聖人
通りの角を曲がったところで、
一人の女が立ち止まった。
粗末な外套。
祈祷用の数珠を指に巻いている。
彼女は、セリオを見るなり――
その場で膝をついた。
「……聖セリオ様」
「え、ちょ、やめてください」
反射的に言った声は、驚くほど弱かった。
「顔を上げて。
僕は、そんな――」
「ありがとうございます」
遮るように、女は言った。
「あなたのおかげで、
生きていていいと思えました」
空気が、張りつめる。
アレンが一歩前に出ようとしたが、
女の言葉が早かった。
「この本です」
震える手で、
一冊の写本を差し出す。
表紙は粗い。
挿絵は、明らかに誰かの想像だ。
――セリオが、
光の中で誰かを見守っている構図。
「恋人を亡くして、
毎日が終わりみたいで」
女は、言葉を選ぶように続けた。
「でも、
“誰かの隣にいることは罪じゃない”
“それでも歩いていい”って」
彼女は、セリオを見上げる。
「聖人様が、そうしていたから」
セリオの喉が、鳴った。
(……してない)
(そんな立派なこと、
僕は――)
「違います」
やっと出た声は、かすれていた。
「それは……
僕じゃない」
女は、首を傾げた。
「でも、あなたの名前が書いてあります」
「書いてあるだけです」
少し、語気が強くなる。
「僕は、
誰かを救うために生きてきたわけじゃない」
沈黙。
女は、しばらく考えるように目を伏せ――
それから、穏やかに笑った。
「それでも、いいんです」
「……え?」
「意図してなくても」
女は言う。
「結果として、
私は救われました」
「それを、
無かったことにされる方が……
つらい」
胸に、
重たいものが落ちた。
感謝は、
刃よりも深く刺さる。
アレンが、低く言った。
「……もう行こう」
女は、深く頭を下げた。
「どうか、
これからも……
お二人で、歩いてください」
立ち上がり、
人波に消えていく。
しばらく、誰も言葉を発さなかった。
やがて、セリオが呟く。
「……否定するのって」
小さな声。
「こんなに、
残酷なんだね」
私には、何も言えなかった。
“聖人”という役割は、
本人の意思とは無関係に、
誰かの人生を背負わせる。
そしてセリオは――
それを、振り払えるほど
冷酷になれなかった。




