【第十九話】俺の瞳を拾ってくれ(1)
水車は回る。水によって回って、水が落ちてるから回って、回った力で今度は何を動かすのかといえば別の水車。知識のない俺には不合理にしか見えないこの光景がどこか俺を慰める。毒沼、食人と今日だけでも大分疲れた。それでも進まねばならない。元はと言えば時計を直すとかなんとかだったとは思うが、そこから荷車の痕跡を探してたら時計頭の怪人と出遭い、精神にとっても猛毒な毒沼を超え、挙句こんな水道のような遺跡にいる。しょうがないから来ているというだけで、実際それ以外の ―"賭け"として来ている以外にここに居続ける理由もない。脱線もいいところだ。
いやしかし、それでもやるしかない。
賭けに走らなければならないのはまともにやっても希望がないからであって、そしてその"まとも"というのがどうにも制限されている。なにせ地下、なにせ危険な迷宮だ。ここでまともにやるってなんだよ? 誰かから買えるわけでも、自分で出来るように技術を習得する事も出来ない。第一に抑々修理しなければならない時計だって拾い物だ。そう思うと必然ではあるけれど、文句は言いたい。
…ただそれだけの戯れ言だ。あまり気にしないでくれ。
人の煮られていた部屋から出て右を曲がり、直進してみると何か祭壇のような上に剣の突き刺さった生溶肉がいた。他に特筆すべき特徴もなく、役に立ちそうなものもなかったので一応念の為にと突き刺さっていた剣を引き抜いたら、急に生溶肉が活発化して溶解液のような吐きかけてきたり、霊魂としか形容のできない黒い光弾を漂わせてきたので急いで引き返した。
今度は左を曲がると、そこには降りたら登って帰ってこれるか分からない程度には高い段差があった。幸いその段差の右側には一度に一人しか降りれないくらいには細い階段があって、段差の下 ―つまり階段で降りた位置の後ろに隠しトンネルがありそこから敵が出てくるかもしれないとの事でフルトーさんが先に降りた。すると案の定敵 ―大鼠がいた。
「!…」
鼠相手に上に位置しているというのは多少の地の利があって取れる選択肢もそこそこ多い。けど持ってる武器的に上から突き刺すようなまねしかできない。じゃあどこをぶっ刺してやろうという話になるのだが、ここで問題 ―というか気付いた事が一つ。
この大鼠、いやに動きが遅い。なにか寄生虫にも憑かれているように不自然な動きで、時折震え、暴走するように虚空に威嚇している。
―読みが当たっているのならこいつはなにかに操られているのではないか?
…まぁ、実験だ。
そう思って俺はここを狙えば尋常の生物は死ぬであろう部分 ―頭を可能な限り正確に突き刺した。
「…断末魔さえないのかよ」
全体重…とはいえ普通より軽いだろう俺の重量を込めた一撃で、想像以上にあっけなく大鼠は死んだ。
「…なんかおかしなやつですね」
どうにも消化不良感のある俺を見兼ねてかフルトーさんは腰に差してあった短剣を差し出し「捌いてみるか?」と訊いてくれた。
「…はい」
この感覚が消えるという確証は当然、自信すらなかったが俺は短剣を受け取った。
生物学とか解剖学の知識は皆無なので勘にも程があるレベルで直感的に、だが迷いはなく俺は大鼠の死体の顎のあたりから最後まで一直線に切り裂いた。
それで判った事として、結局これはいたって普通の鼠の死体…とは言い難かった。
それは普通の鼠を解剖した事がないからという元も子もない理由ではなく、「死後筋肉がこんなにも活発に動くものか」という誰でもわかる"異様"のラインにまたがる疑問が目の前で分かりやすく顕在化したからである。
「気持ち悪い…」
よくもまぁこうも動くもので、脳を貫かれて操作されていない筈の筋肉は生物的な運動というよりはなにか液体の流動のようにどろどろと動いていた。逆にこれがなんらかの干渉があるからこう動いているとかではなく、「そういう生き物です」と言われる方が異常だ。…魔獣なんだから俺からしてみれば異常な生き物でもおかしくはないけどさ!
