神と聖女
それでも私は、ルミエルを抱きしめた。
三歩の“空白”を、踏み越えて。
ざわ、と空気が鳴った。
誰かが叫ぶ前に、
誰かが祈る前に、
世界が一瞬――判断を迷った。
「……触れた」
誰かの声が、震えながら落ちる。
「神が」 「聖女に」 「祝福を……?」
違う。
でも、否定もしない。
私はルミエルの背に腕を回し、
ただ、離さなかった。
ルミエルの体は小刻みに震えている。
「……ナギ様」
声が、消えそうだった。
「私、まちがってますか」
私は即答しなかった。
“正しい答え”を出した瞬間、
それはまた教義になる。
だから私は、事実だけを言った。
「君は、聖女だ」
ざわ、と空気が揺れる。
肯定。
だが――そこで止める。
「でも」
一拍。
「聖女であることは」 「人でなくなることじゃない」
誰かが息を呑む。
サクラ教の信徒が、戸惑った声を上げる。
「……で、ですが」 「聖女とは、触れてはならぬ存在では……」
「誰が決めた?」
私は視線を巡らせる。
「教義か?」 「壁画か?」 「それとも――噂か?」
沈黙。
答えられる者はいない。
私は続ける。
「聖女は“意味”じゃない」
ルミエルの肩に、力を込める。
「役割でも、道具でも、象徴でもない」
一歩、前に出る。
「祈られる存在である前に」 「ここに立っている、一人の人間だ」
世界が、また揺れる。
否定ではない。
革命でもない。
定義の更新。
ルミエルが、私の胸元で小さく息を吸う。
「……私」
顔を上げる。
泣いているけれど、
声は、はっきりしていた。
「聖女として、祈ります」
人々が、息を止める。
「でも」 「争いのためには、祈りません」
その瞬間。
《聖性(誤)》が、再解釈される。
拒絶ではない。
条件付きの受容。
最悪だが、致命的ではない。
「……選ばれたのか」
黙示派の誰かが呟く。
「“沈黙ではなく、制限”を……」
「聖女が」 「線を引いた……」
私は、心の中で舌打ちした。
(ああ、くそ)
(それでも意味になる)
それでも。
ルミエルは、私の腕の中で立っている。
祈られる存在として。
そして――逃げない人間として。
私は、彼女の耳元で小さく言った。
「大丈夫」
「今日は、うまくやった」
それが、
次の神話の始まりになるとも知らずに。




