遠い記憶(2)
事態を収拾できないでいる政府の力は弱まり、社会は混乱の時代を迎えようとしていました。このとき政府が目を付けたのが魔女でした。
当時、魔女は予言者、占い師、精霊使いなどと呼ばれ、地域によってはそれなりの発言力を持っており、政府としては、民衆を統率するときに邪魔になる存在でした。そこで、民衆の憎悪を一方向に向け、政府の統率力を取り戻すとともに、魔女を一掃するという行動に出ました。政府は「魔女が国家の転覆を図っている。社会を崩壊させ、自分たちが支配者にとって代わろうとしている」「実際に、魔女を殲滅した町から黒死病の恐怖が無くなった」という情報を流しました。
家族や友人を失った人々の、やり場のない怒りと悲しみは魔女に向かいました。黒死病の恐怖もまた民衆を駆り立てました。
一度魔女と告発されると、裁判ではほとんどの人が疑いを覆すことができずに磔にされました。次々に火あぶりにされていく人のなかには、金持ちであったり、美人であったりといった妬みからや、近所でいさかいを起こした相手から告発されて、といったまるで魔女と関係ない例も増えてきました。本当に魔女であるのかないのかは、火あぶりにされた本人にしかわからないのです。
黒死病という恐怖は、新たに魔女狩りという恐怖を生みました。
ちょっとしたことで魔女の疑いをかけられ処刑されたのではたまりません。人々は自分が告発される前にまわりの人間を次々と告発し、狩られる側より狩る側にいて、少しでも安心感を得ようとしました。
もともと精霊使いなどは女性がほとんどだったので、魔女として処刑されたのも女性が主でしたが、わずかながら、男性がいたとも言われています。
もちろん、政府は黒死病の対策も忘れてはいませんでした。特効薬こそ見つかりませんでしたが、患者の隔離、衛生面の徹底した管理と汚水処理などの技術の進歩によって、しだいに死者は減っていきました。
そして、恐ろしい伝染病の犠牲者が減っていくにともない、魔女狩りの熱も冷めていったのです。
ちょうどそのころ、魔女狩りの指揮を取っていた者が殺害されるという事件が起きました。政府は魔女の犯行であると断定して捜査しましたが、結局犯人が見つかったという記録はありません。
指導者がいなくなったことにより、魔女裁判も徐々に減っていき、結果的に罪もない人々の処刑も少なくなりました。しかし、それまでにはすでに膨大な数の犠牲者が出ていました。
黒死病の猛威は、数年で大陸の人口の四分の一から半数近くを死に至らしめたと言われています。人類が絶滅の危機にあったと言っても大げさではありません。そんな時期にあって、人々は魔女狩りによって自らの手でさらに数万人を抹殺したのでした。
魔女狩りが下火になったころ、大陸の魔女はほとんどいなくなっていました。しかし、千人にひとり、あるいは万人にひとり、魔女の素質を持った者は生まれてきました。ただし、死ぬまで自分の能力に気づかない者や、隠し通した者もいるので、正確な人数はわかっていません。
魔女にとって災難だったのは、政府が「黒死病は魔女のせいではなかった」と公表してくれなかったことです。もともと政府は、魔女のことを良くは思っていなかったし、魔女狩りの指導者を殺したのは魔女だと確信していたので、完全に敵対する立場にいました。
ほとんどの民衆は、時が経つにつれて、本当に魔女が黒死病をもたらしたのか疑問に思うようになりました。しかし、自分たちの行為を正当化するためには、魔女を悪役にするしかありません。人々は、うしろめたい気持ちを持ちながらも魔女を弾圧していきました。
そのような理由から、自分の能力に気づいた魔女は、ひっそりと社会から姿を消しました。なかには、他人に気づかれ、地域から追われた者もいます。彼女たちは身内と決別するために名前を変え、人里離れた森の奥で暮らすようになりました。そのような状況で魔女たちは、自分たちの身を守るため、また、新たに誕生する魔女を導くために、「魔女同盟」を結成しました。
