聖女ルミエル
玉座の間の奥。
謁見用ではない、作業用の広間。
石床の上に並ぶのは、 木工職人、鍛冶職人、染師、書記――
城に雇われた技術者たちだけだった。
貴族はいない。
仲間もいない。
いるのは、道具と目利きだけ。
「で、これが“版”だ」
私は机の上に、彫られた木板を置いた。
「……文字が、逆だな」 年配の木工職人が言う。
「刷ると正しくなります」 「理屈は分かるが……」
私は黙って、インクを塗り、紙を被せた。
ぎゅ。
一枚、引き剥がす。
そこに並ぶ、完璧に揃った文字。
職人たちが、一斉に前に出た。
「同じ文字だ」 「誤差がない」 「写本より、速い……」
私は淡々と言う。 「これで、同じ本を百冊、千冊作れます」
沈黙。
鍛冶職人が、低く笑った。 「……武器より厄介だな、これは」
「正解です」 私は即答した。
「で」 染師が腕を組む。 「何を刷る?」
私は、次の板を出した。
タイトルを見た瞬間、 書記が息を呑む。
『聖女ルミエル
――沈黙と起床に関する覚書』
「聖女……?」 「人物伝か?」 「存命だろ?」
私は肩をすくめた。 「今は、まだ」
「“まだ”?」
「刷った瞬間から、そう呼ばれます」
職人たちが顔を見合わせる。
「本人の許可は?」 「ありません」
「危険だぞ」 「城が燃える」
私は、にっこりした。 「だから城で刷るんです」
一拍。
「王権が保証するなら――」 木工職人が言った。 「技術的には、問題ない」
「よし」 私は即断した。 「初版、五百」
「多くないか?」 「様子見です」
書記が恐る恐る聞く。 「内容は?」
「事実のみ」 「盛らない?」
「盛るのは読者です」
その瞬間、
二階の作業通路から足音。
寝起きのルミエルが、手すり越しに覗いた。
「……なにしてるんですか」
職人たちが、同時に振り向く。
「……あ」 「本人だ」 「普通だな」
私は即座に言った。 「今は」
「今は?」 ルミエルが嫌な予感を覚える。
鍛冶職人が真顔で言う。 「聖女様、起床の儀式は?」
「ないです!」
「否定」 書記がメモする。 「“俗性を拒む清廉”」
「書かないでください!!」
「声を荒げた」 「情動あり」 「人間性が高い」
「聖性も高いな」
私は頷いた。 「第二版の帯、決まり」
ルミエルは私を見る。 「ナギ……?」
「大丈夫」 私は優しく言った。 「売れる」
「そこじゃないです!!」
職人たちは、もう止まらない。
「この構造、他の聖人にも使えるな」 「版を差し替えれば――」 「革命だ」
私は静かに言った。 「ええ。出版革命です」
ルミエルの悲鳴が、
城の石壁に反響した。
そして職人たちは理解した。
――この城で、
一番危険なのは剣でも魔法でもない。
刷れる“言葉”だ。




