【第十四話】戦い続ける、孤独なまでに一人…(3)
「生溶肉だろうな」
彼がそう言った不定形の物体は凍結されて動きが鈍くなっても尚蠢いていて、それが偶然できた水溜まりではなく何かそういう魔物であると確信させるには充分だった。
「生溶肉…って、なんです?」
「生溶肉、別名『禁餐贄者』。言うなれば"生きてる肉"だ」
「肉? 生物じゃなくて?」
「あぁ、生きてこそいるが生物と呼べるものじゃない。内臓や器官の類はなく、摂食行為も己の身体から滴る粘液で糜爛するように《腐食》させ、分解して取り込む」
発言の中で彼は《腐食》と強調して言った。おそらくは普通の腐食とは違い、生溶肉特有の影響なのだろうと思わせるのは容易かった。
「すぐに分解される訳じゃないが、放置すると存外早くやられる。そうなれば今選択肢としてある手段じゃ治療できない」
「前言ってたポーションとかじゃ無理なんですか? 拠点は確か薬品倉庫だった筈でしょ?」
「ポーションは謂わば"すごい薬"でしかない。治癒力を向上させ、体に備えられているのでは足りない部分を補う効果がある ―毒など体を蝕むものには効果的であるものの、生溶肉の《腐食》は溶かすだけだ。なくなった訳でも食われた訳でもない、ただ溶けて機能不全になっただけだ」
「やられた部分だけ切り取ったりすればいけるんじゃないですか?」
「そうすれば無理じゃないが、大抵溶かされれば多くを切除しなきゃならない。どちみち悪化するから厄介なんだ」
言い終えると彼は手に持ったそれを張り付いている氷ごと壁に叩きつけ、粉々に砕いた。
「俺がとれる対処方法は三つ。今のように粘液ともに凍らせて砕くか、高出力の炎で燃やして水分を蒸発させるか、あるいは爆発でそのものを消し飛ばすか。それ以上は無理だからな」
再び静かな殺意を宿らせた瞳の伴ったその行動は、警戒や警告を込めて俺に釘を刺したと同時に、対処の仕様がないと現状におけるその厄介さを知らしめる事となった。
【 】
そこからしばらく進んで、ふとこの長い城塞の地下道のような光景にも終わりが見え始めた頃、俺の感覚はなにかを訴えているようだった。
「…なんか辛いな」
「辛いだと?」
辛いというか、何かしらの科学的な臭いで火傷してしまったような体の一部が壊されてピリピリする感覚が急に口の中に、そのうち少し喉のあたりにまでその破壊規模は広がった。
「口とか呼吸器系を抑えられるもんないか? あんま息すんな、多分アレの成分が空気に混じって辛いんだろう…」
抑えられるものといっても…ガスマスクなんてのは勿論普通のマスクだって持ってないし…
「持ってないか?…ならしょうがない。その上着の襟あたりにボタンとそれを入れる穴がある筈だ。フードを被ったらそれを止めろ。そしたら首を覆えるような布ができるだろうから、それを鼻より上まで上げろ。簡易的だがないよりはマシだ」
上着にしては妙なところに布があるなとは思ってたが、簡易的なマスクになるようなものだったとは思わなかった。にしてもフードにマスクって盗人のような格好になるが、そうもいっていられない。
見た目か実用か、そんな無駄な比較をしてなんとか目を逸らそうとしていた現実は一歩進む毎に確実に目の前へと近づいて、いずれは逸らす事も出来ない程度になるだろう事は想像に難くなかった。
終わる瞬間、懐かしい感覚がした。
一歩踏み出し、石製の床を歩く時のコンッという固さを感じる―そこに踏めるなにかがあると逆説的に示すような足音ではなくなり、泥のような晴れない雨や霧に襲われたような湿った土を歩くのが不快でしかたなかった。踏み込もうと思ってもどこかで動きと共に意思が歪められる感覚がして、弾く返すような感覚もしないで引きずり込むように沈み込み、靴にしがみつくようなその地面を歩くのが嫌だ。
その嫌気を自覚して初めて、今までが懐かしく思えた。
洞窟らしい灰色に思い思いのイタズラを仕込んだような多層の石、岩潜亀竜が眠って全体重を委ねても問題ないのに妙に脆い溶岩洞の岩、怪人を予感させた奇妙なうねりの混沌としたあの空間も ―踏み締められないというだけで、歩きの違和感だけでこうも走馬灯のようにかつての"正常"を思い出してしまうなんて…
「何なんです!? ここ!」
忌々しい湿気た土から逃げる為に愚痴るように、狼狽えるように果ても見えないような上方に向かって叫んだ。叫んだ声の返答があるわけもなく、見える限り全方位の暗闇が質量を持っているかのように俺の背中に重くのしかかっていた。
行った憶えはないが、おそらく南米や東南アジアもそうだろうと想起させる妙に生暖かい風が吹く。
風がそうというだけで、寧ろ空間全体は涼しいのだろう現実とだが蒸し暑い感覚の矛盾した感触に動く度に脳に流れ込んでくると、もうそれだけで今自分がどうなっているのか ―嗅覚を除き異常はない筈の五感を信じられなくなってくる。
夢であるか現であるか、まさしく胡蝶の夢のような感覚と現実ともに程遠い心地よさのあるぼんやりとした意識。そしてそれを有無を言わさず肯定するように底なし沼のように魂を引きずり込む地面がなんと鬱陶しい事か…
「しっかりしろ!」
「んなァ!」
仄かに薄まったような意識を覚ましたのは文字通り体を冷ますフルトーさんの凍結魔法だった。溶岩洞の時に引き続き、この方法で覚まさせられたのは二回目だ。
「まだ三分も歩いてないの切りがないぞ…」
「すんません…なんだかぼけーっとしちゃって…」
「…まぁ、おかしい事じゃないが、そのままだとこの先困るぞ」
「どうして?」
彼の言葉が予想外のものでなくとも理由はなんとなくでも的確に当てられるだろうある種の確信めいた答えを持ちながらも、いつも通りに振舞おうとして質問する。
「…前見ろ」
フルトーさんは意識するまでもなくいつも通りに言葉少なに返すのみだった。
夕陽が情けに残したような細い橙色の光に照らされ、彼に言われた方へと向けた視線はなにかを視た。
例えでもなく、本当にただなにかと説明するしかなかった。
茶色ような赤黒いような、その泥に何百何千人分という血などの体液は言うに及ばず、内臓や排出物など人間の全てを強制的に搾り出して混ぜたような異様な液体がその細い光の通用する限界まで続いていた。
「毒沼だ」
彼は忌避感を表に出し、吐き捨てるように言った。
【ひとこと】
最近ちょっと忙しそうなので、二話連続で投稿します。
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