サジタリウス未来商会と「他人の運命」
藤井という男がいた。
平凡な会社員でありながら、どこか周囲の人間に対して冷淡だった。
「他人がどうなろうと、知ったことじゃないさ」
彼はよくそう考えた。隣人が困っていても、職場の同僚がピンチに陥っていても、いつも無関心だった。
「誰かがどうにかするだろう」と思って、自分から行動することはほとんどなかった。
だが、その夜、彼は奇妙な屋台を見つけた。
帰宅途中、ふと気づくと、路地裏に小さな屋台がぽつんと明かりを灯していた。
その看板には、手書きでこう書かれている。
「サジタリウス未来商会」
興味を引かれた藤井は足を止めた。
屋台の奥には、痩せた初老の男が座っている。長い顎ひげをたくわえたその男は、穏やかな笑みを浮かべていたが、その目には鋭い光が宿っていた。
「おや、いらっしゃいませ。藤井さん、お待ちしておりました」
「俺を……待ってた?」
「ええ。今日はあなたに特別な商品をお見せしましょう」
男――ドクトル・サジタリウスは、懐から奇妙な装置を取り出した。
その装置は、手のひらに収まるサイズの小箱で、液晶画面がついていた。
サジタリウスはそれを藤井に差し出しながら言った。
「これは『他人の運命操作装置』です」
「他人の運命?」
「そう。この装置を使えば、あなたが望むままに他人の運命を操作することができます。昇進させたい、恋人を作りたい、成功させたい……あるいはその逆も、思いのままです」
藤井は思わず笑った。
「そいつは面白い。そんなことが本当にできるのか?」
「もちろん。試してみますか?」
藤井は、装置を軽い気持ちで受け取った。
「誰を操作するか選んでください。職場の同僚でも、隣人でも、知らない誰かでも構いません」
「じゃあ……職場のあいつだな。山本ってやつだ。あいつ、俺の前で妙に出しゃばるんだよ」
藤井は操作を始めた。液晶画面に「山本」と名前を入力し、次に表示された選択肢を確認する。
「運命を上昇させる/下降させる」
迷うことなく「下降」を選び、ボタンを押した。
翌日、職場で驚くべきことが起きた。
山本が担当していたプロジェクトが突然中止となり、大きな損害を被ることになったのだ。さらに、上司に厳しく叱責され、意気消沈している様子が見て取れた。
「本当に効果があったのか……」
藤井は内心驚いたが、同時に面白さを感じ始めた。
それからというもの、彼は装置を頻繁に使うようになった。
次は隣人をターゲットにした。
「最近、夜中にうるさいんだよな。少し痛い目を見ればいい」
装置を操作し、「下降」を選択。翌日、隣人が階段で転んで足を骨折したと聞き、彼は薄ら笑いを浮かべた。
さらに、同僚の鈴木を昇進させるために「上昇」を選んだこともあった。鈴木は翌週、思いがけず海外出張の機会を得て、大きなプロジェクトを任されることになった。
「これ、本当に万能じゃないか……!」
藤井は装置の力に完全にのめり込んでいった。
だが、ある日、妙なことが起こった。
装置を操作しようとした際、液晶画面に見慣れない選択肢が表示された。
「対象: 自分」
「自分の運命を操作?」
藤井は戸惑いながらも、興味に勝てなかった。好奇心から、「上昇」を選び、ボタンを押した。
その瞬間、彼の心に奇妙な感覚が広がった。
翌日、藤井は驚くべき幸運に見舞われた。
上司から褒められ、新たなプロジェクトのリーダーに任命された。さらには宝くじが当選し、しばらく疎遠だった友人から連絡が来るなど、すべてが順調だった。
「これなら完璧だ……!」
だが、同時に藤井は気づいた。彼が「上昇」を選んだ分、周囲の誰かが不運になっていることに。
隣の席の後輩が体調を崩して休職し、近所で仲良くしていた女性が事故に遭ったという噂も聞いた。
「まさか……俺のせいか?」
心のどこかでその可能性を感じつつも、装置を手放すことができなかった。
ついに藤井は、再びサジタリウスの屋台を訪れた。
「この装置、返したい!なんだか怖くなったんだ!」
サジタリウスは穏やかな笑みを浮かべながら頷いた。
「他人の運命を操作するということは、責任を背負うということです。運命は常に均衡を求めますから、誰かが幸せになるとき、別の誰かが不幸になるのです」
「そんなこと、最初に言ってくれればよかったのに!」
「あなたが知るべきタイミングが今だった、というだけです」
藤井はしばらく言葉を失ったが、ようやく装置を差し出した。
「もういらない……自分の運命も、他人の運命も、俺は自分で背負うよ」
その日以来、藤井の生活は変わった。
他人の不幸や幸運に無関心でいることができなくなり、周囲の人間に気を配るようになった。
彼はふと気づく。
「運命は操作するものではなく、共に向き合うものだ」
そして彼は、サジタリウスが再び現れたときには、もっと堂々と自分の人生を語れる人間になりたいと思った。
【完】