第三話 ~斎藤動乱・白瓏月華~
「松平、浅井」
儚げだが可愛らしい、鈴のような声。
「次は、ここ」
白い指先が目の前にそびえる天守をぴっと指した。
「織田、信芽…」
ゆっくりと手を下ろし少しだけ顔を俯けた彼女は、噛み締めるように、その名を呟いた。
「平穏をもたらす大器か、戦乱を呼ぶ悪鬼か…」
風が吹き抜けた。彼女の白い髪は、青い空によく映える。
信芽は、突然の報に驚きを隠せなかった。自身も今までに幾度と攻め入り、敵方の奇抜な策によって落とせないでいた稲葉山城が落とされたというのである。
「稲葉山…あそこには竹中が居ろう?予でもまだ攻め落とせぬと言うにどこの誰が…」
「それが…十数人の将によって奪取されたと…」
「はあ!?十数人!?」
更なる驚愕に自然と声が大きくなった。織田の精兵をもってしても破れなかった稲葉の守りがたった十数人によって破られたというのだ。それも当然のことだろうと勝美は静かに目を伏せた。
「妖の仕業、なぞあるわけなかろうに…誰がそのような?」
「…その、稲葉山の竹中と伝え聞きます」
「…裏切ったのか」
「ええ…恐らくは」
信芽は眉を顰める。何故竹中は並みならぬ智謀で守り続けた稲葉の城を奪い、斎藤を裏切ったのか。信芽の理解の外だ。今の斎藤の当主は凡庸で酒色に溺れる暗君だと聞く。今までは先代から使える身として留まっていたが、ついに耐え切れなくなったのだろうか。
「斎藤を裏切ったとすれば…竹中の智謀、我が軍に加わればどれだけ戦力になるかのう…」
「信芽様?」
「斎藤が駄目なら織田はどうだ、なんてな。それはまあ冗談だが…稲葉山の竹中に使いを出せ。稲葉山城を明け渡せ、と」
「はっ」
「…予想通りです」
感情を殺した表情で、彼女が小さく囁いた。
「このお話はお断りさせていただきます、と貴方様の主にお伝えください」
小さすぎて聞き取れなかった呟きを、使者が聞き返す前に彼女は要件を簡潔に伝えた。
「お帰りはお気を付けて。街を出るまで案内させましょう」
使者が口を開く隙を与えず、有無を言わせずにそっと席を立った。
「次に会う時は、きっと敵同士でしょうから…」
障子が音を立てず閉じられた。彼女の細い指先は、繊細にその袖を握る。
それから、竹中が稲葉山城を奪取して六つの月を跨いだ。
「彼奴は一体何を考えておるのだ…」
織田に、竹中が斎藤に稲葉山城を明け渡したとの報せが届いたのだ。十数人で城を奪って見せたかと思えば、今度は返し。理解出来ぬと信芽は頭を振った。しかし、攻められずにいたのもまた事実で、斎藤の内がごたついている今が好機かもしれないなんてことも漠然と考えてみる。分からなかった。
「分からぬ…竹中が分からぬ。分かってしまえば楽であろうになぁ…」
自身の独り言をつまらぬ戯言だと一蹴し、虚空へと目を向ける。
「まあ、暫し様子を見るも悪くなかろう…」
呟くと、そっと目を閉じた。
「すっかり、変わってしまった…」
小さな池に映る月を指先で乱す。
「確か、そう…織田の当主が変わってから。それからずっと、激しい流れが全てを押し流そうとしている…」
袖が濡れないように抑えながら、彼女は再び光る輪を乱した。
「時の流れは、どこへ行きつくの?」
月は何も答えない。彼女の澄んだ美貌は、少しの憂いと少しの希望を語る。