「…どう見ます? これ」切り裂く時に使った短剣を返しながら後ろのフルトーさんに尋ねた。「病気か寄生虫か…普通の動きじゃないですよね?」
「そうだな、菌類って線もある。しかしこの様子だ、死術師でもなきゃこんなに死体を動かすなんて…しかもお前に止めを刺されるまでは生きたいたわけだから、となれば生前から仕掛けた事になるな」
「死術師…そんなのがいるって言うんですか?」
「もしもの話だ。『可能なら誰だろう』ってな」
「なんだ…」
そんなおっかない奴が相手だと決まらなくてよかった、そう判って俺はそっと胸をなでおろした。
しかし反面その"誰"という人間に限定しなければ他にも候補がいるのかとぞっと胸騒ぎが起きた…
「…それって『人為的にこうされたのなら犯人は誰か』っていう…人間を対象と仮定しての話ですよね…?」
「お、勘が良いな」
演技という風ではなく、実際に驚いたように少し意外そうな調子で応えてくれた。
期待されてないのに失望する反面、こんな状況だから察しの悪い方が幸せだったんじゃないのかという葛藤が渦巻くがこの際は忘れ、彼の声に耳を貸す。
「今まで話したのは対象を人間に限っての話 ―魔獣・魔物にまで範囲を広げればより無法なマネができるからな、特にここはアレがいたんだ。内部侵蝕にかけてはあいつより汎用性のある能力を持ったやつはいねぇよ…少なくともここにはなッ!」
そう言って彼は死体の蠢く筋肉を掴み取り、引きずり出すと石造りである筈の地面が抉れるほど力強く叩きつけ、衝撃で麻痺したところを短剣を突き刺して、まるでコルクボードの上に画鋲でピン止めするように固定した。
短剣の銀色に輝く刃に沿って、源のない橙の光は地面に這う水の面へと流れ、どこかに反射する。それは普通、それが道理の筈だ。しかしどうだろう、現在目の前で行われている光の軌道は現実ち反する ―だが俺達のしていた当然の予想とは反しない。
銀色の刃に流れる光は水面から2cmほどの高さのところで完全に吸収されている。全く反射しないので異様に黒くて目立つ ―という意味ではなく、文字通り"吸収"。淀んだ鈍色の粘度のあるなにかに光は吸い込まれ、玉虫色の輝きに変換される。そしてその輝きは次第に活発さを取り戻し、水に擬態して薄く広がったが、フルトーさんによって凍らされ、以前視た姿へと変わった。その薄氷の答えを今は既に知っている。
「― 生溶肉ですね」
「その通りだ」
あの時は完全に無力化するには能わなかったが、今は違う。何やら妙な道具を持っている、祭壇の上に突き刺さっていた長剣だ。剣ではあるのだろう、しかし武器とするには薄く、芸術品とするには禍々しい。というのはこの剣、あまりに黒い。刃文というのだろうか、刃の白い部分が皆無に近くその点で言えば無骨な鉄板のようでありながら、それでも装飾により美術的な視点からも見られそうな具合だ。なによりもその刃に同調したのだろう張り付いている生溶肉が異様なその剣をあまりに冒涜的な外見へと変化させていて、背負おうにも時々動いて不快なのでこれを持つように彼に言われてから左手が塞がりっぱなしだ。
「…なんの武器なんですかねこれ? なんか生溶肉ついてるし…」
言葉ではこう言っているが心の中ではやっと手放せると内心うきうきである。
「…」
自分の手から離れて解る事というのは確かにあるもので、段々魅力的に見えてきた。薄いといってもそれは耐久性に関しても文句であり、幅広な両刃で切れ味はありそうだ。その上、鍔が十字に円環を重ねたような形状をしていてなんとも中二心をくすぐられるので、生溶肉を剥がせるのだとしたら「なんなら僕が使いますよ!」と挙手したいものだ。
「…どうかしたか?」
「いえ、変な形だな~って」
「…まぁ、確かにそうかもな。だが重要な事を教えてくれる特徴でもあるぞ」俺は意外にいいことを言ったらしい。
「この剣、おそらくは約二千年前『イレイス』という地方にあった国で伝わっていた緋鈍連鋼という合金を加工したものだろう。仄かに紅く、冷たく、そして自然状態でも腐食、侵蝕に強く生溶肉にも侵されない ―伝承の記録と合致する特徴だ。だが、疑問も沸いて出てくる…なにか判るか?」
「…そうですね」
二千年前の伝説の合金ね…益々生溶肉を取り除いて使いたくなってくるが、今は別の話だ。
…二千年前、やっぱりそのワードが気になる。そんなに昔となると劣化がこの程度なのはおかしいよな…いや、それは見方が違うか。考えの前提とすべきは『ここは異常遺跡である事』―つまり配置されてる物や者が無意味って事はない。心象風景として設定されたシーンの小道具には何かしらのメッセージがあるのに近い。
「…単純に考えるなら、異常遺跡の基になった考えを持つ人は二千年前の人間だろう…とかですか?」
いや ―ちょっと違うか、前提を一つのものだと意識しすぎてるな。発想を広げろ、知識を複合しろ、構造を意識して…"構造"?
