50. 決断
皆が待つ渓谷に戻った時、カタリナの遺体は夏の暑さで傷み始めていた。本当はクラウスも魔法で腐敗を遅らせたかったに違いない。しかし、グスタフの息がかかった敵がどこに潜んでいるか分からない中、位置を知らせる真似はできなかった。
合流後すぐに土葬用の穴が掘られ、顔だけ綺麗に整えられたカタリナがそこに横たわる。両手は胸の上でネックレスを握りしめるように合わせられ、寂しさを覚えないようにと全員が身に着けていた小物を一つずつたむけていく。クラウスいわく、カタリナの故郷の風習に倣った弔い方なのだという。
カタリナのシンタマニとシリヴァスタはクラウスが回収していた。表情一つ崩さない男であるが、師匠の役割を最低限果たすつもりでいるらしい。全員で足元から土をかけていき、残るは顔だけとなった時、跪いたクラウスが最後の言葉を掛けた。
「こんな辺境の地に眠らされることをどうか許してほしい」
魔法師は死を悼む時も涙を流せない。クラウスの後、額に手を当てて祈りを捧げた私は、人間として当然の振る舞いさえできない魔法師の性についても心の中で謝罪した。
こうした雰囲気に飲まれてか、葬儀が終わるまでリディアは声一つ出さなかった。ただ、その夜に寝袋で声を押し殺して泣いていたことを知っている。人の死に耐性がついたところで人間としての価値は上がらない。私は泣き疲れて眠ったリディアを両手で抱き、寂しい夜を過ごした。
次の朝、暗い顔を突き合わせて話し合いをする。ヤンとグスタフの結託は想定外だった。頼りどころをなくして宙ぶらりんになった私たちは、たったこれだけの人数でできることを考える。
「治安部によると、一週間前、帝国軍の大きな部隊がピア南東に姿を現したそうです」
「後始末に来たってわけじゃなさそうね」
「はい。エムデンにはそのさらに数日前に軍が進駐したと。今はバイロイトに向けて進んでいると思われます」
コリンの情報は戦争が差し迫っていることを示している。ディエゴは髪をかきむしり、隣に座るウタラトスの様子を窺った。私から言わせれば、分かり切っていた未来が訪れただけにすぎない。今更ウタラトスを気にかけたところでどうしようもなかった。
「開戦の口実はここ一年ほど続いたラテノンによる武力挑発とされています。ピアの紛争が最終的な引き金で、アタパカの住民には帝国軍の駐屯及び通過を無条件に認めるよう、お触書があったようです」
「最初はまたバイロイトですか」
「ええ、恐らく。既に帝国の支配下にあるピアで大きな衝突が起こるとは思えません。ですから帝国はバイロイトを障壁と考えるでしょう。最近、反体制活動は鳴りを潜めていましたが、土地柄、無血開城の可能性は低い」
コリンの見立てにステファンがため息をつく。へニアが寄り添うも暗い雰囲気が消えることはない。へニアは続けて優しい声を掛けた。
「帝国に支配されたって故郷に変わりはない。そうだろ」
「でも母の墓がある。それが荒らされないか心配で」
「そうか。あいつらそんなの気にしないからな。全部終わったら一緒に見に行こう。壊されていたら直せばいい。手伝うよ」
「ありがとう」
へニアはまるで人が変わってしまったようだった。ステファンを勇気づけて、怒りは瞳の奥に押し込めている。私はというと、昨日グスタフらと墓地で戦ってきたばかりの人間だ。それぞれが思い思いに考え耽り、少しの間があってからウタラトスが仕切り直した。
「ラテノンに勝ち目は?」
「ないでしょう。砂漠や渓谷に逃げ込んで抵抗したとして半年。住民を巻き込めば長引かせられるかもしれませんが」
「アタパカの自治はどうなる?」
「ラテノンが全面降伏すれば残されるかもしれません。ただ、そうなればこの地はまとまりを失う。エイノットも手を引くでしょう」
「打つ手なしか」
コリンの分析からウタラトスは現実的な結論を導く。私は真っ先にリディアの安全を考えた。帝国に支配されたアタパカで安全に生きていくことは難しい。エイノットへの脱出も可能性の一つではあるが、それはリディアにアントンを忘れろと言っているに等しかった。私の手を握るリディアは綺麗な瞳で遠くの山々を見つめている。何を考えているのか分からない。
「ヤンはどう動くでしょうか。そもそも何故、ヤンは帝国と手を結ぶことにしたのでしょう?」
