依頼2 ~預言への対処
舞奈は【機関】の支部にやって来た。
カウンターには、いつもの小柄で巨乳な受付嬢。
それがスゴイ目で睨んでいたので、舞奈はビックリして視線を追う。
大きく膨らんだゴミ袋を抱えた少年たちが恐縮しながら出て行くところだ。
脂虫の手足を折りたたんで袋に入れたものを、脂袋と呼称する。
彼らはそれを、裏の受け入れセンターに持っていくところだ。
舞奈はやれやれと肩をすくめてカウンターの前に立つ。
「舞奈ちゃ~ん、いらっしゃ~い」
嬢は先ほどの悪鬼じみた表情を、瞬時に笑顔に切り替える。
まるで魔法でも使ったかのようだ。
舞奈も何事もなかったかのように笑いかける。
「フィクサーと話したいことがあるんだ。スマンが時間を取ってもらえるか?」
「ごめんねぇ~。フィクサーってば、ここのところ忙しくて~」
「ま、そうだろうな」
舞奈は言って、先ほどの少年たちの背中を見やる。
脂虫を消費する術を【機関】において普段から使わない訳ではない。
だが今回はいくらなんでも多すぎだ。
それに受付の雰囲気も、何というかいつも以上にざわついている。
何か大きな厄介ごとが起きつつあるのは明確だ。
「そこで、だ」
言って舞奈は言葉を切る。
嬢は恐縮した様子で舞奈を見やる。そして、
「フィクサーと話したいことがあるんだ。スマンが時間を取ってもらえるか?」
「舞奈ちゃんったら、しょうがないなぁ~」
そう言って、受付嬢は電話をかける。
仮にも舞奈はSランク。無下に扱うこともできない。
なのでしばらく待たされた後、舞奈はフィクサーの執務室に通された。
「慌ただしくてすまない。いろいろと立てこんでいてな」
「そりゃ見ればわかるよ」
ソファに前かがみに座りながら、舞奈は言った。
来客用のやわらかいソファは何度座っても慣れない。
フィクサーは開け放ったキャビネットの前にしゃがみこんで、手ずから茶菓子を探している。お茶くみをしているニュットがいないからだ。
「常々思うんだが……」
フィクサーは見つけた茶菓子を持って、よっこらせと立ち上がる。
目元はサングラスで隠されているのに、表情に睡眠不足と疲労の色が滲んでいるのが見て取れる。
「……こういうときに、トップが率先して疲れ果てる組織ってのはどうなんだ?」
舞奈の視線に、フィクサーは茶菓子の代わりに猫用のカリカリを手にしていたことに気づいて戻す。そして再び戸棚を漁りはじめる。
舞奈は仕方なく自分できゅうすの茶を注いで飲む。
ニュットがいないのは、技術担当官としての本来の仕事をしているからだ。
糸目の彼女が本来属する技術部は、執行人の各種装備を都合する部門である。
その一員であるニュットがフィクサーの秘書みたいなことをしてるのは護衛代わりなのと、単に普段は暇だからだ。
なので支部全体が忙しくなると、フィクサーは自分も忙しいし人手も減るしで大変なことになる。
そんなフィクサーはげっそりやつれた様子で、煮干しの袋を持って戻ってきた。
たぶん違う棚を漁っていたのだと舞奈は思う。
だが文句をつけるのも忍びない。
なので皿の上に直に広げられた袋から一本つまんで口に運ぶ。
味がない。
よくよく袋を見やると『猫用にぼし』と書かれていた。
「……何があったか聞いてもいいか? 外じゃ諜報部のCランクが脂虫をダース単位で狩ってるし、中は中でこの有様だ」
舞奈は苦笑しながら問いかける。
フィクサーは煮干しをかじって茶をすすると、疲れた顔で舞奈を見やる。
「本来は君に話すべき事柄ではないのだが」
と前置きし、
「【心眼】が魔獣の襲来を預言した」
重々しい口調で言った。
預言とは、強力かつ他の手段で代替不可能な探知魔法の総称だ。
例えば仏術のひとつ【弁才天法】は術者に天啓をもたらす。
だが実際には【心身の強化】によって驚異的な洞察をしているだけで、天才なら同じことができる。それは天啓ではない。
