【第十六話】戦い続ける、孤独なまでに一人…(5)
「はぁ…はぁ…」
喉のあたりが変形して妨げているのかと思うほど抑々吸い込める息の量が限られているような感覚で、機会が少ないからか酸素を行き渡らせようとする活動は却って秩序的で良く言って安定、悪く言えば停滞していた。
渡った距離としてはあまり長くはなかったのだろう、だが方法が方法だ。フルトーさんなりの妥協的なタイミングで五秒間隔だったが、なにせ彼は長身だ。歩けないからとジャンプして渡ろうとしたのはもう納得するしかないが、ジャンプ力も違うし、体重とか他の要素もあって彼が調整してくれるとは言え、中々安定しなかった。
「…帰りは別の方法にしましょうよ…疲れた」
もうこの環境から抜け出せるのをいい事に緩くなった緊張を受けて俺の身体は俺をとことん休ませる方針らしく、湿った地面に背中から倒れ込んだ。けれど少しズレ落ちる度に着ている作業着の上着の間に泥のような土が入って、体温と比べられた時の異常な不快感を与える温度差になったので早々にやめた。
「こうなるんだったらあの石棺持ってくりゃよかったな」
「あー、あれですか」
そうして思い出すのはここまで来る原因となった座禅を組んだ白骨死体のあったあのドーム空間、その中心に意味ありげに置かれた石棺。あんなに意味深な配置をされたのだから何か儀式的に重要なものだったと考えられるが、現状のような疲労すると分かっていたのなら問答無用で運んできただろう。最悪その中に遺体 ―周囲に坐していた奴らと同じような白骨死体があったとしても、もはや同舟する事だってやぶさかではない。こうなるんだったら寧ろその死体をオールのようにして漕いでも一切冒涜的だのという考えは過ぎりすらしなかったろう。当然の行いとも断言できる必然の行為だ。
「…小舟になりそうなものでもあればいいがな」
「きっとあるでしょ…もうなんだって信じれそうだ」
やけになったかと問われればそれはそうだと余裕で躊躇いなく頷ける自信がある、だが今の自虐的な発言はそこからのものではない。目の前にあるものをしてみれば、俺の発言がただの皮肉や自嘲的な態度ではなく、あまりの可能性を前にした不安のオーバーフローによるものであると納得してくれるだろう。
眼前の、あり得る筈のない巨大要塞のような ―文明を知らない怪物が、あるいは文明を知り尽くした怪人がそれへの憎悪により歪んだ記憶が無意識に、発作的に防衛のイメージを固めたような無秩序で理不尽な石造りの迷路を見れば、もはや迷宮に無限の可能性すら感じてくるものだ。
【 】
破滅的に無秩序なその外観とは裏腹に、その機能だけ見ればなんとも理屈に則ったような構造で、横道こそあれ主な進行ルートは常に明確で、ご丁寧に入り口から「どうぞお進みください」と言わんばかりだった。今思うと、あれに対してもうちょっと疑った方がよかったのだろう。
入ってみると要塞は要塞でも例えるなら何かの処理場といった有様で、道端の溝に蓋としてつけられていがちな金網を巨大化させたような金属の格子がはめ込まれている工業的な床から不思議と…でもなく下水道が想起されるのは妥当と言う他ないだろう。
なにこの床、排水性に特化させる必要のある要塞ってなんだよ。なんで普通の壁じゃなくてアーチ状の窓みたいなものに鉄格子の手すりを付けたようなものなんだ。なんでそこから水車見えんの? なんでそこから流れてきた水が足元の格子に通って轟音を鳴らしてんの?