「ヤンは端からウタラトスを指導者に置くつもりなんてなかった。グスタフへの見返りだったのかもね」
「ヴィルゴ家はそんなに僕が怖いか」
「当然です。何しろハイドラの血が流れているのですから。近年が稀だっただけで、帝国の歴史は常に流血と憎しみの繰り返しでした」
ディエゴの言葉は正しい。コーム体制が続く限り、この歴史に終止符が打たれることはないだろう。そんな未来はアタパカの自治権が守られるよりありえなかった。
「ヤンとグスタフはこのまま指導部を目指すと思う」
「なぜそう思う」
「初めて会った時からヤンの目には嘘が潜んでた。その正体がずっと分からなかったけど、ようやく合点がいった。ヤンは今の指導部を敵視してる。ラインホルトの理念を継承しなかった偽りの指導部を」
「まさか、自分がのさばれば解決できるとでも思ってるのか」
「あるいは帝国の支配を潔く受け入れることが、ラインホルトの理念に最も近いと考えているのかも」
私はラインホルトが掲げた理念を深くは知らないが、その一つが自治権の追求だったことは分かっている。しかし、ヤンと話したことで、これには前提条件があったのではないかと考えるようになった。アタパカの安寧なき理念に価値はない。ラテノンの存在理由はアタパカの平和を追求することであり、これがヤンが共感したラインホルトの理念だったのではないか。戦争さえ辞さないヴィーラントの姿勢はそれとは逆行している。
平和と自治のどちらを優先すべきか。この問いに正解はなく、人の数だけ答えがあるのかもしれない。しかし、一度戦争が起こってしまえば、ステファンが心配するように大切だった物が壊され奪われていく。私はステファンとの旅をゆっくりと思い出していく。そうして一つの考えを抱いた。
「ヤンとグスタフが繋がっていた以上、クーデターを起こしたがっていたのは帝国ということになる。帝国だって戦争を回避してアタパカを掌握できるのならそうしたいはず」
「ラテノンの頭を潰せば人死を出さずに目的を達成できると」
「そう。それは私たちの目的とも合致する」
「変なことを考えてるな」
ウタラトスは露骨に嫌な顔をする。また自分が利用されると分かったのだろう。ただ、ハイドラの血がこの世界を狂わせようとしている以上、文句を言う立場にはない。魔法師として生まれて苦悩することが私の運命なのだとすれば、そんな未来もまたウタラトスの運命なのである。
「エレナ、どういうこと?」
「ヤンより先に私たちがクーデターを起こす」
「反対だ。俺たちには後ろ盾がない。三日天下で踏みつぶされる」
クラウスは反対する。私もヤンからクーデターの話を聞いたときはそうだった。しかし、今はこれ以外に妙案はない。
「ウタラトスにはハイドラ家という後ろ盾がある」
「馬鹿か。ハイドラ家とは帝国そのもの。どうして後ろ盾になる?」
「帝国の政治は実質ハイドラ家によって営まれてる。ヴィルゴ家が被る不利益以上の利益をハイドラ家に示すことができれば、両家で意見が対立しても政治的決断はハイドラ家に委ねられる」
「ウタラトス様にラテノンの権力を持たせることで、ハイドラ家に利益があると見せるわけですか。ウタラトス様がアタパカの自治を求めれば皇帝は応じると」
ディエゴが確認を取ってくる。その顔は上手くいくはずがないと言っていて、他の皆もそうだった。
「その自治は見せかけだ。ライネの傀儡にすぎない」
「それはウタラトス次第。与えられた権力はこの地を生かしも殺しもできる」
「コールサックが応じなければどうする?」
「応じさせる」
「どうやって」
「ヴィルゴ家の力を徹底的にそぎ落とす」
「だからどうやって」
「グスタフを殺す」
一瞬で空気が凍り付いたのが分かった。詰問していたクラウスは目を閉じて小さく唸る。不可能だと思っているのだろう。私は本気だった。
「そもそも、ウタラトスの死を望んでいるのはウルサ家に権力を奪われることを恐れたヴィルゴ家。ハイドラ家にとって次の盟主がどちらの家になろうと関係ないはず」
「ただでさえ魔法師戦力を失っていたヴィルゴ家がさらにグスタフを失う。おまけにウタラトスも生きているとなれば、ハイドラ家も見限るだろうと?」
「浅はかだ。ライネの政治はそんな単純じゃない。ウルサ家の台頭を他の家が指をくわえて見ていると思うか」
