序章 哀しみのサディ
その赤ん坊が生まれたとき、その子の母親は死にました。
寒い冬の日の夕方でした。
窓の外は、この時期この地方ではめずらしく雪が積もっていました。
灰色の空からひらひらと舞い降りる氷の結晶は、窓にぶつかるとすぐに溶けて、暖炉の熱で暖められた部屋の中まで冷気を運ぶことはできませんでした。
暗くならないうちにと帰路を急ぐ馬車が屋敷の表の通りを行き交っていました。雪を踏みしめる車輪の音もまた、赤ん坊の泣き声にかき消されて家の中までは入ってこれませんでした。
母親は元気な赤ん坊の産声をひと声でも聞くことができたでしょうか。
母親はもともと身体が弱く、助産婦にも出産には耐えられないかもしれないと言われていました。それでも、「なんとかおなかの中の生命を生かしてあげたい。世界がどんなにすばらしいか見せてあげたい。それで私が死んだとしても、生きた証としてこの子が残るなら」と言って無理をして産むことにしたのでした。
彼女は病弱で痩せてはいたけれど、多少のことには動じず、長い金髪をゆらしていつもおだやかに微笑んでいる人でした。「人生はいつも波瀾万丈」が口ぐせで、見た目とはちがって細い身体に生きる力をみなぎらせていました。そして、その「波瀾万丈」の生涯を二十二年で終えました。
赤ん坊の父親は出産に立ち会っていました。最愛の妻を亡くしたとき、膝をついて泣いていました。冷たくなった白く細い手を握りしめ「よく頑張った、よく頑張った……」と何度もくり返していました。
赤ん坊は女の子でした。生まれてからずっと泣いていました。母親の死を知っているかのように三日三晩泣きつづけました。そして、四日目の朝、ぴたりと泣き止むと、それからは泣かなくなりました。涙が涸れてしまったのでした。
そのようすを見て、父親は赤ん坊を「サディ」と名づけました。この国の古い言葉で「悲哀」や「絶望」「大いなる悲しみ」をあらわす言葉です。その場にいた人たちは「縁起が悪いから」という理由でやめさせようとしましたが、父親は聞きませんでした。
「この子は生まれると同時に母親を亡くした。大いなる悲しみのなかで生まれた子だ。いま以上に不幸になることなどありえない。これからはどんどん幸福になってゆくのだ」
そう言ってゆずりませんでした。もちろん誰も納得しませんでした。父親以外の人には一生悲しみがついてまわるような不幸な名前にしか思えなかったからです。しかし、しつこく止める人もいませんでした。はじめての子どもが生まれたと同時に、最愛の妻を失ったのです。父親の心情をわかってやれるとは誰も思いませんでした。だから、結局最後は彼の好きにさせました。
父親は赤ん坊をとても可愛がりました。亡くした母親のぶんまで、そそげるだけの愛情をそそぎました。
そして二年後、父親は死にました。
サディの父親は軍人でした。
この国で内乱が起きたときも治安と秩序を守るためりっぱに働きました。
そして戦死しました。
サディはまだ幼かったので「死」というものがよくわかりませんでした。ただ、もう二度と会えないのだと聞かされて、それはとても悲しいものなのだと感じました。
家族のいないサディは、父親の遺言にしたがって遠い親戚にあずけられることになりました。
子どものいない親戚のおじさんとおばさんはサディをとても歓迎してくれました。娘をあずかることで父親の遺産をすべて自分たちのものにできたからです。
でも三年ほど経ってそのお金を使い果たしてしまうと、サディにつらくあたるようになりました。よその子にただで食事をさせるのが、とても損なことに思えてきたのです。だから仕事をさせることにしました。
最初の仕事は掃除でした。サディは掃除が嫌いではありませんでした。部屋や廊下や庭がきれいになっていくのは楽しいことでした。ただし、広いお屋敷だったので、彼女は朝早くから夜遅くまで、ほうきと雑巾を持って歩いてまわらなければなりませんでした。それでも要領がわかってくると休憩するくらいの余裕はできました。
つぎの仕事は洗濯でした。サディは洗濯が嫌いではありませんでした。汚れた洗濯物がきれいになっていくのは気持ちのよいことでした。ただし、このお屋敷でやとわれている使用人たちのぶんまで洗わなくてはならないため、いままでよりも早く起きて洗濯をすませ、夕方、掃除の合間に乾いた洗濯物を取り込み、きちんとたたんでなおさなければなりません。冬の寒い日などにはとてもつらい仕事でした。それでも慣れるとなんとか掃除と洗濯を一日のうちに終わらせることができるようになりました。
三つ目の仕事は食事のしたくでした。サディは料理が嫌いではありませんでした。おいしい料理を作って食べてもらうことは幸せなことのように思えました。ただし、これはいままでの仕事にくらべるととても難しくて、なかなかうまくできませんでした。それでも何度も作っているうちに文句のつけようのない料理ができるようになりました。
サディが仕事をおぼえていくと、そのぶんいらなくなった使用人たちが辞めさせられるので、彼女の仕事は増えるばかりでした。ゆっくり眠るひまもなければ、食べるひまもありませんでした。それなのに、階段などに腰かけて少しでも休んでいると、おばさんはひどく怒るのでした。
「お前さえ生まれてこなけりゃ、お前の母親も死なずにすんだろうに」
ときにはそんなことも言われました。その言葉を聞くたびに、サディは悲しくてたまらなくなるのでした。しかし、それでもその涸れた瞳から涙が流れることはありませんでした。
彼女の涙を失った瞳は、おじさんとおばさんがなにかにつけてどなるので、いつもおどおどして暗く落ち着きがありませんでした。伸びほうだいの黒い髪は、ここ数年くしを通したことがなく、ボサボサして邪魔になったので掃除中に拾った紐を使って首の後ろで束ねていました。着るものといえば、捨てるつもりだった古いカーテンしかなく、それを縫い合わせて腰を紐で結んでいました。使ったカーテンが暗幕のように黒かったので、使用人たちからは「浮浪者の葬式」と笑われていました。いちばんひどいのは食事で、前日の残り物が少し食べられるだけでした。そのためサディはとても痩せていて、一年中顔色も悪かったので、まるで子どもの幽霊のようでした。
奴隷のような生活でした。このお屋敷に来た当時は「お嬢さま」と呼んでいた使用人たちも、いまでは「サディ」と呼び捨てにして使いっぱしりのようにあつかっていました。でも、サディはほかの子どもたちの暮らしを知らなかったので、誰でもこんなものなのだろうとしか思いませんでした。また、きっとこれからもずっとこうなのだろうとも思っていました。そして実際にこのままの状態で時は流れていきました。
自分の手で運命を切り開くには、彼女はまだ少し幼かったのです。
序章
哀しみのサディ
終