「フルトーさん、迷宮って偶に構造が変化するんですよね? その間隔が余程広くなければですけど…そんな現象が起きるのに今更二千年前の人の考えを基にするっておかしくないですか?」
「よく覚えてたな? 答えとしては充分充分、及第点だろう…ご褒美でなんかいるか?」
「じゃあその剣を!」
やったっ!七夕の短冊くらいにしか期待してなかったけど、やった棚ぼただ!
「まぁ、この検証と説教が終わったらな」
希望が裏切られるという事もなく、彼はあっさりと了承した。
…話が逸れていく予感がする…気持ちを切り替えよう。
「お前の言う通り、今になってこんな骨董品があるような異常遺跡が出現したのかが解らない。二千年前なんて…人間の歴史としては古いが、創世直後からとされる迷宮の歴史からすれば新しすぎる。まして二千年前は天塔による最後の文明攪拌が起きる五百年前 ―もう消えてておかしくない技術だ。強引な考え方だが…となると異常遺跡に込められた《人間性の闇》の持ち主は文明攪拌後でも失われた技術や知識をとんでもない奴って事になる…気になるじゃねぇか!」
自分で言っていて盛り上がったのか狂気的な笑いの余韻を残しながら彼は死体に巣食っている生溶肉を両断する、すると予想通り黒剣の効果によるものか周囲を融かし且つ粘度のある生溶肉の体はすっぱりと切断され、二つになったうちの一つだけがかろうじて切られる前の体を保っていた。だがフルトーさんはそれで止まる事なく、大斧を剛胆に振るっていた彼の姿を上書きするように細切れと形容するのも生温いほどに…彼は生溶肉を木っ端微塵に切断した。
「…凄いですね、それ」
流石伝説の合金…というよりはフルトーさんの技巧の方に唖然とした。凍らせてるとなっても、こうも綺麗に粉雪みたいにできるもんかね?
「中々使い道あるかもな」
「この場合じゃ生溶肉特攻みたいなもんですからね…」
その効果にはフルトーさんもご満悦…この楽しみようで不快な点をわざわざ言うなんて事はしないだろうから、当然と言えば当然だ。
「ほら、使うんだろ?」
「あ、はい」
そうして再び掌中に収まったわけだか、ほんの少し切りつけたみたいな冷静な表情とは裏腹に斬った際に張り付いていた生溶肉が削げ落ちるほどの勢いでやっていたらしく、もう普通の剣と言っても過言ではなかった。
…なんだろうな、理想的にはなったんだろうけど、なんだこのもやもやとした気分は…
欲しいものが手に入ったとして、それは思っていた過程を経たとは限らない的な…なにか教訓めいた事を暗に教えられた気がする。
拝啓お母様。理想って結果だけじゃなくて過程にも適応されんだな、と思う今日この頃。皆様はいかがお過ごしでしょうか、こちらは水道にて腐肉を切り裂いて笑ってる人が恩人で助かっております。
―敬具。
【ひとこと…?】
最近初めて桃を食べてみたんです。甘くて優しい味わいで、好みな風味だったんですが、いかんせん汁があふれるのなんの。あと皮に毛があるからか、リンゴみたいに丸かじりするのには向きませんでした。
無性に果物を食べたくなるのは体が炭酸飲料を拒んでいるからでしょうか、以上無垢巨人でした。
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