「そこはウタラトスの仕事。指導者として一時的にでもアタパカを掌握すれば、ウタラトスがウルサ家で一番の権力者」
「投げやりな考え方だ」
ディエゴは私を危険視してウタラトスを関わらせまいとする。ただ、守られているだけでは責任を放棄しているも同然である。それはウタラトスも重々理解していた。
「ディエゴ、僕は別に構わない。自分で蹴りをつけると言っただろ。自分の出生のせいでたくさんの人が死に追いやられ、土地が狂っていく。そんなのはもうたくさんなんだ。エレナ、僕をラテノンの指導者にしてみせろ」
「待ってください。僕はハイドラ家が内地とアタパカの両方を掌握する未来が怖い。二度とアタパカの人々の手に自治権が戻ってこないかもしれない」
「だから今のうちによく考えろ。全てを諦めて全員で死ぬか、僕を指導者にしてアタパカの未来を共に考えるか」
ウタラトスが脅すような言葉でコリンに迫る。コリンはシーラと顔を見合わせて唇を噛んだ。結局はアタパカの行く末をその土地の人間が決められない。そんな現実に悔しさを感じていた。私はそんな二人のために一言を添える。
「もしウタラトスが権力に目をくらませ暴走すれば、その時は私が引きずりおろしてあげる。別の戦争を呼び込むことになるかもしれないけどね」
「その時はエレナの首にかかる懸賞金が上乗せされるだけだ。大体、そんな自己犠牲が受け入れられるのか」
「ステファンとリディアのためなら。クラウスはどう?乗ってみる気はない?」
「俺はアタパカなんてどうでもいい」
「でしょうね」
「だけど、グスタフを殺すってのには興味がある」
クラウスは素直な人間ではない。カタリナが眠る墓を一瞥すると、魔法師としての性を露わにした。グスタフを殺すにはクラウスの協力が必要不可欠で、私はその言葉を歓迎する。
「ステファンとへニアはどうする?」
「ステファンの望み通りにする」
「僕は」
へニアとは裏腹にステファンは少し言い淀む。その隙にリディアが声を上げた。
「私はウタラトスと一緒に行く」
「リディア?」
「どうしてウタラトスと?」
私とステファンは同時に驚き、リディアと向かい合う。まさかウタラトスに何か吹聴されたのではないか。ディエゴの命を救うべくウタラトスが語りかけた相手もリディアだった。ウタラトスはどこ吹く風といった顔をしている。
「大切なことを教えるの」
「大切なこと?」
「アタパカのこと全部。お父さんが教えてくれたことも、エレナちゃんと見てきたことも全部。そうすればこんな綺麗な世界を自分の良いように使おうとは思わないはずだから」
「どうして僕が年下の女から教わらないといけないんだ」
「同じ家系からアタパカを苦しめる暴君なんて出したくない」
今日のリディアは今までにないほど主体的だった。こんな言われようにイライラしていたウタラトスだったが、私の視線に気付いて最後は頷く。
「じゃあついてこい。役に立つのならお前の父親のことも少しは聞いてやる」
「与えられた力を我が物のように言わないで。たくさんの想いが乗ってることを忘れちゃダメ」
「分かったよ」
リディアに注意されてウタラトスはバツが悪そうにする。ディエゴのことがあって上手に出られないらしく、私はたくましくなったリディアに惚れ惚れしてしまう。リディアが危険に晒される不安はある。アントンとの約束を考えればここは過保護になるべきだろう。しかし、リディアはきっとアントンが想像していた以上に早く成長している。幼い姿はもうどこにもなかった。
「ステファン、リディアを任せていい?」
「ああ。命に代えても守る」
「その命は私が守る」
「お願い。私とクラウスはグスタフを仕留める。ヴィーラントの方にどれだけ戦力があるのか分からないけど、そっちは」
「僕たちに任せて下さい。ラテノンをかき集めて協力させます」
コリンが足りない人員の充足を請け負ってくれる。クーデターに協力してくれる者がいるかどうかは疑問だが、どうやら策があるようだった。
「もし失敗すれば僕らは」
「追われながらの旅も案外楽しいものよ」
私はステファンやリディアとの出会いを念頭に、冗談を言ったつもりはなかった。しかし、それが意外と緊張を和ませる力があったようで何人かは笑ってくれた。




