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涙目のサディ - 小さな魔女の物語 -  作者: 月森冬夜
第1章 暗闇の森
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暗闇の森(1)

 空全体に薄くかかった雲の下を、小さな灰色の雲がぽつりぽつりと流れていました。

 お屋敷の四月は、夜こそまだ冷えるものの昼間はすっかり暖かくなって、庭の中にも外にもスミレやレンゲやサクラソウがたくさん咲いていました。


「雨になるかしら……」


 サディはいつものように自分の背丈よりも長いほうきを持って庭の掃除をしながら、心配そうに空を見上げました。ちょうど、おばさんがかんしゃくを起こしてめちゃくちゃにちぎってしまったふとん綿のような小さな雲が真上にきていました。霞の向こうにぼんやりと光っているおひさまは、少し傾いています。そろそろ夕食の準備にかからなくてはいけません。


(それとも先に洗濯物を取り込んだほうがいいかしら?)


 そんなことを考えていると、使用人の中でいちばん身体の大きいガラという女が、こそこそと近づいてきました。


「サディ、お腹が空いただろう?」


「ええ、そろそろ夕食のしたくをはじめようかと思っていたところです」


「そうじゃないよ、お前のことさ。ふだんからろくなものを食べさせてもらってないんだろう? 見てごらんよ、この腕、どっちがほうきだかわかりゃしない」


 ガラはサディの腕をぐいとつかみました。


「お前のために食べ物をとっといたんだ。さあ、こっちへおいで」


 機嫌の悪いときにやかましく怒るくらいで、ふだんはあまり話しかけてくることさえしないガラが、今日は妙に親切です。サディは不思議に思いました。


「ごしんせつにありがとう。でも、かってに食べたりすると奥さまにしかられるんです。それにもう夕食のしたくにかからないと」


「いいんだよ、サディ。もうお前はなにもしなくていいんだ」


 ガラはいかにも幼い子に言い聞かせるように語りかけました。


「このままここでこき使われていれば、きっとお前は死んでしまうよ。だからこの家を出るのさ。そのほうがお前には幸せなのさ」


 なぜか最後のほうは自分に言い聞かせるような口調になっていましたが、サディは思いがけないことを言われたのでそんなことには気づきませんでした。


「おやしきを出るですって! それは奥さまがおっしゃったのですか?」


 サディは驚いて大きな目をさらに大きく広げました。彼女は物心ついたときから一度もお屋敷の外に出たことがありませんでした。彼女にとって「世界」とはお屋敷の敷地の中のことで、「人生」とはここで馬車馬のように働くことでした。外の世界を想像したことはあっても、自分がそこへ出ていくことなど考えたこともなかったのです。


「あたしたち使用人みんなで決めたのさ。この先の森に魔女が住んでいる。そこに行けば、いまよりずっといい暮らしができるよ」


「そんな、かってにおやしきを出るなんてできません。それに魔女だなんておそろしいわ」


 サディはやつれた顔を横に振りました。しかし、ガラはもう決まったことだと言って聞きません。


「お前は知らないだろうけど、魔女には善い魔女と悪い魔女がいるんだ。その森の魔女はとても善い魔女さ。きっとお前を歓迎してくれるよ」


 ガラはそこまで言うともう返事は聞かずに、サディの細い手首をつかんだままお屋敷の門のほうへどんどん歩いていきました。近くにいた使用人たちも誰も止めようとはしません。それどころかみんな見て見ぬふりをしていました。

 サディはまだ持ったままのほうきといっしょに引きずられながら思いました。自分が頑張って仕事をすれば、そのぶんやることが無くなった使用人は辞めさせられてしまう。彼女たちにはほかに仕事が無いのだ、と。

 サディはいつも邪魔者でした。毎日大人の何倍も働いているのに、少しでも休めばおじさんやおばさんに怒られました。「働くのが嫌ならこの家から出ていけ!」とよく言われました。「この家」といっても、もともとはサディが受け継ぐはずだった父親の遺産で買ったものなのですが、誰も遺産のことは一言も口にしませんでした。それどころか「実の娘でもないお前を住まわせてやってるんだから、もっとしっかり働け」などと言っていました。事実を知らない幼いサディは、外の世界でどうやって生きていけばいいのかわかりません。だから「出ていけ」と言われないように一生懸命働きました。しかし、そうしたらそうしたで、使用人たちにはうとまれて邪魔者あつかいされていたのでした。 

 ガラに連れられてサディは門をくぐりました。お屋敷にきて以来、外へ出たのは七年ぶりでした。




 しばらく歩くと森の入り口に着きました。

 道のわきに立て札が立っていて「帰らずの森。危険、魔女に食われる!」と書いてありました。この森には昔から恐ろしい魔女が住んでいるという噂があったのですが、お屋敷に来てから一度も外に出たことがなかったサディは、そんなことはまるで知りませんでした。そのうえ字が読めないので、立て札になんと書いてあるのかもわかりません。


「さあ、ここからはお前ひとりで行くんだよ」


 ガラにそう言われても道らしい道はなく、はるか向こうの山々まで、ただ草木が高く深く茂っているだけでした。


「でも……」


 サディがなにか言いかけましたが、すぐにガラにさえぎられました。


「ここをまっすぐ奥へ奥へと行けばそのうち着くだろうよ。その大事そうに抱えているほうきはくれてやるから魔女の家の庭でも掃きな。ああ、それから夕食のしたくならやっとくから。これからは全部あたしたちがやるから、お前はなにも心配しなくていいよ」


 そうまくしたてられてサディは黙ってしまいました。あまり人とおしゃべりをしたことがなかったので、自分の気持ちをうまく伝えることができず、なんと言っていいかわからなくなったのです。


「わかったら早くお行き」


 突き飛ばされて、サディはよろよろと草むらの中に入りました。ふり返るとガラが腕を組んで見下ろしています。どうやら戻ることは許されないようでした。

 サディはしかたなく草をかき分けながら森へ向かって歩いていきました。

 数十歩進むとあたりは急に暗くなりました。森の奥はすでに夜の闇に支配されているようでした。たくさんの木々がたくさんの枝を伸ばし、その枝と枝にからみついたツタにはさらにたくさんの葉が茂っています。それらは、薄い雲を通ってくる頼りない夕暮れの日光が、森の中へ入ってくることをかたくなにこばんでいるようでした。

 薄暗い森の奥はどこまで続くともしれない闇。そしてそのずっと先には魔女の家。サディは怖くなってまたふり返りました。それを見て、まだ道ばたに立っていたガラが「早くいけ」と手で合図をしました。それは野良犬を「しっ、しっ」と追いはらうしぐさに似ていました。そしてつぶやきました。


「さっさとお行き、もう戻ってくるんじゃないよ」


 サディは観念してさらに森の奥へと入っていきました。

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