新しい生活(2)
「ちょいとお待ち、ルーシア」
ひとしきり話し終えて帰ろうとするルーシアを、フレイヤが呼びとめました。
「なに?」
「あんた、なにか言い残したことがあるだろ?」
「な、無いわよ、なにも」
「あたしゃ、あんたがこの仕事の見習いのときから知ってるんだ。隠したって無駄だよ。おしゃべりなあんたがなにか大事なことを隠しているのは、仕草ですぐにわかるんだからね」
ルーシアは反論しようといったん口を開けましたが、どうにも騙し通せる自信が無かったのか、小さくため息をついて、再びほうきをドアの横に立てかけました。
「あたしも、口がムズ痒くてしかたなかったのよ。でも、ロリーナ様に口止めされてるから……」
フレイヤが座ったまま黙ってテーブルの上を指で叩くと、ルーシアは観念して椅子に座りました。
「あたしが話したってのは黙っててよね。まあ、ここに出入りしているのはあたしくらいしかいないから、すぐにばれるだろうけど」
「なに、あたしが黙っていればすむことさ。ロリーナがどうかしたのかい?」
「ロリーナ様じゃないわ。ウルスラっているでしょ。盗賊団とかやってる」
「ああ、あの『銀髪の魔女』とか呼ばれているやつだろ」
「……ミレディと手を組んだみたい」
「ミレディだって?」
サディが出会ってから一度も顔色を変えたことのないフレイヤが、初めて驚いた表情を見せました。
ミレディは、フレイヤ、ロリーナと並んで「三賢者」と称される魔女のひとりでした。彼女たち三人は、百歳以上という、ほかの魔女よりずば抜けて高い年齢と、豊富な知識と経験に敬意を表してそう呼ばれていました。しかし、ミレディは魔女たちの長老的存在であるほかのふたりにくらべると敬遠されがちな存在でした。フレイヤ以上に人とのかかわりを嫌い、どこに住んでいるのかさえ誰も知りません。噂では、百年も前に起きた「魔女狩り」のことをいまだに恨みに思い、人間たちに復讐しようと企んでいると言われていました。
「フレイヤ様によけいな心配をさせるからって」
ルーシアが口止めされていた理由を話すと、フレイヤは面白くなさそうに鼻を鳴らしました。
「ふん、よけいな心配をしてるのはロリーナのほうだよ。いまさらあたしがなにかやらかすとでも思っているのかね。ミレディも……ひさしぶりに名前を聞いたと思ったら、盗賊なんかと一緒になって、なにを考えているんだろうね」
それは自分に対する問いかけではないと思ってルーシアは黙っていました。
フレイヤは考え込んでいましたが、ふと我に返って顔を上げました。
「ああ、そうだ。この子に着る物を持ってきておくれ。それから、なにか日用品で必要な物を適当に」
「わかったわ。じゃあやっぱり弟子にするのね?」
「なに言ってんだい、風邪が治るまでのあいだだけおいてやるんだよ」
「……了解。あ、でも、来週は同盟のほうでけっこう忙しいから来れなさそうだわ。急ぎじゃないなら、再来週でもいいかな?」
「再来週? そんなに長くは居ないと思うけどね。まあ、それまではあたしのお下がりを着せとくよ」
ルーシアは「フフ」と小さく笑うとゴーグルをかけ、持ってきた荷物の替わりにフレイヤが用意した荷物を担ぎました。そして玄関口でほうきを取ると、その手をサディに振りました。
「じゃ、サディちゃんお大事に。またねー」
「さ、さようなら」
自分に愛想良くしてくれる人など初めてだったので、サディは少々気圧されながらルーシアを見送りました。
「あいかわらず元気な子だねえ」
ルーシアが出て行くと、フレイヤはポットに余ったお茶を自分のティーカップに注ぎながら言いました。
「いまのルーシアが必要な荷物を運んできてくれるんだよ。もちろんただじゃないけどね。それがあの子の商売ってわけさ」
ルーシアの仕事は、魔女が作った薬草などを町で売って、そのお金で注文された物を買ってくることでした。差額は依頼者の魔女に渡し、その一部がルーシアへ支払われるのです。
「あの子にはうってつけの仕事なんだよ。あの歳で、魔女のなかでは『疾風』と呼ばれるほどのほうき乗りだからね。ほうきの乗り方を習うならあの子に……」
そこまで言って、フレイヤは小さくせきばらいをしてお茶を飲み干すと、席を立って仕事に戻りました。
サディはまだ弟子にはしてもらえないのだと思って、不安そうな顔でフレイヤの後ろ姿を見ていました。
翌朝目覚めると、数日振りに頭や喉の痛みが消えていました。サディは体調が回復しているのを確認すると、早速お湯をわかし、朝食のしたくをはじめました。献立は何度か見ただけですが、ちゃんと作り方までわかっていました。
「今日は調子がいいらしいな」
シンラがそのようすを見て声をかけると、サディは野菜をきざみながらふり向いてうなずきました。そのあいだも、包丁はまったく乱れることはなくリズミカルに動いているので、使い魔たちは、なるほど家事が得意と言うだけのことはある、と感心しました。
しばらくしてフレイヤがとなりの部屋からあらわれました。
「なんだかいい匂いがするじゃないか」
サディはちょうどスープの皿をテーブルに運んでいるところでした。
「おはようございます、フレイヤさま」
「おはよう、具合はいいのかい?」
「はい、もうすっかり。ご迷惑をおかけしました」
「あたしゃ、てっきり猫か狼が料理を覚えたのかと思ったよ」
フレイヤが椅子に座るのと同時にすべての料理が並べられました。フレイヤとツキの分はテーブルに、シンラの分はいつも寝そべっているマットの横に、そのとなりにヨルの分が置かれました。ただ、サディの分だけが見当たりません。
「あんたの分はどうしたんだい?」
「わたしのはあそこにあります」
サディが炊事場を指さすと、料理の残りものが入った小さなお碗がありました。
フレイヤはサディのこれまでの奴隷のような生活を本人から聞いていたので、ああそうか、と納得したように頭を振りました。
「こっちで一緒に食べな」
「は?」
「は、じゃないよ、これからはあたしとおなじものを、あたしとおなじテーブルで食べるんだよ」
「は、はい、かしこまりました」
「そんなにかしこまらなくていいよ」
「は、はい……」
サディがお碗を持ってくると、フレイヤは「なんだいそりゃ、残飯かい」と言って、自分のパンとサラダを半分よこしました。
「昼からはちゃんと自分の分も作りな。あんたは育ち盛りなんだから、あたしよりたくさん食べなきゃ駄目だよ」
フレイヤにそう言われて、サディは「はい、わかりました」と返事をしました。
しかし、せっかく朝食を分けてもらったのにサディは残してしまいました。誰かと同じテーブルで食事をすることなど、物心をついてから初めてのことだったので、緊張して喉を通らなかったのです。