魔女同盟の活動により、森での暮らしの改善、知識の交換が盛んになると、森で採れた薬草やそれを加工したものなどを、一般人と売買をしたりする余裕も生まれました。
魔女狩りから百年近くたって、まだごく少数ではありますが、人々はようやく魔女の存在を認めるようになったのでした。
「なにをしたの!」
サディが突然倒れたので、猫のツキはテーブルに飛び乗りフレイヤに食ってかかりました。
「見せたのさ、人の心の深淵を。ふだんは気づかないふりをしているが、心の奥底に持っているどす黒いものをね」
フレイヤがなにを見せたのか、ツキはすぐに察しました。
「そんなの、この子にはまだ早すぎるわ」
「学校で生徒たちに将来の夢を聞いてみても、魔女になりたいなんて言う子はひとりもいやしない。この子は魔女になる前に、その理由を知っておく必要があるんだよ」
そんなのはもっと時間が経ってから見せればいい、とツキは思いました。サディ本人が「魔女になるしかない」と自覚してから。そうすれば、少々、惨い光景を見せられても簡単に進路は変えないだろう。しかし、それはずるいやり方だ。フレイヤはまだサディに選択の余地があるうちに、魔女として生きていくことの過酷さを教えたかったに違いない。
フレイヤはサディを抱きかかえてソファーに横たえました。
「それでこの子が魔女になるのをやめる、と言えば、それはそれで仕方ないさ」
少し寂しそうな言い方でした。
「あいかわらず、律義ね」
(本当は弟子が欲しいくせに)
ツキは「でも、フレイヤらしい」と思いました。
サディがソファーの上で意識を取り戻すと、目の前に見覚えのある顔がありました。しかし、まだ頭の中は混乱していて、死体の山や、恐ろしい拷問部屋から逃げ出そうと手足をじたばたさせました。
「大丈夫よ、サディちゃん」
毛布の上から軽く押さえられ、聞き覚えのある声を聞いて、サディは自分がどこにいるのかやっと理解しました。鼻先で砂色の髪が揺れています。蒼い瞳が心配そうに彼女を見つめていました。
「ルーシアさん……」
「あれ見せられたんだってね。フレイヤ様も人が悪いなあ」
「子どもが見るようなものじゃないとは思ったけど、魔女になろうとするなら避けては通れないことだからね」
フレイヤはティーカップを片付けながらぶっきらぼうに言いました。どうやら、サディが目を覚ますまでにお茶を一杯以上飲むひまがあったようです。
サディは、初めて会ったとき、やつれた自分を見てルーシアの表情が曇ったわけがわかりました。あの恐ろしい出来事は、すでに終わってしまったことではなく、きっといまもどこかで魔女は迫害されているのでしょう。サディもまた、迫害された魔女のひとりだと思われたのでした。
「それでも魔女になるかい?」
フレイヤがカップを洗いながらたずねました。
サディの頭からはあの生々しい光景が離れません。いくらなんでも、いますぐあんな目に合わされることはないでしょう。ただ、人間の気分というのはちょっとしたことで変わりやすいということも知っていました。人間というものは、何度でもおなじ過ちをくり返すのです。過去の反省が未来の安全を保証するとは限りません。
(それでも)
どんな道を選んでも、多かれ少なかれ苦労はあるだろう。それならば、苦労は覚悟の上で自分の進みたい道を選ぶべきだ。あとで後悔することのないように。
サディは魔女以外の生き方というものをまだ知りません。しかし、ほかにどうすることもできないし、ここでフレイヤにいろんなことを教わりながら暮らすのは、決して悪いことではないと思いました。むしろ、以前の生活にくらべたら、雲泥の差があります。
(どんな人生もそれなりに波瀾万丈)
ふと、そんな言葉が思い浮かびました。いつ、どこで聞いたのかは思い出せません。でも、最終的にその言葉がサディの肩をやさしく押しました。
サディはフレイヤの背中に向かって言いました。
「わたしは魔女になりたいです」
フレイヤは食器を片付けると、前かけで手を拭きながらルーシアに言いました。
「今度来るときに、新しいほうきをひとつ持ってきておくれ」
第4章
遠い記憶
終