔵界曼荼羅が描かれている。
そんな不気味で荘厳な広間の中央、胎蔵界の中心たる大日如来の図の上にあぐらを組み、一心に理趣経を唱える。次いで瑜祇経を唱え、宝篋印経を唱える。
経に応じて静謐なる神殿の空気が軋む。
斥力場を統べる荼枳尼天の咒、脳内で念ずる強烈なイメージが魔力となり、周囲の空間を捻じ曲げているのだ。
ニュットが参戦しない次の作戦で、マンティコアの斥力場障壁を破る手段は明日香が放つ斥力場の弾丸しかない。
だから斥力を操る魔術の礎となる荼枳尼天のイメージを鍛えるべく修練していた。
強大な明日香の魔力の源は、弛まぬ鍛錬の結果に他ならない。
明日香がしていることは、彼女の友人であるSランク――鍛え抜かれた銃技と身体によって最強まで上り詰めた彼女と同じことだ。
だから同じ頃、舞奈も自室で踊っていた。
ステージは天井と壁と床しかない殺風景な自室。
引き締まった肢体を飾るはキュロットにブラウス、その上に掛けられたショルダーホルスター。そして両手の拳銃。
銃を握った両腕を両翼の如く左右にピンと伸ばす。
次の瞬間、両腕を交差させる。
両手の拳銃を前に向けて構える。
研ぎ澄まされた動作は銃の撃鉄の様に鋭い。
ポーズは鋳抜かれた鉄のように正確で力強い。
少女の肌には玉の汗が浮かんでいる。
だが口元にあいまいな笑みすら浮かべた童顔には息の上がった様子はない。
静寂の中に、四肢が風を切る音と筋肉が軋む音、少女がたまに発する「はっ」という鋭い声だけが響き渡る。
そんな舞奈を、タンスの上から額縁が見守る。
収められた写真には、幼い舞奈とかつての仲間が写っている。
ふと舞奈は動作を止め、額縁を見やる。
かつてピクシオンは魔獣ケルベロスと対峙した。
フェザーが魔獣を引きつけ、グッドマイトが衛星軌道上からの質量攻撃で魔獣を倒した。魔獣の核になっていた犬は死んだ。
そして、今、舞奈たちは【機関】の仲間とともにマンティコアに挑む。
舞奈が魔獣を引きつけ、仲間とともに魔獣の魔力を削り、仲間が魔獣を説得する。
この目論みが成功すれば、子猫は少女の元に帰ることができる。
「だからカズキ、ミカ。見ててくれよ」
ひとりごち、写真に向かって不敵に笑った。