対して【実在の召喚】に分類される【虚空蔵求聞持法】は、人生という書物のページを斜め読みするかのように術者の知り得ない真実を得る。
情報を文字通り『召喚』するのだ。
難点は、術の難易度が高く得られる情報がランダムなこと。
そして過程を飛ばして結果だけを得るため情報の信ぴょう性が低いことだ。
推理小説の犯人の名前だけを聞くようなものだ。
だが、こういった術によって、本来ならば身構えることすらできなかった危機に対処することが可能になる。それが、
「魔獣だと?」
このような突拍子もない代物だったとしても。
魔獣とは、その名の通り魔力を持つ巨大な獣の総称だ。
怪異の上位に相当する存在である。
だが異能力によって人に仇成す存在を怪異、術者や異能力者を怪人と呼ぶのに対し、怪獣と呼ばれないのは魔獣の魔力が桁違いだからだ。
魔獣は魔術師が生成できるそれの何倍もの魔力をその身に宿す。
それによって常識外の巨体を維持している。
さらに強大な魔力を妖術師のように放出して強力無比な異能と成す。
その力があまりに強大である故に、用いる異能も大能力と呼ばれ、通常の異能力とは区別されている。
「最悪の予想では、数日中に小型のドラゴンが街を襲撃することになる。現在は予言の成就を防ぐべく戦力を整えているのだが……」
「厳しいのか?」
「ああ。予言の段階では、上層部が大規模な戦力の投入を許可しないのだ。動かすことのできる人員には必然的に限界がある」
いくら魔獣が脅威でも、物証のない預言だけで戦力を動かすことはできない。
術者ではない上層部にとって、預言はただの言葉でしかない。
実際に魔獣が出現し、誰の目にもわかる甚大な被害が報告されるまで。
「実害が発生するまで、動かせるのは実質的に諜報部だけだ。……いっそ魔獣が犯行予告でも出してくれればやりやすいのだがな」
フィクサーが冗談を言うなど珍しい。
相当に厳しい状況なのだろう。
だが舞奈はニヤリと笑う。
「なあフィクサー。もしその作戦に、あたしが参加するっつったらどうなる?」
口元に笑みを浮かべたまま、提案する。
だがフィクサーは苦笑するのみ。
「……執行部の人員すら動かせないのだ、君たちへの依頼は不可能だ」
「仕事を受けるんじゃなくて、偶然に通りがかるのさ」
その言葉に、フィクサーは意外そうに舞奈を見やる。
「それは願ってもないが、今回の件について正式に報酬を支払うことはできない。それでも構わないかね?」
「構わんさ」
舞奈は笑う。
ちょうど先程、諜報部の少年たちに作ったばかりの借りを返す良い機会だ。
それに――
「その代わりと言っちゃなんだが、ひとつ頼まれてくれないか?」
「ああ、そういうことか。話を聞こう」
フィクサーは納得した様子で先をうながす。
以前にフィクサーは舞奈たちに豪勢な食事をふるまい、その後に依頼した。
今回の舞奈も同じだ。
相手が欲しがっているものを先に手渡す。
そして気分がよくなり断り辛くなったこところで頼みごとを切りだす。
そんなこと、フィクサーにはお見通しだったはずだ。
だが相手が舞奈なので断らなかった。
基本的に独立独歩な舞奈は、こういった場合に相手にできる以上の要求をすることはないからだ。それをフィクサーもわかっていた。
そういった双方の思惑が、信頼と呼ばれるものなのか、あるいは互いの誠意に甘えてもたれかかっているだけなのか、小5の舞奈にはよくわからない。
だから口元に普段通りの笑みを浮かべ、言った。
「猫を1匹、探してほしい」
「そんなことか」
無意識に返してから、フィクサーはふと気づく。
「……すまん。君の事情を軽視した訳ではなく、人づてに聞ける問題なのでな」
「猫に知り合いでもいるのか?」
「ああ。識者の見によると猫というのは魔法的かつ社会的な生き物らしくてな、霊的世界でネコ同士のコミュニティを形成しているそうなのだ」
冗談めかした軽口を、フィクサーは真面目に肯定してみせた。