…まさかここから流れて行ったものが流れ流れて ―文字通り流されて外の毒沼になってるんじゃなかろうか。
そうなると俺達は諸悪の根源の中に好んで足を踏み入れているという危うい状況なのかもしれない。
不安を煽るような考察はともかく、視界に映る光景は客観的な情報から得られるイメージとは裏腹にどこか神聖そうな雰囲気を放っていた。多分それは外とは違い、ちゃんと明るく見えるからだろう。
「不思議ですね、日なんて差してない筈なのに、外と同じような橙の光があるなんて」感想を呟いただけだが、答えを期待している節もあった。
夕焼けのような光こそあるが、実際見てみると足元が何故だか雨上がりのように濡れているので光の反射があるとかで、実際差している光りよりは幾分か明るく見えているのだろう。
「勘違いして常識に加えるなよ、ここは普通の場所じゃない、迷宮だ。その中でもここは異常遺跡 ―物理学より心理学の方が攻略に於いて役に立ち、天塔・迷宮学でさえ十全に道を拓くもの足り得ない空間だ。その光だって普通じゃない。じゃあなんで明るいのかと訊かれると…一言で言えば『あれは光じゃない、照らしているだけ』だ」
「どういう事ですか?」
「過程がないんだよ、あるのは結果だけだ。理不尽とも言えるな、種火がなくとも火は熾る。種がなくとも花は咲く。それと同じようなものだ。どこにも光差す場所なんてないのに、明るいんだよ」
「なるほど…」
納得した風には返事したものの、色々常識外れのものを見てきても尚納得しきれない。冷静になれば不思議な話だ。いきなり燃え、凍らせ、排出させ、あまつさえ自動追尾なんて芸当を示した魔法なんて技術を目にした後、"理由のない明るさ"に困惑するなんて、今更って気がする。
湿った空気はそのままだが、吹く風は生温い不快なものではないおかげか、外の毒沼地帯とは体感がえらく違う。肌に粘液のようにつく湿り気もなく、雪の前触れのようなどこか爽やかな感覚だ。
…とは言っても、何故だか臭いが変だ。
毒沼の時の揮発性ガスを嗅いでいるような感覚とは違うのは幸いだが、それでも絶えない異臭には危機感を覚えずにいはいられない。
「ん…」
またしても不必要に鋭くなった感覚は視覚という形である種の覚醒のように仄かにぼんやりとしている空気の中を満遍なく注意を払えた。
「あれは…扉ですかね?」
すると前の方に扉のようなものを見つけた。
間を仕切るアーチが遮蔽になってしまっていて、その影に隠れてしまっていて見え辛く、一見カビの生えた薄い木の板にしか見えないが確かに取っ手があるようだし、おそらくは扉だろう。
「行きますか?」
「無理をしてでも」
感情にこそ出ないが、フルトーさんもフルトーさんで疲れているのかまだ見ぬその扉の先に一時の寄る辺を求めているらしかった。
【 】
念の為、すぐには開けずにしばらく扉越しに聞き耳を立てていた。
幸いベニヤ板も真っ青の薄さだったので情報は多かった。
第一に扉の先は無人ではない。唸り声からして不完死屍の類だろうけど、多分一体だけだからあまり脅威にならないだろう。ここまでは想定内だった。なにせ異常遺跡 ―魔物の一体でも居ない方が却って怪しいような場所だから解ってはいた。
第二に火の音がする。パチパチとかそういったものではなく、火花でも焚き火でもない…それよりも大きい。用途も見当がつく ―おそらくは巨大な釜かなにかで湯を沸かしているのだろう。ゴウゴウという貪欲に加減も知らずに勢いを増し続ける音とともにぐつんぐつんと熱せられた液体が蒸発し、時折蒸気機関のような開放をしているらしく、熱気が扉越しでも充分に伝わってくる。
「お風呂…じゃぁ、ないですよね?」
「料理って感じでもないな。"煮てる"というよりは"溶かしている"と言っても過言ではない火力だな…」
何がされているのかは見当がつかないから後回しにするとして、大切なのは敵はおそらく一体 ―しかも動きが鈍く、閉所では間違えなければ対処の容易い不完死屍だという事。
―やっても、別に無理な相手じゃあない。
「…入るぞ」
「…はい」
俺は杖を銛へと変形させ、彼も素早く斧に炎の魔法鍍金を施し、意を決して突入した。
―想定はここで外れた。
目の前に飛び込んできた光景は思っていたものではなかった。湯を沸かす大釜とその近くで唸る生ける死体 ―そいつだけを制圧すればいい、と思っていた。だが、現実は違ったわけだ。
「…足元警戒」俺より先に情報を処理したのだろう彼は短く的確に危機を伝えた。
多分言われなくても意識しただろうけど、それは無駄ないくつかの混乱した試みのうちの一つでしかない。
咄嗟に思いつくわけないだろ?
生きてる人間を齧る大鼠の存在なんて―
【ひとこと】
『The Greatest Living Show』って曲みつけまして、その曲がえぐいくらい性癖に刺さりました。
『天使の卵』みたいと言うのでしょうか、退廃的で幻想的で絶望的だけど確かに夢が見いだせる感じ。素敵だな、って思います。
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