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涙目のサディ - 小さな魔女の物語 -  作者: 月森冬夜
第1章 暗闇の森
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暗闇の森(3)

 森の中にかすかなうなり声が響きました。

 本来、狼は群れで狩りをするものですが、目の前にいるのはこの一匹だけでした。単独でサディのあとをつけ、彼女が完全に弱るまでずっとようすをうかがっていたのかもしれません。狼の目にはサディが群れからはぐれたか弱い草食動物の子どもに見えていることでしょう。そして、もうこの距離なら獲物がどう逃げても捕まえられると確信したので姿をあらわしたようです。

 少しでも動こうとしたり声をあげたりすれば狼が襲いかかってくるような気がして、サディは動けませんでした。それに、逃げ出したくても、疲れと恐ろしさのあまり足は凍りついたように地面にへばりついて離れません。しっかりと抱きしめたほうきからは早くなった心臓の鼓動が伝わってきて、それに共振するかのように身体が勝手に震えだしました。

 狼がゆっくりと距離をつめてきました。

 四メートル……三メートル……。


 狼は体勢を低くしました。飛びかかる姿勢です。狙いは細い首筋。右側はほうきの柄が邪魔なので左側です。この距離で獲物を逃したことはありません。首を噛み切ったときにふき出す温かい血の味を思い出して、狼は舌なめずりをしました。そしていっそう姿勢を低くすると、つぎの瞬間、獲物の急所めがけて飛びかかっていきました。


 サディは硬まったまま動けませんでした。狼の大きく開いた口が目前に迫ってきて鋭い牙がずらりと見えたとき、恐ろしくて目を閉じました。自分はここで狼の遅い夕食となって死ぬのだと思いました。

 こんな状況で彼女が助かるはずもなく、この物語は「不幸な少女の物語」としてここで終わるはずでした。

 しかし、狼の牙は、あと数センチのところでサディの首にとどきませんでした。

 狼が獲物をしとめようとした瞬間、その狼の喉もとにかたわらの草かげから飛び出したもう一匹の狼が牙をたてました。狼は二匹いたのでした。二つの黒い影はそのまま地面にぶつかると、大きなうなり声をあげて激しくもみ合いました。

 サディはその場にへたりこむと、狼の生温い息がかかった首筋をさすって、自分が無事であることを確かめました。

 しかし状況が良くなったわけではありません。ただ餌になるのが遅くなっただけで、あの二匹のうちのどちらかの胃袋におさまるのは間違いなさそうです。逃げ出したくても、疲れと恐怖で立ち上がることはできませんでした。あるいは二匹が共倒れしてくれれば、とも考えましたがそうはなりませんでした。

 決着はすぐに着きました。最初にサディを襲おうとした赤い目の狼は、うらめしそうにうなり声をあげながら去っていきました。

 あとからあらわれた狼はサディのほうに振り向くと、ゆっくりと近づいてきました。

 サディは死神が歩いてくるのを見つめながら、乾いた唇をしっかりとむすんで、なんとか覚悟を決めようとしました。ただ、どうしても身体の震えは止まりませんでした。

 狼はサディのそばまでやってくると、鋭い牙のならんだ口を開きました。


「心配しなくていい」


 驚くべきことに、狼の口から出たのは、牙を持たない人間にも理解できる言葉でした。


「あんたを助けたのには理由がある」


「助けた?」


 サディの乾ききった口からは、なんとか聞き取れるくらいの小さなかすれた声しか出ませんでした。


「そうだ。あんたはいま覚悟を決めようとしていたようだが——いや、その態度はなかなか立派だが——俺はべつにあんたを捕って食いたいわけじゃない」


 それが本当なら——サディは硬くなっていた身体の力が少しだけゆるむのを感じました。


「理由というのは、その格好だ。それにほうき。どう見たって魔女に違いない。だが、ほうきで飛んでこなかったことからすると、どうやら半人前らしい。まあ、まだ若いようだしな」


 狼はサディのまわりをゆっくりと歩きながらつづけました。


「そこで俺は、あんたがうちのご主人に弟子入りに来たのではないかと考えたのさ。ご主人は弟子はとっていないんだが、しかし、それなら一応は客ってわけだ。無事、フレイヤ様に会わせる義務が俺にはある、と思ってね」


「フレイヤさま……」


「そうさ、会いに来たんだろ?」


 狼が鼻づらを近づけて顔をのぞきこんだので、サディはぎょっとしました。敵意がないと言っていてもあまり良い気持ちはしません。第一、いま初めて会ったばかりの狼の言うことをまだ信用しているわけではないのですから。でも、食べる目的ならこんなにまわりくどいことはしないはずです。最初の狼よりはこの狼といるほうが——とりあえずは——安全な気がしてサディは話を合わせました。


「え、ええ、そうよ。フレイヤさまに会いに来たの」


「やっぱり、そうか」


 狼は自分の考えが当たっていたので満足気でした。


「案内するぜ。ずいぶん弱っているようだが大丈夫かい?」


「だいじょうぶ……」


 サディはほうきを支えにしてよろよろと立ちあがりました。

 狼は心配そうに見ていましたが、サディがもう一度「だいじょうぶ」とうなずくと、気をとりなおして歩きだしました。


「ここからすぐ近くだ。狼の足ならの話だが」


 そして思い出したようにふり向いて言いました。


「俺の名はシンラだ」


「サディよ」


「サディ(悲哀)か、そいつはいい。魔女にはぴったりの名前だ」


 狼は笑ったように見えました。






 第1章


 暗闇の森


 終

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