舞奈は訝しみながらも、無言で先をうながす。
「そして、この街には猫と会話ができる人間が2人いる。ひとりは【組合】の魔術師、もうひとりは我が方のSランク。……ああ、紅葉君を入れれば3人になるな」
「そういうことか」
つまり、本当に猫の知り合いに聞くことができるらしい。
ひとりごちる舞奈の前で、窓から1匹の野良猫が跳びこんできた。
小柄な身体を彩る縞模様にはっとなる。
だが記憶にある子猫と違い、茶色ではなく白黒の縞だ。
それに、こちらは四肢が短いだけの大人の猫だ。
猫は我が物顔で会議机のところまで歩いてくる。
そして短い脚とは思えないほど軽やかに机の上に跳び乗った。
舞奈を見上げて「ニャァー」と鳴く。
くりくりとした瞳と、小首をかしげて見上げる仕草が可愛らしい。
小癪にも、人への甘え方を知っているとしか思えない。
「……いちおう、ここ保健所の建物なんじゃないのか?」
「ああ、同じ敷地に保健所があるようだな」
フィクサーの答えに肩をすくめる。
だが猫に話を聞けるという話に、微妙な信ぴょう性が出てきたのは事実だ。
舞奈は皿を小突いて猫に差し出す。
猫は舞奈を見上げて「ナァー」と鳴く。
「ったく、人に食わせてもらう専門かよ……」
仕方なく、ひとつつまんで目の前に差し出す。
猫は困惑ぎみに舞奈の手の匂いを嗅ぐと、煮干しをくわえてその場で食べる。
再びキャビネットを漁っていたフィクサーが、餌入れを手にして戻ってきた。
猫は餌入れを見やって嬉しそうに「ナァー」と鳴く。
フィクサーは机の上に、餌入れと一緒に缶入りのクッキーを置く。
それを見やって困惑する。
舞奈も困る。なので、
「……こっちはしばらく見てるよ。30分でいいから仮眠してくれ」
やれやれと肩をすくめて、そう言った。
その翌日。
ホームルーム前の学校で、
「――でさ、あたしは言ってやったわけよ。『そこの出店で売ってるフランクフルトの半分くらいの大きさだな』って。その時の奴の顔ときたら」
「また志門さんは。女子がそんな下品なことを言ったらダメです」
舞奈は委員長と並んで教室に入ってきた。
明日香が睨んできたので、委員長と別れて明日香の机に向かう。
「よぅ明日香、焼きもち焼いたか?」
「おはよう。……何勝手に仕事受けてるのよ」
開口一番、舞奈の軽口を無視してそう言った。
「もう知ってたのか」
占術はてんでダメな明日香だが、情報網はちょっとしたものだ。
だが舞奈は口元に軽薄な笑みを浮かべ、
「けど依頼を受けたわけじゃないよ。ちょっとした口約束だ」
「同じことじゃないの」
明日香はやれやれと肩をすくめる。
「……日比野さんの子猫、猫たちの中で知名度は高かったみたい。幼い個体はコミュニティ全体で守ろうとするらしいわ」
明日香は出し抜けに言った。
「それなら誰かが育ててやれよ。チャビーの奴、捨て猫だったっつってたぞ」
意外なところからの意外な言葉に、驚きを隠すように軽口を返す。
「日比野さんが親だって認識なんじゃないかしら」
「なんだそりゃ。マメなんだか適当なんだかわからんな」
舞奈は思わず苦笑する。
「それにしても、フィクサーはおまえの方に結果を返したのか。まったく2人いっしょくたにしやがって」
「【機関】からじゃないわよ。わたしにも【組合】の知り合いくらいいるわ」
明日香の言葉に、思わず口元に笑みが浮かぶ。
つまり明日香は、舞奈とは別のルートで子猫探しをしていたのだ。
クールで冷徹な彼女だが、困っている友人を見て見ぬふりはできないらしい。
そんな彼女の友人への気持ちが嬉しくて、冷やかすように笑みを向ける。
明日香も笑う。
だがすぐに、その口元が引き締められる。
「結論から言うと、子猫の消息はコミュニティ内でも不明。数日前からいきなり連絡が取れなくなったそうよ」
「おい。そいつはまさか……」
姿を消したのは、危険に対処する力などない、か弱い子猫だ。
最悪の予想に、舞奈は口元を歪める。だが、
「猫同士の霊的な繋がりは密接よ。子猫の身に何かが起こったのなら、1キロ以上の距離から狙撃されたか地域規模の大魔法に巻きこまれたということになるわ」
「もうちょっとわかりやすく言ってくれ」
「中途半端に攻撃されたら、攻撃されたって情報が他の猫に伝わるってこと。トラックにひかれたくらいなら車種まで特定できるわ」
「……最初からそう言えよ」
文句を言いつつ口元には笑みが浮かぶ。
つまり子猫が無事であることだけは確定したということになる。
「けどさ、それなら実際には何があったんだ?」
口元に浮かんだ笑みと、安堵を覆い隠すために平静を装う。
明日香は真面目な顔で答えた。
「だから、不明よ」
「それじゃあ何もわからないのと同じだろ」
思わず苦笑する。
明日香は不満げにむくれる。
だが、他にコメントのつけようがないのだから仕方がない。
「ちなみにわたしの探知魔法でも行方は掴めず」
「……むしろ、何でおまえの占いで何かわかると思ったのかが知りたいよ」
そう言い捨てると、今度は睨みつけてきた。
やはり探し物は真っ先にテックに頼るべきだと思った。
以前の事件では彼女に不可能な探し物をさせて困らせたばかりだ。
だがスーパーハッカーの彼女が誰より情報収集に向いていることは確かだ。
みゃー子がトマトの物まねをした右から左へ転がっていった。
舞奈は深々とため息をついた。
そうやって朝から2人してぐだっていると、
「お、テックじゃないか」
「工藤さん、おはよう」
教室のドアをガラリと開けて、テックが登校してきた。
「おはよう、舞奈。明日香」
挨拶を返し、普段はまっすぐ自席に向かうところを舞奈の所にやって来た。
テックの方から2人に用があるなんて珍しい。
「チャビーの子猫を探してるって聞いたわ」
「……いやスマン、お前を当てにしてなかったわけじゃないんだ」
舞奈は思わず目をそらす。
だがテックは構わず、通学鞄から一枚のコピー用紙を取り出した。
「それって、これ?」
何かの写真をプリントアウトしたもののようだ。
舞奈の口元に再び笑みが浮かぶ。
話の流れからすると、彼女はチャビーが可愛がってた子猫がいなくなったことを知って独自に探していてくれたらしい。
無口で感情を表に出さない彼女が友人のために一肌脱いでくれたことが嬉しかった。
(ありがとう、テック)
口に出さずに言うと、変なところで察しの良いテックがこちらを見やった。
舞奈はあわててコピー用紙を覗き見る。
それを見やった舞奈は目を丸くした。
側の明日香も愕然としていた。
なぜならそこに、舞奈のよく知る茶トラの子猫が映っていたからだ。
「ヒュー! やるじゃないかテック! 魔法よりスゴイ!」
言った舞奈を明日香が睨む。
だが舞奈は動じず笑みを浮かべる。
どこかの防犯カメラにハッキングして、子猫が映っているものを探したのだろう。
瓦礫が転がっている様子からすると、新開発区のように思えた。
「なあテック、こいつがどこだかわかるか?」
「カメラに設定されている位置情報はブラジルよ」
「……いや、怒られるだろうブラジル人に」
子猫が歩いているのは瓦礫が転がる廃墟の一角だ。
そんなものを片づけもせずに放置してある場所を、舞奈は一か所しか知らない。
「実際の座標は新開発区のどこかよ」
テックが言った。
「いや、新開発区のどこかって言われてもなあ」
詰め寄る舞奈に、テックは無表情に携帯の画面を見せる。
「……具体的にはここ」
ランドマークひとつない地図の片隅に、監視カメラと思しきマーカー。
「……ああ、新開発区のどこかだな」
「舞奈なら具体的な場所がわかると思ったんだけど……」
「無茶言うなよ」
やれやれと肩をすくめる。
「ま、ここにいたのはわかったんだから、調べてみるさ。……借りていいか?」
「持って行って。何枚か刷ったから」
「さんきゅ」
そう言って、プリントアウトをたたんでポケットに突っこんだ。